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第一章
6話 大神VS倉持
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「スゴい──」
伊織はつぶやいた。
ハードコートで繰り広げられる、レギュラー同士のシングルス試合。先ほど蜂谷対明前が終わり、いまは杉山対姫川の試合がおこなわれている。ほんの少し練習の一部を覗くつもりが、心地よく飛ぶ打球に吸い寄せられるように、伊織はいつの間にか練習の締めとなる試合まで見続けていたのである。
杉山がサーブを打つ。うまく外角に跳ねた瞬間、彼はサービスラインまで駆け上がった。姫川のリターンをするどいボレーで打ち返すが、対する姫川もラケット面を上に向けてロブ返しをする。頭上を越えたボールはスマッシュには届かない。が、杉山はくるりと踵を返してボールを追い、後ろ向きのまま股抜きショットを披露した。
打球は低くネットを越え、ボレーに出た姫川のラケットフレームに当たる。わずか数ミリ高さが足りず、ネット。姫川はちいさく舌打ちをした。
30-40、と審判をつとめる天城の声が響く。
「どうだ?」
大神が伊織のそばにきた。
どうだ、とはずいぶんと雑な振り方であるが、伊織は眼球がこぼれんばかりに目を見ひらき、身じろぎひとつせず口だけを動かした。
「姫ちゃんはええボレーヤーやな。足も速いし、小回りきくからダブルス凄そう。杉っちも、機動力高いしラリーの安定感すごいからシングルス向きかと思うてんけど、本人はダブルスのが好きそうやな。ペアに薫くんとかハチとか、ええ司令塔なんかおったら化け物になるんちゃう」
「わるくねえ見方だ」
「でもあれや、杉っちはサドンデスとか苦手そうやな。メンタルが姫ちゃんより薄弱やわ」
「クックッ、それも当たってる」
「ポジティブの化身みたいな星丸くんあたり組ませたらおもろそう」
「だろうな」
と、大神は満足げにうなずいた。
どうやら彼にとって期待以上の回答だったらしい。伊織の見解をそばで聞いていた蜂谷が「すごいな」と口をはさむ。
「視点がコーチみたいだ」
「うち、大阪おったころに頼まれてキッズのコーチやっとってん。みんな小さいのにめっちゃうまくてな。もっと腕伸ばすために、その子たちのええとこ探ししよったんよ。やからかもしれん」
「なるほどね」
蜂谷が微笑する。
こいつもそうだ、と大神が蜂谷に目を向けた。
「うちの部員すべての長短所を把握してる。よく人を見ているからな」
「それは大神もだろ──」
「俺は部長だから当然だろ。まあだから試合のオーダーを決めるときは、たいてい蜂谷がご意見番だよな」
オーダーというのは、公式試合にて、どの試合にだれが出るのかを決定するものである。団体戦では、相手校のオーダーを予測して当校の生徒を割り当てる場合もあるので、ほとんどの学校が各生徒のプレースタイルを熟知したコーチや顧問が決める。
そういやこの部活、と伊織が周囲を見渡した。
「コーチとか顧問の先生いてへんの? さっきから大神ばっかり指導してるやん」
「顧問がいねえわけねーだろ。だが先生は素人だし、コーチは──名ばかりのなまくらが居やがったが、俺のほうが的確なアドバイスができると判断して降ろさせた」
「降ろさせた?」
「大神が、入部してすぐコーチに喧嘩売ったんだよ。自分から1ゲームも取れなきゃコーチを降りろって。見事取らせなかったもんだから、コーチだった人は泣いて辞めてった。あれは可哀そうだったな」
と、蜂谷は遠い目をした。
子どもに虚仮にされたことをおもえば気の毒だが、それほど大神謙吾というテニスプレーヤーが、一年の入部時、すでに完成されていたということであろう。伊織は興味深げに大神を見つめた。今日、まだ試合をしていない者がふたりいる。倉持と大神である。
