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第1章 かなしい蝶と煌炎の獅子
狙われた店主2
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「これは……!」
どうやら少年にとってのタブーであるらしい眼帯を乱暴に奪い取ったデイガーは、露わになった瞳に思わず息を飲んだ。
左目とは全く異なる、ヒトならざる目。その目を、デイガーは知っていた。
黒地に輝く金の虹彩。そして、金色の中に浮かぶ、不思議な紋章。内側から光を放っているかのように揺らめいているそれは、まるで蝶のような形をしていた。
「――エインストラ」
それは、伝承の中にのみ残る存在。かつて多くの人々が求め、しかし出逢うことすら叶わなかった、太陽と月の申し子。
世界の隔たりを越えるもの。この世で唯一、己が意思でありとあらゆる次元を越えることができる生き物。全世界を統括する神々が全ての次元を把握するための目となる、神の僕。
それはまさしく伝説上の生き物だ。いや、エインストラは確かに存在しているのだが、誰もそれをエインストラとして認識したことがないが故に、伝説と謳われていると言った方が正しい。彼らは、飛んだ先の次元に適応する。己のカタチを、その次元で動くのに適した姿へと変えることができるのだ。たとえばそれは人の姿をしているかもしれないし、鳥の姿しているかもしれないし、もしかすると草木の姿をしているのかもしれない。
太古の文献に記載されているエインストラの手がかりは、黒地に金の虹彩をした瞳を持ち、その瞳の中に蝶が翅を広げたような紋章があるということだけだった。だが、それも恒常的なものではないと言う。彼らの瞳がそうなるのは、彼らが次元を越えるときのみであると、確かにそう書いてあった。尤も、所詮は古い文献の話だ。その記載に間違いがないと言い切れるはずもない。
何故なら、次元を越えるどころか魔法を発動する様子すら見せない少年の右目は、まさしく世界の隔たりを越えようとするエインストラのものだったのだから。
いかにエインストラと言えども、次元を越えるにはそれ相応の魔力かそれに相当する何かを消耗する筈である。しかしそういった特殊な力の流れを一切感じないということは、つまり、この少年にとってこの瞳の紋章は恒常的に発現しているものなのだろう。
「ああ、それにしても……まさかこんなところで、ずっと求めていたものに逢えるだなんて……」
恍惚とした様子すら感じさせる声でそう呟き、デイガーはよりよくその瞳の証を見ようと手を伸ばした。が、その動きが不意に止まる。
あれほどまでに悲痛だった少年の叫びが、いつの間にか止んでいたのだ。
そのことに正体の判らない違和を感じ取ったデイガーが、金の瞳だけを見つめていた視野を広げる。そうして改めて少年の顔を見た彼は、僅かに目を見開いた。
デイガーを見つめる少年の目には先ほどまでのような怯えは欠片もなく、それどころか、平坦なまでに冷めた表情をしている。そして少年は、デイガーと視線が絡むと口の端を吊り上げて見せた。
「酷いコトをするじゃあないですか」
口元に嘲りを乗せた彼から発された人を馬鹿にするような声は、確かに少年の喉から発されたものだった。勿論、紡がれた音も先ほどまでの少年のものと同じだ。だが、何かが決定的に違う。
「……貴方は、どなたでしょう」
デイガーが先ほどまでとは違う丁重な言葉で語りかけたのも、無理はない。それほどまでに、『彼』は先ほどまでの少年とは違っていた。確かに姿や声こそ同じだ。しかし、その質がまるで違う。『彼』が纏う雰囲気は冴え冴えとしており、触れれば切れそうな刃のようだった。
そう、まるで、かちりとスイッチを切り替えたかのように。全く別の存在になったかのように。
「どなたも何も、アナタが散々に嬲り倒した哀れで惨めでゴミのような少年でしょう? つい今しがたの記憶すら忘却の彼方とは、随分都合の良い頭をお持ちのようだ」
小馬鹿にするような物言いに、しかしデイガーは決して敬意を示す姿勢を崩さなかった。
「同一人物とは思えません。……もしや、貴方こそがエインストラで、天ヶ谷鏡哉くんは宿主か何かなのでは? エインストラは次元に適した姿を取ると聞きますが、それはつまり、その次元の生き物に寄生するということだったのではありませんか?」
