片翼のエール

乃南羽緒

文字の大きさ
46 / 104
第三章

45話 十五分だ

しおりを挟む
 観光地から外れた大阪の町。
 伊織は大神を連れて、中学生のころに愛織とよくテニスをしたというストリートテニスコート場へやってきた。コート使用ルールについて書かれているはずの看板は、スプレーの落書きによってほとんど内容が読めない。
 浪速のアウトローたちが集まんねん、と伊織は鼻でわらう。
「たいてい喧嘩して勝った方がコート使てた」
「穏やかじゃねえな」
「アメリカのダウンタウンもそんな感じやろ?」
「生憎と俺は治安の良い地域にしか顔を出してねえ」
「さいですか──」
「喧嘩ってのは殴り合いか?」
「まさか。テニスコートやで、テニスするに決まってるやん。まあ子どもが使いたいときは時間決めて大人が譲歩する決まりやけどな」
 と言った矢先のこと。
 テニスコートに甲高い声が轟いた。なんだ、と視線を向けると、ラケットを胸に抱えてうずくまる少女がふたり。その前には大学生とおぼしき男が三人、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべてラケットを担ぎ、少女たちを見下ろしている。
 伊織は考える前に走り出していた。
「何やっとんねんッ」
「なんやお前。なんもやってへんわ。よう見ろや、コート権かけて試合しただけやんけ。ルール通りやってますが何かァ?」
「自分アホちゃうか。女子小学生相手に試合してコート権て、ミジンコよりちいさいやん」
「ルールはルールやろうが。子どもは子どもらしく親にコート借りてもろたらええんじゃ。こちとら大学生やぞ。あ?」
「やははははッ。コート借りる金もろくにあらへんて自分で言うとるようなもんやんけ、自分プライドないんか? さてはFランやな」
「んじゃゴラァッ。テメーはなんやねんオラ! バカにしとんか、輪姦《まわ》すどオラァッ」
「うわおもんなァ。なにその脅し──オラオラ言うときゃ女が言うこと聞く思たら大間違いやどワレ。気に入らんならテニスで勝負しろやアホンダラァ!」
「あーもうキレた。ハイこのアマ犯す決定」
 ──と。
 男のひとりがラケットを振りかぶる。同時にその腕が掴まれた。大神だ。
「なんやねんコラァッ」
「浪速の言い合いは、教育によくねえな──」
 ちらと小学生女児に苦笑を向け、こんどは男三人にぎろりと睨みを効かす。美形の凄んだ顔はなぜか恐ろしいものである。ラケットを握る男の肩がピクリと揺れた。
「ヤろうぜ。コート権賭けてよ」
「な──」
「シングルスなら俺がやる。ダブルスならこいつと組む。俺はどっちでもかまわねえが、アンタらはどうしたい?」
 大神の口角があがった。
 大学生の視線が、じろりとふたりを嘗めまわすように動く。制服を見るに年下で、こちらが男子ダブルスであるのに対し混合ダブルスでやるという。どうみても分があるのは自分たちだ、と確信したらしい。
 一気に彼らの顔に笑みが広がった。
「ほんならダブルスでええわ」
「せやけど自分らラケットとシューズどうすんねん。男のほうはシューズ持っとるみたいやけど、そっちのクソアマはローファーやん。それでやる言うてもハンデとかつけへんで」
「ハンデなんかいらへんよ。でもラケットは──せやなあ」
「借りりゃあいい。たとえばそうだな、……」
 という大神は公園入口をちらと見てから、先ほどから息をひそめて成り行きを見守っていた女児に目を向けた。
 
 ────。
 おもろそうやな、と通りすがりの男子学生がふたり、公園入口にて足を止める。部活帰りらしくラケットバッグを肩にかけている。
 まもなくひとりの女児が駆けてきた。彼女は泣きそうな顔で、
「あんちゃんたちラケット貸してェ!」
 とさけんでいる。
「なんやなんや、逼迫しとるな」
「ラケット? 自分持っとるやん」
「あのにーちゃんねーちゃんたちが、うちらのためにコート権賭けて戦うてくれんねん。うちらのラケットなんかちっちゃくて使えへんて言うねんもん」
「ははァ。なるほど、しょーもない大学生相手に、正義を見せるっちゅうことやな。その心意気買うた! ほれミネ、渡したらんかい」
「いや俺かいッ。しょうないのう、ほれ二本や。あのねーちゃんにはちと重いかも分からんで」
「あとついでにテーピングもあったらうれしいんやけど」
「テーピングゥ。欲張りさんめ、ほらどうぞ」
「おおきに!」
 女児はラケットとテーピングを抱えるや、あわてて彼らの元へ戻ってゆく。諸々を受け取った制服の男女は、こちらを見て礼を言わんばかりにラケットを振った。
 意外と距離があるため人相までは確認できないが、端からみてもあきらかに不利な状況であるにもかかわらず、彼らには余裕があるらしい。
「せっかくやし見ていこうや。なんや、おもろくなりそうやで」
 と、ミネとともにいた男子学生はうっそりと微笑んだ。

