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◇序章【生き、逝き、行く】
序章……(ニ) 【嵐前の閑古鳥】
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◇◇◇
外套の一派は頷き合い、それと時を同じくして“ポツリ、ポツリ”と曇天から雫が降り出し始める。まもなく完全に人通りの途絶えた大通りを、人目が無いのは幸いとばかりに四人は進み始めた──。
◇◇◇
──それから少し時間が経過し。
場所は変わり、町中のとある一軒の旅籠屋。
「──ごめんください、と」
静寂を払う、訪問の一声だ。
宿屋のお帳場として立つ少女が薄目を開ける。
何者かが掲げられていた暖簾をくぐり、敷居を跨いで屋内へと入ってきたらしい。
その者は足取り軽く、ぐるり玄関を見廻す。
そうして玄関の脇に置いてあった物品に興味を示したようで近付いて行き。筋肉質で二の腕を盛り上げた姿勢をした妙に存在を主張する狸の置物の前で「ははっなんだこれ!」面白そうに声を弾ませて言う。
「よし。良いんじゃないかな、この宿。
主張しない佇まいに、年季の入った風情ある建物。それでいて堅苦しくなく、まるで田舎のお婆ちゃんの家的な親しみがもてる。どこでも良いならここにしてみないかな……?」
閑古鳥の鳴いている幻聴すら聞こえてくるこの旅籠屋。看板によれば、名は【雨宿里】という。
一向にお客が入らず。もういい加減に暇で暇で舟を漕ぎ始めた宿屋の彼女を現に呼び戻したのは、そんな凛として透き通る美しい声であった。
「あれ? おーい、皆? あれ……?」
その美しい声に似合わず、平易というか俗っぽい砕けた口調。飄々とした言葉遣いをする人だ。
宿屋の彼女は寝惚けていて頭が回らぬが。
察するに、訪問者の女性は『この宿に泊まろう』とでも考えてくれているようだ。つまり、客?
「おきゃくしゃま……いらっしゃ……。
ん~はわぁ……ッてあぁ! いけない!」
寝起きで辿々しい言葉の挨拶で迎える。
帳場で立ち眠りをしていた彼女は、意識せずとも口から出てしまいそうになった欠伸を掌で押さえる事で誤魔化しておき、声作り。視界の端に映る先程の声の主だろう稀人。もとい久方ぶりの有り難いお客様の姿を見据てみる。
目に入ったのは、防寒や雨風を凌ぐ為にしても着込み過ぎな……。彼女にとってなんとも表現し難い本当に稀有な稀人というか。顔も含めて全身を隠すように純白の頭巾と外套を身に纏った者の姿。
これは、んん。お一人様なのかと思いきや、
「あぁ宿泊だ。泊まる宿を探しているんだ。
えーと、でも皆どこ行った? ……あぁ来た」
「リンリ殿? いえ、旦那様……。
よもや、そのまま入っていかれるとは」
「リンリ……様、本当に、ここかぁ?
なんじゃ……その、なんというかじゃの」
と。暖簾が捲られ、続いて二人。
──彼等の『呼称』を聞くに、だ。
最初に店へと踏み込んで来た者は、外套姿をした一派の“旦那様”と呼ばれている者らしい。その旦那様に遅れて入ってきた従者の二人様といった形か。
しかし、女性のような声なのに、旦那様?
