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第一章 家出娘と獣
二話
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町に帰ってきた時には案の定、陽は傾いて、東の空は真っ赤に燃えていた。リゼは木偶の坊になって、僕が肩に担いで歩かせている状態だった。
「ほら、着いたぞ」
木造平屋建ての小さな借家。南向きの壁には一面にツタが張っていて、見るからに古風な家だ。風が吹くとガタガタとけたたましく窓が揺れて、嵐の夜はまともに寝付くこともできない。唯一の自慢は、周囲に建物が少なく風通しも日当たりも極めて良好ということだ。逆を言うとそれ以外に、良い部分など全くない。築年数も相当で、色々とガタがきている。玄関は最たる例で家が傾いているためか枠に当たって扉はうまく閉じてくれない。それを見てリゼが言う。
「良いお家ね」
帰りの道のりで僕らは他愛もない会話をしていたのだが、その中で分かったことがいくつかある。一つは、彼女が赤ん坊をも凌ぐ正直者ということだ。嘘を言わないどころか、思ってもいないことは、まず口にしない。大抵、こんなボロ屋を見て「良いお家」などというのはお世辞が皮肉っているかのどちらかだが、リゼは恐らく本心で言っている。
加えて、「良いお家」発言が本心であろうという根拠がもう一つある。それが、分かったことの二つ目――リゼが宝石をも凌ぐ箱入り娘ということである。
非常識という次元を超えて、もはや世俗の類すらことごとく通用しない。最たる例として、リゼは貨幣について殆ど知らなかった。存在や意義は知っていても、用法や相場については全く知らない。そんな娘が「気を遣う」という礼儀作法を身につけているはずがない。
他人の教育にとやかく言う権利はないが、リゼの親は娘を過保護にし過ぎているようだ。自分がそうだったらと思うとゾッとする。きっと今頃は血眼になってリゼを探しているだろう。
居間の椅子にリゼを座らせると、台所へ移動してコップに水を注ぐ。それをリゼに手渡して、自分は水分代わりに隣人に貰った桃を噛じった。
「なんだか落ち着くわ。こういう部屋も悪くないわね」
家中を見渡してリゼが言った。部屋には杉のテーブルと椅子が一つづつに小さな棚とその上に唯一の装飾品である花瓶があって、それ以外この部屋には何も無い。先ほどと同様に、彼女の言った言葉の意味がまるで分からなかった。無論、リゼのことだから本気なのだろうが、常人には決して理解できない観点を持っているようだ。
「本当に君は何者なんだ?」
訊くつもりはなかったが、気付いた時には言葉にしていた。この質問はこれで三回目になる。以前に尋ねた時はどちらもはぐらかされてしまった。今回も答えづらそうにしている。
「いや、悪い。聞かなかったことにしてくれ」
「いいの。家に泊めてもらうのに、話さないなんて非常識よね」
「非常識なんて言葉が君から出るとなんだか違和感があるな」
リゼは不満そうに眉を寄せる。自分でも直そうと思っているのだが、つい他人を冷やかすことを言ってしまう。僕の悪い癖だ。しかし、リゼはそのことに腹を立てたわけではなかった。
「その『君』って呼び方なんか嫌。私は貴方の言う通り、貴方のことをジルと呼んでいるんだから、私のことをリゼと呼ぶのが対等な関係でしょ?」
おかしな理屈だと思ったが、反対する必要もない。
「分かった。リゼ、これからはそう呼ぶよ」
「じゃあ、呼んでみて」
「はあ?なんでそんなこと」
「いいから」
「……」
「なんで黙るのよ。私、機嫌を損ねることでも言った?」
「……リゼ。これでいいか」
「ええ。思っていたよりいいものね」
リゼは嬉しそうに笑う。名前を呼ばれるだけで嬉しがる奴を初めて見た。
「それより、今から少し出てくるから、帰るまで静かにしていてくれいか?」
驚きの声が上る。
「今着いたばかりじゃない!」
「元々予定が入ってたんだ。君に構って約束を破る訳にはいかないだろ」
「それはそうだけど。・・・・・・わかったわ。静かにしてる」
不服そうではあったが、彼女のことだ、静かに待っているだろう。
