片翼のエール

乃南羽緒

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第二章

24話 自分のテニス

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『桜爛の天才』──。
 仙堂尊ほど、軍師と呼ばれるにふさわしい男はそういない。
 ボールを前後左右に揺さぶって相手のスタミナを削り、速い球威でチャンスボールを誘発させて一瞬の隙にスマッシュをぶちかます。パワーはそれほどでもないが、およそ九十八平米の自陣コートを駆けずり回った相手選手には十分な一撃となる。
 『鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス』──まさしく彼のテニスは、巧みなコントロールと戦術によって相手に音をあげさせるという、天性の才が織りなすプレースタイルなのである。
 一足先にはじまった仙堂の試合を、倉持と大神はじっくりと観察する。
「あれだけ左右に揺さぶっても、相手の返球は常に仙堂のもとへ戻ってる──」
「仙堂の回転にはかなりクセがある。スタミナが追い付かねえ相手が、外に逃げた球をクロスで返そうにもあの回転じゃせいぜい戻りはセンターになる。仙堂は、相手のスタミナ状況やコントロールまで考えて回転の強さを変えてるみてーだな」
「ラリーに持ち込まれたら、むこうの思うつぼってことかよ!」
 倉持はくやしそうに拳を握る。
 が、そのとなりで大神は腕組みして考え込んだ。
 コントロール、ブレインとしての才は確実に仙堂のが勝っている。とはいえ試合を見るかぎり彼の球はそれほど重くない。パワーという点では倉持の方がずっと上手である。かつ、倉持には大神にも劣らぬスタミナがある。
 目前でおこなわれる試合では、愛染学園の選手が短期決戦型ゆえかスタミナに自信がないように見える。それを見抜いた仙堂につけこまれ、まんまと自陣内を駆けずり回らされているようだが、これが倉持だったならば話は違う。
 獣のごときボールへの嗅覚とテニス部一の俊足、なによりたゆまぬ努力によって積み上げた確固たるスタミナ。
 タイブレークまでのすべてのポイントでこれほど前後左右に走り回ろうと、この男はしっかりと膝を落としてラケットを振り、狙いのコースを攻めることができるだろう。倉持慎也とはそういう男である。
 大神はにやりとわらった。
「桜爛の天才と才徳の大鷲か──これは見ものになりそうだ」
「だ、だれが大鷲だよ。いちいち恥ずかしーヤツだなおめーは!」
「俺が言ったわけじゃねえ。テメーのテニスは、大鷲が飛ぶようなんだと言ったのは伊織だぜ」
「え」
「北斎の波がなんちゃらってのもあったが、詳しくは蜂谷に聞いてみろ。結構おもしろいから」
「お、大鷲──ワシか」
「そういや才徳の校旗も鷲だったか。こりゃあますます負けられねえな、倉持」
「……負けるつもりは毛頭ねーよ。どんな野郎だろうが勝ってやる。でなきゃいつまで経ってもおめーに勝てねえしな、大神」
 と、わらう倉持はそそくさと蜂谷のもとへ駆けてゆく。
 そのとき、D1試合がおこなわれているコートから爆音が轟いた。どうやら弾けるようにわらった播磨の声らしい。杉山と肩を並べる明前が、おどろきのあまり心臓に手を当てた。
「びっくりしたー、うるさッ」
「オレとええ勝負やな」
「マジであの人といい譲さんといい、自分の声がすげえデカい人って耳が馬鹿なんだろうな──」
「こらァ関西人に馬鹿いうなアホ」
「どうだ、D1は」
 と、S2からD1の試合に視線を移した大神。杉山と明前のあいだに割り込み、今まさにポイントを決めた桜爛中津川を見据える。
 杉山はころりと笑顔になって播磨を指さした。
「いやすごいわ。あの前衛──播磨か。アイツは完全にパワー型やな。ラリーは好かんみたいやけど、一球一球が重たそうで怖いわ。スマッシュ食ろうたら死ぬんちゃう?」
