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命がけの行進6(非エロ)
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ハーヴェイは夢を見ていた。
傭兵団としての雑務など、まだ何も知らなかった頃──ケントと初めて出会った時の夢を。
ざわめきと活気が満ちる村酒場の食堂。無骨な傭兵たちがテーブルを囲むその中心で、団長であるルヴィの凛とした声が響いた。
「──新人のハーヴェイだ。おまえたちも知っているだろうが、先日、非合法の奴隷商人が連れていた被害者の1人だ」
傭兵たちの視線が、ルヴィの隣に立つハーヴェイへと向けられる。誰もが物珍しそうに、あるいは無関心にハーヴェイを見ている。そんな中、ルヴィは一人の見習い傭兵に声をかけた。
「ケント」
「──はい」
突然の指名にキョトンと椅子に座ったまま、ケントはルヴィの名指しに反応した。ルヴィは短く命じる。
「仕事を教えてやれ。おまえと同じ見習いからだ」
「わかりました」
そうして報告や食事などを終え、次々と席を立ち、村酒場から出ていく傭兵たち。
どうすればいいのかわからずに立ちつくすハーヴェイの元に、一人の男が近づいてきた。その男は、先ほど団長から仕事を教えるように言われたケントだった。
見習い傭兵ケント。ハーヴェイが抱いた最初の印象は、傭兵らしくない優男──というものだった。屈強な男たちが集うこのサンダーライト傭兵団において、彼の身体の芯はどこか細く、顔つきも優しげで、とても日々命を懸けて戦う傭兵には見えなかった。
「よろしく、ハーヴェイ君……だっけ? 俺はケント。同じ傭兵見習いなんだ」
差し出された手と、穏やかな声。ハーヴェイは戸惑いながら、おずおずと答える。
「あーえっと……よろしく。です?」
ケントは、ハーヴェイのぎこちない話し方に、不思議そうな顔でわずかに首をかしげた。
場面は変わり、外の井戸で二人きりで食器を洗っていた。カチャカチャと皿のぶつかる音だけが響く中、ハーヴェイはぽつりと呟いた。
「えっと……俺、山育ちだから、敬語、わからない、です?」
「あー……なるほどな」
ケントは濡れた手を止め、少し考えるそぶりを見せた。その脳裏には、かつて現実世界で所属していた部活動で、敬語に慣れないヤンチャな後輩やかつての同期たちの姿が浮かんでいた。それはもう二度と、会う事のない存在。
「……いい方法があるよ」
「いい方法……です?」
「まずは普通に話して、最後に『ッス』ってつけるんだよ」
「ッス?」
「そう。それで自己紹介してみて」
言われるがままに、ハーヴェイは口を開く。
「俺はハーヴェイ……ッス。こうッス?」
「そうそう。で、質問する時は『ッス』の後に『か』をつけるといいよ」
「質問の時はッスか?……すげぇ!話せるッス!これが敬語っすか!ケントさん頭いいっす!」
目を輝かせて尊敬の眼差しを向けてくる後輩に、ケントは苦笑いを浮かべた。
(ほんとは敬語じゃないけど……ま、当分はこれでいいか)
ケントと出会って間もないにも関わらず、ハーヴェイの世界は少しだけ広がった。
*
唐突に夢の場面は変わり、それから10日ほど後の出来事。
まだ薄暗い早朝に天幕で目を覚ましたハーヴェイは、隣で寝ているはずのケントがいないことに気づいた。そっと外に出ると、朝日を浴びながら一人、懸命に剣を振るケントの姿があった。
これまでの訓練や生活の中で、ケントが決して強いわけではない事をハーヴェイは知っていた。むしろサンダーライトのメンツで、もっとも弱いなんて事もありえる。それなのに、彼はなぜ、ああもひたむきに努力を続けられるのだろう。ハーヴェイには、その理由がわからなかった。 ただ、愚直に剣を振るうケントの横顔を、ハーヴェイはじっと見つめていた。その瞳に宿るまっすぐな男から、目が離せずにいた──。
*
森の木の葉たちが、風にゆられてざわめく。そんな中、いつもの鳴き声が空で鳴いている。
