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◇一章・後編【禍群襲来】

不穏の兆……(二)

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 ――樹海が鳴いていた。
 度重なる轟音と、それに続く大地の崩落。
至るところから吹き出す水柱。薙ぎ倒された樹木や無茶苦茶に動かされた岩や土砂と、吹き出した水によって副次的に起きる様々な破壊の連鎖によって。
 それは、此処まで出張って来た“彼女等トウフ達”が意図的に引き起こした災いの数々であり、相手の退路を絶った上での挑発であり。即ちいくさ始まりの狼煙と同じ。

「――考えましたのよ?
……その性質から、奇襲は現実的ではありませんでしたので。なのでしたら~多少なり強引ですが、あたくし達の方からちょっかいを掛けてみて。それはそれは盛大に動いていただきましょうとねぇ。蜂の巣をつついたみたいに。という、あらましですわ」

 最初に『吶喊』の一声を上げた女性、黒い片翼の彼女が演劇めいた独白を響かせる。やはり芝居めいた仕草で身を翻して、その場で舞うように控えている。

「それで、兵が出払い、空っぽになった“蜂の巣”ほど脆いモノはございませんわ。後は、肝心の“巣の何処か”に位を構えていらっしゃる大元を探して討つだけでしょうか。その程度のこと、兵を調べて、兵の動きを見れば……おのずとぉ」

 ――樹海を襲った災いは、勿論、
潜んでいた“何か達”に危機感を与えて炙り出すには十分過ぎるものであった。だがそれが狙い。さながら『毒蜂の巣を駆除する目的で、周囲近辺の林をまるごと焼き払う』強攻策。しかし、現状これこの他に有効な手段も無いとの見解からの強行。
 崩落して窪み、一部が水没した大地に、群れの退路はもうほぼ無いに等しく。攻められている相手側にとって、彼女達の存在は巨大な敵対者共が己が領域の真ん中に現れ陣取っている状況。

「――で、当然に。ここまでやれば動いていただけますわよねぇ? まぁ反応して下さらないのなら、退路は断っております故にね。同じことを何回でも繰り返させていただくだけですけれども……あら……?」

 ――故に、今日を生きる為、明日に生き残る為。自ら達を害する敵対者トウフ共を排除せんと蠢き出すのみ。

 端を発し、蠢動する。倒され、押し流された樹木、幸い災いが及ばなかった樹木。木々の状態や種類を問わず、根の隙間、うろみきに開いた皹、そのような“物陰という物陰”よりたちまちのうちに飛び出してくる褐色かっしょくの塊達。

「――視認、できましたわね……!」

 その数はゆうに千は越え、万、幾万、幾十万、或いはそれ以上にも届いているだろうか。
 褐色の塊達は蠢動し合い、鼓動し合い、跳躍し合い。水溜まりと苔と黴だらけの大地をその身の毛皮で覆い尽くさんばかりに染め上げて行く。

「……あらあら、少しばかり驚きました。
予想よりもちょっと多いかしら~? お見逸れいたしましたわ。二、三カ月の短期間でこんなにも増えているなんて。……やはりといいますか、世の常は通用いたしませんことねぇ……はい」

 困ったように、そう洩らした片翼の彼女。

「――そうねぇ、群れが密集してると予測した位置からは十分に距離をとっていたと存じましたけれども。これじゃ此処も直に囲まれてしまいますわね。目前の蜂の巣は、その実、己の背後にまで広がっていらっしゃいましたか……」

 自らの袂にさえ及ぼうとする甚だしい数の暴力を前にして、黒翼の彼女は銅鏡で顔を隠して態とらしく身震いをする。

「……けれど、今回の計略に何一つ変更はございませんわ。まぁまぁに懸念は多いけれど~。……折角、他の統巫の皆さんも力添えしてくれる好機。あなた達をこんな都合の良い所まで追い詰められた好機。みすみすと逃すわけにはいきませんことよ?」

 彼女は慌てる素振り無く。そればかりか、移動すらする様子も無く悠長に構えていた。そんな彼女の正面から、いや、四方から迫り来る塊達。
 一見して袋の鼠。八方塞がりで進退窮まっている。彼女には完全に逃げ場の無い状況なのだが……。

「あら……あらあら」

 ついに、数の暴力が及ぼうとする瞬間、

「――残念。簡単には捕まりませんことよ?」

 ――飛び上がった。
飛び上がり、いとも簡単に難を逃れた。

 彼女は大地を蹴る事により、その身体をさながら風に巻き上げられる羽根のように軽々しく飛び上がらせた。そうして空中で方翼を広げて滑空し、最寄りの樹木の太枝に着地したのだった。

「……ああ、痛くも痒くもないとしても。あたくしも淑女であろうとする一人。汚れ仕事と言ってしまっても。やっぱり不浄を纏わせるあの子達で、全身が塗れるのは嫌ですものねぇ」