「あの、宜しいので?」
「少々……。いんゃとても物好きじゃの。
さすが儂が見込んだ物好き者じゃ! あ勘違いするでないぞ。無論これは皮肉じゃからのぉ?」
暖簾を潜り。渋々と後から入って来た二人はどうにも怪訝そうな声をあげて向き合う。
「……サシギ、シルシ。なんか酷いな。
おい、なぜそんな微妙な反応をしてるんだ?」
一方の旦那様は、理解できないという風。自分の選んだ宿にケチを付けるような態度の二人に同じく怪訝そうな身振りでもって言葉を返す。
「リンっ、いえ旦那様。……本当にこの宿で宜しいのでしょうか? ……先程の私達の冗談へお返しをされているのではなく? 恐れながら、向かいの宿の方が幾分か宿としての位は上かと存じますが」
「サシギ……しかしなぁ」
外套の一人は、やたら畏まった固い話し方をする女性の声。呼ばれた名はサシギ。
「──外観だけなら間違いなく、向かいの宿はこの町一番じゃろうな。んまあ、と言ってもばっと見た限り現在のところ、まだ暖簾を出している旅籠屋はこの辺りに三軒しかないようなのじゃが。……因みに三軒の宿を松竹梅とすると、ここは“梅”じゃな!」
「梅か。シルシ、お前もここじゃ不服だと?」
「あえてここを選ぶ意味が解せぬだけじゃ」
媼のよう落ち着いた口調に、不釣り合いなうら若い少女の声。こちらはシルシというらしい。
「……って、言われてもなぁ。あんな悪趣味な……ピカピカ装飾過多な宿はちょっとご免かなぁ。高そうだし雰囲気的に入りづらいしさ。もう一軒は知らんが。というか二人とも、そーゆうのは店の外で、その店の人に聞こえない所で言ってくれ。失礼だろ?」
「失礼……? いえ比較した結果、この宿に妥当な評価をしたまででございます。それに加え、安い宿は警備も不充分で、客に対しても配慮が足りない場合が考えられ、その点も踏まえてのご判断を」
「リンリ様や、お主が宿に『失礼』や『気兼ね』など下らないものを感じる必要は無いのぅ。旅の費用はたっぷり持っておるし。もしも散財したとしても我々、特にサシギが身を売ってでもやりくりして何とかかんとか……てぇッ痛ァ!」
シルシはサシギに頭をはたかれた。
「……そうか。うーむ、しかたない。じゃあ今回の宿はやっぱり二人が決めてくれ。旅先で“宿”とか決めるのにちょっと心踊ってなぁ。まぁよく考えてみると、正直俺もハクシと同じでこの世界の宿とかに疎いからさ。ここまで来て悪いな。頼んだよ」
旦那様は少し残念そうに言うが、二人の意見も尤もだと思ったのか。素直に引き下がり、今回の宿を決める役を辞退する事にしたご様子。
だけれど。そこで、
「──ここで、良い! ……良いよ!
うん、ここ! ここにしよう、りんりぃ!」
「ん、ハクシ?」
二人と共に入って来るも、そのまま沈黙していた幼げな少女。旦那様の後方に張り付くようにして、存在感を消していた小さな外套の主。
呼ばれた名は──ハクシ。彼女が三人の円に向かって唐突に声を出し、そう主張する。
「「……ハクシ様?」」
「ハクシ、どうかしたのか……?」
「聞き逃したのか?『良い』と告げたのだ。
我が宿探しを任命した其方が、この宿を選んだのだ。ならばこの宿に何の憂いがあろう。ここで良いとも……せっかく選んでもらったからね? この上なく素晴らしい宿に違いあるまい! 絶対そうだよ!」
鶴の一声というものだろう。
ハクシの主張に、旦那様は複雑そうに頭を掻く。
「なんか凄く持ち上げられてしまった!
宿を選んだ俺が、逆に不安になるほどに!」
サシギとシルシの二人は『やれやれ』といった手振りをするが、すぐ無言で頷き合った。
「──えーと、大丈夫か?