まるで世界の真理を解き明かしたかのように言い寄るデイガーに、『彼』は少しだけ眉を寄せた。
「コレがオレの宿主? どうやらアナタの頭は都合が良いだけでなく大層イかれていらっしゃるらしい。医者へでも行ったら如何です? あぁ全く、よりによって眼帯を奪うものだから、コレが恐慌状態に陥ってしまったし。お陰でオレがわざわざ出るハメに……面倒臭ェ」
「ああ! やはり貴方こそがエインストラだったのですね!」
「……あァ? 人の話を聞かねェクソ野郎だな。さっさとそのイカれた頭を医者に診せてこいっつってんだろうが。ついでにこの脚も治せ。こんなんじゃまともに歩けねェじゃねェか」
心底嫌そうな顔をした『彼』に、しかしデイガーは気にした風もなく、寧ろ感極まった様子で満面の笑みを浮かべた。
「いいえ、エインストラ。御心配には及びません。我々に必要なのは貴方の脚ではなく血なのですから。ああ、ご安心を。決して命を奪うような真似は致しませんとも。ただ、一生その血液を我々に与えてくだされば良いのです」
「……どういうことだ、テメェ」
「簡単な話です。我々は、自在に次元を越えるその能力が欲しいのですよ。そうすれば、我らがロイツェンシュテッド帝国はより強くなる。貴方の血を使えば次元転送魔導が完成するはずだ。たとえばそれで真のドラゴンを召喚できたならば、この忌々しいリアンジュナイルを攻め滅ぼすなど容易いことでしょう!」
興奮したように語るデイガーに、『彼』は首を傾げて見せる。
「……血を絞っただけで十分だとでも?」
「それ以上の方法があると仰るのですか? でしたら是非とも知りたいものです」
「この状況でオレが教えて差し上げると思うんですか?」
相変わらず小馬鹿にしたような物言いに、デイガーは困った顔をした。
「それではやはり、死なない程度に血を抜かせて頂くしかありませんね。大丈夫ですよ。こう見えても私はそれなりに優れた魔導士なのです。貴方の貴重な血を無駄にするようなことは致しませんとも」
デイガーの言葉には自信が溢れており、事実それは己の実力に裏打ちされたものだった。
「無駄にしない、ねぇ。随分と自信がおありのようだ。そんなにエインストラのことを知っていらっしゃるんですか? 本当に?」
『彼』の問いに、デイガーはにっこりと微笑んだ。
「エインストラのことはそこまで詳細には存じ上げません。寧ろそんな人間などいないでしょう。いわば貴方は、伝説中の伝説とも言える存在なのですから。しかし、空間魔導であれば私の領分です。何故なら私の契約者は、空間魔法の使い手ですので」
「契約者……?」
「ああ、エインストラはリアンジュナイルにいたせいであまり魔導にはお詳しくないのですね。魔導は契約によって魔物や幻獣などの魔法生物を使役するものなのです。そして、契約主は使役している魔法生物が使う魔法を己の力として振るうことができるのですよ。ね? リアンジュナイルの魔法などより遥かに素晴らしいでしょう?」
実際にデイガーは、生まれつきの精霊との相性で左右されてしまう魔法よりも、力で契約を強いる魔導の方が優れていると思っていた。しかし、この発言は自信だけから来たものではないようで、その語り口からはデイガーがリアンジュナイル大陸に抱いている嫌悪のようなものが滲み出ていた。
「本当におめでたいですねェ。魔導とやらが魔法より優れていたとしても、だからと言ってアナタの望むことが成せるという保証はないでしょうに」
「いいえ、エインストラ。先ほども申し上げました通り、私が使役している契約者は空間魔法に長けているのです。今いるこの場所も、私が創り出した空間なのですよ。地図にないどころか、術者である私の許可がなければ存在を認識することもできない牢獄。空間そのものを閉じてしまえば、外からの侵入はまず不可能です。素晴らしいとは思いませんか? その力と貴方の血を使えば、必ずや次元を越えた大召喚を成し遂げるでしょう。そもそも、我々は既にリアンジュナイルを攻め落とす算段を立てております。先の戦争にしても、こちらでは帝国軍が敗走したと言われているそうですが、あれは所詮は小手調べ。相手の戦力を把握するために仕掛けたものにすぎません。そう、ここからが本当の大陸間戦争なのですよ」
