統巫之番―トウフノツガイ―狐愁晴天譚

i'm who?

文字の大きさ
5 / 69
◇序章【生き、逝き、行く】

序章……(四)  【雨音の中で】

しおりを挟む
 ◇◇◇




「ここが【クロユリの間】です!」

 得意げな様子で案内された。

黒百合クロユリ……。花言葉は、なんだっけか?
あまり良い意味じゃなかったような……」

末摘花スエツムハナ蓼藍タデアイ梔子クチナシ。染料となる身近な花を色ごとに部屋の名にしている……のかな?」

「リンリ様、ハクシ様。さあさあ、自慢のこのお部屋にどうぞッ! 上部屋とか部屋ごとの位は有りませんが、この部屋は特別で、晴れてれば眺めが最高の部屋なんですよッ! あと雨漏りで畳がほぼ駄目になったので、最近ここだけ畳を新調しました!」

 しばらく廊下を進んで行き、突き当たりにあった階段を上がり、また廊下を進み。たどり着いた錠付きの木扉。帳場に居た案内の彼女は、懐から金属の鍵を取り出してその木扉を開き、室内へと招く。

「まぁ、残念ながら今は曇ってるけどなぁ。
そいで雨漏りは治ってるのか……?
うん、まずは拝見しよう。どれどれ」

「りんりぃ? 我も……どれどれ?」

 案内の彼女に従い、前に一歩。
解錠され開かれた扉の先を覗き込んでみる。

「お二人とも。部屋の中に人が入れば、陽虫ようちゅうの照明が自動で灯りますので。あっでも、完全に明るくなるまで足元に注意してくださいね。あと雨漏りは大丈夫です修理完了しています!」

 畳八畳ほどの空間。真ん中に卓が置かれ、背もたれ付きの座椅子が二つ並べられた薄暗い室内。
 廊下に有った物と同じ提灯型の照明が天井から吊るされていて、リンリとハクシが部屋に足を踏み入れて数秒ほどで自然に明が灯される。

 二人は明るくなった部屋を見回すと、

「おぉ。通って来た廊下もそうだったけど、客室の中も雰囲気あって良いな。老舗旅館って感じ、凄く俺の好みだ。曇ってなければ、本来は眺めも良いだろうし。ハクシもこの部屋良いと思わないか?」

「うん良い。良いね。我が任命した其方の宿の目利きは間違ってなかった……ってことだね!」

 どうやら、ご満悦のようだった。

 右へ左へ、部屋を歩き回るハクシ。彼女の足取りはトテトテとし、尻尾はふりふり振られ。気分が乗っているのだろうと見て取れた。彼女のそういう子供っぽいところはリンリの目の保養だ。

「さて俺も室内の様子をぐるぐる見て、
大人げない程にはしゃぐとしようか……」

 床の間には、筋肉質な狸の絵が描かれた掛軸。
どうにも目を引いて仕方がない一品だ。狸は逞しい両腕を頭部に回し、股関の膨らみを強調している。

「また筋肉狸。これ、流行ってるのか?
あ。もしやツッコミ待ちだったりして……」

 掛軸を何となしに捲ってみたところ、裏側には大小様々な種類の御札が貼ってあるではないか。
 みな血のように紅い複雑な紋様が印されており、びっしりと小さく文字が書き込まれていて、何かしらの深い意味をもっていそうな代物だった。

 身体を固め、そっと掛軸を戻すリンリ。

「いやいや。……んな、またベタな」

 彼女と目が合った。数秒の沈黙。
掛軸と交互に見た後、目を逸らされてしまう。

「……目を逸らすなー! 確認したい。
この部屋は、べつに幽霊とか出ないよな?!」

「りぃリンリ様ぁ?! そ、そんな!!
まっさかそんな、某之怪オバケなんて、で、でっ、出るわけないじゃないですか。その御札は、あの、濡れて傷んだ掛軸の補修で貼ってあるんですよ。あはは」

「なぜ補修にお札を? 本当にか? 信じるぞ?
もしも出たら。俺は別に怖くはないけども、窓を突き破ってでも逃げるからな。部屋が爆発したって修理代とかは払わないからな。それで良いな?」