「アサァー……アサァー」
「ンゴッ!?」
ゴツゴツとした岩の上で大の字になったまま、ハーヴェイは眠りから覚めた。
いつもの天幕で迎える朝ではなく、フォーリッヒ北部の森林部で迎える初めての朝。
目に映ったのは、のんきな鳴き声を上げながら空を飛んでいくアサドリの群れ。 ごつごつした岩の感触と、ひんやりとした朝の空気が、夢でないことを告げている。
ハーヴェイがふと横に目をやると、視線の先には見慣れた姿があった。 こんな場所でもケントは、黙々と剣を振っていた。
ハーヴェイは体を起こすこともせず、寝転がったまま、その後ろ姿を、そして時折見える横顔を見ていた。
真剣な眼差しで剣を振るうその表情を見ながら、ハーヴェイの脳裏に、この数日で見たケントの様々な顔が次々と浮かんでくる。
魔獣グローウルフと対峙した時の、死線にありながらどこか楽しんでいるようにも見えた狂人を思わせる顔。
そして昨夜、後輩に欲望のままに犯され、どうしようもなく淫らな表情を浮かべていた顔。同一人物とは思えないほど、今の一生懸命な顔。
どのケントも、ハーヴェイにとっては間違いなくケント本人である。しかし、その時々で見せるまったく異なる顔に、ハーヴェイは純粋な興味を抱かずにはいられなかった。どれが本当のケントなのだろう、と。
そんな思考が頭をよぎるが、物事を深く考えるのが得意でないハーヴェイの脳は、すぐに別の好奇心へと飛びついた。まるで水面に映る月を捕まえようとする猫のように、捉えどころのない問いよりも、今、目の前にある「面白いこと」に彼の全神経は向かっていった。
ハーヴェイの視線の先では、ケントが一心不乱に剣を振っており、ハーヴェイが目を覚ましたことにはまだ気づいていない。
そして背中はこちらに向けられている。
ふと、ハーヴェイの頭にひとつの妙案が浮かんだ。もし、今ここで木の枝を投げつけたら、ケントは達人のようにビシッと払いのけるのではないだろうか。 昨日の、あの鮮烈な戦いぶりが脳裏に焼き付いている。今のケントさんなら、たやすくやってのけるに違いない。そんな期待が、ハーヴェイの心を占めていく。まるで面白いオモチャを見つけた子供のように、彼は金色の瞳を輝かせていた。
ハーヴェイはそっと体を起こし、すぐ近くに落ちていた手頃な木の枝を拾い上げた。
そして、狙いを定め──ケントの後頭部めがけて投げつけた。
コンッ
「げっ」
乾いた鈍い音が響き、木の枝はケントの後頭部に見事に命中した。
振りかぶった剣を落としそうになりながら、ケントは後頭部をさすっている。
ケントはゆっくりと後ろを振り返る。
そこには、気まずそうに「アハハ……」と力なく笑いながらこちらを見つめるハーヴェイがいた。 その姿は、イタズラが飼い主にバレて、やりすぎたことを自覚した大型犬そのものだった。
ケントの額に、ピキリと青筋が浮かぶ。
ケントは無言で地面に落ちた木の枝を拾い上げると、森の奥深くへと、力いっぱい投げつけた。まるで怒りの矛先をぶつけるかのように。
そしてその方角に強く指を差し、ハーヴェイに向かって命令をした。
「とってこい」
「なんで!?」
朝の静かな森に、ハーヴェイの間の抜けた叫び声がこだました。
*
フォリッヒ北部──二日目の朝。
昨夜と同じようにありあわせの食材を鉄鍋につっこみ、簡単な食事の準備をしている。ケントは茹で具合を確認していると、ふとハーヴェイが遠くをじっと見つめている事に気が付いた。
小さな川の向こう岸も森がずっと続いており、まるでその先に何かあるのかと思うほど、じっとただ一点だけを見ていた。
「ハーヴェイ?」
「あ、あいあい。そろそろ食えるッスかね」
ボーっとしていただけなのだろうか。ケントは深く考えず、2人はそのまま食事に入った。
川で手早く食器を洗い、出発の準備を整える。
全ての支度を終え、ケントが備品をバックパックに詰め込む最中、ハーヴェイはまた先ほどと同じ方角を同じようにじっと一点だけで見ていた。
(んんんー?)