そういったデイガーが、うっとりとした様子で『彼』の目元を撫でる。
「だからこそ、より確固たる勝利のために、貴方にはその身を捧げて頂きたいのです」
既にデイガーの頭の中に、あの不審な男のことはなかった。あれはあれで注意を払うべきなのだろうが、今はそんな些末事よりも目の前にある至上の生き物が優先だ。どうやってこれを持ち帰るか。血液さえ使えれば良いのだから、いっそ手足を落としてしまった方が良いのかもしれない。ああ、それは名案だ。そうすればこれは逃げることなどできないだろうし、暴れることもないだろう。だが、落とす際はきちんと大きめの容器を用意しなければ。貴重な血液を無駄にするのは少々勿体ない。
そこまで考えたところで、デイガーはふと思う。もしかすると、あの男の目的のひとつはエインストラの確保だったのではないだろうか。このどこにでも居そうな少年がエインストラであることを何かで知って、我が物にしようとしていたのではないか。だとすれば、これは僥倖だ。ここでこのエインストラを手に入れるということは、敵大陸の強大な戦力をこちらに引き込むことに成功したということに他ならないのだから。
慈しむように少年の目元を撫でながら、デイガーはより一層笑みを深めた。
「取り敢えず、貴方の四肢は落としてしまいましょう。お前、大きめの桶を持ってこい。ああそれから、血を入れるための瓶も必要だな」
少年の背後の男にそう命じたデイガーに対し、『彼』は呆れ返ったような表情を浮かべた。
「アンタがオレをどういう生き物だと思ってんのかは知らねェが、そんな真似して死なねェとでも?」
嘲るような声で言われた言葉に、デイガーは驚いてまじまじと『彼』を見た。
「まさか、四肢の切断程度で死んでしまうのですか? いや、人間ならばショック死することもあるでしょうが、貴方はエインストラでしょう?」
「生憎この身体はそこまで頑丈じゃなくてな」
肩を竦めてみせた『彼』に、デイガーは納得したように頷いた。
「確かに、その身体は天ヶ谷鏡哉くんのものですものね。しかし、ということは、寄生先の生物に合わせて耐久度が変化するということでしょうか。ああ、それはなかなかに不便だ。よろしければ、代わりの器をご用意致しましょうか?」
「そうホイホイと器を変えられるか。オレの場合、この身体が器であるからこそ意味がある」
「なるほど。詳しいことは判りませんが、私が思っていた以上に複雑なものなのですね。……それでは、大変残念ですが、四肢を落とすのはやめにしましょう」
本当に残念そうな顔でそう言ったデイガーは、しかしその直後、にっこりと人の好さそうな微笑みを浮かべた。
「でも、脚の二本くらいであれば大丈夫ですよね?」
そう言ったデイガーの手には、いつどうやって取り出したのか、大きな斧が握られていた。
この少年は何かを企んでいる。企みの内容は定かでないが、やたらと話を引き延ばそうとしているのはそのためだろう。ならば『彼』の言葉に惑わされず、さっさと逃げられない身体にしてしまうべきだ。
己の考えに従い、デイガーが斧を振り上げる。これでは血液が無駄になってしまうが、それも仕方がないこと。桶やら瓶やらの到着を待つよりも早く仕留めてしまえと、デイガーの直感がそう告げているのだから。なに、飛び散った血液など、後で可能な限り集めれば良いだけだ。
「大丈夫、きちんと止血は致します。ですのでご安心くださいね!」
言いながら、鎖に繋がれている右脚に向かってデイガーが斧を振り下ろす。襲い掛かる凶刃に、『彼』は何を思ったのだろうか。少年の纏う雰囲気が急速に変化する奇妙な感覚を肌で感じ取ったような気がしたが、だからと言って迷うデイガーではない。
重力と腕力に任せた勢いをそのままに、狙った場所に正しく打ち下ろされた刃が、少年の肌を切り裂こうとした、その瞬間。
ガラスの割れるような音が辺りに響き、少年の背後の空間に亀裂が走った。
「っ!?」
反射的に斧から手を離したデイガーが後方へと飛び退るのとほぼ同時に、亀裂から凄まじい勢いの炎が噴き上がり、つい先程までデイガーが居た場所を飲み込んだ。そのまま、少年を中心にするように、炎が巨大な渦を作り上げる。置いてきた斧がどうなったかと見やれば、持ち手はおろか、鉄製の刃までもが炎に焼かれ、どろりと溶け出しているのが判った。
(馬鹿な! 私の空間魔導が破られただと……!?)