 掛軸の下に置いてあった、小皿に盛られた塩らしき物をつついたハクシは声を潜めて言う。

「ここはごんの方角。不吉とされる方角だ。りんりぃこんな話がある。毎夜、真夜中になると命を失ったもの達が列となり、その方角より……」

「ハクシー!! 悪乗りやめぃ!!」

 彼女の口を塞いで、黙ってもらうリンリ。

 気を取り直し、更に辺りを見回す。

 部屋の中は壁や天井が木材で格子状の模様が装飾されていて、閑雅で洗練されたおもむき。
 入り口から襖を一枚開ければ八畳の座敷があり。座敷を挟んで正面にある障子が開け放たれ、その先にある雨避けと手すり付きの広縁から、説明の通りこのチィカバの町が一望できる。
 やはり曇ってはいるものの眺めは良い。

 しかし。こうなると、惜しい。

「……良い宿だからこそ、もったいないな。
向かいに、あんな卑しい“成金宿”が建ってるなんて。正直、商売上がったりなんじゃないか? こんなに良い宿なのに、外観、外の成りで比較されて……」

 向かいの宿の方向を睨むリンリ。本来リンリは『理由も無く』何かの事を悪くは言わないのだが、明確な悪意や非道などには相応の扱いはする。つまりは、この宿の看板を蹴り倒して去って行く『向かいの宿の従業員』を遠目に見てしまったことに所以する。

 彼女は、乾いた笑いを浮かべた。

「あは……は。そう言ってもらえて嬉しいです。この宿を始めた私の曾祖父も、はい。きっと喜んでくれてますね。……あ、これから天気が荒れそうなので、縁の雨戸は全部閉めておきますよ?」

 ──雨戸を閉めながら、呟かれた言葉。

「へぇ、受付のお姉さんの曾お爺さんがこの宿始めたのか。やはり老舗。歴史が有るんだな」

 リンリは然り気無く言われた、この自分の選んだ宿の歴史に身を翻して反応を返した。

「うん? じゃあ……お姉さん下働きじゃなくて、女将さんとかその娘なのか?」

 そして、続き疑問を口に出してしまう。

「歴史、はい。この町が、村だった頃から。
水禍の鄙。水難の地と呼ばれ……洪水時の対策に心得も無く。頻繁に水害にあっていた頃から。それだけの長い歴史がこの宿にはあります。……そして、はい。そう、ですね。私がここの若女将です」

「……そうか」

 リンリは改めて、彼女の足から頭までを視線を動かしてよく観察する。今までは暗がりという事もあって顔や身体をよく見ていなかったが……あぁ、確かに若い。見た目の年齢は十四、十五歳といったところか。まぁ地域によっては既に大人の仲間入りをしている歳ではあるだろうが、あどけなさが抜けきっていない彼女の顔や言動などから、やはりまだまだ大人に成りきれてはいない部分も多く見受けられた。

「あ、あの。意外ですか?」

「──あぁいや別に。ほぅ若女将、ね。
他に家族は……? この宿は一族経営で……家族の皆でやってる感じなんだな……?」

「はい、そうです。他に父と弟の三人家族でやってます。あ……母は一昨年に、流行りの病で身体を壊して亡くなりました。繁忙期とかは近所のおばさん達に短期で手伝ってもらってたりしますが。下働きは余裕が無くて今は雇ってませんし」

 だから、宿の外観まで手が回せないのかと。
 言葉にはせずに、けれど納得がいったような視線を返してから、彼女が気を悪くしない程度に苦笑いを浮かべるリンリ。

「なるほど。色々と大変なんだな……まぁ、だけど代々続いた自分の家の宿を潰さないように、その若さで色々と頑張ってる訳だ。うんうん、関心だ」

 リンリはリンリ本人が意図しなくとも慈愛に満ちた優しい表情をし。若女将の彼女の肩を自身の羽衣ユリカゴでそっと撫でた。特に深い意味はなくて、彼女のその苦労を称えようとしたのだけれど。

