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第一章
14話 偵察に行こう
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才徳学園最寄駅から電車でふた駅、そこからバスを乗り継いで七つ目のバス停で下車する。
バス停から川沿いを五分ほど歩いた先に見えてくるのが、県大会第二シード校の青峰学院高等学校である。
小綺麗な校舎からは吹奏楽部の音色が響き、グラウンドでは野球部とサッカー部がそれぞれ土埃をまきあげて練習にいそしむ姿があった。
グラウンド横を通る小道を、伊織が指さす。
「テニスコートはこの奥にあるみたいやで。行こか」
「なんで知ってんスか」
「聞いたら教えてくれてん。神奈川県民みんな優しいわ」
「まじフットワーク軽いっスね。伊織さん」
と、明前は苦笑した。
県大会を十日後に控えるなか、なぜ明前と伊織が決勝戦第一候補である青峰学院に赴いたのか──それは本日朝練中に出た蜂谷の発言がきっかけだった。
「初戦の柳葉高校はそれほどでないとして、青峰学院の新体制が気になる」
と。
毎年強力な選手を輩出する青峰学院。
とくに部長の水沢は一年のころから評価され、関東県内の強力選手として五本の指には入るであろうと噂された。かねてより水沢新体制となった青峰学院の戦力を知りたがっていた蜂谷は、県大会に備えて偵察に行きたい、と大神に申し出たのである。
が、大神が偵察隊としてえらんだのはマネージャーとして暇そうだった伊織と、明前のふたり。曰く、現在一年生のなかでもっとも観察眼のするどい明前薫を、蜂谷の後釜として育てるためであるという。
そんなわけで、明前と伊織はふたりで青峰学院テニス部の偵察にやってきたわけである。
テニスコートを囲むフェンスの外から、伊織が全体に首をめぐらせる。まもなく「あっ」と奥のコートを指さした。
「あれや。このあいだの抽選会に来とった部長」
「あれが水沢さん──すげー好青年風じゃないスか」
「好青年風やのうて好青年やったで。にこぉー笑てわざわざ挨拶来てん。あいつと大神くらいやったな、抽選会で前に出よったら場が一気にシーンなったんは」
「たしかに、水沢さんて中学のころも有名だったスよ。外の順位とかあんま興味なかった俺でも聞いたことあるくらいだし」
と、明前は道中で買ったジンジャーエールをひと口飲む。
偵察に来ていることを忘れたか、すがたを隠す気もなく伊織がフェンスにかじりつく。
「大神とどっちが強い?」
「それはもちろん大神部長だ、って言いたいッスけどね。でもなかなか手ごわそうスよ」
険しい顔で明前も伊織に並んだ。
テニスコート内では、サドンデス形式のサーブ練がはじまった。ひとり二球を打ち、フォルトした時点で終了。何球入ったかでこれから行われるダブルス練習に参加できるか否かが決まる──というルールらしい。
サドンデスサーブは、試合以上の緊張感を抱えながらの一球となる。それでもさすがの青峰学院というべきか、セカンドサーブに切り替えることはせず、攻撃的なファーストサーブを次々に決めてゆく。
開始後十分ほどして、初めての脱落者があらわれた。
その失敗につられたか次々にネットへ引っ掛ける一年らしき選手たち。二十分経過したのち残っていたのは、風格のちがう六名の選手であった。そのなかには当然あの水沢も残っている。
「たぶんあの六人が青峰のレギュラーッスね」
「みんなええサーブ打ちよるわ。とくに手前の子、サーブ引くほど速いで」
「でもコースは甘いッスよ。速いだけのサーブなんて、目さえ慣れれば面に当てるだけで勝手に返ってくれるし」
「甘いで薫くん。よう見てみ、あの子のサーブさっきからまったくおんなじとこ狙とんねん。こんだけ速い球打ちながらコントロールも引くほど正確無比っちゅうことや。試合中、外角狙われたら追いつけるか分からへん」