ここで決定で構わないかな皆?」
「承知いたしました」
「うむ。御意、じゃな!」
三人は声を合わせる。
「じゃあ、そこの受付係だろうお姉さん。
とりあえず一泊をお願いしたい。……外に暖簾かかってたから、まだ可能だよな。えーと料金は、ここ先払いか後払いか? あとそうだな、部屋の格とかに違いはあるのかな? とかまぁ案内お願いします」
「……え? え、えと。その」
外套一派の旦那様は、お帳場に向いた。
そのままの流れで、心の準備も出来ぬ間に喋り掛けられた彼女はもごもごと言い淀んでしまう。
「ゴホンッ、こちらの要望でございますが。
……部屋は二部屋。何処でも良いので一部屋と、多少高くても可能な限りの上部屋を一部屋、二人ずつの宿泊。食事の用意は二人分で結構でございます。この希望で、本日の宿泊は可能でしょうか?」
帳場の彼女の様子に見かねたのか。
サシギが前に出てきて、そう告げる。
「あ、あの……その」
「……ん? 向かいのメッキ成金宿と違って、ここは老舗っぽい雰囲気あるからなぁ。表の看板に書かれてた宿泊費の目安も安かったし、湯船の用意ありで食事は一泊一食タダときた。うーむ、意外と隠れた人気スポットで……暖簾はまだ掛けてあったけども部屋が空いてないとかだろうか?」
「いえ、あの。そこのところは、空き空き。
部屋は……ぜんぜん空いているのですが……」
「ですが? ふむ。となると、もしかして事前の予約制とか、一見様お断りとか、そんな感じかな……? あーそうかぁ、考えが至らなかったな。老舗旅館とくれば客くらい宿が選ぶものかもな──」
「あ、そんな、お客様を選ぶなんて、そんな。
とんでもないです。あ、い、いえ、泊まってもらえるのも……すごく歓迎なんですが……」
「それじゃあ、何が問題なんだ?」
「……とても失礼な事だと恐縮なんですが。
あ、あの、正体も顔も解らない方達を泊めるのは、この宿ではちょっと……。すいません。その。が、外套を脱いでもらって良いでしょうか……?」
帳場の彼女はおずおずと、とても申し訳なさそうに外套一派の旦那様に伝えた。
そのまま彼女が横に一歩二歩と動くと、背後の壁に飾られていた掛軸が現れる。
或いは、例え客を追い返す事になっても。
代々続いたこの宿の、掛軸に書き込まれた文字『信用できる人間しか泊めない』という伝統なのだと。
ある意味で“客を選んでいる”が、けれどもだ。
掛軸に続く言葉『全ての客を尊重し、安心安全な持て成しをする』という宿の創業から継いだ伝統の理念にもとずいた取り決めである、と。
旦那様は納得したよう手を打つ。
「んまぁ、もっともだ。失礼なんてとんでもない。
どんな土地でも世界でも不審者は居るもんな。当然、変な奴を泊めるわけにはいかないもんな。だったら泊める人間の身元確認は重要だろう。んー……ということらしいが、皆どうしようか?」
「我は構わぬ。……かな? どうせ、商人に見られている故に。案じてもしかたのない事。人の口は完全に塞げない、どこかで割り切るしかないよ」
「……客に配慮が無い。本来なら今からでも向かいの宿に向かうところでございますが、旦那様が選び、ハクシ様がここで良いとの事なら」
「儂も異論はないの。今さら見られても構わん。
ならば、我等は従いましょうかのぅ」
サシギとシルシは、言いながらバサッと外套を脱いで素肌を外に晒した。それを見て、
「えっ──獣合の民ですかッ?!」
帳場の彼女は、思わず呟いてしまう。
獣合の民。この辺りの土地【シンタニタイ】近辺では、なかなか目にかかれない鳥獣の特徴を身体に持つという。人であり人外の存在。
目前の彼等は、そういった存在なのだろう。
「……イディオヌ。はて、なんだっけ?