 ──しかし、気が付いてしまう。

「い、いえ……そんなッ!
そんな事……ない、ですよッ!」

「……ん?」

 一見ただ恥ずかしがっているようだが、リンリの行為に彼女は唇を噛んで苦い顔をしていた。それに気が付いたリンリはその表情に疑問を感じたが、それも一瞬のうちで。直ぐに彼女に顔を背けられてしまった。

「……そんな事、ないですよ……お母さん」

 彼女は、ぼそりと。
リンリに背中を向けたまま言葉を溢すのだ。

「俺はキミの母親じゃないぞ」

「あ、あ。も、申し訳ありませんッ!」

 リンリを母親と重ねたか……? 虚空の母親に語りかけたのか……? はたまた、今は亡き母親に思いを馳せたのだろうか……? それはわからない。

「そ、それでは……。帳場のところでお待たせしている、サシギさんとシルシさんにも部屋の案内をして参ります。リンリ様、ハクシ様。ごゆっくりッ!」

「……あ、あぁ!」

 そのまま先程の木扉のものだろう金属の鍵をリンリに渡し、部屋から去ろうとする彼女。
 だったが。……入り口前で少し立ち止まり、考えるような素振りをした後、遠慮気味に言ってくる。

「あ、あの私……名前は“ニエ”って言います。
……もし、もしも、リンリ様とハクシ様が良かったら。失礼じゃなかったとしたら。……今夜、普段の暮らしの話とか、私の知らない“町の外の話”を聞かせてもらえないでしょうか……?」

 若女将の彼女【ニエ】は、おずおずとリンリとハクシにそう尋ねてきた。

「──町の外の話、と?」

「わ、私……には、この宿の中しか、この町の中しか世界が無いから、です。だから、もしもよろしければ、お聞きしたいんです。色々な話を……」

 つまり『客の話が聞きたい』と。
 下働きの人間がするならともかく、その宿の“女将”という立場の者がする発言としてはどうなのか。そう取られる発言だろうに……。

 まぁリンリはさして気にしないが。

「……ハクシ、どうだろ?」

「今日は、これと、これと、これ!」

 リンリは振り返り。いつの間にか卓の上に大小様々な種類の櫛と、お気に入りな香油の入った瓶を並べて開手を打つ姿。膨らませた尻尾をご機嫌な様子にふりふりしているハクシに確認する。

「おーい。ハクシ様、聞いてたかな?」

「……ん? りんり、其方が構わないのならば我も構わない。其方と我の時間さえ有れば……。それに、どうせ夜は暇だからね。たまには普通の人とも話してみるのもいっきょうかな!」

「──そうか。じゃあ、ニエさん? ハクシの許可が出たから、あまり遅くならない時間にこの部屋に訪ねて来ると良い。聴きたい話しを聞かせてあげられるかは解らないけどな?」

「よろしいんですか? うぁ……う、嬉しい。
嬉しいです! リンリ様、ハクシ様ッ!!
あのっ、あ、ありがとうございますぅ!!」

「ははっ……おう!」

 ──統巫は万人の築き集う社会、勢力、情勢、文化、宗派など、そういった“俗の世”に極力は干渉するべきでない。“取り分けて”系統導巫のような大きな力を司る存在は特に、だ。
 自分は正体不明な身なれど、統巫のような成りをしている以上は心構えていなければならない。リンリはサシギ達にそう教えられた。だがそれは、一個人に対してまで注意するべきものなのだろうか。未だ判断が付かない身の上……。
 見識を備える必要がある。もう少なくとも“ただの人”ではないのだから。故に、今回は“敢えて”“気まぐれ”に関わってみる事にしたのだった。




 ◇◇◇



 ──姿見すがたみの中には、白磁はくじごとき肌の少女。
 人の身ならざる、銀色の端麗たんれいな少女。

 彼女はほおに手を添え、銀髪と琥珀コハクの瞳を揺らす。その神秘的な身体には獣のような容貌ようぼう、狐の耳や尻尾といった特徴を持っており。背中側や腰回りには銀色の毛皮が覆っている──。

 彼女が繊細でしなやかな指を沿わせ桜唇おうしんほころばせてみれば、そこから鋭く尖った犬歯が覗く。八重歯ではなく獣の牙が生えている。半人半獣、人とも獣ともいえぬ曖昧あいまいな姿だ──。

