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第一章
15話 強さと覚悟
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その情景を思い出して明前はあわててうつむく。危うく噴き出すところだ。
いまだ七浦姉妹と如月千秋の関係性は不明だが、先日の姉のようすを見るに、嫌っているのは妹だけらしい。他人のいざこざに興味はない明前だが、こうまで露骨に出されるとさすがに気になる。
聞いてみようか、と明前が口を開きかけたときだった。
堤が「あー」と呻いた。
視線は水沢らのダブルス試合に向けられ、D1ペアのミスに顔をしかめている。
「いまサーブに入ってる彼が新星ルーキー、速水全。ペアが二年の山本晋介っていうんだけど──」
「あの速球サーブの子、速水っていうんや」
「なんかダフォ目立たねっスか? さっきまであんな決まってたのに」
ダフォ、とは二球のサーブをどちらも外すダブルフォルトのことであるが、速水のサーブが始まってからわずか五分のことなのに、すでにポイントは15-40(フィフティーンフォーティ)。すべてが速水のサーブミスによるポイントなのである。
それなのよ、と堤は唸った。
「速水はさ、集中力が凄いんでサドンデスとかだと強いんだけど、試合が長引くとどうも続かなくて──とたんにサーブを外しだす。んで厄介なことに短気だから、入らないことに苛立ってさらにプレーも乱れるという、アイツの悪いクセなんだわ」
「えらい細かく教えてくれますやん。うちら偵察隊やのに」
「キミならそのくらい、見てれば分かるだろうとおもってさ」
「なははッ、よう分かってはるわ。でもせやからこそ、メンタル面のカバーのためにあの山本サンがいてるんでっしゃろ。あの人の安定感スゴいもんな」
「あは、やっぱそこまで分かるか」
「ほんなら山本サンのヤなとこ探したろ!」
と、伊織はベンチから立ち上がり、フェンスにかじりついた。俺も、と明前が右隣に並ぶ。すると堤も楽しそうに伊織の左隣へやってきた。
「キミたちの、山本への見解を聞きたいね」
伊織と明前はしばらく黙って試合を傍観する。まもなく山本・速水ペアのポイントによりチェンジコートをむかえ、ようやく明前が口を開いた。
「ふーん。球威はそれほどでもないけど──なんつーか厄介っスね。どこに打っても速水が取りこぼした球全部カバーに入って取られる。足が速ェのか、読みが長けてんのか。とにかく大神部長の厭らしい戦い方とちょっと似てますよ」
「せやな。あの人、速水サンのためにダブルスやっとるだけで、ほんまはシングルスのが向いとる」
「じゃあ俺見つけた。あのダブルスの弱点」
ふいに明前がわらった。
なになに、と伊織が彼に向けて首を伸ばす。耳打ちしろという仕草である。明前はちらと堤を見てから「だからつまりこういうことでしょ」と、身をかがめて伊織の耳元に顔を寄せた。
「────」
「ふんふん──ンフフフフ」
伊織がにたりとわらう。
なんだよふたりで、と堤が不満そうな顔をするのを見て、対する明前は満足げに顔を上げた。
「偵察でわかったことを敵の軍師に共有するわけないじゃないっスか。ねえ伊織さん」
「当たり前やがな。速水サンはメンタル乱れると球威もブレるし、山本サンやのうて速水サンの方をどんどん狙たら楽勝ちゃうかなんて話してもたら、対策されかねんもんな!」
「いま全部言ったな」
「全部言うたわいま」
ハッと伊織が口元を抑える。
この口がよォ、と明前が彼女の頬を引っ張る横で、堤はブハ、と吹き出した。
「まあ──たしかに、積極的に速水にボールを振ってミスを誘うのはまあ妥当な手ではあるよな」
「でしょ。うちの薫クン優秀やねんから」
「それ全部アンタが台無しにしましたけどね」
「ごめんて」
「だがそれは効かない」堤はにやりとわらう。「水沢修一と和泉小太郎のペアを見てみろ」
どういう意味だ、と才徳のふたりがコート上へ視線を移す。水沢のサーブが入った瞬間、和泉はサービスラインから前へ。山本のリターンが返る。コースが甘い。和泉はすかさずポーチに出た。打球は速水の顔面へ飛んだ。普通の選手ならばボールを避けるべく体勢を崩すところを、速水は目をかっぴらいたままラケットの面でしっかりと球を捉える。
