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第一章
2話 決意
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杉木立に囲まれた『大龍神社』。
その末っ子として生まれた天沢美波は、夢に出てきた御祭神、大龍に見初められて、二十歳のときにひとりの子どもを身ごもった。
当時は思いあたる男性関係もなく、唯一の肉親である美波の兄はひじょうに戸惑ったというが、ふたたび美波の夢に『大龍』があらわれて、龍と契ったという証に使いを寄越すといった。
それが、これまで神社裏の聖域内にある社殿にて、祭神『大龍』とともに暮らしていたという、この四匹の動物たちである。
ウサギの白月丸。
オオカミの銀月丸。
タヌキの朱月丸。
サルの庚月丸。
十月十日を経た十五年前の一月十三日、美波は大龍にいざなわれ、山中異界の石祠の先、湖を渡ったところにある『龍宮』という場所で子どもを生んだ。
玉のような赤子に『水緒』と名付け、この子をりっぱな龍神とすべく龍宮に残そうとしたが、美波がそれをゆるさなかった。
「半分は人間の血が混じっているのに、人の世界も知らずに生きるなんて可哀そうよ」
と。
大龍はしかたなく、
「古の人の世に倣って十五を成人とし、義務教育がおわるまでは人として生活させる」
という約束のもと、赤子を美波とともに人の世へ返した。
かくいう大龍もまた、龍宮に戻ることをやめて、これまでどおり四眷属とともに社殿へと身を置くことに。
そして美波と水緒は、美波の実家『大龍神社』の一角で細々と暮らしていたわけで──。
「いまさら龍になるなんて、言われても無理」
青い顔で水緒はいう。
「そういわれましても」しかし庚月丸は眉を下げて、両手を水緒の膝に置いた。「これが宿命というものですゆえ」
「やだァ、せっかく康平さんと仲良くなってきたのに……あんなにょろにょろからだが伸びて、ひげも生えるんだよ。やだやだっ!」
と己の身体を抱く娘に、美波はツンとして「ほうらね」と御簾の奥をにらみつける。
とたん、御簾の奥から不穏なオーラがただよってきた。
(コウヘイさん?)
と、口内でつぶやいた声がウサギの耳に届く。
白月丸と朱月丸はあわてて御簾の前に躍りでた。毛に埋もれてわかりづらいが、ずいぶんと必死な顔をしている。
「御前さま、そうも言うてられんのが現状なのです。水緒さまの力もお身体も、ご意志と関係なく成長してしまわれる」
「けれど、龍の力というのはそれは強いものですゆえ、成長する力に見合うほどの徳を積まねば、水緒さまは力に呑まれて野良龍となってしまいかねません」
そのことばを聞いて、庚月丸は「おお」と身ぶるいする。
けれどそんなこと言われても水緒にピンとくるわけもない。
「……そうなると、なにがダメなの?」
「まったくうちの龍女さまはこれだもの──」
と朱月丸がうなだれる。
代わりに答えたのは銀月丸だった。
「野良龍とは憎悪や怒りといった悪感情に支配され、使命をわすれた龍のことをいいます。──」
銀月丸はいっしゅん口を閉じて、またひらいた。
「大龍さま含め多くの龍たちは、神々のご眷属として真理の御心、使命をおもちです。もちろんそこに至るまでにはたいそうな修行が必要ですが。けれど野良龍は人を憎み、使命を忘れてしまったゆえに神々の眷属から外されてしまう。つまり、崇高な龍でありながら低俗な存在となってしまうのです」
つまり、と白月丸がぴょんこと水緒の膝に跳び乗った。
「大龍さまの血を引く水緒さまが野良龍になった場合に、どう都合がわるいかと申しますと……水緒さまの心の瘴気が充満すれば、この世から愛情が消えてなくなり、たちまち人々が争いをはじめてしまう。楽しかった日々もすべて空の彼方へ消え去ってしまう──ということです」
「…………」
水緒は唇を真一文字に結んでいる。
心の瘴気? 争い?
