落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

文字の大きさ
130 / 132
終章

129話 庚月丸の話

しおりを挟む
 ────じゃ。
 ──月丸が。
「銀月丸が、起きたぞう」

 頭がぼんやりする。
 ひきつって開かない左目に違和感を覚えながら、オオカミは横たえた身をゆっくりと起こした。
 が、ふたたび布団へ押し戻される。
 包帯だらけの人型白月丸が、そばで手拭いを濡らしていた。
「まだ安静にしとかんと。お前あれから一週間も目覚めんで──生死の境を彷徨うとったんじゃからの」
「……しろ」
「はよう弟分を呼んでこな。あいつら泣いてよろこぶぞ、大人しゅう待っとれよ」
「…………」
 白月丸はからだを引きずって部屋を出た。
 大黒柱に傷の痕。丸窓のある部屋──ここは社殿の奥の部屋らしい。
(いっしゅうかん。……)
 そんなに眠っていたとは知らなかった。銀月丸は固まったからだをほぐすため、ふたたびゆっくりと立ち上がった。
 視界が狭くて、均衡がとりづらい。
「目が」
 つぶやいた。
 と、まもなく廊下をドタドタ走る音がして、ふたつの影が部屋に飛び込んできた。
 サルとタヌキだ。
「銀月丸ッ。ホンマに起きた!」
「うわぁああんよかった、あんまり目覚めんからもう死んどるもんじゃとばっかし……」
「こりゃこりゃ、銀は病みあがりぞ。あんましじゃれつくな」
 白月丸が怒っている。それなのに、どうにも。
 ──社殿がひどく静かだ。
「おい兄弟」銀月丸が右前足をタヌキの頭に乗せる。
「大戦はどうなった。あれから、なにがあったんじゃ。大龍さまがおらぬようじゃが……いま皆々様は」
「落ち着いて。いま大龍さまは、水守さまとともに龍宮に行っとるんよー。だーいぶボロボロになってしもうたしの、話もあるというてたし」
「それがしが不甲斐ないばかりに──ホンマにすまんの、銀月丸」
 と、悔し涙をこらえる庚月丸。
 サルの頭を撫でながら、人型白月丸はおぼんを片手に「まあほら」そばへ座った。
「とりあえず粥を食いながら、気楽に聞きんしゃい」
 大儀そうに視線を庚月丸に向ける。
 それがしかよ、とサルはイヤな顔をした。
 
 ────。
 庚月丸から聞いた話である。
 龍宮から神社への帰路は、とかく兄妹や使役龍がクタクタだったので、龍に変化したターシャが水守を、麒麟が水緒を運んでやったそうだ。
 阿吽龍と天羽、杠葉も宝珠にもどって、大龍はひとり行きと同じく飛んで帰ってきた。