まるで酸っぱい梅干しでも食べているかのような表情。これがギャグ漫画ならハーヴェイの目は三と書かれ、ハーヴェイの眉毛が 「ℓ」になってるかもしれない。それほど何か悩んでいる様子。
「OK。それじゃ行こう──」
ケントが振り返りながら声をかけると、それ遮るかのようにハーヴェイが口を開いた。
「ケントさん」
「ん?」
「ん!」
ハーヴェイは多くを語らず、ただ暗黙のうちに何かをうながすように両腕を大きく広げた。ハグを求めているようだが、その表情は楽しげではなく、いたって真剣そのものだ。口だけがダダをこねる子供のようにわずかにとがっている。
そんなハーヴェイの姿に、ケントはほんの少しの違和感を抱いた。
(このタイミングでハグを求めるようなヤツだったか?)
以前にもハグを求めた事はあった。ミレーユさんに支援魔法を教わる時だ。仕草はあの時とまったく同じ。しかしいつもの彼なら、もっと無邪気にじゃれついてくるはずだ。
この状況でイチャつきたいのか、と呆れつつも、ケントはどこかその要求を嬉しく感じている自分にも気づいていた。
「はぁ……」
その小さな違和感とわずかな期待感を胸に、ケントはバックパックを背負ったままハーヴェイへと歩み寄った。ハーヴェイの目前に立ち、最後の一歩でハーヴェイの体へと正面から寄りかかった。
ハーヴェイの腕が、ケントの体を強く、それでいて何かから守るように優しく包み込む。ケントの鼻は、自分よりもわずかに背の高いハーヴェイの肩にうずめられた。そこから伝わる生々しい体温が、ケントの心に安らぎを与える。
なんども行為を交わしたはずの後輩の体。頬に当たる首筋は硬く、腰に回された腕は鍛え上げられたしなやかな筋肉で満ちている。
耳元で聞こえる、おだやかなハーヴェイの呼吸音。汗と土の匂いに混じって、雄の匂いがした。これからまた戦いが始まるというのに、その前のつかの間の休息なのだろうか──ケントはそう考えていた。しかし──
森に、ざわめきのような風が小さく吹く。
ケントの耳元に向かってハーヴェイは、ぽつりと口を開いた。
「ケントさん。そのまま聞いて欲しいッス」
「ん?」
「──俺のずっと後ろに、なんかいるかもッス」
突然のハーヴェイの発言に、ケントの心臓がドクンと大きく跳ねた。
「……急に物騒だな。魔獣か?」
ケントとハーヴェイは互いに抱きしめながら、遠くを見て目を合わせる事なく、耳元で小さく会話を続けた。
「わかんないっす」
「わからない?」
助言かと思えばあやふやな返答。ケントはさらに問いを重ねる。
「魔獣じゃないかもしれない?」
「それもわかんないっす」
「いつから?」
「朝メシの時からっすかね?」
「距離は?」
「遠いような……うーん」
ハーヴェイの索敵能力は驚異的だ。それは昨日、数々の魔獣との遭遇を事前に予見していたことが証明している。そんなハーヴェイが、これほどあやふやな話し方をするだろうか?
「魔獣じゃないとすると、人間か?」
「わかんないっす。人間じゃないと思うんすけど、正直、自信ないっす。でも、なんか変なんすよ」
「変って、何がだよ?」
「んー、なんっていうか……変っていうか……見られてるカンジっていうか」
ケントは思考を巡らせた。
このハーヴェイの「違和感」をどう受け止めるべきか。
見られているということは、狙われているというのと同義だ。もしこのまま移動し、別の魔獣と戦闘になった瞬間に背後から襲われたとしたら、命取りになる。そもそも魔獣でない可能性だって高い。だとすれば何がある?