 彼女は温水に浸した布で己の身体の隅々を拭き上げていき、時間をかけて一頻ひとしきりを綺麗にする。
 湯上がりのような赤みの差した顔で。火照ほてった身体を冷ますように、自らの指で臀部でんぶより伸びる豊かな尾っぽを、銀色の毛皮を、白い玉肌を、女性的な部分をそっとなぞってゆく。そこで端無くも、

 ……深く、溜め息。

 溜め息を吐き。彼女は程よく膨らんだ自分自身の乳房ちぶさをぎこちなく慣れない動作でもって手で寄せ下着に包み込み。そこで気恥ずかしげな声を漏らしてしまいハッとした表情を浮かべる。
 己のこの様な姿を『目に納めないでくれ』と言わんばかりに。睫毛まつげを揺らし、その切れ長の眼をうるませ、桜唇を引きむすび。一瞥いちべつ、鏡面の境より“こちら”を睨んでくるのだ……。


 これは、なんたる形容し難き感情か。
リンリは己の姿に目眩がし、同時に──。

 ──同時に。抱く感情は、はてさて。
目を閉じて追想し、己の心と向き合う。

「──外、かなり荒れて来たみたいだな」

 身体の清めと着付けが済んで、心付く。
雨戸の震えに、ざぁざぁと振りこめる雨音。

「水桶をひっくり返したような雨だ。
なんだ。もう久しく味わっていなかったな。
ハクシ様は初めてだったりするのかな?」

 リンリは外の轟音に耳を揺らす。
 伸びの姿勢をしたところ、着付けの仕方が甘かった為にそれで着物の帯がほどけてしまい。吉祥結きっしょうむすびをした紅い紐の装飾がなされた細晒さらしが露になってしまった。慌てて押さえると、今度はその拍子に鼠径部そけいぶ畚褌したぎが床に落ちてしまうではないか。

「そうだね。実のところ我は、この世に生を受けてから未だ嵐という物を実際に体験した事が無いのだ。其方も承知しているであろうが、あの地、統巫屋トウフヤは風が来る方位に高い山脈が囲んでいる。それが壁となり、嵐の雨風とは無縁であった故に。……うーんだから、ちょっとどきどき?」

「ほぅ。嵐がちょっとドキドキ程度か、なんとも緊張感が無いご様子であらせられる。でもほら、しかしだ。もしもの場合もあるだろう……? この建物の避難経路とかを確認しとかないで大丈夫かな?」

 赤面を浮かべ、そそくさと着付けを直し。
座椅子に腰掛け、卓に頬杖を付くリンリ。何事も無かったと、意味もなく空いた片手で己の尻尾を弄る。

「統巫には問題無い……きっと、たぶん。
仮に建物ごと嵐で倒壊して、押し潰されて、羽衣ユリカゴもぼろぼろで、枝刃エムシも手元に無く、動きのとれない状況で水没でもしたら……。それ息できないし、流石に死んじゃうと思うけどね?」

 ハクシの言葉に、驚愕。「おっとっと」頬杖を滑らせて頭を卓にぶつけそうになってしまう。

「いやいや。ハクシ様……物騒な事を言うな。世の中にはフラグって考え方があってだな……?」

「ふらぁぐ?」

「そうだ。なんとなくで説明するなら、後のある状況を引き出すような事を無闇に口に出したりすると、その事柄に続く伏線になってしまうという恐ろしいものでさ。ある種、世界の強制力のような──」

 ──宿を取って数時間が経った。
 部屋の縁にある雨戸を開かなければ直接確認できないが。耳をたてれば、その雨風の音は強くなる一方とわかる。本格的に天気が荒れてきたようだ。

「──そいで『この戦いが終わったら必ず結婚しよう』とか、恋人達が約束すると、だいたい約束は果されない。何故かって? そりゃ物語的に──」

「──その話、我には理解が及ばないのだが。それよりも、我は先程の続きを所望する。故に、だから……ねぇ。りんりぃ途中で止めたからできれば最初からやって欲しいなぁ」

 ハクシは甘えた声を出す。

「……ん? んーあぁそうか。
よし、夕飯も食べて一息入れたところだし。ハクシのブラッシング……って言うとなんかペット扱いみたいで嫌だな。とにかく手入れの続きにするか?」