えーと、あー、たしか【イディオヌ】と言うと。ファンタジーな世界で言うところの“獣人”的なカテゴリーの人達の事をそう呼ぶんだったっけ……?」
旦那様が何やら呟く。
「獣合の民。正確には少々異なりますが、別にそう認識してもらって構いません。そして、念のため私達の存在は他言無用です。物珍しいからと、見世物になるのは御免でございますので」
旦那様の言に続けた彼女。特徴的な紅い髪、それから肩から下の手首までが形こそ人間の物だが、美しい紅い羽毛で包まれた腕であり、その先が鳥類の鱗の生えた掌となっている長身の美女。サシギ。
「……そうかそうか、獣合の民か。いや、我等は別にそれで良いが。流石にリンリ様とハクシ様の正体は、ほれ肩の【羽衣】もある。お姿を見れば解ってしまうじゃろうて……」
さらに続けて。こちらは薄蒼い髪、珊瑚のような形をした掌大の角を二対、側頭部から生やし。頬に葵色の爬虫類の鱗、碧玉の眼、丸い眼鏡を掛けて、鱗に覆われた太尾を股下に襠の無い袴から出した年頃の少女。シルシ。
シルシは顔を歪ませ、口をとがらせている。何故だか獣合イディオヌの民と言われた事に複雑そうな心境を浮かべているようにも見て取れる。
「あ。ちょっと、あの。悪い。
不意で引っ張らないで欲しいぞ。この身体は必要以上に人に見られたくないんだけど。特に知らない人には……色々な意味で。本当に、心からっ!」
旦那様は姿を晒す事を躊躇している様子で、己の頭巾と外套を押さえているが、
「うぐぐぐっ! せ、せめて、心の準備をだな」
「その振舞いは良く無い。
彼ノ者を貶める言とも取れてしまう故に。我と同じ存在であると、なにより彼ノ者との縁を認めるべき。りんり、己の身体に自信を持つが良い。えーとね、うん。……じゃないと、我は怒るからねっ!」
「あっ、ハクシ! ちょっと待ってくれぃ!
外套を引っ張るなー!! 悪い、お前と同じ存在ってのが嫌な訳じゃなくてなぁ!!」
──ハクシに後方より不意で引っ張られた旦那様の外套は、その拍子に掛け合わせていた留め具がカチャリと外れて。結果、力をかけられた方向へとスルリと脱げてしまった。
「のわあぁァ──っ!!」
刹那。銀色の細糸、否、髪が舞う。
旦那様の外套が脱げて、現れたのは──
肩の辺りで短く切り揃えた銀髪に、琥珀を思わせる金の虹彩をした銀髪金眼の女性。
彼女のその見かけの齢は、十代の後半といったところか。少女とも大人の女性とも言い表せるものであるが、大人の艶やかさよりも少女的な可憐さの方が上回る為にどちらかというと若く見える。
彼女はその髪と同色の狐のような獣の耳を頭の上で窄ませ、同じく狐のようなフサフサとした獣の尻尾を腰から優雅に垂らしている。
そうして長い睫毛を揺らし、切れ長の瞳を辺りにさ迷わせると、その頬に赤みが差した。
そんな“人ならざる”ものの、美に精通した造形師が身心を注いで手掛けた傑作のような。儚げで神秘的な見る者を心惹かせる容姿の女性であった。
「み、見られたく……なかった……。はぁ」
『旦那様』と呼ばれていた彼女は、自身の程よく膨らんだ乳房の辺りを抱えこみ。己の袴と装束、たくわえる尻尾まで汚れるのも気を止めず、涙目でその場にへたへたと座り込んでしまうではないか。
彼女の意を汲み取ったのか。背中から薄い羽衣のような物が現れ、彼女自身を優しく包み込んだ。
「──えっ、えぇ!? まさかっッ!