 伊織の足には、いつものようにテーピングが巻かれる。日頃の練習ではさすがにシューズを履いているが、こういった突発的なテニスは、基本このスタイルであるらしい。
 審判は、大学生の余ったひとりがやるといった。女児が外野から「不正せんときや!」と野次を飛ばすが、大学生たちは聞こえているのかいないのか──審判台に座るや、仲間のダブルスペアと視線を合わせてにんまりと笑みを浮かべた。
 しかし、そんなものは見てもいない高校生組。
「なあなあ、うち大変なこと気付いてもた」
「自分が馬鹿だってことにか、心配しなくともみんな分かってるぜ」
「ちゃうわアホ! もしかしてやけどな、この試合が長引いたら宿の集合時間間に合わへんのちゃう?」
「そんなことにいまさら気付くのが馬鹿だって言ってんだよ。そんなことは俺も先刻承知だ」
「えーッ。ほんならどないすんねん!」
「十五分で終わらせりゃいいだろうが」
「…………」
 十五分だ、と大神は念押しした。
 先行サーブは大学生ペア。地面の凹凸も整えられていないクレーコートで、ふたりは機動力の劣る制服着用に相手贔屓の審判という状況。
 しかし伊織はそのいずれにもデメリットは感じていなかった。むしろ花が咲いたようにわらう。
「なはははは! ホンマたまにおもろいこと言いよるなぁ自分。十五分、ええでやったろ」
「足は問題ねえな?」
「うちのコレは平常運転や」
「そりゃよかった」
 大神はにやりと笑い、ベースラインへ下がった。
 右サイドが大神、左サイドを伊織が受け持つ。対する大学生ペアは赤い上衣の男がサーブの構えをとる。
 互いの準備はととのった。

『ワンセットマーッチ カレッジペア トゥサーブプレイ』

 コールと同時に、トスがあがる。
 すこし大仰なフォームでサーブが放たれた。深く入った打球は、ギリギリサービスライン上に乗るか否かの瀬戸際を攻める。大神は構わずリターン。
 開始一ポイント目から、打球は鋭くストレートを抜いた。手も足も出ないとはこのことである。ボールはアレーコートど真ん中に抜け、見事な一ポイント目を魅せた。
「ら──0-15」
 審判の学生が目を見開く。
 大神と伊織は軽くタッチを交わし、伊織がベースラインへ。いまのファーストサーブを見るかぎり、それほど球威も速くない。
 伊織は姿勢を低くしてサーブを待った。
 トスがあがる。ファースト。
 伊織は、打球の軌道を見た瞬間にそのサーブがフォルトであると分かった。といってもこれはテニスプレイヤーならばたいていの者が分かることである。
 案の定、打球はサービスラインを割った。
 瞬時に判断し、ボールをネットへと叩きつける。これも数多くのテニスプレイヤーがとる行動である。──しかし、サーバーが二球目を打つ気配はない。いやそもそも審判からフォルトのコールさえない。
 一瞬の間。
 そののち、あろうことか審判はニヤリと口の端を歪めて
「15-15!」
 とコール。
 まさかの、サーブがイン判定だったのである。
「ハァ?! なに見とんねん、いまのどこがインや!」
「おっと審判に抗議するなら退場してもらうで」
「な、──こ、この」
「いまのはインや。いやァナイスサーブやった」
「…………」
 どうやら。
 フェアプレーを心がけるつもりはないらしい。伊織はグッとくちびるを噛みしめて、しかし冷静にボールを拾う。その背後にいつの間にか大神がいた。
 まったく、と呆れ顔で鼻をならす。
「見下げた奴らだな」
「ご、ごめん大神──」
「いいじゃねえか、向こうがその気ならこっちにも考えがある」
「考え──?」
「ああ。いいか、」
 と言うなり大神は伊織に肩を寄せてなにごとかをささやいた。ポイント間は長い立ち話は許されない。伊織は黙ってこくりとうなずくと、足早に左サイドサービスラインへもどった。
 その顔に笑みはない。
 伊織は試合開始二ポイント目にして、すでに頭に血がのぼりはじめていたからである。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される

けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」 「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」 「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」 県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。 頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。 その名も『古羊姉妹』 本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。 ――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。 そして『その日』は突然やってきた。 ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。 助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。 何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった! ――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。 そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ! 意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。 士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。 こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。 が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。 彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。 ※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。 イラスト担当:さんさん

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

処理中です...