 神社で出迎えたときには、水緒はすでに眠りこけ、水守もターシャに支えられてようやく歩ける状態であったという。
 天津国の神器に腹をえぐられ、躯に大きな穴が空けば当然だ。龍の力を宿したところで、所詮は人のからだなのである。それでも彼は気丈であった。
「ターシャ」懐から見えぬ何かを取り出す。「これを」
 それがなにか、ターシャにはすぐにわかったようだ。すこし寂しげに微笑んで「わかった」とうなずいた。
「狛龍でいいのかい」
「……ああ」
「ようし。そうしたらこっちもどうにかしないと──ここの宮司はどこだい」
 と、ターシャが庚月丸を見た。
 ここは神域。宮司である慎吾はここへ入ってくることをゆるされてはいない。そう伝えると、彼女は麒麟の背で眠る水緒を抱えあげて「案内してくれ」といった。
 石灯籠の階段を降りる。
 庚月丸が先導しているため、ターシャのようすはうかがい知れない。しかし彼女はどこかご機嫌に鼻歌をつむぐ。
「庚月丸。狛龍も下にあるのかい」
「ハイ、参拝客の皆さまをお出迎えするお役目ですゆえ。いまじゃすっかり神社の顔ですわい」
「そうか。……いいねえ、この神社。こんな空気ならきっと玉嵐も、よい使役龍に生まれてくることだろうさ」
「──水守さまはなぜ、玉嵐めを助けたのでしょうか。かつて愛した姉弟も、白月丸も、おのれでさえひどい目に遭わせたというに」
「それが玉嵐にいちばん必要なことだったからさ。昔の水守なら、当然こんなことはしなかっただろうけれど。でも、いまの彼は『赦す』ということを覚えたんだよ」
「…………」
 まもなく、注連縄を越える。
 すると注連縄の先、石段の一段目に慎吾と美波が座っていた。ずっと帰りを待っていたのだろう、ふたりともそわそわと落ち着かなげにからだを揺らしている。
「御前さま、兄御前さま」
「んっ!」
 立ち上がる。ふたりはくるりとこちらを向いて、庚月丸とターシャ、そしてその腕に抱かれた水緒へと視線を移していった。
 水緒、と美波は娘の頬に手を添えて、慎吾は安心したのかその場にしゃがみこんだ。
「か、帰ってきた──」
「おかげさまで、みな無事に戻ってまいりました。水緒さまもいまは眠っておられますが──それはそれは大活躍であったそうですよ」
「そうか。……そうか」
 無事でよかった、と慎吾はふたたび立ち上がり、おなじく水緒の頬に手を添えてうつむいた。
 美波は身をかがめてサルすがたの庚月丸を抱きすくめる。サルはじわりと涙を浮かべて、ちいさな手をきゅっと背中に回した。
「ええと、それでそちらは」
「アタシはターシャ。龍宮に住んでいた龍だよ。此度はいろいろとめいわくをかけちまったようで、申し訳なかった」
「いえ、とんでもない。……その、美波はともかく、私は水緒と水守くん以外の龍を見るのは初めてなもので。とはいっても、その。ふつうの人間みたいですなあ」
「人の世を導く以上、まぎれる術をもっておかないといろいろ厄介なんでね。そっちの奥方さまは──水緒の出産でお見かけして以来だったわね。お元気そうでなにより」
「やだ、もしかして龍宮にいた? あのとき陣痛スゴくてなにがなんだか」
「いいよそんなこと。それよりも、あんたがここの宮司かい」
 と、ターシャは水緒を慎吾に渡す。
「はい」
「頼みがあるの」水緒の手に手を添えた。
 なにかをつかむようにぎゅっと握られた拳のなかから、花びらが一片こぼれる。
「花……」
「かつてダキニだったものよ。彼女は信仰を失くして、その身を散らした。残骸を持ってきてやったんだ」
 といったターシャは、ダキニと大龍の最後の経緯を簡単にまとめて話してくれた。先に帰ってきた庚月丸も知らない話だったので、夢中で聞いた。
「白輪王って、えらい神様がいてね。その方がこれを神社に持って帰れって水緒に託したんだよ。なにをしろってわけじゃないけど、……」
「信仰を失くしたって、どういうことです。ダキニ信仰は仏教の方ではいまも祀られているはずですよ」
「天津国が決めたのよ。草々からの信仰が続こうが、ダキニの神格は消す。ダキニは天津国からは追放、神の世にてダキニという存在はないものになったということ」
 ひどい話、と美波がつぶやいた。
 娘の手から花びらを一枚、一枚おのれの手中におさめてゆく。
 見ちゃいられなかった、とターシャがつづけた。
「互いに、互いの気持ちもなんもかも、分かっていたのに──互いに譲れなかった結果がこうだったんだもの」
「…………」
 なにも言えずにうつむく庚月丸。しかし、美波はちいさくわらった。
「男と女なんてそんなもんよ。この世の正しいことがみんなおなじとは限らない。人も神も──愛の前には無力なんだわ」
「ああ、天津国がなんだよ。天が神格を消すというのなら、俺たち人間がまた一からダキニとして祀ってやりゃあいいんだ。そしたらいつかまた、神さまとしてりっぱに認められるようになる!」
 慎吾もわらう。
 ターシャはたいそうおどろいた顔をしていたけれど、さすがは水緒の家族だね、といって愉快そうにわらった。
 庚月丸はなんだか無性にうれしくて、美波の背中にまわした手に、ふたたび力を込めた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