鋭い返球が、そっくりそのまま和泉の顔面へと返された。和泉はグッとくちびるを噛みしめてなんとかボレーを返すも、わずかに届かずネット。
「短気のわりによくボール見てんな」明前は感心したようにつぶやいた。
「ま、弱点があそこまで分かりやすかったら、必然的に対策も用意してはるわな」伊織も唸る。
一定ポイントを先取した方の勝ちらしい。まもなく両ペアは元気よく挨拶をして、コートを退場する。それを見た堤が「よし」とフェンスの中へと入っていった。
彼らにアドバイスを施すためだ。
一言二言技術面での指導を告げると、堤は満面の笑みを浮かべてフェンスの外にいる伊織と明前を指さした。水沢は目を見開き、外にたたずむふたりを見る。目が合った。ぎこちなく伊織が会釈をすると、彼は堤に頭を下げてこちらへ駆けてきた。
その顔はなぜか嬉しそうで、笑顔はもちろんほとばしる汗まで眩しい。これぞまさしく好青年である。
あまりの爽やかさにうわっ、と明前が後ずさった。
「才徳のセンパイにはいないタイプだ……」
「これから薫クンがなったらええがな」
「そのポジションは天城へ譲るッス」
「妥当な人選やな。うちもその方がいいと思う──きたで」
伊織はつぶやいた。
直後、近くに寄った水沢が「どうしたの」とフェンス越しに伊織の顔を覗き込む。
「もしかして偵察に来てくれた、とか?」
「うんまあ、そんなとこ」
「光栄だな。才徳から偵察がくるなんて──それよりあのとき挨拶してなかったよね。改めて俺、部長の水沢です。水沢修一」
「あ、ああ。うち七浦いいます。こっちは一年の明前」
「ッス」
「明前くん、ね。県大会、たぶん決勝で当たるだろうからそのときはよろしく」
「どーもお手柔らかに」
「お互いにね」
水沢はにっこりわらった。
偵察に来たと聞いても嫌な顔ひとつ見せない青峰学院の部長である。ここまで完璧な好青年を見せつけられると、伊織としてはなかなかどうしておもしろくない。きょろりとテニスコート内を一瞥した。
「S2はおらんの? 県大会前やのに練習来んで、えらい余裕やん」
「犬塚は──」わずかに水沢の顔が歪んだ。
「あんまり練習に出ないんだ。去年の途中に転入してきてさ。部内のシングルス戦でことごとくレギュラーが負けたんで、S2には据えたんだけど。いまだにチームとして馴染んでくれてないっていうか」
「あーまあ分かるで、うちもこの前来たばっかりやし。転入した方からすると、すでに出来上がっとるコミュニティに飛び込むのはけっこうツライとこあるよ」
「いやアンタ転入初日で、大神さんに十年来の友だちみたいなノリかましてましたけど」
「まあな。うちは前の学校でも『令和のタモリ』と言われたくらいコミュ力高いから」
「それはヤバい!」
と、明前が噴き出す。
つられて笑う水沢に伊織は「でもそういうことなら」と眉を下げる。
「S2の実力は分からずじまいやったなぁ。残念や」
「これからD2の試合があるけど。見ていく?」
水沢はほくそ笑んだ。
偵察に来たと言っているのにこの発言なのだから、余裕である。伊織はツンとそっぽを向いて
「いーや、いらん」
と強がる。
いらないのか、と目を見開く明前の肩をぐっと抱き、伊織は挑戦的な目を水沢へ向けた。
「才徳は強いで。D2なんぞまわる前に、最初の三戦でケリつけたるわ」
「──わるいけど負ける気はないよ。うちも、例年以上の精鋭が集まってるつもりだから」
フ、と。
水沢の笑みに気迫が混じる。
その瞬間、これまで公式戦を経験したことのない伊織にとって感じたことのない気持ちに駆られた。チームを背負って戦う者の強さと覚悟が、妙にこちらの胸を熱くしたのである。
じんとふるえる心臓を庇うように、伊織はおのれの左胸に手を当てる。
「──薫くん」
「ハイ?」
「帰ろか」
「え、いいんスか」
「うん。なんや無性に、才徳テニス部のみんなに会いたなってん」
と、彼女は踵を返すやさっさと立ち去ってしまった。
残された水沢と明前が互いを見る。
なんかすみませんね、と明前は苦笑した。
