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◇序章【生き、逝き、行く】

序章……(十)  【人柱】

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 ――ある程度の高度まで羽ばたくと、風切羽と外套を靡かせ滑空し、壁のように見える貯水場の縁の部分に降り立った真紅の巨鳥――サシギ。

「リンリ様、ハクシ様! 貯水場はもう許容量限界まで僅かじゃ! 保って四半刻少しといったところかの。水は我等で早々に対処する。決壊だけはしないように、そこで食い止めは頼みましたぞ!」

 サシギに掴まり、貯水場の様子が一望できるその場所まで共に運んでもらったシルシは、地上に残ったリンリとハクシにそう叫ぶ。

「――ほれっ!」

 そしてシルシは、サシギが鳥の姿に転じてもも今だに身に纏っている彼女の外套から布袋を取り出して、中に入っていた小粒ほどの植物の種を空中でパラパラとばら蒔いた。

 ――それは、先程ハクシがサシギに「渡している」と言っていた植物の種だった。
 何も特別なものでは無い。何の変哲も無い、名も知られぬ野草の“ただの種”に過ぎず。

 ――けれど、此れよりは“ただの種”ならず。

 統巫の奇跡を受け止め、体現する因。

 現状を覆す為の、希望の手立てなり。

「よし……ハクシ! やるぞっ!」

「りんり! うんっ!」

 そのまま飛び去って行くサシギと、彼女に掴まるシルシを目線で見送りながら。リンリとハクシは息を合わせるように互の名前を呼び合って、手と手を、指と指が絡み合うように繋いだ。

「俺は、ここに居るだけで良いんだな?」

「うん、お願い」

「えーと……ハクシ、様?
念の為の確認なんだが。大丈夫か?」

「案ずるな。本来は其方に流れる分も、全て我が受け皿となり引き受ける。きっとそれは……多少は苦しいかもだけど、大丈夫だよ……?」

「そうか……。って、苦しい……?
もしかして、俺が思ってる以上に辛くてキツいんじゃないの……むぐっ!」

 リンリの言い掛けた言葉は、途中でハクシの羽衣ユリカゴに口を塞がれて止められてしまった。

「りんり……安心して?」

「むぐ? ……むぐっ?」

「否。案ずるな、りんり。
大丈夫……。きっと、我は大丈夫だから!」

 ハクシは言葉とは裏腹に不安そうにしながらも、リンリと繋いでいる方の手とは反対の手で“エムシ”と呼ばれた小刀を掲げ、誰に対してでもなく大声で言葉にするのだ。

「我は統巫とうふ系統導巫けいとうどうふ
此土しどあまねく、生きて、逝きて、行き続ける諸行無常なる命の系統を導く巫。命の在り方を司る彼ノ者の代行。そう……系統導巫なりっ!」

 それは、宿でハクシがその身分を明かした時に言った口上。それに加えて、

「生き、逝き、行き続ける幾多の命よ! 其の辿り、至り、語りし系統よ! ……我は天津に、系統の導きの任を授かり、継ぎ、担う存在。系統導巫なり。尊き主、彼ノ者、アクッオリュコウよ。ここに畏み奉り申す。生命の系統よ介意せよ。我が声に、我が呼び掛けに、我が権能に呼応し顕現せよ!」

 そう、まるで詩歌でも吟詠ぎんえいするように言葉を繋げたハクシ。その言葉を言い切ると同時に、ハクシとリンリの背中に掛かる羽衣ユリカゴが淡く光り輝き始める。

 ――だが、まだ足りない。

「やはり、我一人分のだけじゃ足りなくなっちゃてるね……。非常に不安定でもある。りんり、其方のエムシを我に貸して!」

 ハクシはリンリに手を伸ばす。

「……お前にこれ返す時か。
でもこれを二本使用するって事は、本来身体に一つの心臓を二つ同時に動かすようなもので。負担も相応に覚悟しなければいけないだろう。とか前にサシギが注意してなかったか? 絶対にダメと注意してなかったか――?」

「大丈夫と、そう言った我に二言は無い。
我との契りに混じり、其方の身に如何なる神が宿ってしまったのかは解らぬが。元々は己の力の一部だし……りんりぃ、我を信じて? 誰かが信じてくれたら、きっと! 我は応えられるから!」