だが、これがハーヴェイの気のせいだったとしたら?際限なくこの場所で永遠に足止めをする事になる。団長たちとの小隊戦の日まであと6日しかなく、それまでには村に戻らないといけない。
「……どうすればいいと思う?」
ケントが判断材料を求めて尋ねたが、ハーヴェイの返答は依然とあやふやなままだった。
「正直、わかんないっす」
「まいったな……」
ケントは決断を迫られていた。
正体のわからない「何か」への警戒と、限られた時間。その天秤の上で、思考が揺れる。この場で動くべきか、動かざるべきか──。
傭兵団としての雑務など、まだ何も知らなかった頃──ケントと初めて出会った時の夢を。
ざわめきと活気が満ちる村酒場の食堂。無骨な傭兵たちがテーブルを囲むその中心で、団長であるルヴィの凛とした声が響いた。
「──新人のハーヴェイだ。おまえたちも知っているだろうが、先日、非合法の奴隷商人が連れていた被害者の1人だ」
傭兵たちの視線が、ルヴィの隣に立つハーヴェイへと向けられる。誰もが物珍しそうに、あるいは無関心にハーヴェイを見ている。そんな中、ルヴィは一人の見習い傭兵に声をかけた。
「ケント」
「──はい」
突然の指名にキョトンと椅子に座ったまま、ケントはルヴィの名指しに反応した。ルヴィは短く命じる。
「仕事を教えてやれ。おまえと同じ見習いからだ」
「わかりました」
そうして報告や食事などを終え、次々と席を立ち、村酒場から出ていく傭兵たち。
どうすればいいのかわからずに立ちつくすハーヴェイの元に、一人の男が近づいてきた。その男は、先ほど団長から仕事を教えるように言われたケントだった。
見習い傭兵ケント。ハーヴェイが抱いた最初の印象は、傭兵らしくない優男──というものだった。屈強な男たちが集うこのサンダーライト傭兵団において、彼の身体の芯はどこか細く、顔つきも優しげで、とても日々命を懸けて戦う傭兵には見えなかった。
「よろしく、ハーヴェイ君……だっけ? 俺はケント。同じ傭兵見習いなんだ」
差し出された手と、穏やかな声。ハーヴェイは戸惑いながら、おずおずと答える。
「あーえっと……よろしく。です?」
ケントは、ハーヴェイのぎこちない話し方に、不思議そうな顔でわずかに首をかしげた。
場面は変わり、外の井戸で二人きりで食器を洗っていた。カチャカチャと皿のぶつかる音だけが響く中、ハーヴェイはぽつりと呟いた。
「えっと……俺、山育ちだから、敬語、わからない、です?」
「あー……なるほどな」
ケントは濡れた手を止め、少し考えるそぶりを見せた。その脳裏には、かつて現実世界で所属していた部活動で、敬語に慣れないヤンチャな後輩やかつての同期たちの姿が浮かんでいた。それはもう二度と、会う事のない存在。
「……いい方法があるよ」
「いい方法……です?」
「まずは普通に話して、最後に『ッス』ってつけるんだよ」
「ッス?」
「そう。それで自己紹介してみて」
言われるがままに、ハーヴェイは口を開く。
「俺はハーヴェイ……ッス。こうッス?」
「そうそう。で、質問する時は『ッス』の後に『か』をつけるといいよ」
「質問の時はッスか?……すげぇ!話せるッス!これが敬語っすか!ケントさん頭いいっす!」
目を輝かせて尊敬の眼差しを向けてくる後輩に、ケントは苦笑いを浮かべた。
(ほんとは敬語じゃないけど……ま、当分はこれでいいか)
ケントと出会って間もないにも関わらず、ハーヴェイの世界は少しだけ広がった。
*
唐突に夢の場面は変わり、それから10日ほど後の出来事。
まだ薄暗い早朝に天幕で目を覚ましたハーヴェイは、隣で寝ているはずのケントがいないことに気づいた。そっと外に出ると、朝日を浴びながら一人、懸命に剣を振るケントの姿があった。
これまでの訓練や生活の中で、ケントが決して強いわけではない事をハーヴェイは知っていた。むしろサンダーライトのメンツで、もっとも弱いなんて事もありえる。それなのに、彼はなぜ、ああもひたむきに努力を続けられるのだろう。ハーヴェイには、その理由がわからなかった。 ただ、愚直に剣を振るうケントの横顔を、ハーヴェイはじっと見つめていた。その瞳に宿るまっすぐな男から、目が離せずにいた──。