「反対にあの後衛はストロークが丁寧ですね。コントロールも的確だし、サーブが外入ったらまずストレート狙ってくるようなタイプ。そつがないっていうか、弱点がなさそうッス」
「…………」
 播磨十郎太と中津川鉄心。
 高校男子テニス界のダブルス全国区として、十組の名前をあげるとしたらかならず出てくるであろう名ペアであり、つい先週にも都大会個人戦ダブルスにて優勝したと噂に聞く。互いの弱点をうまく補い合ったふたりのダブルスに死角なし、と愛織に言わしめる彼らは、大神の目から見てもかなりの腕前であった。
 まず、播磨のテニスは仙堂のそれとはまったく逆である。
 戦術など皆無。頭で考えるよりも先にからだが動き、本能のままにラケットでボールを返しているように見える。野性的なテニスゆえ、対戦する相手は播磨の動きが読めずに翻弄されている。
(勘でテニスをしているってわけか)
 ある意味、頭脳でテニスする仙堂よりも生まれつきの才で向かってくる播磨の方が厄介かもしれない──と、大神はムッとくちびるを尖らせた。
 しかしまあ、と杉山が感心したようにため息をつく。
「あの播磨のテニスをようコントロールしとるもんやな、あの中津川っちゅーヤツ」
「ああ。猛獣と猛獣使いみてえな試合だ」
「それ一番しっくりくる例えやん。せやねんなぁ、なんであんな動きするペアとストレスなく組めるんやろか」
「おっ、じゃあ譲さんのペアやってる俺のことも褒めてもらっていいスか?」
「おう喧嘩売っとんか明前、やったんぞコラ」
「見てみろ。中津川の動きを」
 大神が試合を指さす。
 ボールの動きとともに縦横無尽に動く播磨に合わせて、すばやくポジションチェンジを繰り返し、時には播磨の動きを利用して返球する場所までコントロールしている。
 すごいな、と明前はうなった。
「あのふたりってたしか、中学のときもペア組んでたんじゃなかったでしたっけ」
「はァ。どうりで息が合うとるわけや」
「なるほどな──相手がどう動くかは経験と感覚で察しがついているのか」
「攻撃力の高い播磨を生かすためのテニスを、この五年間で身につけたんやな。中津川は」
 という杉山の言葉に、これまで試合に集中していた天城がぼそりとつぶやいた。
「それって、自分のテニスを捨ててまで──確立したいプレイスタイルなんでしょうか」
「それが、……」
 大神は険しい顔でつづけた。
「中津川のやりてえテニスなんだろ。播磨とやるダブルスこそが、アイツのテニスなんだ」
「────」
 天城はうつむく。
 彼はいま、レギュラーに選ばれてこそいるが、選手登録順としては八番目のため、公式戦では補欠扱いとなっている。
 もちろん、この才徳テニス部レギュラーを勝ち取るのは簡単なことではない。他にも二年生がいるなかで、一年生の天城がレギュラーとして選ばれたのも、彼にとっては奇跡のようなものだった。
 自分にとってのテニスがなんたるか。
 天城はレギュラーに選ばれた日からずっと、そのことを考えている。
「天城」
 と、大神がとなりに並んだ。
 天城の肩がわずかに緊張する。この肩と並ぶことが、天城の入部当初の夢だった。まさか一年も経たずに実現するとは──と、天城はいまだに慣れないのである。
 大神は、観客席全面の手すりに寄りかかった。
「お前は今後、どうなりたい」
「え?」
「シングルスもダブルスもそつなくこなすお前が、この才徳を引っ張っていく代となったとき、お前がやりてえと思うテニスはなんだろうな」
「…………お、俺は、俺の目指すところは、大神さんです」
「フ、俺かよ。だが俺だって如月には不完全だと言われた。まだまだ変わるぜ」
「──それは、そうでしょうけれど。でもそれなら、俺も常にバージョンアップしていくだけです。そうして大神さんを目指していく過程で、俺は俺のテニスを見つけてみせます」
「そーかよ。ま、目標がはっきりしてるヤツは向上も速ェ。たぶんあの井龍も──」
 大神の視線が、S1の試合に向けられる。
「そうしてのしあがってきたんだろうからな」
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