統巫ッ?! それに、その、金と銀の御眼と御髪。かの系統導巫様でございますですかッ?!」
帳場の彼女は、目の前の彼女の容姿を、そういった特徴を持つ存在を知っていた。
いや、この土地に住んでいるのならば知らぬ者は居ないだろう。伝え聞く『金と銀の色彩』を身体に持ち。更にその存在の証といえる羽衣まで見せ付けられたのだ。疑うことなどできやしない。
「俺は、統巫じゃあ──」
「──是だ、我がそう」
ハクシの言ノ葉に、帳場の彼女の目が変わる。
其は畏れ多き、敬うべき者。
世の要たる者。前途の導。いと尊き存在にして。彼の存在達の事を此土では『統巫』と敬称する。
統巫、それも、系統導巫──。
──此土の、神の如き存在だ。
◇◇◇
外套の一派は頷き合い、それと時を同じくして“ポツリ、ポツリ”と曇天から雫が降り出し始める。まもなく完全に人通りの途絶えた大通りを、人目が無いのは幸いとばかりに四人は進み始めた──。
◇◇◇
──それから少し時間が経過し。
場所は変わり、町中のとある一軒の旅籠屋。
「──ごめんください、と」
静寂を払う、訪問の一声だ。
宿屋のお帳場として立つ少女が薄目を開ける。
何者かが掲げられていた暖簾をくぐり、敷居を跨いで屋内へと入ってきたらしい。
その者は足取り軽く、ぐるり玄関を見廻す。
そうして玄関の脇に置いてあった物品に興味を示したようで近付いて行き。筋肉質で二の腕を盛り上げた姿勢をした妙に存在を主張する狸の置物の前で「ははっなんだこれ!」面白そうに声を弾ませて言う。
「よし。良いんじゃないかな、この宿。
主張しない佇まいに、年季の入った風情ある建物。それでいて堅苦しくなく、まるで田舎のお婆ちゃんの家的な親しみがもてる。どこでも良いならここにしてみないかな……?」
閑古鳥の鳴いている幻聴すら聞こえてくるこの旅籠屋。看板によれば、名は【雨宿里】という。
一向にお客が入らず。もういい加減に暇で暇で舟を漕ぎ始めた宿屋の彼女を現に呼び戻したのは、そんな凛として透き通る美しい声であった。
「あれ? おーい、皆? あれ……?」
その美しい声に似合わず、平易というか俗っぽい砕けた口調。飄々とした言葉遣いをする人だ。
宿屋の彼女は寝惚けていて頭が回らぬが。
察するに、訪問者の女性は『この宿に泊まろう』とでも考えてくれているようだ。つまり、客?
「おきゃくしゃま……いらっしゃ……。
ん~はわぁ……ッてあぁ! いけない!」
寝起きで辿々しい言葉の挨拶で迎える。
帳場で立ち眠りをしていた彼女は、意識せずとも口から出てしまいそうになった欠伸を掌で押さえる事で誤魔化しておき、声作り。視界の端に映る先程の声の主だろう稀人。もとい久方ぶりの有り難いお客様の姿を見据てみる。
目に入ったのは、防寒や雨風を凌ぐ為にしても着込み過ぎな……。彼女にとってなんとも表現し難い本当に稀有な稀人というか。顔も含めて全身を隠すように純白の頭巾と外套を身に纏った者の姿。
これは、んん。お一人様なのかと思いきや、
「あぁ宿泊だ。泊まる宿を探しているんだ。
えーと、でも皆どこ行った? ……あぁ来た」
「リンリ殿? いえ、旦那様……。
よもや、そのまま入っていかれるとは」
「リンリ……様、本当に、ここかぁ?
なんじゃ……その、なんというかじゃの」
と。暖簾が捲られ、続いて二人。
──彼等の『呼称』を聞くに、だ。
最初に店へと踏み込んで来た者は、外套姿をした一派の“旦那様”と呼ばれている者らしい。その旦那様に遅れて入ってきた従者の二人様といった形か。
しかし、女性のような声なのに、旦那様?