 あわや、只では済まない状況。彼女がそれまで自身の居た場所に視界を落とすと、既に大地は褐色一色に染められてしまっていた。

「でもでもぉ、もう少しだけ近い場所であの子達を監察したかったのですわ……。どこかに手頃な一匹でも居れば、話は早いですのに」

 変わらずに悠長な様子で構える彼女は、事もあろうにそんな言葉を呟く。

「……あら?」

 と、そこで自身の外套に取り付き、ぐるぐると這い回る塊に気が付いた。

「一匹連れてきてしまいましたか?
あらあらぁ、そう牙なんてたてても、羽衣ユリカゴで阻まれるでしょうに。……ほら、いたずらっ子さんね。はい捕まえましたわ」

 彼女は外套の中に入り込み、自身の柔肌に噛みつこうとして……“何か”に拒まれ動かなくなった“塊”を愛でるような動作でそっと捕らえる。

「まぁ、これはちょうど良いですわね」

 捕らえたそれは、彼女の鋭い爪のある鱗の生えた掌にすっぽりと収まる程度の小さな褐色の塊。毛に包まれた寸胴な体格に短い手足、大きく丸い耳、細長く鞭のようにしなる毛の無い尾。これらの特徴を持った獣……“ネズミ”。褐色の塊は鼠だったと、初めて正確なその姿が顕になった。

「はい。こうして見ると、まぁそれなりに愛嬌もある姿なのですけれどねぇ……残念でなりません」

 耳障りな声を上げながら、その短い手足をバタつかせ、せめてもの抵抗か彼女の鱗の生えた指に歯を突き立てようとする一匹の鼠。けれど、それは許されない。歯が通るよりも早く、彼女の肌を撫でるように表れた羽衣のような物に鼠は完全に拘束されてしまった。

「文字通り、烏に捕まってしまった可哀想な子ですこと。でもでも安心してくださいましね? あたくしは決して取って食べたりはいたしません。少しだけ『利用』させていただくだけですわ……。利用させていただいて、末に苦しみの暇も与えずに彼土へお送りいたします。さて――」

 そんな鼠に彼女は特に意に介する事はなく。
使っていないもう一方の“黒い鳥の羽根に覆われた腕”を外套から出すと……。ただ、脇に抱えていた銅鏡を水平に構えたのだった。

「――あたくしは単に、道引く者。導く者。
故にこそ、ええ。『引導』を差し上げましょう」

 ――それで、終わり。もう、全て終わり。

 

 ◇◇◇



「――シャャャッ――ャァアッ――!!」

 毛に包まれた巨大な肉塊から、蛇のものによく似た土色の頭部が伸び、咆哮を上げる。

 何処からか落下してきた肉塊……。
 脈統みゃくとう導巫が転じた姿であるソレの胴体にはびっしりと無数の鼠が取り付き。今も胴体……? によじ登られている。巨大な蛇のものとなった頭部を振り回し、凪ぎ払い、自身の胴体へ叩き付け。重圧によって潰れ、屍となった鼠達を辺りに撒き散らしていた。

「脈の……雑。大振りすぎる。……小さくて、無数に湧いてくる相手に、それじゃ……じり貧。……取り付いても、鼠達には……今の貴女を傷付ける方法が無いから。……無視して……。……こぽ、こぽ」

「――グワァァッッッ、シャャャッ!!」

「脈の……無体。……鼠達を誘き出した後の、貴女の役目は……直接の殲滅? ……否だね、違う。締めの準備。鼠達に構わず…………集中を……こぽ」

 潤統じゅんとう導巫の彼女は水球の中に脱力したようぷかぷかと浮かび、聞こえるかどうかも分からない声量で脈統導巫ヘビのあたまへ対して自身の見解を述べる。

「――シッャャャッ…………!」

 すると、その声が聞こえたのか、彼女の脱力している姿でも目に入ったのか。脈統導巫ヘビのあたまは首を向け、何か言いたそうな唸り声を出す。

「……ん? こぽ……脈の、もしや、こちらが楽そうだとか、暇そうと言いたい? …………なら、心外かな。……こう見えて……忙しい。目に見える戦局が全て? ……否。こっちは、こんな場所では……使える力の量に限界がある。効率的に……動く必要性、有り……。綺麗な水は大事。最も効果的な局面まで、温存が必要。……ぶく、つまりは、託の合図待ち」

 そんな風に言うが、水球に包まれた彼女には簡単に手を出す術がないという事か、見た目の驚異が少ない為に後回しにされているだけか。最初の方こそ鼠達の群れに囲まれていたのだが、彼女が軽く打ち水のような事をすると……鼠達はそれっきり一切寄り付かなくなり、標的は巨体を持つ脈統導巫に集中していた。きっと余力は十分だろう。

「……シァャャャ!」

 脈統導巫ヘビのあたまは、彼女に対して唸り声で異義を唱えたようだ。

「……ぷく……?」

「――シァッッャャャ!」

「ん…………もう。はい分かった。脈の……水脈を引っ張って来たのは、明らかな……貴女の手柄。こぽ……融通をきかせろ……と。そう言いたいなら、仕方ない。……可能な範囲でなら…………ね!」