空間操作魔導によって生み出された空間を術者以外が破壊することなど、そうそうできることではない。だが、可能性として有り得ることは知っていた。最も考えやすいのは、自分よりも上位の空間系の魔導か魔法の使い手による破壊。しかし、この場を焼く炎は、もう一つの可能性を示していた。すなわち、
(空間をも捻じ曲げる圧倒的な破壊力で突破してきたか!)
想定外の事態に構えるデイガーに、燃え盛る炎を切って風の刃が飛んできた。だが、デイガーが何かをする前に、彼の影から黒い何かが跳び出し、その風を払ってしまう。しかし、払われて散った風はそれでもそのまま突き進み、デイガーの握っていた眼帯に絡みついた。そして、咄嗟のことに反応しきれなかったデイガーの手から、眼帯を奪い去ってしまう。
思わず風の行く先を目で追えば、それは目の前に広がる炎の渦へと向かっていった。まるでそれを迎え入れるように、炎がぶわりと広がって二つに割れる。
その先の光景に、デイガーは目を見開いた。
少年を左腕に抱いた、長身の男。長い年月をかけて鍛え抜かれたのだろう立派な体躯のこの男を、デイガーは知っていた。
「……なぜ、」
男の伸ばした右手に眼帯が運ばれていくのを呆然と見ていたデイガーだったが、その顔がみるみる内に憎しみへと染まっていく。
「き、さま、」
男が纏っているのは傭兵の服だ。それ以外にその身を鎧うものはない。それでも、間違えるはずがなかった。
腰にまで届く赤銅の癖毛。炎を溶かし込んだような金色の瞳。何よりも、炎を背負い、従える、絶対的な威厳。
そうだ、忘れなどしない。忘れられる訳がない。この男こそ、五年前の大陸間戦争でロイツェンシュテッド帝国に辛酸を舐めさせた男。万の軍を率い、その先陣に立って誰よりも同胞を屠った災厄。憎むべき、帝国軍の仇敵。
ぎりりと奥歯を強く噛んだデイガーは、その憎悪の全てを以て男を睨み上げた。
「貴様だったのか!! グランデル国王、ロステアール・クレウ・グランダ!!」
吠え立てる声に、リアンジュナイル始まりの四大国がひとつ、赤のグランデル王国国王は、金色の瞳を向け、うっすらと笑ったのだった。
どうやら少年にとってのタブーであるらしい眼帯を乱暴に奪い取ったデイガーは、露わになった瞳に思わず息を飲んだ。
左目とは全く異なる、ヒトならざる目。その目を、デイガーは知っていた。
黒地に輝く金の虹彩。そして、金色の中に浮かぶ、不思議な紋章。内側から光を放っているかのように揺らめいているそれは、まるで蝶のような形をしていた。
「――エインストラ」
それは、伝承の中にのみ残る存在。かつて多くの人々が求め、しかし出逢うことすら叶わなかった、太陽と月の申し子。
世界の隔たりを越えるもの。この世で唯一、己が意思でありとあらゆる次元を越えることができる生き物。全世界を統括する神々が全ての次元を把握するための目となる、神の僕。
それはまさしく伝説上の生き物だ。いや、エインストラは確かに存在しているのだが、誰もそれをエインストラとして認識したことがないが故に、伝説と謳われていると言った方が正しい。彼らは、飛んだ先の次元に適応する。己のカタチを、その次元で動くのに適した姿へと変えることができるのだ。たとえばそれは人の姿をしているかもしれないし、鳥の姿しているかもしれないし、もしかすると草木の姿をしているのかもしれない。
太古の文献に記載されているエインストラの手がかりは、黒地に金の虹彩をした瞳を持ち、その瞳の中に蝶が翅を広げたような紋章があるということだけだった。だが、それも恒常的なものではないと言う。彼らの瞳がそうなるのは、彼らが次元を越えるときのみであると、確かにそう書いてあった。尤も、所詮は古い文献の話だ。その記載に間違いがないと言い切れるはずもない。