*
森の木の葉たちが、風にゆられてざわめく。そんな中、いつもの鳴き声が空で鳴いている。
「アサァー……アサァー」
「ンゴッ!?」
ゴツゴツとした岩の上で大の字になったまま、ハーヴェイは眠りから覚めた。
いつもの天幕で迎える朝ではなく、フォーリッヒ北部の森林部で迎える初めての朝。
目に映ったのは、のんきな鳴き声を上げながら空を飛んでいくアサドリの群れ。 ごつごつした岩の感触と、ひんやりとした朝の空気が、夢でないことを告げている。
ハーヴェイがふと横に目をやると、視線の先には見慣れた姿があった。 こんな場所でもケントは、黙々と剣を振っていた。
ハーヴェイは体を起こすこともせず、寝転がったまま、その後ろ姿を、そして時折見える横顔を見ていた。
真剣な眼差しで剣を振るうその表情を見ながら、ハーヴェイの脳裏に、この数日で見たケントの様々な顔が次々と浮かんでくる。
魔獣グローウルフと対峙した時の、死線にありながらどこか楽しんでいるようにも見えた狂人を思わせる顔。
そして昨夜、後輩に欲望のままに犯され、どうしようもなく淫らな表情を浮かべていた顔。同一人物とは思えないほど、今の一生懸命な顔。
どのケントも、ハーヴェイにとっては間違いなくケント本人である。しかし、その時々で見せるまったく異なる顔に、ハーヴェイは純粋な興味を抱かずにはいられなかった。どれが本当のケントなのだろう、と。
そんな思考が頭をよぎるが、物事を深く考えるのが得意でないハーヴェイの脳は、すぐに別の好奇心へと飛びついた。まるで水面に映る月を捕まえようとする猫のように、捉えどころのない問いよりも、今、目の前にある「面白いこと」に彼の全神経は向かっていった。
ハーヴェイの視線の先では、ケントが一心不乱に剣を振っており、ハーヴェイが目を覚ましたことにはまだ気づいていない。
そして背中はこちらに向けられている。
ふと、ハーヴェイの頭にひとつの妙案が浮かんだ。もし、今ここで木の枝を投げつけたら、ケントは達人のようにビシッと払いのけるのではないだろうか。 昨日の、あの鮮烈な戦いぶりが脳裏に焼き付いている。今のケントさんなら、たやすくやってのけるに違いない。そんな期待が、ハーヴェイの心を占めていく。まるで面白いオモチャを見つけた子供のように、彼は金色の瞳を輝かせていた。
ハーヴェイはそっと体を起こし、すぐ近くに落ちていた手頃な木の枝を拾い上げた。
そして、狙いを定め──ケントの後頭部めがけて投げつけた。
コンッ
「げっ」
乾いた鈍い音が響き、木の枝はケントの後頭部に見事に命中した。
振りかぶった剣を落としそうになりながら、ケントは後頭部をさすっている。
ケントはゆっくりと後ろを振り返る。
そこには、気まずそうに「アハハ……」と力なく笑いながらこちらを見つめるハーヴェイがいた。 その姿は、イタズラが飼い主にバレて、やりすぎたことを自覚した大型犬そのものだった。
ケントの額に、ピキリと青筋が浮かぶ。
ケントは無言で地面に落ちた木の枝を拾い上げると、森の奥深くへと、力いっぱい投げつけた。まるで怒りの矛先をぶつけるかのように。
そしてその方角に強く指を差し、ハーヴェイに向かって命令をした。
「とってこい」
「なんで!?」
朝の静かな森に、ハーヴェイの間の抜けた叫び声がこだました。
*
フォリッヒ北部──二日目の朝。
昨夜と同じようにありあわせの食材を鉄鍋につっこみ、簡単な食事の準備をしている。ケントは茹で具合を確認していると、ふとハーヴェイが遠くをじっと見つめている事に気が付いた。
小さな川の向こう岸も森がずっと続いており、まるでその先に何かあるのかと思うほど、じっとただ一点だけを見ていた。
「ハーヴェイ?」
「あ、あいあい。そろそろ食えるッスかね」
ボーっとしていただけなのだろうか。ケントは深く考えず、2人はそのまま食事に入った。
川で手早く食器を洗い、出発の準備を整える。
全ての支度を終え、ケントが備品をバックパックに詰め込む最中、ハーヴェイはまた先ほどと同じ方角を同じようにじっと一点だけで見ていた。
(んんんー?)