 潤統導巫はこぽこぽと水泡を口から出すと、
脈統導巫ヘビのあたまに『見ていろ!』とばかりに、手に持った小刀を横に振った。
 すると、彼女を包む水球から何度かまた“打ち水”でもするように、小刀を振った方向へ水の飛沫が飛び出して行く。さて、彼女は口を開く。

「こぽ……潤統じゅんとう導巫どうふ
――は、あまねくことわり遵奉じゅんぽう……。循環じゅんかんし、潤滑じゅんかつし、千を育み万に営みをもたらす純澄じゅんちょう清浄せいじょうなる無色の母の落とし子なり……。よどみは、母の涙の溜まり。その身も淀みとなり、されど母願うは在りし恵みの望み。その御心のままに。彼ノ者……其の力の一端いったんたまわり、担う存在。じゅんを統べ導く巫、潤統導巫……“チョウカミネ”……いくよっ」

 …………。

 口上の名乗りが終わり、少し気怠げ且つ物憂げにする彼女。潤統導巫の【チョウカミネ】

 ――次の瞬間、いくつもの炸裂音が辺り一面で繰り返された。大地へ撒かれたはずの打ち水が何らかの意思を持ったかのように空中で静止する。暫し留まったかと思えば、音を立てて無数もの粒となり飛散、飛び散ったのだ。

 数秒……何も起こらない。

「……潤、領域、拡散。
視界、ことごとくに……洗練を……!」

 ――と、思いきや。
 脈統導巫ヘビのからだに取り付こうと囲っていたおびただしい数の鼠達が、次々と紅い飛沫を上げて弾け。物言わぬ肉片となっていくではないか。

「……ぶく……どう?
……命を育み、営みをもたらし、最期に全てを洗い流してくれる……母なる水の洗練。そう……これは情けだ。……せめて、母に抱かれて逝け。……母から離れた……歪なる命達よ。禍淵という存在に堕ちた……鼠達よ……!」

 ――水粒が、刃と成る。高密度に圧縮されて、細かな針となり、矢となり、槍となる。見た目よりも殺傷力が高いのだ。刺され、切り裂かれ、貫かれ、一帯の鼠達は原形も分からぬ程の無惨な姿えと変えられていった……。

 統巫達の圧倒的な力による蹂躙。
 最初から勝敗の見えている戦。それでも。
しかし不穏な兆しの影は、尚も漂うのだ。



 ◇◇◇



 ――姿こそは、通常の山鼠とほぼ代わらない。

「――然れども、凡世ぼんせ覆軍ふくぐん
放っておくと、ある地域、ー生いっせい態系たいけいのみならず。万の世を、此土そのもののあらゆる世を貪って、同族で覆ってしまうんじゃないかと畏れ喩えられた災厄の獣と。はい。……そう呼ばれていらっしゃるのですわよねぇ?」

 ――だけれど、姿形以外は異質な存在。
 自らの種が繁栄可能な範囲を、自然の中で培われた法則や、増え過ぎて自滅すらし兼ねない危険性を無視し。ただ同族以外の生を貪り喰らって、制御を越えた繁殖に重点を置き暴走した悲しい命。
 本来は大人しく、警戒心が強く、少数の群れで虫や植物性の僅かな栄養を糧とする命。それが人の身さえも獲物とし、群れで襲い食らうようになってしまった。そうして喰らえば、その分だけ、無秩序に繁殖する。同じ性質を持った個体が増える。

「そうそう。あくまでも基本的には、禍淵からは禍淵は産まれない。何故なら禍淵は、その性質故に番が存在しない一代のみの歪な変異。の、はずですのにね。犠牲になった者、災厄と定められ狩られる鼠達。双方に申し訳ないとは思いつつ、あたくしは、とっても興味津々ですの……」

 “個体”のはずの“群体”
特異。禍淵マガフチと呼ばれる事象のうちの、今回は生物にまつわる災い。何かが、何かしらの要因で、常を逸して変異してしまった“個”の、本来は有り得ない“群”としての存在。特異中の特異。

「……あとあと『群』ではなく『軍』と呼ばれるだけあり、原始的だけれど統率のとれた動きをすると伺っておりますわ。それは原種の特性によるものでしょうかね。まぁまぁ、どちらにせよ万人ではどうしようもなくて、【統制】のあたくし達が出張ってくる必要があって。かつ、前準備無しでは封じ込めて親玉を追い詰めるのが手一杯だったなんてね……。それに準備をしたって、こんな強攻策を取らせていただく運びとなりました……」

 黒き片翼の彼女は、水平に構えた“銅鏡”に囚われてしまったその命。その半身が銅鏡と一体化し、権能の『礎』となった“鼠”を一撫でする。

 彼女は口を開く。言ノ葉を紡ぐとしよう。

「――片翼は、有り方を示し。
片翼は、在り方を定める。己が身を指針に。三本の脚は天の啓、地を宣べて人に託す――」

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