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やはり神経が存在しない

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「──あの、それはどういう……?」

 とんでもないことを聞いてしまったような気がするが、それが意味することがいまいちわからなかった。
 アランは訝しげに眉根を寄せたルイーゼに構わず、立ち上がると「待っていろ」と残して屋敷の方へ戻っていく。一人置いて行かれたルイーゼはポカンと放心した。

 ──ラード家って必要か?

 何を言っているんだと鼻で笑ってしまう言葉だが、それを口にしたアランの瞳があまりにも酷薄なものに見えて笑えなかった。
 ここにきて……今までなんとなく感じていたにすぎなかった違和感が、急速に形を成していく感覚に震えた。

 そもそも出会ったあの日、普段たいして親しくもない公爵が、こんなうだつの上がらない伯爵家になんの用だったのだろうか。
 なんだかとても嫌な予感がした。
 と言いつつ、アランと出会ってから嫌な予感しかしていないのだが。

 しばしの間ぼうっとしてしまったルイーゼだが、我に帰るなり立ち上がった。屋敷の玄関ホールまで戻ると、先ほどアランに報告書の束を差し出した従僕青年とすれ違う。彼はルイーゼに気付くなり、恭しく礼をしてから急ぎ足で出ていった。
 なんだろうと首を傾げていると、

「ルイゼリナっ!」
「お姉様っ!」

 耳を突き破ってなおかつ脳天から抜けていきそうなほどの金切り声に顔をしかめる。
 見れば、顔を怒りで真っ赤にした継母とミシェリアがドスドスとした足音を立てながらこちらに向かってきていた。思わず「げぇっ」と呟いてしまったのも仕方がないだろう。

「お前っ、可愛い妹が暴言を吐かれたというのに、庇いもしないとはどういうことなの!? 可哀相に、繊細なミシェリアは泣いてしまったのよ!」
「いくらわたしが平民出身の後妻の娘だからって、公爵様と一緒になって笑うなんてひどいわっ」
「公爵に気に入られたからって調子に乗って!」

(待って待って待って、なにがどうしてそうなったの!?)

 都合よく話を歪曲どころか、なんの話!? とまで変貌を遂げている二人の主張についつい遠い目をしてしまう。
 合っているのはミシェリアが暴言を吐かれたところだけではないだろうか。それに調子に乗るどころかルイゼリナは全力でミシェリアを応援していたし、さっきもアランに異母妹良いよとよいしょしてあげたというのに。

 ギャンギャン喚く二人から視線を上に向けると、今度は階段を下りてくるアランの姿が目に入った。その後ろには父の姿もある。

「ああ、ルイーゼ。ちょうど良かった」

 大きくはないのにやけに通る美声は、喧しい母娘を黙らせるには十分な迫力を持っていた。ギクリとしたように口を噤む二人には目もくれず、アランはルイゼリナの前まで来ると、ようやく継母と異母妹に気が付いたようにチラリと視線を向けた。そして不快そうに眉根を寄せる。

「なんだ雌犬と……おいこっちは娼婦か?」
「娼──っ!?」

 なんともド直球な言い様にルイゼリナは目を剥いたし、当の本人たちはカッと顔を真っ赤に茹で上げた。娼婦と言われた継母は、怒鳴りつけそうになったのを必死に堪えたらしく、強く唇を噛んだ口元が歪んでいる。その辺の理性はあったらしい。

 とはいえ、とにかくわかりやすくギラギラと飾り付け、少しばかりはしたないドレスを好む継母は、確かに娼婦と言われても仕方がないような気もした。だがそれをズバリ口に出すのはさすがに神経を疑う。──が、そうだこの男は無神経どころか神経が存在しないのだ。とルイゼリナは思い出した。
 ジトリとねめつけるような視線を向けても、アランはけろりとしていた。

「なんだルイーゼ、気にするな。どうせもう会うことのない奴らだ」
「……? それって──」
「ナっ、ナイトレイ公爵閣下!」

 なにやら不穏な言葉が聞こえた気がするが、問い返す言葉は後ろからやはり顔を真っ赤にして駆け寄ってきた父親の声で阻まれた。

「わ、私の妻がなにか──っ!?」

 娼婦呼ばわりされたのは聞こえたようだが、それを抗議する気概はないらしい。なんとも尻すぼみな言葉にこの父親らしさが垣間見える。長い物には巻かれる主義なのだ。

「ああ、悪い。二度と会うことがないと思うとついつい本音が出た」
「…………はい?」

 父親が呆けた瞬間だった。
 パチン。とアランが指を鳴らす。

 ──同時に、数多の兵が一気に屋敷へ押し入ってきた。

「なっ、なんだ!?」
「なに!?」
「きゃああっ!!」

 叫ぶ父親と継母、異母妹があっという間に上から押さえつけるような形で拘束されてしまった。
 あまりにもあっという間のことで当人たちどころかルイゼリナさえも目を白黒させる中、アランが至極どうでも良さそうな顔をして彼らの前に立つ。

「あー……っと、ラード伯爵。違法賭博と虚偽申請の罪で連行だ。その金を散々使ってた家族も一緒にな。あとはまぁ、向こうで話せ」

 明らかに面倒くさそうに広げた紙を、これまた適当に読み上げた。
 ポカンとしていた家族だったが、我に返った三人の顔がみるみる火を噴きそうなほど赤くなった。

「なっ、なっ、なにを──っ!」
「私はなにも知りませんわ! 一体なんのこと!?」

 喚き出した両親を尻目に、ミシェリアはキッとルイゼリナを睨みつけた。可愛らしい顔を憎々し気に歪めて、新緑の瞳には燃えるような怒りを滾らせている。

「お姉様は!? どうしてわたしたちだけっ!」

 確かに。と思いアランを見上げた。『家族も一緒に』と言っていたのだから、ルイゼリナも連行されて当然なのだろうが、なぜか兵たちはアランと並ぶルイゼリナを避けて動いている。どうやら彼らはナイトレイ公爵家の私兵らしい。
 疑問を込めて見れば、グイッと腰を抱き寄せられた。

「なにを言う。そもそもルイーゼはその金を使っていないし、それに──こいつはすでに俺の妻だぞ」
「……え?」
「……へ?」
「ラード伯爵令嬢ではなく、ここにいるのはナイトレイ公爵夫人だ」

(何それ聞いてない)

 ミシェリアに続いて、当事者であるルイゼリナまでも間抜けな声を出してしまった。同じく呆気に取られたミシェリアの横で、ハッとしたように父親が息を呑む。

「だから、だからか……っ!」
「安心しろ、支度金はそのままお前たちにくれてやる。これから大変だろうからなぁ……多少の足しにでもしてくれ」
「く……っ!」

 ニヤァと、まるで相手の反応を楽しむように冷酷な笑みを浮かべたアランは、床に這いつくばる三人を見下ろし鼻で嗤ってから、満足したように「連れていけ」と兵に手で示した。 
 ルイゼリナが喚きながら連行されて行く三人を見送っていると──

「さあルイーゼ、俺たちの家に帰ろう。今夜は初夜だぞ、楽しみだなぁ!」
「ちょっと黙っていてくれません?」

 よくはわからないがこれが自分の夫ならば遠慮はいらないだろうと、ゲスなことを叫び腰から背中を撫で回すように這うアランの手を叩き落とした。
 ニマニマとご満悦そうな腹立たしい顔で、叩かれた手を撫でる男はひとまず見ないことにした。
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