伊織がこれまでの練習を見たかぎり、倉持は大神に次ぐ実力があると見た。案の定倉持は十分ほど前からウォーミングアップをはじめている。
うちな、と伊織はほくそ笑んだ。
「大神の試合ずっと見たかってん」
「──ずっと?」
「愛織とどっちが強いか見たるわ」
といって伊織は近くにころがるテニスボールを拾い上げた。
上等、と大神が口角をあげる。
「俺は手を抜く試合はしねえ。存分に俺の実力をはかってみろ。倉持!」
「ああやるか。ハチ、審判たのむ」
「うん。明前、副審入れる?」
「うぃッス」
四名の生徒が二番コートにむかう。
ちょうど試合を終えた杉山と姫川、審判役をしていた天城と星丸も、一番コートのネットポストに集まって二番コートを食い入るように見つめた。ナンバー1、ナンバー2の試合ともなれば、観戦するだけでも技が盗めるからだ。
先ほどまで座って観戦していた伊織が、立ち上がる。
明前がせっせとシングルスポールをネットに据え付けるなか、二番コート審判台前ネットポストの横で、
「フィッチ(どっち)?」
と、倉持がラケットヘッドを地面についた。
「ラフ(裏)」
大神が答えた。
倉持はグリップをくるりと回す。
ラケットはきれいに三周ほど回ったのち、ぱたりと倒れた。倉持のラケットエンブレムが下を向く。ラフだ。
大神は「サーブ」と言った。
ならば、と倉持はちらりと西日の位置を見て、あえてまぶしい手前側コートを指定する。
蜂谷からボールを二球受け取り、大神はコートのサイドライン上に立って、一礼。倉持も脱帽して一礼したのち、ベースラインへ向かう。
さあ、はじまる。
伊織はたまらずローファーを脱ぎ、一番コートに溜まる四名のそばに駆け寄った。ここからの方がよく見える。
「インハイ以来じゃん、ふたりが試合すんの」星丸が弾んだ声を出した。
「倉持先輩の打球が日に日に重くなってるのわかった?」天城が恐々とした顔で言う。
「ああ。今日のリターン練、倉持先輩のサーブ受けたら手しびれたぜ」
「あいつ妥協しねーからな。まあ大神もだけど」
と姫川がわらう。
「1セットマッチ、大神トゥサーブ、プレイ!」
主審蜂谷のコールが響く。
大神が二度、ボールをつき、ゆっくりとトスをあげた。綺麗な無回転。テニスの試合において一番空気が張りつめるのはやはりこの瞬間であろう。大神の身体がわずかに前傾し、息を吐く声とともにラケットヘッド最高の打点からサーブが放たれた。
コースは内角。倉持はスプリットステップからすでにテイクバックを終え、リターンする。重い打球。ベースラインまで大きく伸びた。が、大神は回転を見越してすでに距離をとり、高い打点からドライブショットを放つ。強いトップスピン(順回転)がかかった球は外角に落ち、こちらも大きく跳ねる。倉持の足はすでに追いついている。ラケット裏面でスライス(逆回転)をかけた球はゆるやかな弧を描き、サービスライン手前に落ちた。スライスは跳ねない。しかし大神はすでに詰めていた。ドロップショットによってクロスのネット前にボールが落ちる。
走り込む倉持。体勢を崩しながらもラケットヘッドがとらえ、見事なロブがあがる。が、サービスラインまであがっていた大神は大きくラケットを振りかぶり、ベースラインぎりぎりにスマッシュを叩きつけた。
だが、まだ決まらない。
すでにサービスラインよりうしろに戻っていた倉持が、ふたたびロブを返したのだ。しかしそれすらも見越していたか、大神は左サイドライン上にハイボレーを決めた。副審の明前が両手を伸ばして手を重ねる。「イン」の合図である。
「15-0」
蜂谷がコールする。
初っぱなから、互いに前後の動きがはげしいポイントとなったが、ふたりともまったく息が切れていない。伊織はほあぁ、と情けない声を出した。
「なんちゅうスタミナや──」
「1ポイント目で驚いてたらあかんで。こいつらの試合は、これが6ゲーム目終わるまで永遠続くねんから」と、杉山。