「あの、宜しいので?」
「少々……。いんゃとても物好きじゃの。
さすが儂が見込んだ物好き者じゃ! あ勘違いするでないぞ。無論これは皮肉じゃからのぉ?」
暖簾を潜り。渋々と後から入って来た二人はどうにも怪訝そうな声をあげて向き合う。
「……サシギ、シルシ。なんか酷いな。
おい、なぜそんな微妙な反応をしてるんだ?」
一方の旦那様は、理解できないという風。自分の選んだ宿にケチを付けるような態度の二人に同じく怪訝そうな身振りでもって言葉を返す。
「リンっ、いえ旦那様。……本当にこの宿で宜しいのでしょうか? ……先程の私達の冗談へお返しをされているのではなく? 恐れながら、向かいの宿の方が幾分か宿としての位は上かと存じますが」
「サシギ……しかしなぁ」
外套の一人は、やたら畏まった固い話し方をする女性の声。呼ばれた名はサシギ。
「──外観だけなら間違いなく、向かいの宿はこの町一番じゃろうな。んまあ、と言ってもばっと見た限り現在のところ、まだ暖簾を出している旅籠屋はこの辺りに三軒しかないようなのじゃが。……因みに三軒の宿を松竹梅とすると、ここは“梅”じゃな!」
「梅か。シルシ、お前もここじゃ不服だと?」
「あえてここを選ぶ意味が解せぬだけじゃ」
媼のよう落ち着いた口調に、不釣り合いなうら若い少女の声。こちらはシルシというらしい。
「……って、言われてもなぁ。あんな悪趣味な……ピカピカ装飾過多な宿はちょっとご免かなぁ。高そうだし雰囲気的に入りづらいしさ。もう一軒は知らんが。というか二人とも、そーゆうのは店の外で、その店の人に聞こえない所で言ってくれ。失礼だろ?」
「失礼……? いえ比較した結果、この宿に妥当な評価をしたまででございます。それに加え、安い宿は警備も不充分で、客に対しても配慮が足りない場合が考えられ、その点も踏まえてのご判断を」
「リンリ様や、お主が宿に『失礼』や『気兼ね』など下らないものを感じる必要は無いのぅ。旅の費用はたっぷり持っておるし。もしも散財したとしても我々、特にサシギが身を売ってでもやりくりして何とかかんとか……てぇッ痛ァ!」
シルシはサシギに頭をはたかれた。
「……そうか。うーむ、しかたない。じゃあ今回の宿はやっぱり二人が決めてくれ。旅先で“宿”とか決めるのにちょっと心踊ってなぁ。まぁよく考えてみると、正直俺もハクシと同じでこの世界の宿とかに疎いからさ。ここまで来て悪いな。頼んだよ」
旦那様は少し残念そうに言うが、二人の意見も尤もだと思ったのか。素直に引き下がり、今回の宿を決める役を辞退する事にしたご様子。
だけれど。そこで、
「──ここで、良い! ……良いよ!
うん、ここ! ここにしよう、りんりぃ!」
「ん、ハクシ?」
二人と共に入って来るも、そのまま沈黙していた幼げな少女。旦那様の後方に張り付くようにして、存在感を消していた小さな外套の主。
呼ばれた名は──ハクシ。彼女が三人の円に向かって唐突に声を出し、そう主張する。
「「……ハクシ様?」」
「ハクシ、どうかしたのか……?」
「聞き逃したのか?『良い』と告げたのだ。
我が宿探しを任命した其方が、この宿を選んだのだ。ならばこの宿に何の憂いがあろう。ここで良いとも……せっかく選んでもらったからね? この上なく素晴らしい宿に違いあるまい! 絶対そうだよ!」
鶴の一声というものだろう。
ハクシの主張に、旦那様は複雑そうに頭を掻く。
「なんか凄く持ち上げられてしまった!
宿を選んだ俺が、逆に不安になるほどに!」
サシギとシルシの二人は『やれやれ』といった手振りをするが、すぐ無言で頷き合った。
「──えーと、大丈夫か?