「いや、信じるよ……信じるけども」

 繋いでいた指と指を離し。
リンリの物である枝を渡されたハクシは、それと自身の枝を交差するように持ち変え、片膝を折って二対の小刀エムシを地面に刺した。

「……くっ、うぅ……!!」

 火花にも似た光を迸らせ、
バチバチとした音を鳴らす枝。

「……きゃッ!」

 小刀から手を離し、
両膝を地面に着けてしまい呻くハクシ。

「ハクシ……無理させるようで悪い」

「……りんり、気に……しないで。我は其方の求めに、意に乗っただけ……だからっ!」

「――ありがとな」

 その瞬間、リンリの羽衣ユリカゴは急速に光りを失い。反対にハクシの羽衣ユリカゴは一層に輝きを強くして、波紋のような紋様を浮かび上がらせながら彼女の周りを円形になって回り出す。
 それに応えるよう。貯水場の立つ窪地に、一つ、また一つ、と小さな小さな光りが灯り始める。幻想的な光景だ。光っているのは、シルシが蒔いた種の一粒一粒であった。

「ハクシ、綺麗だな。本当に。
まるで地上に落ちた星みたいだ」

 リンリはハクシの背中を優しく擦り、彼女の苦しみを紛らす為にか微妙に空気の詠めていない言葉を呟く事しかできない。

「……う、ん」

 リンリの呟きに応え。苦しそうにしながらも振り向いたハクシの顔、その頬には、彼女の髪や尻尾と同色の……銀色の獣毛が覆っていた。

「ハクシっ?! ……お前ッ」

「――案ずるな!! りんりぃ!」





 ◇◇◇





「い、居た……。リンリ様とハクシ様だ。
って、な、何? ……あの光?」

 宿の裏口から外に出てきたニエは、直ぐに月明かりとは別の謎の光源によって夜闇に姿を写すリンリとハクシを発見した。

「り、リンリ様ッ!
……早く退避しないとッ……」

 サシギから父親の言葉を伝えられたニエは、取り合えずに父親本人を探して宿中を走り回ったものの見付けられず。
 仕方無く自身の荷物を纏めようと自室に向かう途中で、何故か一番避難するべきだろう貯水場側に出てしまう宿の裏口に走って行くリンリ達を見掛けたのだ。

「り、リンリ様ッ!!」

 この町の中に土地勘が無ければ、逃げるべき高台の方向も解らないのかも知れない。ニエはそう認識し、そちらは危ない事を伝えようと、安全な場所まで案内しようと、リンリ達を震える足で追い掛けてきた。

 ――だが、直ぐにニエはその行動が無用な事だったと知る事になるのだが。

「――な、な、何ですか?!」

 リンリを闇の中に写していた光が消えたかと思うと、隣に居たハクシの羽衣ユリカゴがより強い光を発する。どうやら謎の光源の正体は統巫の証しである彼女達の羽衣ユリカゴだったらしい。

 それと同時に、貯水場のある窪地に小さな光が星空のように無数に輝き始めた。そして無数の光は段々と、植物の蔦が伸びるのを連想させるように長くなって行き……そう時間を掛けずに貯水場の全体を網目状に包み込んでしまった。

「そうか……貯水場を補強したんだ。
す、凄いッ! これが統巫様の御技!」

 ――ニエは理解する。
リンリ達は態とここまでやって来て、貯水場をなんとかしようと行動してくれたのだと。

「リンリ様ッー!! ハクシ様ッー!!」

 リンリ達が起こした、神のような奇跡を目の当たりにしたニエは感激のあまり二人の統巫の元に駆け寄ってしまう。

 ――これで町が、人が、何よりも自身が家族で営む宿が救われたのかもしれない。統巫であるリンリとハクシのおかげで。ニエはそんな心情で駆け寄ったのだが、

「――おいっ! ――ハクシっ!!」

「え……えぇ?」

 ニエが二人の元にたどり着くと、それを同じくしてハクシが地に倒れ込んでしまった。リンリが抱き上げると、ハクシの身体は比喩でなく小さくなっていて……。

 ニエには衣装から辛うじて彼女の銀色の髪が出ているのが見えただけだった。しかも、羽衣ユリカゴの光は完全に途絶え、ハクシを守るように彼女の衣装の中へ消えて行ってしまう。

「これは、術の反動……。だな? 何かしらで不安定になった力で身体が変質して。そいで巫女としての在り方と神様の代行としての在り方が相剋。人の形を保てなくなるっていう……アレか」

 苦虫を噛み潰した如き顔でそう言うと。
俯いて、震える声で言葉を滲み出すリンリ。

「クソ……。悪いハクシ。『大丈夫』って言ってくれたのは、お前の空元気からげんきじゃないのは解ってるから。ただ、ハクシの予想以上に俺がお前の役割を奪っていたらしいな……。俺のせいだ」