何故なら、次元を越えるどころか魔法を発動する様子すら見せない少年の右目は、まさしく世界の隔たりを越えようとするエインストラのものだったのだから。
いかにエインストラと言えども、次元を越えるにはそれ相応の魔力かそれに相当する何かを消耗する筈である。しかしそういった特殊な力の流れを一切感じないということは、つまり、この少年にとってこの瞳の紋章は恒常的に発現しているものなのだろう。
「ああ、それにしても……まさかこんなところで、ずっと求めていたものに逢えるだなんて……」
恍惚とした様子すら感じさせる声でそう呟き、デイガーはよりよくその瞳の証を見ようと手を伸ばした。が、その動きが不意に止まる。
あれほどまでに悲痛だった少年の叫びが、いつの間にか止んでいたのだ。
そのことに正体の判らない違和を感じ取ったデイガーが、金の瞳だけを見つめていた視野を広げる。そうして改めて少年の顔を見た彼は、僅かに目を見開いた。
デイガーを見つめる少年の目には先ほどまでのような怯えは欠片もなく、それどころか、平坦なまでに冷めた表情をしている。そして少年は、デイガーと視線が絡むと口の端を吊り上げて見せた。
「酷いコトをするじゃあないですか」
口元に嘲りを乗せた彼から発された人を馬鹿にするような声は、確かに少年の喉から発されたものだった。勿論、紡がれた音も先ほどまでの少年のものと同じだ。だが、何かが決定的に違う。
「……貴方は、どなたでしょう」
デイガーが先ほどまでとは違う丁重な言葉で語りかけたのも、無理はない。それほどまでに、『彼』は先ほどまでの少年とは違っていた。確かに姿や声こそ同じだ。しかし、その質がまるで違う。『彼』が纏う雰囲気は冴え冴えとしており、触れれば切れそうな刃のようだった。
そう、まるで、かちりとスイッチを切り替えたかのように。全く別の存在になったかのように。
「どなたも何も、アナタが散々に嬲り倒した哀れで惨めでゴミのような少年でしょう? つい今しがたの記憶すら忘却の彼方とは、随分都合の良い頭をお持ちのようだ」
小馬鹿にするような物言いに、しかしデイガーは決して敬意を示す姿勢を崩さなかった。
「同一人物とは思えません。……もしや、貴方こそがエインストラで、天ヶ谷鏡哉くんは宿主か何かなのでは? エインストラは次元に適した姿を取ると聞きますが、それはつまり、その次元の生き物に寄生するということだったのではありませんか?」
まるで世界の真理を解き明かしたかのように言い寄るデイガーに、『彼』は少しだけ眉を寄せた。
「コレがオレの宿主? どうやらアナタの頭は都合が良いだけでなく大層イかれていらっしゃるらしい。医者へでも行ったら如何です? あぁ全く、よりによって眼帯を奪うものだから、コレが恐慌状態に陥ってしまったし。お陰でオレがわざわざ出るハメに……面倒臭ェ」
「ああ! やはり貴方こそがエインストラだったのですね!」
「……あァ? 人の話を聞かねェクソ野郎だな。さっさとそのイカれた頭を医者に診せてこいっつってんだろうが。ついでにこの脚も治せ。こんなんじゃまともに歩けねェじゃねェか」
心底嫌そうな顔をした『彼』に、しかしデイガーは気にした風もなく、寧ろ感極まった様子で満面の笑みを浮かべた。
「いいえ、エインストラ。御心配には及びません。我々に必要なのは貴方の脚ではなく血なのですから。ああ、ご安心を。決して命を奪うような真似は致しませんとも。ただ、一生その血液を我々に与えてくだされば良いのです」
「……どういうことだ、テメェ」