ここで決定で構わないかな皆?」
「承知いたしました」
「うむ。御意、じゃな!」
三人は声を合わせる。
「じゃあ、そこの受付係だろうお姉さん。
とりあえず一泊をお願いしたい。……外に暖簾かかってたから、まだ可能だよな。えーと料金は、ここ先払いか後払いか? あとそうだな、部屋の格とかに違いはあるのかな? とかまぁ案内お願いします」
「……え? え、えと。その」
外套一派の旦那様は、お帳場に向いた。
そのままの流れで、心の準備も出来ぬ間に喋り掛けられた彼女はもごもごと言い淀んでしまう。
「ゴホンッ、こちらの要望でございますが。
……部屋は二部屋。何処でも良いので一部屋と、多少高くても可能な限りの上部屋を一部屋、二人ずつの宿泊。食事の用意は二人分で結構でございます。この希望で、本日の宿泊は可能でしょうか?」
帳場の彼女の様子に見かねたのか。
サシギが前に出てきて、そう告げる。
「あ、あの……その」
「……ん? 向かいのメッキ成金宿と違って、ここは老舗っぽい雰囲気あるからなぁ。表の看板に書かれてた宿泊費の目安も安かったし、湯船の用意ありで食事は一泊一食タダときた。うーむ、意外と隠れた人気スポットで……暖簾はまだ掛けてあったけども部屋が空いてないとかだろうか?」
「いえ、あの。そこのところは、空き空き。
部屋は……ぜんぜん空いているのですが……」
「ですが? ふむ。となると、もしかして事前の予約制とか、一見様お断りとか、そんな感じかな……? あーそうかぁ、考えが至らなかったな。老舗旅館とくれば客くらい宿が選ぶものかもな──」
「あ、そんな、お客様を選ぶなんて、そんな。
とんでもないです。あ、い、いえ、泊まってもらえるのも……すごく歓迎なんですが……」
「それじゃあ、何が問題なんだ?」
「……とても失礼な事だと恐縮なんですが。
あ、あの、正体も顔も解らない方達を泊めるのは、この宿ではちょっと……。すいません。その。が、外套を脱いでもらって良いでしょうか……?」
帳場の彼女はおずおずと、とても申し訳なさそうに外套一派の旦那様に伝えた。
そのまま彼女が横に一歩二歩と動くと、背後の壁に飾られていた掛軸が現れる。
或いは、例え客を追い返す事になっても。
代々続いたこの宿の、掛軸に書き込まれた文字『信用できる人間しか泊めない』という伝統なのだと。
ある意味で“客を選んでいる”が、けれどもだ。
掛軸に続く言葉『全ての客を尊重し、安心安全な持て成しをする』という宿の創業から継いだ伝統の理念にもとずいた取り決めである、と。
旦那様は納得したよう手を打つ。
「んまぁ、もっともだ。失礼なんてとんでもない。
どんな土地でも世界でも不審者は居るもんな。当然、変な奴を泊めるわけにはいかないもんな。だったら泊める人間の身元確認は重要だろう。んー……ということらしいが、皆どうしようか?」
「我は構わぬ。……かな? どうせ、商人に見られている故に。案じてもしかたのない事。人の口は完全に塞げない、どこかで割り切るしかないよ」
「……客に配慮が無い。本来なら今からでも向かいの宿に向かうところでございますが、旦那様が選び、ハクシ様がここで良いとの事なら」
「儂も異論はないの。今さら見られても構わん。
ならば、我等は従いましょうかのぅ」
サシギとシルシは、言いながらバサッと外套を脱いで素肌を外に晒した。それを見て、
「えっ──獣合の民ですかッ?!」
帳場の彼女は、思わず呟いてしまう。
獣合の民。この辺りの土地【シンタニタイ】近辺では、なかなか目にかかれない鳥獣の特徴を身体に持つという。人であり人外の存在。
目前の彼等は、そういった存在なのだろう。
「……イディオヌ。はて、なんだっけ?