まるで酸っぱい梅干しでも食べているかのような表情。これがギャグ漫画ならハーヴェイの目は三と書かれ、ハーヴェイの眉毛が 「ℓ」になってるかもしれない。それほど何か悩んでいる様子。
「OK。それじゃ行こう──」
ケントが振り返りながら声をかけると、それ遮るかのようにハーヴェイが口を開いた。
「ケントさん」
「ん?」
「ん!」
ハーヴェイは多くを語らず、ただ暗黙のうちに何かをうながすように両腕を大きく広げた。ハグを求めているようだが、その表情は楽しげではなく、いたって真剣そのものだ。口だけがダダをこねる子供のようにわずかにとがっている。
そんなハーヴェイの姿に、ケントはほんの少しの違和感を抱いた。
(このタイミングでハグを求めるようなヤツだったか?)
以前にもハグを求めた事はあった。ミレーユさんに支援魔法を教わる時だ。仕草はあの時とまったく同じ。しかしいつもの彼なら、もっと無邪気にじゃれついてくるはずだ。
この状況でイチャつきたいのか、と呆れつつも、ケントはどこかその要求を嬉しく感じている自分にも気づいていた。
「はぁ……」
その小さな違和感とわずかな期待感を胸に、ケントはバックパックを背負ったままハーヴェイへと歩み寄った。ハーヴェイの目前に立ち、最後の一歩でハーヴェイの体へと正面から寄りかかった。
ハーヴェイの腕が、ケントの体を強く、それでいて何かから守るように優しく包み込む。ケントの鼻は、自分よりもわずかに背の高いハーヴェイの肩にうずめられた。そこから伝わる生々しい体温が、ケントの心に安らぎを与える。
なんども行為を交わしたはずの後輩の体。頬に当たる首筋は硬く、腰に回された腕は鍛え上げられたしなやかな筋肉で満ちている。
耳元で聞こえる、おだやかなハーヴェイの呼吸音。汗と土の匂いに混じって、雄の匂いがした。これからまた戦いが始まるというのに、その前のつかの間の休息なのだろうか──ケントはそう考えていた。しかし──
森に、ざわめきのような風が小さく吹く。
ケントの耳元に向かってハーヴェイは、ぽつりと口を開いた。
「ケントさん。そのまま聞いて欲しいッス」
「ん?」
「──俺のずっと後ろに、なんかいるかもッス」
突然のハーヴェイの発言に、ケントの心臓がドクンと大きく跳ねた。
「……急に物騒だな。魔獣か?」
ケントとハーヴェイは互いに抱きしめながら、遠くを見て目を合わせる事なく、耳元で小さく会話を続けた。
「わかんないっす」
「わからない?」
助言かと思えばあやふやな返答。ケントはさらに問いを重ねる。
「魔獣じゃないかもしれない?」
「それもわかんないっす」
「いつから?」
「朝メシの時からっすかね?」
「距離は?」
「遠いような……うーん」
ハーヴェイの索敵能力は驚異的だ。それは昨日、数々の魔獣との遭遇を事前に予見していたことが証明している。そんなハーヴェイが、これほどあやふやな話し方をするだろうか?
「魔獣じゃないとすると、人間か?」
「わかんないっす。人間じゃないと思うんすけど、正直、自信ないっす。でも、なんか変なんすよ」
「変って、何がだよ?」
「んー、なんっていうか……変っていうか……見られてるカンジっていうか」
ケントは思考を巡らせた。
このハーヴェイの「違和感」をどう受け止めるべきか。
見られているということは、狙われているというのと同義だ。もしこのまま移動し、別の魔獣と戦闘になった瞬間に背後から襲われたとしたら、命取りになる。そもそも魔獣でない可能性だって高い。だとすれば何がある?
だが、これがハーヴェイの気のせいだったとしたら?際限なくこの場所で永遠に足止めをする事になる。団長たちとの小隊戦の日まであと6日しかなく、それまでには村に戻らないといけない。
「……どうすればいいと思う?」
ケントが判断材料を求めて尋ねたが、ハーヴェイの返答は依然とあやふやなままだった。
「正直、わかんないっす」
「まいったな……」
ケントは決断を迫られていた。
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