「あ、あの。リンリ様ッ?! ハクシ様は、いっ一体どうしたんですかッ?!」

「――うぉっ、ニエっ!!
なんでここに居るんだ、お前は?」

 異常な様子に、会話の脈絡も無くリンリに問い掛けたニエ。接近するニエにまったく気付けてはいなかったリンリは声をあげる。

「り、リンリ様の姿を見掛けたから。安全そうな場所に案内しようかと追ってきたんです。でも、それより、えっとあの。どうしたんですか?」

「ニエさん……貯水場の決壊を俺達で何とかしようとしたんだが。はぁ、俺の浅はかさで、どうやらこっちはダメだったみたいだ……。直ぐに退避する。俺に捕まって「え、だって光が……?」」

 リンリの言葉に合わせて、ニエが貯水場を見ると、網目状の光……本物の蔦が光輝き貯水場全体をしっかりと包み込んでいた。

「あ、あんなにしっかりと、つ、蔦でしょうか……? 蔦が貯水場を包んでるのに……駄目なんですか? あれじゃあ……あれッ?」

 ……いや、ニエにそう見えたのは一瞬。
蔦は徐々にその幻想的な光を失い。暗がりで見辛いが、蔦の光が消えた部分からボロボロと枯れ、崩れ落ちてしまっているではないか。

「シルシとサシギが間に合えば、何も問題は無いんだが……間に合うかどうか」

 ――貯水場の壁に目に見える罅などの変化はまだ無いのだが、耳を澄ませば、断続的に貯水場から“ピシッ”“パシッ”と嫌な音が響く。もう一刻の猶予も許されない雰囲気。

「り、リンリ様ッ……?」

 不安を隠しきれない声を出すニエ。

「かくなる上は……俺がやるか? 先ずはハクシとニエさんの二人を逃してからだが。あぁ、そうだな……。ハクシの真似をすれば何とかなるかもしれない、な」

 リンリは変わり果てた姿になったハクシを強く抱きしめ。決心するように、地面に刺さる小刀に向かって方手を伸ばすが、

「否だ。りんりぃ……だめ、危ない!」

「……ハクシ」

 抱かれているハクシが、獣の前足のように変化した腕を伸ばし、リンリの腕を押さえてその行動を制した。

「りんりは……純粋な統巫じゃ無い。その身に宿した彼ノ者さえ解らぬ、不安定な存在だ。なのに一人で力を使えば……何が起こるか解らない故に。……だめだよ。反動や負荷で死んじゃうかも知れない」

「じゃあ、どうすれば……? 死にたくはないが、打てる手は尽くすべきなんじゃないか? 俺は僅かでも手立てがあるのなら、諦めたくないんだ。後から後悔はしたくない。こんな姿になっても、中身は豆腐メンタル野郎だからさ……」

「でも、りんりぃ……」

「そうだな。俺は、お前達を逃してから戻って来て、試してみようと思う。なに、一度や二度死にかけたんだ。反動、負荷? 今更それがなんだ? さすがに死にはしないと思うぞ。身体が狐みたいになったら、かなりビビるが――」

 …………。

「――りんり、己が身を篩に掛けるのか?」

 ハクシは唸るような声色で、訊く。

「……ハクシを置いて逝く気は無い……けどな」

 リンリは正直に、そう答えた。

 ――けれど現実はきっと、ままならない。
 リンリが都合良く、秘めたる力に目覚めたりなど都合の良い展開は有り得ないだろう。
 ハクシから引き継ぎ、神の如き御技を操る事なぞ更に身に余る行いだ。故に、その身を損なう可能性は無いと言い切れぬ。

「…………」

「…………」

 両者、数秒の沈黙の後、

「――い、否っ。
別の方法がある……あった」

 ハクシは、躊躇よう口を開く。

「それは、どんな方法だろう。ハクシ?」

「りんりぃ……我の生やした……蔦は、このままでは枯れてしまうのが明白だ。だが……たとえば。人柱ヒトバシラクサビとして打ち込み固定して、術を別の強固な形に組み直しさえすれば……暫くの維持は叶うだろう……。それこそ、うん。数日の間は確実に保証できるかな」

「“ヒトバシラ”を楔と?」

「あの蔦は……我が……適当な植物の種……その系統を導いて生やした物。我の力が切れれば……無理矢理に別の命として成長させた代償で……すぐに枯れて崩壊してしまう……。仮初めの命」

「あぁ、それは知ってる」

「だけど、他の……より複雑な系統を辿った……生命を犠牲にして……。今の状態を維持することは……可能だよ? 仮初めの命に、別の命を打ち込んで固定する。それが人柱の楔。犠牲を伴う故に、統巫の技や術の中でも禁忌の分類で。だけど手段としては現実的で、確実……かな」