「簡単な話です。我々は、自在に次元を越えるその能力が欲しいのですよ。そうすれば、我らがロイツェンシュテッド帝国はより強くなる。貴方の血を使えば次元転送魔導が完成するはずだ。たとえばそれで真のドラゴンを召喚できたならば、この忌々しいリアンジュナイルを攻め滅ぼすなど容易いことでしょう!」
興奮したように語るデイガーに、『彼』は首を傾げて見せる。
「……血を絞っただけで十分だとでも?」
「それ以上の方法があると仰るのですか? でしたら是非とも知りたいものです」
「この状況でオレが教えて差し上げると思うんですか?」
相変わらず小馬鹿にしたような物言いに、デイガーは困った顔をした。
「それではやはり、死なない程度に血を抜かせて頂くしかありませんね。大丈夫ですよ。こう見えても私はそれなりに優れた魔導士なのです。貴方の貴重な血を無駄にするようなことは致しませんとも」
デイガーの言葉には自信が溢れており、事実それは己の実力に裏打ちされたものだった。
「無駄にしない、ねぇ。随分と自信がおありのようだ。そんなにエインストラのことを知っていらっしゃるんですか? 本当に?」
『彼』の問いに、デイガーはにっこりと微笑んだ。
「エインストラのことはそこまで詳細には存じ上げません。寧ろそんな人間などいないでしょう。いわば貴方は、伝説中の伝説とも言える存在なのですから。しかし、空間魔導であれば私の領分です。何故なら私の契約者は、空間魔法の使い手ですので」
「契約者……?」
「ああ、エインストラはリアンジュナイルにいたせいであまり魔導にはお詳しくないのですね。魔導は契約によって魔物や幻獣などの魔法生物を使役するものなのです。そして、契約主は使役している魔法生物が使う魔法を己の力として振るうことができるのですよ。ね? リアンジュナイルの魔法などより遥かに素晴らしいでしょう?」
実際にデイガーは、生まれつきの精霊との相性で左右されてしまう魔法よりも、力で契約を強いる魔導の方が優れていると思っていた。しかし、この発言は自信だけから来たものではないようで、その語り口からはデイガーがリアンジュナイル大陸に抱いている嫌悪のようなものが滲み出ていた。
「本当におめでたいですねェ。魔導とやらが魔法より優れていたとしても、だからと言ってアナタの望むことが成せるという保証はないでしょうに」
「いいえ、エインストラ。先ほども申し上げました通り、私が使役している契約者は空間魔法に長けているのです。今いるこの場所も、私が創り出した空間なのですよ。地図にないどころか、術者である私の許可がなければ存在を認識することもできない牢獄。空間そのものを閉じてしまえば、外からの侵入はまず不可能です。素晴らしいとは思いませんか? その力と貴方の血を使えば、必ずや次元を越えた大召喚を成し遂げるでしょう。そもそも、我々は既にリアンジュナイルを攻め落とす算段を立てております。先の戦争にしても、こちらでは帝国軍が敗走したと言われているそうですが、あれは所詮は小手調べ。相手の戦力を把握するために仕掛けたものにすぎません。そう、ここからが本当の大陸間戦争なのですよ」
そういったデイガーが、うっとりとした様子で『彼』の目元を撫でる。
「だからこそ、より確固たる勝利のために、貴方にはその身を捧げて頂きたいのです」
既にデイガーの頭の中に、あの不審な男のことはなかった。あれはあれで注意を払うべきなのだろうが、今はそんな些末事よりも目の前にある至上の生き物が優先だ。どうやってこれを持ち帰るか。血液さえ使えれば良いのだから、いっそ手足を落としてしまった方が良いのかもしれない。ああ、それは名案だ。そうすればこれは逃げることなどできないだろうし、暴れることもないだろう。だが、落とす際はきちんと大きめの容器を用意しなければ。貴重な血液を無駄にするのは少々勿体ない。