説明を受けてもなお、いまいち実感の湧かない水緒であったが、座敷には重苦しい沈黙がただよっている。が、美波は「やだぁ」と楽観的にわらった。
「ならなきゃいいじゃない!」
と。
しかしそれが──と四匹は顔を見合わせ、言いにくそうに口を開いた。
「水緒さまは見るかぎり、大龍さまの娘御でありながら幼龍以下の力しか持っておらんのです。これじゃあとてもとても」と、銀。
「これでりっぱな龍になろうなど、図々しいにもほどがありますぞ」これは、白。
「野良龍化待ったなし!」朱もいう。
「つまり端的にいってしまえば、落ちこぼれですな」
そして庚がトドメをさした。
「…………」
そこまで言われると、さすがの美波も口ごもる。そしてあわれみの目を娘に向けた。
「……やぁね、だれに似たのかしら」
「……────」
好き勝手なこと言っちゃって。
肩をふるわせ、水緒はドンッと膝を立てる。
「わぁったわよ。あたしが、ここで! りっぱに徳を積んで、積んで積みまくって、龍の力に負けないくらいの人間になればいいんでしょ! やったるわよッ」
高校はぜったい行くから。
と、水緒は御簾の奥を食いつかんばかりに睨みつける。
奥にゆらめく父の影が、わずかにわらった。
「──水緒が野良龍にならぬよう、修行できるならばどこでもかまわん。いまさらこの大龍が口を挟めることでもない、好きにおし」
「ホント? そうでしょ、ねーっ」
「水緒さまほんまにわかってるんかなぁ……」
朱月丸が瞳を歪めて庚月丸に耳打ちをする。
唯一人に近い姿をもつサルゆえに、リアクションも生々しい。彼はひょこっと肩をすくめて首をふった。
修行については、と大龍が口をひらく。
「水緒の受験が終わったころにでも四眷属から話を聞くといい。……それより先ほどのコウヘイ──」
「はい、お話おわり! ケーキ食べよ。ほらアナタもそんなとこにひきこもってないで出ていらっしゃい」
と。
無遠慮に御簾をたくしあげて大龍をひきずりだしながら、美波は横に退けていたホールケーキを片手ににっこりとわらう。水緒はハイッ、と手をあげた。
「あたしが切る!」
「わーい」
「わーい」
オオカミ以外の動物三匹は円を囲むようにちょこんと座り、水緒が切り分けるケーキの配分を待つ。
甘いものが苦手な銀月丸は、ひとり(一匹)水緒のそばに腰を下ろした。
「水緒さま」
「わかってるよ銀月丸。おまえはケーキいらんのでしょ」
「それがしには上のイチゴだけ盛ってくだされ」
「…………はいはい」
受験日は、およそひと月後に差し迫っている。
その末っ子として生まれた天沢美波は、夢に出てきた御祭神、大龍に見初められて、二十歳のときにひとりの子どもを身ごもった。
当時は思いあたる男性関係もなく、唯一の肉親である美波の兄はひじょうに戸惑ったというが、ふたたび美波の夢に『大龍』があらわれて、龍と契ったという証に使いを寄越すといった。
それが、これまで神社裏の聖域内にある社殿にて、祭神『大龍』とともに暮らしていたという、この四匹の動物たちである。
ウサギの白月丸。
オオカミの銀月丸。
タヌキの朱月丸。
サルの庚月丸。
十月十日を経た十五年前の一月十三日、美波は大龍にいざなわれ、山中異界の石祠の先、湖を渡ったところにある『龍宮』という場所で子どもを生んだ。
玉のような赤子に『水緒』と名付け、この子をりっぱな龍神とすべく龍宮に残そうとしたが、美波がそれをゆるさなかった。
「半分は人間の血が混じっているのに、人の世界も知らずに生きるなんて可哀そうよ」
と。
大龍はしかたなく、
「古の人の世に倣って十五を成人とし、義務教育がおわるまでは人として生活させる」
という約束のもと、赤子を美波とともに人の世へ返した。
かくいう大龍もまた、龍宮に戻ることをやめて、これまでどおり四眷属とともに社殿へと身を置くことに。
そして美波と水緒は、美波の実家『大龍神社』の一角で細々と暮らしていたわけで──。
「いまさら龍になるなんて、言われても無理」
青い顔で水緒はいう。
「そういわれましても」しかし庚月丸は眉を下げて、両手を水緒の膝に置いた。「これが宿命というものですゆえ」
「やだァ、せっかく康平さんと仲良くなってきたのに……あんなにょろにょろからだが伸びて、ひげも生えるんだよ。やだやだっ!」
と己の身体を抱く娘に、美波はツンとして「ほうらね」と御簾の奥をにらみつける。
とたん、御簾の奥から不穏なオーラがただよってきた。
(コウヘイさん?)