えーと、あー、たしか【イディオヌ】と言うと。ファンタジーな世界で言うところの“獣人”的なカテゴリーの人達の事をそう呼ぶんだったっけ……?」
旦那様が何やら呟く。
「獣合の民。正確には少々異なりますが、別にそう認識してもらって構いません。そして、念のため私達の存在は他言無用です。物珍しいからと、見世物になるのは御免でございますので」
旦那様の言に続けた彼女。特徴的な紅い髪、それから肩から下の手首までが形こそ人間の物だが、美しい紅い羽毛で包まれた腕であり、その先が鳥類の鱗の生えた掌となっている長身の美女。サシギ。
「……そうかそうか、獣合の民か。いや、我等は別にそれで良いが。流石にリンリ様とハクシ様の正体は、ほれ肩の【羽衣】もある。お姿を見れば解ってしまうじゃろうて……」
さらに続けて。こちらは薄蒼い髪、珊瑚のような形をした掌大の角を二対、側頭部から生やし。頬に葵色の爬虫類の鱗、碧玉の眼、丸い眼鏡を掛けて、鱗に覆われた太尾を股下に襠の無い袴から出した年頃の少女。シルシ。
シルシは顔を歪ませ、口をとがらせている。何故だか獣合イディオヌの民と言われた事に複雑そうな心境を浮かべているようにも見て取れる。
「あ。ちょっと、あの。悪い。
不意で引っ張らないで欲しいぞ。この身体は必要以上に人に見られたくないんだけど。特に知らない人には……色々な意味で。本当に、心からっ!」
旦那様は姿を晒す事を躊躇している様子で、己の頭巾と外套を押さえているが、
「うぐぐぐっ! せ、せめて、心の準備をだな」
「その振舞いは良く無い。
彼ノ者を貶める言とも取れてしまう故に。我と同じ存在であると、なにより彼ノ者との縁を認めるべき。りんり、己の身体に自信を持つが良い。えーとね、うん。……じゃないと、我は怒るからねっ!」
「あっ、ハクシ! ちょっと待ってくれぃ!
外套を引っ張るなー!! 悪い、お前と同じ存在ってのが嫌な訳じゃなくてなぁ!!」
──ハクシに後方より不意で引っ張られた旦那様の外套は、その拍子に掛け合わせていた留め具がカチャリと外れて。結果、力をかけられた方向へとスルリと脱げてしまった。
「のわあぁァ──っ!!」
刹那。銀色の細糸、否、髪が舞う。
旦那様の外套が脱げて、現れたのは──
肩の辺りで短く切り揃えた銀髪に、琥珀を思わせる金の虹彩をした銀髪金眼の女性。
彼女のその見かけの齢は、十代の後半といったところか。少女とも大人の女性とも言い表せるものであるが、大人の艶やかさよりも少女的な可憐さの方が上回る為にどちらかというと若く見える。
彼女はその髪と同色の狐のような獣の耳を頭の上で窄ませ、同じく狐のようなフサフサとした獣の尻尾を腰から優雅に垂らしている。
そうして長い睫毛を揺らし、切れ長の瞳を辺りにさ迷わせると、その頬に赤みが差した。
そんな“人ならざる”ものの、美に精通した造形師が身心を注いで手掛けた傑作のような。儚げで神秘的な見る者を心惹かせる容姿の女性であった。
「み、見られたく……なかった……。はぁ」
『旦那様』と呼ばれていた彼女は、自身の程よく膨らんだ乳房の辺りを抱えこみ。己の袴と装束、たくわえる尻尾まで汚れるのも気を止めず、涙目でその場にへたへたと座り込んでしまうではないか。
彼女の意を汲み取ったのか。背中から薄い羽衣のような物が現れ、彼女自身を優しく包み込んだ。
「──えっ、えぇ!? まさかっッ!
統巫ッ?! それに、その、金と銀の御眼と御髪。かの系統導巫様でございますですかッ?!」
帳場の彼女は、目の前の彼女の容姿を、そういった特徴を持つ存在を知っていた。
いや、この土地に住んでいるのならば知らぬ者は居ないだろう。伝え聞く『金と銀の色彩』を身体に持ち。更にその存在の証といえる羽衣まで見せ付けられたのだ。疑うことなどできやしない。
「俺は、統巫じゃあ──」
「──是だ、我がそう」
ハクシの言ノ葉に、帳場の彼女の目が変わる。
其は畏れ多き、敬うべき者。
世の要たる者。前途の導。いと尊き存在にして。彼の存在達の事を此土では『統巫』と敬称する。
統巫、それも、系統導巫──。
──此土の、神の如き存在だ。
◇◇◇
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青春
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颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
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