「……ナルホド」
明前はおもむろにメモ帳を取り出す。
サドンデスサーブは最終的に四名を残したまま時間のため終了。ボール拾いののちに青峰学院テニス部は、すばやくダブルス練に移行した。まるで動きに無駄がない。第一試合は先ほどの速球サーブの選手と水沢を含む、上位四名のダブルスからのようだった。
待ちわびた水沢の試合。
明前と伊織もぐっと顔を寄せ合ってフェンスから覗き見る。
「伊織さんはどう見ます?」
「水沢くんとペアのあの子は、ねちっこい試合しそうやな。たぶん団体戦やったらS3あたりで出てくると思う。対する速球サーブの子ともうひとりの眼鏡くんは──あれはガチペアっぽいな。本チャンのD1なんちゃう?」
「試合始まってもねーのに、そこまで分かるッスか」
「女の勘や。あそこのベンチで座っとる彼とそのうしろの子、ダブルスの動きの練習ばっかしよったんやんか。たぶんD2当てる気ちゃうんかな。あとはS2候補やけど、水沢くんがS1やとしたらS2は──それっぽい子見当たらへんな」
「んん! すばらしい観察眼」
と。
突如うしろから声が聞こえて、伊織と明前は同時にいきおいよく振り向いた。
おしゃれなあご髭をたくわえた長髪の男。眠そうに垂れた目は、じっくりと舐めまわすように伊織へ注がれて、うすい唇はにんまりと弧を描いている。
「キミよく分かったね。その制服は──才徳か」
「あっ」
「いやはやまさか、かの才徳学園から偵察が来るとは。光栄なことだな」
「い、いやいや偵察ちゃいますよ。たまたま、たまたまその──テニス見かけて」
「うちのテニスコートは、たまたま他校の生徒が迷い込むようなところじゃないけどね」
「やははははは」
「べつにいいよ。ゆっくり見てって」
と、男は近くのベンチに腰を下ろす。
どうします、と明前が伊織の判断をあおぐ。すると彼女はうん、と頷いて男のとなりに腰かけた。
「もしかして青峰のコーチさん?」
「ああ。堤です、どうぞよろしく」
「やっぱり、青峰の土壌を作りあげたっちゅう卒業生のコーチや」
「よく知ってるな。だれに聞いた?」
「おたくの部長。抽選会で会うたときに教えてくれてん」
「あっ、キミが例の──才徳男子テニス部にいるっていう秘密兵器の子か!」
堤はパッと伊織を見てわらう。
曰く、抽選会のあとに学校へもどった水沢から聞いたそうである。あの大神謙吾が目をかける才徳の秘密兵器がいるらしい、と。才徳学園が黄金世代に突入したことは堤も高体連づてで聞いていたが、さらなる秘密兵器が女子だというからなおさら驚いたのだ、とも。
明前はいぶかしげに伊織を見た。
「秘密兵器ってなんスか?」
「大神が勝手に言うとるだけや──気にせんとき」
「あ、でも桜爛の如月さんが言ってたんだし、あながち間違いじゃないかもしれないッスね」
「あんたら才徳面々のその如月千秋に対する信頼度なんなん?」
と、伊織がイヤそうに顔を歪める。
「いやだって、インハイであんな試合見せられちゃリスペクトしかないっスよ」
「インハイの試合ね! 俺も見たよ」
堤が割り込んできた。
王者桜爛のエース如月と、新星強豪才徳のエース大神の決戦という噂は高体連のなかでもかなりの話題にのぼっていたそうで、たしかに当日はかなりの一般客が観戦に駆け付けていた。
「伝説の試合なんて言われてるが、ああも伝説をうち立てた如月くんと、これから数多の伝説をうち立てていくであろう大神くんの試合なんだから。そりゃ必然的に伝説の試合にもなるよな」
「ッスね」
「…………」
伊織はムッとしたまま黙り込む。
彼女が才徳テニス部のマネージャーとして始まってからまだ一週間程度だが、早々に明前も分かってきた。彼女は明らかに桜爛如月の話題(とくに褒めたたえるようなもの)に嫌悪感を示す傾向にある。唯一ノッてきた話題といえば、杉山が