「いや、こちらこそ大したもてなしも出来なくて」
「いいっスよ。その代わり決勝では本気の水沢さんを見させてもらいますから」
いまだ七浦姉妹と如月千秋の関係性は不明だが、先日の姉のようすを見るに、嫌っているのは妹だけらしい。他人のいざこざに興味はない明前だが、こうまで露骨に出されるとさすがに気になる。
聞いてみようか、と明前が口を開きかけたときだった。
堤が「あー」と呻いた。
視線は水沢らのダブルス試合に向けられ、D1ペアのミスに顔をしかめている。
「いまサーブに入ってる彼が新星ルーキー、速水全。ペアが二年の山本晋介っていうんだけど──」
「あの速球サーブの子、速水っていうんや」
「なんかダフォ目立たねっスか? さっきまであんな決まってたのに」
ダフォ、とは二球のサーブをどちらも外すダブルフォルトのことであるが、速水のサーブが始まってからわずか五分のことなのに、すでにポイントは15-40(フィフティーンフォーティ)。すべてが速水のサーブミスによるポイントなのである。
それなのよ、と堤は唸った。
「速水はさ、集中力が凄いんでサドンデスとかだと強いんだけど、試合が長引くとどうも続かなくて──とたんにサーブを外しだす。んで厄介なことに短気だから、入らないことに苛立ってさらにプレーも乱れるという、アイツの悪いクセなんだわ」
「えらい細かく教えてくれますやん。うちら偵察隊やのに」
「キミならそのくらい、見てれば分かるだろうとおもってさ」
「なははッ、よう分かってはるわ。でもせやからこそ、メンタル面のカバーのためにあの山本サンがいてるんでっしゃろ。あの人の安定感スゴいもんな」
「あは、やっぱそこまで分かるか」
「ほんなら山本サンのヤなとこ探したろ!」
と、伊織はベンチから立ち上がり、フェンスにかじりついた。俺も、と明前が右隣に並ぶ。すると堤も楽しそうに伊織の左隣へやってきた。
「キミたちの、山本への見解を聞きたいね」
伊織と明前はしばらく黙って試合を傍観する。まもなく山本・速水ペアのポイントによりチェンジコートをむかえ、ようやく明前が口を開いた。
「ふーん。球威はそれほどでもないけど──なんつーか厄介っスね。どこに打っても速水が取りこぼした球全部カバーに入って取られる。足が速ェのか、読みが長けてんのか。とにかく大神部長の厭らしい戦い方とちょっと似てますよ」
「せやな。あの人、速水サンのためにダブルスやっとるだけで、ほんまはシングルスのが向いとる」
「じゃあ俺見つけた。あのダブルスの弱点」
ふいに明前がわらった。
なになに、と伊織が彼に向けて首を伸ばす。耳打ちしろという仕草である。明前はちらと堤を見てから「だからつまりこういうことでしょ」と、身をかがめて伊織の耳元に顔を寄せた。
「────」
「ふんふん──ンフフフフ」
伊織がにたりとわらう。
なんだよふたりで、と堤が不満そうな顔をするのを見て、対する明前は満足げに顔を上げた。
「偵察でわかったことを敵の軍師に共有するわけないじゃないっスか。ねえ伊織さん」
「当たり前やがな。速水サンはメンタル乱れると球威もブレるし、山本サンやのうて速水サンの方をどんどん狙たら楽勝ちゃうかなんて話してもたら、対策されかねんもんな!」
「いま全部言ったな」
「全部言うたわいま」
ハッと伊織が口元を抑える。
この口がよォ、と明前が彼女の頬を引っ張る横で、堤はブハ、と吹き出した。
「まあ──たしかに、積極的に速水にボールを振ってミスを誘うのはまあ妥当な手ではあるよな」
「でしょ。うちの薫クン優秀やねんから」
「それ全部アンタが台無しにしましたけどね」
「ごめんて」
「だがそれは効かない」堤はにやりとわらう。「水沢修一と和泉小太郎のペアを見てみろ」
どういう意味だ、と才徳のふたりがコート上へ視線を移す。水沢のサーブが入った瞬間、和泉はサービスラインから前へ。山本のリターンが返る。コースが甘い。和泉はすかさずポーチに出た。打球は速水の顔面へ飛んだ。普通の選手ならばボールを避けるべく体勢を崩すところを、速水は目をかっぴらいたままラケットの面でしっかりと球を捉える。
鋭い返球が、そっくりそのまま和泉の顔面へと返された。和泉はグッとくちびるを噛みしめてなんとかボレーを返すも、わずかに届かずネット。