「悪いな」
僕は、桃をもうひと齧りして家を出た。
まったく理由は分からないが、僕はこの時、少しだけ浮かれていた。
「ほら、着いたぞ」
木造平屋建ての小さな借家。南向きの壁には一面にツタが張っていて、見るからに古風な家だ。風が吹くとガタガタとけたたましく窓が揺れて、嵐の夜はまともに寝付くこともできない。唯一の自慢は、周囲に建物が少なく風通しも日当たりも極めて良好ということだ。逆を言うとそれ以外に、良い部分など全くない。築年数も相当で、色々とガタがきている。玄関は最たる例で家が傾いているためか枠に当たって扉はうまく閉じてくれない。それを見てリゼが言う。
「良いお家ね」
帰りの道のりで僕らは他愛もない会話をしていたのだが、その中で分かったことがいくつかある。一つは、彼女が赤ん坊をも凌ぐ正直者ということだ。嘘を言わないどころか、思ってもいないことは、まず口にしない。大抵、こんなボロ屋を見て「良いお家」などというのはお世辞が皮肉っているかのどちらかだが、リゼは恐らく本心で言っている。
加えて、「良いお家」発言が本心であろうという根拠がもう一つある。それが、分かったことの二つ目――リゼが宝石をも凌ぐ箱入り娘ということである。
非常識という次元を超えて、もはや世俗の類すらことごとく通用しない。最たる例として、リゼは貨幣について殆ど知らなかった。存在や意義は知っていても、用法や相場については全く知らない。そんな娘が「気を遣う」という礼儀作法を身につけているはずがない。
他人の教育にとやかく言う権利はないが、リゼの親は娘を過保護にし過ぎているようだ。自分がそうだったらと思うとゾッとする。きっと今頃は血眼になってリゼを探しているだろう。
居間の椅子にリゼを座らせると、台所へ移動してコップに水を注ぐ。それをリゼに手渡して、自分は水分代わりに隣人に貰った桃を噛じった。
「なんだか落ち着くわ。こういう部屋も悪くないわね」
家中を見渡してリゼが言った。部屋には杉のテーブルと椅子が一つづつに小さな棚とその上に唯一の装飾品である花瓶があって、それ以外この部屋には何も無い。先ほどと同様に、彼女の言った言葉の意味がまるで分からなかった。無論、リゼのことだから本気なのだろうが、常人には決して理解できない観点を持っているようだ。
「本当に君は何者なんだ?」
訊くつもりはなかったが、気付いた時には言葉にしていた。この質問はこれで三回目になる。以前に尋ねた時はどちらもはぐらかされてしまった。今回も答えづらそうにしている。
「いや、悪い。聞かなかったことにしてくれ」
「いいの。家に泊めてもらうのに、話さないなんて非常識よね」
「非常識なんて言葉が君から出るとなんだか違和感があるな」
リゼは不満そうに眉を寄せる。自分でも直そうと思っているのだが、つい他人を冷やかすことを言ってしまう。僕の悪い癖だ。しかし、リゼはそのことに腹を立てたわけではなかった。
「その『君』って呼び方なんか嫌。私は貴方の言う通り、貴方のことをジルと呼んでいるんだから、私のことをリゼと呼ぶのが対等な関係でしょ?」
おかしな理屈だと思ったが、反対する必要もない。
「分かった。リゼ、これからはそう呼ぶよ」
「じゃあ、呼んでみて」
「はあ?なんでそんなこと」
「いいから」
「……」
「なんで黙るのよ。私、機嫌を損ねることでも言った?」
「……リゼ。これでいいか」
「ええ。思っていたよりいいものね」
リゼは嬉しそうに笑う。名前を呼ばれるだけで嬉しがる奴を初めて見た。
「それより、今から少し出てくるから、帰るまで静かにしていてくれいか?」
驚きの声が上る。
「今着いたばかりじゃない!」
「元々予定が入ってたんだ。君に構って約束を破る訳にはいかないだろ」
「それはそうだけど。・・・・・・わかったわ。静かにしてる」
不服そうではあったが、彼女のことだ、静かに待っているだろう。
「悪いな」
僕は、桃をもうひと齧りして家を出た。
まったく理由は分からないが、僕はこの時、少しだけ浮かれていた。
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