「でも如月さんてそない背ェおっきくないよな」
と言ったときくらいか。
そのとき彼女は、如月千秋など知らないという体を装っていたというに、
「せや、あのチビクソヤローが!」
と私怨丸出しの悪口を叫んでいた。
バス停から川沿いを五分ほど歩いた先に見えてくるのが、県大会第二シード校の青峰学院高等学校である。
小綺麗な校舎からは吹奏楽部の音色が響き、グラウンドでは野球部とサッカー部がそれぞれ土埃をまきあげて練習にいそしむ姿があった。
グラウンド横を通る小道を、伊織が指さす。
「テニスコートはこの奥にあるみたいやで。行こか」
「なんで知ってんスか」
「聞いたら教えてくれてん。神奈川県民みんな優しいわ」
「まじフットワーク軽いっスね。伊織さん」
と、明前は苦笑した。
県大会を十日後に控えるなか、なぜ明前と伊織が決勝戦第一候補である青峰学院に赴いたのか──それは本日朝練中に出た蜂谷の発言がきっかけだった。
「初戦の柳葉高校はそれほどでないとして、青峰学院の新体制が気になる」
と。
毎年強力な選手を輩出する青峰学院。
とくに部長の水沢は一年のころから評価され、関東県内の強力選手として五本の指には入るであろうと噂された。かねてより水沢新体制となった青峰学院の戦力を知りたがっていた蜂谷は、県大会に備えて偵察に行きたい、と大神に申し出たのである。
が、大神が偵察隊としてえらんだのはマネージャーとして暇そうだった伊織と、明前のふたり。曰く、現在一年生のなかでもっとも観察眼のするどい明前薫を、蜂谷の後釜として育てるためであるという。
そんなわけで、明前と伊織はふたりで青峰学院テニス部の偵察にやってきたわけである。
テニスコートを囲むフェンスの外から、伊織が全体に首をめぐらせる。まもなく「あっ」と奥のコートを指さした。
「あれや。このあいだの抽選会に来とった部長」
「あれが水沢さん──すげー好青年風じゃないスか」
「好青年風やのうて好青年やったで。にこぉー笑てわざわざ挨拶来てん。あいつと大神くらいやったな、抽選会で前に出よったら場が一気にシーンなったんは」
「たしかに、水沢さんて中学のころも有名だったスよ。外の順位とかあんま興味なかった俺でも聞いたことあるくらいだし」
と、明前は道中で買ったジンジャーエールをひと口飲む。
偵察に来ていることを忘れたか、すがたを隠す気もなく伊織がフェンスにかじりつく。
「大神とどっちが強い?」
「それはもちろん大神部長だ、って言いたいッスけどね。でもなかなか手ごわそうスよ」
険しい顔で明前も伊織に並んだ。
テニスコート内では、サドンデス形式のサーブ練がはじまった。ひとり二球を打ち、フォルトした時点で終了。何球入ったかでこれから行われるダブルス練習に参加できるか否かが決まる──というルールらしい。
サドンデスサーブは、試合以上の緊張感を抱えながらの一球となる。それでもさすがの青峰学院というべきか、セカンドサーブに切り替えることはせず、攻撃的なファーストサーブを次々に決めてゆく。
開始後十分ほどして、初めての脱落者があらわれた。
その失敗につられたか次々にネットへ引っ掛ける一年らしき選手たち。二十分経過したのち残っていたのは、風格のちがう六名の選手であった。そのなかには当然あの水沢も残っている。
「たぶんあの六人が青峰のレギュラーッスね」
「みんなええサーブ打ちよるわ。とくに手前の子、サーブ引くほど速いで」
「でもコースは甘いッスよ。速いだけのサーブなんて、目さえ慣れれば面に当てるだけで勝手に返ってくれるし」
「甘いで薫くん。よう見てみ、あの子のサーブさっきからまったくおんなじとこ狙とんねん。こんだけ速い球打ちながらコントロールも引くほど正確無比っちゅうことや。試合中、外角狙われたら追いつけるか分からへん」
「……ナルホド」
明前はおもむろにメモ帳を取り出す。