「短気のわりによくボール見てんな」明前は感心したようにつぶやいた。
「ま、弱点があそこまで分かりやすかったら、必然的に対策も用意してはるわな」伊織も唸る。
一定ポイントを先取した方の勝ちらしい。まもなく両ペアは元気よく挨拶をして、コートを退場する。それを見た堤が「よし」とフェンスの中へと入っていった。
彼らにアドバイスを施すためだ。
一言二言技術面での指導を告げると、堤は満面の笑みを浮かべてフェンスの外にいる伊織と明前を指さした。水沢は目を見開き、外にたたずむふたりを見る。目が合った。ぎこちなく伊織が会釈をすると、彼は堤に頭を下げてこちらへ駆けてきた。
その顔はなぜか嬉しそうで、笑顔はもちろんほとばしる汗まで眩しい。これぞまさしく好青年である。
あまりの爽やかさにうわっ、と明前が後ずさった。
「才徳のセンパイにはいないタイプだ……」
「これから薫クンがなったらええがな」
「そのポジションは天城へ譲るッス」
「妥当な人選やな。うちもその方がいいと思う──きたで」
伊織はつぶやいた。
直後、近くに寄った水沢が「どうしたの」とフェンス越しに伊織の顔を覗き込む。
「もしかして偵察に来てくれた、とか?」
「うんまあ、そんなとこ」
「光栄だな。才徳から偵察がくるなんて──それよりあのとき挨拶してなかったよね。改めて俺、部長の水沢です。水沢修一」
「あ、ああ。うち七浦いいます。こっちは一年の明前」
「ッス」
「明前くん、ね。県大会、たぶん決勝で当たるだろうからそのときはよろしく」
「どーもお手柔らかに」
「お互いにね」
水沢はにっこりわらった。
偵察に来たと聞いても嫌な顔ひとつ見せない青峰学院の部長である。ここまで完璧な好青年を見せつけられると、伊織としてはなかなかどうしておもしろくない。きょろりとテニスコート内を一瞥した。
「S2はおらんの? 県大会前やのに練習来んで、えらい余裕やん」
「犬塚は──」わずかに水沢の顔が歪んだ。
「あんまり練習に出ないんだ。去年の途中に転入してきてさ。部内のシングルス戦でことごとくレギュラーが負けたんで、S2には据えたんだけど。いまだにチームとして馴染んでくれてないっていうか」
「あーまあ分かるで、うちもこの前来たばっかりやし。転入した方からすると、すでに出来上がっとるコミュニティに飛び込むのはけっこうツライとこあるよ」
「いやアンタ転入初日で、大神さんに十年来の友だちみたいなノリかましてましたけど」
「まあな。うちは前の学校でも『令和のタモリ』と言われたくらいコミュ力高いから」
「それはヤバい!」
と、明前が噴き出す。
つられて笑う水沢に伊織は「でもそういうことなら」と眉を下げる。
「S2の実力は分からずじまいやったなぁ。残念や」
「これからD2の試合があるけど。見ていく?」
水沢はほくそ笑んだ。
偵察に来たと言っているのにこの発言なのだから、余裕である。伊織はツンとそっぽを向いて
「いーや、いらん」
と強がる。
いらないのか、と目を見開く明前の肩をぐっと抱き、伊織は挑戦的な目を水沢へ向けた。
「才徳は強いで。D2なんぞまわる前に、最初の三戦でケリつけたるわ」
「──わるいけど負ける気はないよ。うちも、例年以上の精鋭が集まってるつもりだから」
フ、と。
水沢の笑みに気迫が混じる。
その瞬間、これまで公式戦を経験したことのない伊織にとって感じたことのない気持ちに駆られた。チームを背負って戦う者の強さと覚悟が、妙にこちらの胸を熱くしたのである。
じんとふるえる心臓を庇うように、伊織はおのれの左胸に手を当てる。
「──薫くん」
「ハイ?」
「帰ろか」
「え、いいんスか」
「うん。なんや無性に、才徳テニス部のみんなに会いたなってん」
と、彼女は踵を返すやさっさと立ち去ってしまった。
残された水沢と明前が互いを見る。
なんかすみませんね、と明前は苦笑した。
「いや、こちらこそ大したもてなしも出来なくて」
「いいっスよ。その代わり決勝では本気の水沢さんを見させてもらいますから」
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