「気付いたら息止めてるんですよね」天城が苦笑する。
「見てるこっちが酸欠っすよ」
と、星丸は深呼吸をした。
伊織はつぶやいた。
ハードコートで繰り広げられる、レギュラー同士のシングルス試合。先ほど蜂谷対明前が終わり、いまは杉山対姫川の試合がおこなわれている。ほんの少し練習の一部を覗くつもりが、心地よく飛ぶ打球に吸い寄せられるように、伊織はいつの間にか練習の締めとなる試合まで見続けていたのである。
杉山がサーブを打つ。うまく外角に跳ねた瞬間、彼はサービスラインまで駆け上がった。姫川のリターンをするどいボレーで打ち返すが、対する姫川もラケット面を上に向けてロブ返しをする。頭上を越えたボールはスマッシュには届かない。が、杉山はくるりと踵を返してボールを追い、後ろ向きのまま股抜きショットを披露した。
打球は低くネットを越え、ボレーに出た姫川のラケットフレームに当たる。わずか数ミリ高さが足りず、ネット。姫川はちいさく舌打ちをした。
30-40、と審判をつとめる天城の声が響く。
「どうだ?」
大神が伊織のそばにきた。
どうだ、とはずいぶんと雑な振り方であるが、伊織は眼球がこぼれんばかりに目を見ひらき、身じろぎひとつせず口だけを動かした。
「姫ちゃんはええボレーヤーやな。足も速いし、小回りきくからダブルス凄そう。杉っちも、機動力高いしラリーの安定感すごいからシングルス向きかと思うてんけど、本人はダブルスのが好きそうやな。ペアに薫くんとかハチとか、ええ司令塔なんかおったら化け物になるんちゃう」
「わるくねえ見方だ」
「でもあれや、杉っちはサドンデスとか苦手そうやな。メンタルが姫ちゃんより薄弱やわ」
「クックッ、それも当たってる」
「ポジティブの化身みたいな星丸くんあたり組ませたらおもろそう」
「だろうな」
と、大神は満足げにうなずいた。
どうやら彼にとって期待以上の回答だったらしい。伊織の見解をそばで聞いていた蜂谷が「すごいな」と口をはさむ。
「視点がコーチみたいだ」
「うち、大阪おったころに頼まれてキッズのコーチやっとってん。みんな小さいのにめっちゃうまくてな。もっと腕伸ばすために、その子たちのええとこ探ししよったんよ。やからかもしれん」
「なるほどね」
蜂谷が微笑する。
こいつもそうだ、と大神が蜂谷に目を向けた。
「うちの部員すべての長短所を把握してる。よく人を見ているからな」
「それは大神もだろ──」
「俺は部長だから当然だろ。まあだから試合のオーダーを決めるときは、たいてい蜂谷がご意見番だよな」
オーダーというのは、公式試合にて、どの試合にだれが出るのかを決定するものである。団体戦では、相手校のオーダーを予測して当校の生徒を割り当てる場合もあるので、ほとんどの学校が各生徒のプレースタイルを熟知したコーチや顧問が決める。
そういやこの部活、と伊織が周囲を見渡した。
「コーチとか顧問の先生いてへんの? さっきから大神ばっかり指導してるやん」
「顧問がいねえわけねーだろ。だが先生は素人だし、コーチは──名ばかりのなまくらが居やがったが、俺のほうが的確なアドバイスができると判断して降ろさせた」
「降ろさせた?」
「大神が、入部してすぐコーチに喧嘩売ったんだよ。自分から1ゲームも取れなきゃコーチを降りろって。見事取らせなかったもんだから、コーチだった人は泣いて辞めてった。あれは可哀そうだったな」
と、蜂谷は遠い目をした。
子どもに虚仮にされたことをおもえば気の毒だが、それほど大神謙吾というテニスプレーヤーが、一年の入部時、すでに完成されていたということであろう。伊織は興味深げに大神を見つめた。今日、まだ試合をしていない者がふたりいる。倉持と大神である。
伊織がこれまでの練習を見たかぎり、倉持は大神に次ぐ実力があると見た。案の定倉持は十分ほど前からウォーミングアップをはじめている。