侯爵家三男からはじまる異世界チート冒険録 〜元プログラマー、スキルと現代知識で理想の異世界ライフ満喫中!〜【奨励賞】

のびすけ。
ファンタジー
気づけば侯爵家の三男として異世界に転生していた元プログラマー。 そこはどこか懐かしく、けれど想像以上に自由で――ちょっとだけ危険な世界。 幼い頃、命の危機をきっかけに前世の記憶が蘇り、 “とっておき”のチートで人生を再起動。 剣も魔法も、知識も商才も、全てを武器に少年は静かに準備を進めていく。 そして12歳。ついに彼は“新たなステージ”へと歩み出す。 これは、理想を形にするために動き出した少年の、 少し不思議で、ちょっとだけチートな異世界物語――その始まり。 【なろう掲載】

はずれスキル念動力(ただしレベルMAX)で無双する~手をかざすだけです。詠唱とか必殺技とかいりません。念じるだけで倒せます~

さとう
ファンタジー
10歳になると、誰もがもらえるスキル。 キネーシス公爵家の長男、エルクがもらったスキルは『念動力』……ちょっとした物を引き寄せるだけの、はずれスキルだった。 弟のロシュオは『剣聖』、妹のサリッサは『魔聖』とレアなスキルをもらい、エルクの居場所は失われてしまう。そんなある日、後継者を決めるため、ロシュオと決闘をすることになったエルク。だが……その決闘は、エルクを除いた公爵家が仕組んだ『処刑』だった。 偶然の『事故』により、エルクは生死の境をさまよう。死にかけたエルクの魂が向かったのは『生と死の狭間』という不思議な空間で、そこにいた『神様』の気まぐれにより、エルクは自分を鍛えなおすことに。 二千年という長い時間、エルクは『念動力』を鍛えまくる。 現世に戻ったエルクは、十六歳になって目を覚ました。 はずれスキル『念動力』……ただしレベルMAXの力で無双する!!

間違い転生!!〜神様の加護をたくさん貰っても それでものんびり自由に生きたい〜

舞桜
ファンタジー
「初めまして!私の名前は 沙樹崎 咲子 35歳 自営業 独身です‼︎よろしくお願いします‼︎」  突然 神様の手違いにより死亡扱いになってしまったオタクアラサー女子、 手違いのお詫びにと色々な加護とチートスキルを貰って異世界に転生することに、 だが転生した先でまたもや神様の手違いが‼︎  神々から貰った加護とスキルで“転生チート無双“  瞳は希少なオッドアイで顔は超絶美人、でも性格は・・・  転生したオタクアラサー女子は意外と物知りで有能?  だが、死亡する原因には不可解な点が…  数々の事件が巻き起こる中、神様に貰った加護と前世での知識で乗り越えて、 神々と家族からの溺愛され前世での心の傷を癒していくハートフルなストーリー?  様々な思惑と神様達のやらかしで異世界ライフを楽しく過ごす主人公、 目指すは“のんびり自由な冒険者ライフ‼︎“  そんな主人公は無自覚に色々やらかすお茶目さん♪ *神様達は間違いをちょいちょいやらかします。これから咲子はどうなるのか?のんびりできるといいね!(希望的観測っw) *投稿周期は基本的には不定期です、3日に1度を目安にやりたいと思いますので生暖かく見守って下さい *この作品は“小説家になろう“にも掲載しています

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

【完結】私は聖女の代用品だったらしい

雨雲レーダー
恋愛
異世界に聖女として召喚された紗月。 元の世界に帰る方法を探してくれるというリュミナス王国の王であるアレクの言葉を信じて、聖女として頑張ろうと決意するが、ある日大学の後輩でもあった天音が真の聖女として召喚されてから全てが変わりはじめ、ついには身に覚えのない罪で荒野に置き去りにされてしまう。 絶望の中で手を差し伸べたのは、隣国グランツ帝国の冷酷な皇帝マティアスだった。 「俺のものになれ」 突然の言葉に唖然とするものの、行く場所も帰る場所もない紗月はしぶしぶ着いて行くことに。 だけど帝国での生活は意外と楽しくて、マティアスもそんなにイヤなやつじゃないのかも? 捨てられた聖女と孤高の皇帝が絆を深めていく一方で、リュミナス王国では次々と異変がおこっていた。 ・完結まで予約投稿済みです。 ・1日3回更新(7時・12時・18時)

処理中です...