そこまで考えたところで、デイガーはふと思う。もしかすると、あの男の目的のひとつはエインストラの確保だったのではないだろうか。このどこにでも居そうな少年がエインストラであることを何かで知って、我が物にしようとしていたのではないか。だとすれば、これは僥倖だ。ここでこのエインストラを手に入れるということは、敵大陸の強大な戦力をこちらに引き込むことに成功したということに他ならないのだから。
慈しむように少年の目元を撫でながら、デイガーはより一層笑みを深めた。
「取り敢えず、貴方の四肢は落としてしまいましょう。お前、大きめの桶を持ってこい。ああそれから、血を入れるための瓶も必要だな」
少年の背後の男にそう命じたデイガーに対し、『彼』は呆れ返ったような表情を浮かべた。
「アンタがオレをどういう生き物だと思ってんのかは知らねェが、そんな真似して死なねェとでも?」
嘲るような声で言われた言葉に、デイガーは驚いてまじまじと『彼』を見た。
「まさか、四肢の切断程度で死んでしまうのですか? いや、人間ならばショック死することもあるでしょうが、貴方はエインストラでしょう?」
「生憎この身体はそこまで頑丈じゃなくてな」
肩を竦めてみせた『彼』に、デイガーは納得したように頷いた。
「確かに、その身体は天ヶ谷鏡哉くんのものですものね。しかし、ということは、寄生先の生物に合わせて耐久度が変化するということでしょうか。ああ、それはなかなかに不便だ。よろしければ、代わりの器をご用意致しましょうか?」
「そうホイホイと器を変えられるか。オレの場合、この身体が器であるからこそ意味がある」
「なるほど。詳しいことは判りませんが、私が思っていた以上に複雑なものなのですね。……それでは、大変残念ですが、四肢を落とすのはやめにしましょう」
本当に残念そうな顔でそう言ったデイガーは、しかしその直後、にっこりと人の好さそうな微笑みを浮かべた。
「でも、脚の二本くらいであれば大丈夫ですよね?」
そう言ったデイガーの手には、いつどうやって取り出したのか、大きな斧が握られていた。
この少年は何かを企んでいる。企みの内容は定かでないが、やたらと話を引き延ばそうとしているのはそのためだろう。ならば『彼』の言葉に惑わされず、さっさと逃げられない身体にしてしまうべきだ。
己の考えに従い、デイガーが斧を振り上げる。これでは血液が無駄になってしまうが、それも仕方がないこと。桶やら瓶やらの到着を待つよりも早く仕留めてしまえと、デイガーの直感がそう告げているのだから。なに、飛び散った血液など、後で可能な限り集めれば良いだけだ。
「大丈夫、きちんと止血は致します。ですのでご安心くださいね!」
言いながら、鎖に繋がれている右脚に向かってデイガーが斧を振り下ろす。襲い掛かる凶刃に、『彼』は何を思ったのだろうか。少年の纏う雰囲気が急速に変化する奇妙な感覚を肌で感じ取ったような気がしたが、だからと言って迷うデイガーではない。
重力と腕力に任せた勢いをそのままに、狙った場所に正しく打ち下ろされた刃が、少年の肌を切り裂こうとした、その瞬間。
ガラスの割れるような音が辺りに響き、少年の背後の空間に亀裂が走った。
「っ!?」
反射的に斧から手を離したデイガーが後方へと飛び退るのとほぼ同時に、亀裂から凄まじい勢いの炎が噴き上がり、つい先程までデイガーが居た場所を飲み込んだ。そのまま、少年を中心にするように、炎が巨大な渦を作り上げる。置いてきた斧がどうなったかと見やれば、持ち手はおろか、鉄製の刃までもが炎に焼かれ、どろりと溶け出しているのが判った。
(馬鹿な! 私の空間魔導が破られただと……!?)