「……やった、優しくねっ!」

 ハクシは、リンリの声に応えて自慢らしい尻尾をゆさゆさと左右に揺らす。
 リンリにトコトコと近付いて来る彼女の手には「ずっと用意してました!」とばかりに、大小長短様々な何種類もの櫛が握られているではないか。

 お付きの者、サシギとシルシに用意してもらった自分達の神饌しんせん──夕飯を食べ終わった二人は、その直前までしていた日課であるハクシの尻尾の手入れを再開する事にした。

「ほら、ハクシ様。ここにどうぞ!」

「うん。失礼しまーす」

 リンリは自分の太股部分の装束がはだけるのも気にせずに、少しばかり男っぽい座り方。両足を前に組んだやや不格好な姿勢をとる。そうして、その上にハクシの小さな身体を“ちょこん”と座らせた。
 彼女は頭の後ろをすりすりとリンリの胸部辺りに擦りつける。それがこそばゆく、彼女の頭を背後からそっと抱えて壊れ物を扱うように撫でるリンリ。

「あ……親子か。ははっ、確かにな」

「……りんり?」

「あぁ、なんでもないさ。んで、ハクシ様?
えー今日はどのようにいたしましょう? さっきは何番を使って、どこまでやってたっけかな?」

「まず数日間しっかりできなかったから、十八の櫛で表面をやや粗めに。ここが大切だよ。その後に香油を塗ってから、六の櫛で尾の生え際から先端に立たせるようにしてから。次に十二で全体を流して。その次に四でもう一度全体を流して。最後に整える用の香油を塗って、九……十……十一で整えてね!」

 ハクシは衣装の隙間から臀部よりのびる自身の尻尾をお腹の前で抱えると、その表面を掌でなぞり、柄に番号の振られた櫛と香油の瓶を宣言した順番通りにリンリに手渡してくるのだ。
 けれど一度に渡された物が多く。崩さぬよう積み上げて持っていたものの「おっと!」ぱたぱた動いたハクシの尻尾が当たってはね飛ばされ、落下する。リンリは正しい順番がわからなくなってしまった。

「なに覚えてるさ。俺は俺の暗記力を信じるぞぉ!
十八、六、十二、四、十一、十、九、っと!」

「惜しいよ。最後の辺りが違うよぉ!
最後が違うと、我の尻尾が、尻尾がぁぁ!」

 ハクシは声を震わせる。

「間違えてもそう変わらないと思うが……」

「くにゃぁ! なんてことを言うのだ!
その差で、仕上がり具合がまるで違うのだぞ!」

「ははっ、ごめんごめん!」

 口を開け、毛を逆立てて唸るハクシ。
そんな彼女の背中を撫でて宥めるリンリ。

「相変わらず、妙なこだわりだな……。
……あの、メモを取っても構わないかな?」

 ──渡された櫛は大きかったり、小さかったり、細かかったり、柄が長かったり、妙に太かったり。リンリにはまるで違いが解らないような物も混じっている。
 繊細な鉱石等の研磨作業でもあるまいに。櫛の『粗め』やら『流し』やら『整え』やら、少し理解が及ばないなぁという顔を浮かべるリンリ。

「勿論だ。拘りもするとも!
金と銀の髪に眼。雄々しき太尾。統巫の羽衣ユリカゴ
この土地、シンタニタイに系統導巫の特徴の一つとして伝わる、重要な部分だからね? みっともなくボサボサだったりすると、我の威厳に関わる故にぃ! ちゃんとしておかないとねっ!」

「そうか、なら重要だな! うん!
ん……いやいや、本当に重要だろうか? 尻尾がボサボサだと失われる威厳なんて、それ、はじめから有って無いようなものなんじゃ──」

「──ううん、重要だよ。……それに、今は尻尾これが我と其方の繋がりを感じさせてくれるから……。その理非りひ良否りょうひは、ともかくね」

 ハクシは恥ずかしそうに耳を伏せ、邪魔になる羽衣ユリカゴを自身の両腕に巻き付ける事で収納する。彼女の顔を覗き見ると、その表情は“何かの”感情を誤魔化しているような陰影を匂わせた。
 リンリはあえてそんな彼女に何も返さずに、ただ受け取った櫛の具合を確かめるだけだった。
 そうして櫛を順番に並べると、リンリは最初に注文を受けた『十八番』を掴んで。構え、