うちな、と伊織はほくそ笑んだ。
「大神の試合ずっと見たかってん」
「──ずっと?」
「愛織とどっちが強いか見たるわ」
といって伊織は近くにころがるテニスボールを拾い上げた。
上等、と大神が口角をあげる。
「俺は手を抜く試合はしねえ。存分に俺の実力をはかってみろ。倉持!」
「ああやるか。ハチ、審判たのむ」
「うん。明前、副審入れる?」
「うぃッス」
四名の生徒が二番コートにむかう。
ちょうど試合を終えた杉山と姫川、審判役をしていた天城と星丸も、一番コートのネットポストに集まって二番コートを食い入るように見つめた。ナンバー1、ナンバー2の試合ともなれば、観戦するだけでも技が盗めるからだ。
先ほどまで座って観戦していた伊織が、立ち上がる。
明前がせっせとシングルスポールをネットに据え付けるなか、二番コート審判台前ネットポストの横で、
「フィッチ(どっち)?」
と、倉持がラケットヘッドを地面についた。
「ラフ(裏)」
大神が答えた。
倉持はグリップをくるりと回す。
ラケットはきれいに三周ほど回ったのち、ぱたりと倒れた。倉持のラケットエンブレムが下を向く。ラフだ。
大神は「サーブ」と言った。
ならば、と倉持はちらりと西日の位置を見て、あえてまぶしい手前側コートを指定する。
蜂谷からボールを二球受け取り、大神はコートのサイドライン上に立って、一礼。倉持も脱帽して一礼したのち、ベースラインへ向かう。
さあ、はじまる。
伊織はたまらずローファーを脱ぎ、一番コートに溜まる四名のそばに駆け寄った。ここからの方がよく見える。
「インハイ以来じゃん、ふたりが試合すんの」星丸が弾んだ声を出した。
「倉持先輩の打球が日に日に重くなってるのわかった?」天城が恐々とした顔で言う。
「ああ。今日のリターン練、倉持先輩のサーブ受けたら手しびれたぜ」
「あいつ妥協しねーからな。まあ大神もだけど」
と姫川がわらう。
「1セットマッチ、大神トゥサーブ、プレイ!」
主審蜂谷のコールが響く。
大神が二度、ボールをつき、ゆっくりとトスをあげた。綺麗な無回転。テニスの試合において一番空気が張りつめるのはやはりこの瞬間であろう。大神の身体がわずかに前傾し、息を吐く声とともにラケットヘッド最高の打点からサーブが放たれた。
コースは内角。倉持はスプリットステップからすでにテイクバックを終え、リターンする。重い打球。ベースラインまで大きく伸びた。が、大神は回転を見越してすでに距離をとり、高い打点からドライブショットを放つ。強いトップスピン(順回転)がかかった球は外角に落ち、こちらも大きく跳ねる。倉持の足はすでに追いついている。ラケット裏面でスライス(逆回転)をかけた球はゆるやかな弧を描き、サービスライン手前に落ちた。スライスは跳ねない。しかし大神はすでに詰めていた。ドロップショットによってクロスのネット前にボールが落ちる。
走り込む倉持。体勢を崩しながらもラケットヘッドがとらえ、見事なロブがあがる。が、サービスラインまであがっていた大神は大きくラケットを振りかぶり、ベースラインぎりぎりにスマッシュを叩きつけた。
だが、まだ決まらない。
すでにサービスラインよりうしろに戻っていた倉持が、ふたたびロブを返したのだ。しかしそれすらも見越していたか、大神は左サイドライン上にハイボレーを決めた。副審の明前が両手を伸ばして手を重ねる。「イン」の合図である。
「15-0」
蜂谷がコールする。
初っぱなから、互いに前後の動きがはげしいポイントとなったが、ふたりともまったく息が切れていない。伊織はほあぁ、と情けない声を出した。
「なんちゅうスタミナや──」
「1ポイント目で驚いてたらあかんで。こいつらの試合は、これが6ゲーム目終わるまで永遠続くねんから」と、杉山。
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