空間操作魔導によって生み出された空間を術者以外が破壊することなど、そうそうできることではない。だが、可能性として有り得ることは知っていた。最も考えやすいのは、自分よりも上位の空間系の魔導か魔法の使い手による破壊。しかし、この場を焼く炎は、もう一つの可能性を示していた。すなわち、
(空間をも捻じ曲げる圧倒的な破壊力で突破してきたか!)
想定外の事態に構えるデイガーに、燃え盛る炎を切って風の刃が飛んできた。だが、デイガーが何かをする前に、彼の影から黒い何かが跳び出し、その風を払ってしまう。しかし、払われて散った風はそれでもそのまま突き進み、デイガーの握っていた眼帯に絡みついた。そして、咄嗟のことに反応しきれなかったデイガーの手から、眼帯を奪い去ってしまう。
思わず風の行く先を目で追えば、それは目の前に広がる炎の渦へと向かっていった。まるでそれを迎え入れるように、炎がぶわりと広がって二つに割れる。
その先の光景に、デイガーは目を見開いた。
少年を左腕に抱いた、長身の男。長い年月をかけて鍛え抜かれたのだろう立派な体躯のこの男を、デイガーは知っていた。
「……なぜ、」
男の伸ばした右手に眼帯が運ばれていくのを呆然と見ていたデイガーだったが、その顔がみるみる内に憎しみへと染まっていく。
「き、さま、」
男が纏っているのは傭兵の服だ。それ以外にその身を鎧うものはない。それでも、間違えるはずがなかった。
腰にまで届く赤銅の癖毛。炎を溶かし込んだような金色の瞳。何よりも、炎を背負い、従える、絶対的な威厳。
そうだ、忘れなどしない。忘れられる訳がない。この男こそ、五年前の大陸間戦争でロイツェンシュテッド帝国に辛酸を舐めさせた男。万の軍を率い、その先陣に立って誰よりも同胞を屠った災厄。憎むべき、帝国軍の仇敵。
ぎりりと奥歯を強く噛んだデイガーは、その憎悪の全てを以て男を睨み上げた。
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しかも、現役大学生である。
「え、あの子で大丈夫なんか……?」
幹部たちの不安をよそに、悠真は「ふわふわ天然」な言動を繰り返しながらも、確実に辰巳会を掌握していく。
――誰もが気づかないうちに。
専属護衛として選ばれたのは、寡黙な武闘派No.1・久我陣。
「命に代えても、お守りします」
そう誓った陣だったが、悠真の"ただの跡取り"とは思えない鋭さに次第に気づき始める。
そして辰巳会の跡目争いが激化する中、敵対組織・六波羅会が悠真の命を狙い、抗争の火種が燻り始める――
「僕、舐められるの得意やねん」
敵の思惑をすべて見透かし、逆に追い詰める悠真の冷徹な手腕。
その圧倒的な"跡取り"としての覚醒を、誰よりも近くで見届けた陣は、次第に自分の心が揺れ動くのを感じていた。
それは忠誠か、それとも――
そして、悠真自身もまた「陣の存在が自分にとって何なのか」を考え始める。
「僕、陣さんおらんと困る。それって、好きってことちゃう?」
最強の天然跡取り × 一途な忠誠心を貫く武闘派護衛。
極道の世界で交差する、戦いと策謀、そして"特別"な感情。
これは、跡取りが"覚醒"し、そして"恋を知る"物語。
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
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