「……じゃあ、入れるぞ?」

「あっ──!」

 指で割れ目を作り、敏感なそこへ。
 ハクシの尻尾にスッと入れ込んだ。

「──あっ、うぅー!」

「痛かったりしたら言ってくれ?」

「……大丈夫ぅ」

 ハクシは無抵抗でそれを受け入れると、彼女の狐の物に似た大きな尻尾の毛が一瞬だけぶわっと膨らんだ。その後、挿入されたモノがしごかれる度に、彼女は声と身体を小さく震わせる。

「あぅぅ……最初は、こそばゆい!」

「ははは……。間違って触れると、自分でも変な感じするよな。……くすぐったいような妙な感じが。精神安定的な手段で無意識で撫でてしまうが。俺は、アレが、あの感じがどうも慣れない。慣れられない。それなのにハクシはほぼ毎日よく続けられるよな?」

 リンリは櫛を動かして、その櫛ごしの感触を堪能。もといハクシの尻尾にまとわりついた糸屑や抜けた毛を用意していた屑籠に入れて除去して行く。

「其方……りんりも、せっかく綺麗で立派な尻尾が“生えた”のに。ボサボサ毛並みのまま、手入れをしないなんて勿体ないし可哀想だよ……?」

「尻尾、可哀想かぁ……。その発想は無かった。成り行きでナニか大事な物を失った代わりに生えた物だから、個人的にあまり直視したくないんだが……」

 櫛をくるくると回し、呟くリンリ。

「また言ってる……。やっぱり其方は、我と同じ人ならざる身になり果てた事を、心の何処かでは後悔してるのではないのか? 本当は、どうなの……?」

「それは……っ」

 ハクシの言葉に……リンリは櫛を動かす自分の手を止めてしまった。彼女が震えていたから。

「あぁ『後悔してない』あの日、俺はハクシにそう言ったな。本当は……ちょっと嘘付いた」

 そのままハクシの肩に手を置く。

「──良いのか? 言ってしまっても。
俺が口にしてしまえば……きっとそれは」

「是だ、申せ。……我に遠慮なく、言って」

 そう告げられると、観念する他ない。
リンリは耳を一度伏せ、深く呼吸をし。

「……後悔していない、訳がないだろう?」

 そして、櫛を掴む手に力を入れながら。
 声を揺らし。ハクシにではなく、自分自身へと強く言い聞かせるように。そう言葉を口にしたのだ。

「りんり……」

 ハクシは後ろに腰を回し、自身が乗っているリンリの顔を見やる。それから、頭一つ分高いリンリの頬をゆっくり撫でて。自身の身体の震えを精一杯に抑え、怯えを含んだ口調で言葉を続ける。

「……お願い、聞いて。
りんりぃあの日から、我は其方にずっと訊きたかった。だけど同時に、怖くて怖くて聞けなかったのだ。──我の行動は其方にとって、果たして“是”だったのかと。否、それとも……ッ!」

 ハクシの言葉はそれ以上続かなかった。
いや、違う。続けさせてもらえなかった。

 ────何故なら、

「…………ん」

「…………ぁぅ」


 突然にリンリに頭を抱えられ、そのまま引き寄せられて、次の瞬間──。

 ──二人の唇が、重なったから……。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

月の綺麗な夜に終わりゆく君と

石原唯人
恋愛
ある日、十七才の春に僕は病院で色のない少女と出会う。 それは、この場所で出会わなければ一生関わる事のなかった色のない彼女とモノクロな僕の 秘密の交流。 彼女との交流によって諦観でモノクロだった僕の世界は少しずつ色づき始める。 十七歳、大人でも子どもでもないトクベツな時間。 日常の無い二人は限られて時間の中で諦めていた当たり前の青春へと手を伸ばす。 不器用な僕らの織り成す物語。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...