と、口内でつぶやいた声がウサギの耳に届く。
白月丸と朱月丸はあわてて御簾の前に躍りでた。毛に埋もれてわかりづらいが、ずいぶんと必死な顔をしている。
「御前さま、そうも言うてられんのが現状なのです。水緒さまの力もお身体も、ご意志と関係なく成長してしまわれる」
「けれど、龍の力というのはそれは強いものですゆえ、成長する力に見合うほどの徳を積まねば、水緒さまは力に呑まれて野良龍となってしまいかねません」
そのことばを聞いて、庚月丸は「おお」と身ぶるいする。
けれどそんなこと言われても水緒にピンとくるわけもない。
「……そうなると、なにがダメなの?」
「まったくうちの龍女さまはこれだもの──」
と朱月丸がうなだれる。
代わりに答えたのは銀月丸だった。
「野良龍とは憎悪や怒りといった悪感情に支配され、使命をわすれた龍のことをいいます。──」
銀月丸はいっしゅん口を閉じて、またひらいた。
「大龍さま含め多くの龍たちは、神々のご眷属として真理の御心、使命をおもちです。もちろんそこに至るまでにはたいそうな修行が必要ですが。けれど野良龍は人を憎み、使命を忘れてしまったゆえに神々の眷属から外されてしまう。つまり、崇高な龍でありながら低俗な存在となってしまうのです」
つまり、と白月丸がぴょんこと水緒の膝に跳び乗った。
「大龍さまの血を引く水緒さまが野良龍になった場合に、どう都合がわるいかと申しますと……水緒さまの心の瘴気が充満すれば、この世から愛情が消えてなくなり、たちまち人々が争いをはじめてしまう。楽しかった日々もすべて空の彼方へ消え去ってしまう──ということです」
「…………」
水緒は唇を真一文字に結んでいる。
心の瘴気? 争い?
説明を受けてもなお、いまいち実感の湧かない水緒であったが、座敷には重苦しい沈黙がただよっている。が、美波は「やだぁ」と楽観的にわらった。
「ならなきゃいいじゃない!」
と。
しかしそれが──と四匹は顔を見合わせ、言いにくそうに口を開いた。
「水緒さまは見るかぎり、大龍さまの娘御でありながら幼龍以下の力しか持っておらんのです。これじゃあとてもとても」と、銀。
「これでりっぱな龍になろうなど、図々しいにもほどがありますぞ」これは、白。
「野良龍化待ったなし!」朱もいう。
「つまり端的にいってしまえば、落ちこぼれですな」
そして庚がトドメをさした。
「…………」
そこまで言われると、さすがの美波も口ごもる。そしてあわれみの目を娘に向けた。
「……やぁね、だれに似たのかしら」
「……────」
好き勝手なこと言っちゃって。
肩をふるわせ、水緒はドンッと膝を立てる。
「わぁったわよ。あたしが、ここで! りっぱに徳を積んで、積んで積みまくって、龍の力に負けないくらいの人間になればいいんでしょ! やったるわよッ」
高校はぜったい行くから。
と、水緒は御簾の奥を食いつかんばかりに睨みつける。
奥にゆらめく父の影が、わずかにわらった。
「──水緒が野良龍にならぬよう、修行できるならばどこでもかまわん。いまさらこの大龍が口を挟めることでもない、好きにおし」
「ホント? そうでしょ、ねーっ」
「水緒さまほんまにわかってるんかなぁ……」
朱月丸が瞳を歪めて庚月丸に耳打ちをする。
唯一人に近い姿をもつサルゆえに、リアクションも生々しい。彼はひょこっと肩をすくめて首をふった。
修行については、と大龍が口をひらく。
「水緒の受験が終わったころにでも四眷属から話を聞くといい。……それより先ほどのコウヘイ──」
「はい、お話おわり! ケーキ食べよ。ほらアナタもそんなとこにひきこもってないで出ていらっしゃい」
と。
無遠慮に御簾をたくしあげて大龍をひきずりだしながら、美波は横に退けていたホールケーキを片手ににっこりとわらう。水緒はハイッ、と手をあげた。
「あたしが切る!」
「わーい」
「わーい」
オオカミ以外の動物三匹は円を囲むようにちょこんと座り、水緒が切り分けるケーキの配分を待つ。
甘いものが苦手な銀月丸は、ひとり(一匹)水緒のそばに腰を下ろした。
「水緒さま」
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