 目を細めるハクシ。彼女は身体を震わせ、牙を食いしばっている。その様子はどうしようもなく罪悪感を思わせた。
 きっと本来は、彼女の選択肢にすら存在しなかった残酷な手であるのだろう。リンリは、そのような禁じ手を、方法として彼女に提示させてしまったらしい。

「生命を犠牲に……人柱として打ち込む。
ハクシ。おいおい、それは……!」

 まさしく頭を殴られたような気分だった。
リンリは、自分の身ならば多少なり危機に晒しても構わないと判断していたが。それは、己の片割れたるハクシを追い詰める事に繋がるのだと、しっかり気を向けるべきであったのだ。

「人柱……。はっきり言うと、そのまま唯人ただひとを使用する。……人が一番、その役に適してる。複雑な生体組織からなり、統巫の意を汲み取り易い在り方。そして……此土で一番……種として繁栄してる……人間なら」

 どこまでも優しいハクシ。彼女にこんな方法を提示させてしまったのは、全て考えの足りないリンリの非だ。そんな悲しい事を、彼女の口から言わせてはならなかったのだ。
 改める。可能な限り、リンリは自分自身も護らなければならない。もう自分はハクシのもので自分の代わりなぞ存在しないのだから。

「……却下だな。そりゃ、だめだ。
だめだ、そんなのは……。ハクシ、冗談でもそんな事は言わないでほしい。プランBだ。さっさとお前達を連れて逃げるぞ!」

 ――思考の葛藤。

 ――逃げて。そうして戻ってくるのか?
町民を救う為に己の命を篩に掛ける為に? 最愛のハクシを置いて。たまたま立ち寄った程度の、身から出た錆びで危機に瀕している町の町民を救う為に。

 ――或いは、そのまま逃げるか?
町民を見捨てて、自分の大切な存在から離れぬように。ハクシから手を離さないように。
 実際そのまま逃げたとしても、誰もそれを咎めないのだし。その選択は己の心以外は誰一人もリンリを咎めないだろう。必ず、リンリは永遠に後悔する事になるが。

 ――もしくは、ヒトバシラ……か。
 リンリはつい。本当につい、びくびくと辺りを見回しているニエに視線を向けてしまう。だが、それは決して許されざる方法だ。そんな方法を取る事なぞできるはずもない。例え、その何倍もの命を救える可能性が有ったとしても。

 ――なのだけれど、

「り、リンリ様……?」

「ニエ、なんだ。どうかしたか?」

 ニエはリンリの方を向くと、

「ひ、ひっ、人柱……。わ、私が、その……犠牲になれば全て解決するんですか……?」

 まさか。そう告げてきたのだ。

「お前、ちゃんと聞いてたのか……。
注意したばかりなのに、また覗き見を、いや、この場合は盗み聞きしてたのか……?」

「も、申し訳ありませんッ」

 ニエの余裕無くおどおどしていた様子から、何も自分達の会話は聞こえていないだろうとばかり思っていたリンリ。しかし意外な事に、ニエは聞いてしまっていたらしい。

「わわ、私、すごく怖いし。とても恐ろしいし。本当は嫌ですけど……。あの、あの。でも良いですよ? 構いません。この場で。ぎっ犠牲になっても……?」

「――はぁ?」

「そ、それで、人として精算されるなら。
それも本望かなってっ! あ、あはは……」

 そして、またそんな事を言い出した。

「――バカか、お前は。
たくっ、またそんな事を言い出すのかっ!
今度は冗談では済まない。本当に人として死ぬんだぞ、それを解ってるのかッお前はッ!!」

 ニエに対して牙をむき、尾の毛皮を逆立てて。
リンリは強い否定の意を示す。

 それなのに、間髪入れず正面から云返し。

「り、リンリ様。先程とは違います! 
……私、リンリ様の言葉で気が付いたんですよ。家族から、あの宿って居場所から、私はやっぱり逃げ出す事なんて出来ないんだなって……。私にとって宿は、大嫌いで、大好きな。心から大切な場所だったからッ!!」

「……ニエ、お前は」

 リンリは呆ける。意表を突かれた故。
 まさかの、少し前の彼女からは信じられない芯の有る意志の乗った言ノ葉が飛び出た。リンリの否定の意はものの見事に覆されてしまった。

「……なら。なら、いっそうに。
お前は自分が『犠牲になる』なんて、それが『構わない』なんて。そんなに軽々しく言うべきじゃ無いだろう。違うか……?」

「――だ、だからこそですよッ!!」

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