サドンデスサーブは最終的に四名を残したまま時間のため終了。ボール拾いののちに青峰学院テニス部は、すばやくダブルス練に移行した。まるで動きに無駄がない。第一試合は先ほどの速球サーブの選手と水沢を含む、上位四名のダブルスからのようだった。
待ちわびた水沢の試合。
明前と伊織もぐっと顔を寄せ合ってフェンスから覗き見る。
「伊織さんはどう見ます?」
「水沢くんとペアのあの子は、ねちっこい試合しそうやな。たぶん団体戦やったらS3あたりで出てくると思う。対する速球サーブの子ともうひとりの眼鏡くんは──あれはガチペアっぽいな。本チャンのD1なんちゃう?」
「試合始まってもねーのに、そこまで分かるッスか」
「女の勘や。あそこのベンチで座っとる彼とそのうしろの子、ダブルスの動きの練習ばっかしよったんやんか。たぶんD2当てる気ちゃうんかな。あとはS2候補やけど、水沢くんがS1やとしたらS2は──それっぽい子見当たらへんな」
「んん! すばらしい観察眼」
と。
突如うしろから声が聞こえて、伊織と明前は同時にいきおいよく振り向いた。
おしゃれなあご髭をたくわえた長髪の男。眠そうに垂れた目は、じっくりと舐めまわすように伊織へ注がれて、うすい唇はにんまりと弧を描いている。
「キミよく分かったね。その制服は──才徳か」
「あっ」
「いやはやまさか、かの才徳学園から偵察が来るとは。光栄なことだな」
「い、いやいや偵察ちゃいますよ。たまたま、たまたまその──テニス見かけて」
「うちのテニスコートは、たまたま他校の生徒が迷い込むようなところじゃないけどね」
「やははははは」
「べつにいいよ。ゆっくり見てって」
と、男は近くのベンチに腰を下ろす。
どうします、と明前が伊織の判断をあおぐ。すると彼女はうん、と頷いて男のとなりに腰かけた。
「もしかして青峰のコーチさん?」
「ああ。堤です、どうぞよろしく」
「やっぱり、青峰の土壌を作りあげたっちゅう卒業生のコーチや」
「よく知ってるな。だれに聞いた?」
「おたくの部長。抽選会で会うたときに教えてくれてん」
「あっ、キミが例の──才徳男子テニス部にいるっていう秘密兵器の子か!」
堤はパッと伊織を見てわらう。
曰く、抽選会のあとに学校へもどった水沢から聞いたそうである。あの大神謙吾が目をかける才徳の秘密兵器がいるらしい、と。才徳学園が黄金世代に突入したことは堤も高体連づてで聞いていたが、さらなる秘密兵器が女子だというからなおさら驚いたのだ、とも。
明前はいぶかしげに伊織を見た。
「秘密兵器ってなんスか?」
「大神が勝手に言うとるだけや──気にせんとき」
「あ、でも桜爛の如月さんが言ってたんだし、あながち間違いじゃないかもしれないッスね」
「あんたら才徳面々のその如月千秋に対する信頼度なんなん?」
と、伊織がイヤそうに顔を歪める。
「いやだって、インハイであんな試合見せられちゃリスペクトしかないっスよ」
「インハイの試合ね! 俺も見たよ」
堤が割り込んできた。
王者桜爛のエース如月と、新星強豪才徳のエース大神の決戦という噂は高体連のなかでもかなりの話題にのぼっていたそうで、たしかに当日はかなりの一般客が観戦に駆け付けていた。
「伝説の試合なんて言われてるが、ああも伝説をうち立てた如月くんと、これから数多の伝説をうち立てていくであろう大神くんの試合なんだから。そりゃ必然的に伝説の試合にもなるよな」
「ッスね」
「…………」
伊織はムッとしたまま黙り込む。
彼女が才徳テニス部のマネージャーとして始まってからまだ一週間程度だが、早々に明前も分かってきた。彼女は明らかに桜爛如月の話題(とくに褒めたたえるようなもの)に嫌悪感を示す傾向にある。唯一ノッてきた話題といえば、杉山が
「でも如月さんてそない背ェおっきくないよな」
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