片翼のエール

乃南羽緒

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第四章

66話 やるしかねえんすよ

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 惨敗だった、と。
 うつむいた水沢修一の顔にいつもの朗らかな笑みはない。ねぎらいに駆けつけた倉持と蜂谷、伊織の顔さえまともに見ることなく、そのまま黙り込んでしまった。
 無理もない。
 青峰学院高校は、例年全国圏内に入るレベルといっても過言ではない。それが関東大会初戦で転けるとはだれが想像しただろうか。
 でも、と伊織は眉を下げた。
「水沢くんがいてるのに青峰のストレート負けって、あり得んくない? 一色徳英のS1てそない強いんか」
「アイツだろ。ホウジョウ」
 倉持が憎々しげにつぶやく。
 ホウジョウ。たしかにドロー抽選会の際にも言っていた。ホウジョウという一色徳英の部長はかなりの強者であると。
 そう、と水沢は掠れた声で言った。
北條貴匡ほうじょうたかまさ──タイブレークまでいったんだけど、押し負けたって感じかな。いやほんと、…………」
「水沢サン──」
 喉を詰まらせてうなだれる彼に寄り添うべく、手を伸ばした伊織の背中に衝撃が走る。どうやら背後に立っていた青峰学院S2の犬塚顕宏が小突いた痛みだったらしい。伊織は「こら」と眉をつりあげた。
「なにやっとんねん。S2でしっかり白星獲るんがアンタの役目やろ!」
「うるせえなッ、俺だって好きで負けたわけじゃねえ。あのヤロウ腹の立つ球ばっか打ちやがって」
「腹の立つって、どんな」
「一色徳英のS2っていったら」蜂谷が口をひらく。
剣持怜士けんもちれいじだよな。たしかツイストサーブとトップスピンが得意。っていうか彼ってテクニックとか全体的に体重を乗せて球を打つのがうまいイメージがあるけど、そうだった?」
「な、なんでそんなことソラで言えんだよお前──まあたしかに、ツイストサーブはかなり厄介だった。別にフツーに返せたけどな!」
 と犬塚はふんぞり返った。
 ツイストサーブとは身体をツイスト──つまりひねって打つことで、通常のスライスサーブと反対方向にバウンドするサーブのことである。リターン側からすれば軌道が読めず、たとえ返球できたとしても体重が乗らずにチャンスボールを与えやすくなる。
 高校生選手でツイストサーブを会得する選手は少ない。そのため、自校練習でもツイストサーブを受ける機会はそう多くないことだろう。犬塚も正直はじめて受けた、とつぶやいた。
「球をよく見りゃリターンはできる。けどそれが良い球かって言われたらそうじゃねえ。その隙を突かれて攻めに攻められるから相手のサービスゲームは全滅だった。クソ、思い出してもむかつくヤローだ」
「ほんなら今度うちがツイストサーブ打ったるがな。それで練習せえ」
「は? てめ、前に試合したときそんなもん出さなかったじゃねえか!」
「は? 自分、悟空がヤムチャ相手に界王拳三倍で攻撃するとこ見たいか? イヤやろそないオーバーキル、うちは優しいことで有名なんや」
「なッ──て、てめえ人のことヤムチャってバカにしてんのかコノヤロッ」
「まあそれはそれとして、うちらが一色徳英と当たるとしたら?」
「てめーッ」
 とキレ散らかす犬塚をかるくいなして伊織は蜂谷に目を向けた。
 準決勝だな、と蜂谷の瞳が揺れる。
「準決で負けても、ベスト4まで進出したのなら全国大会への道が絶たれることはないとおもうけど、かならず勝ちあがってくるだろう桜爛とは試合できない」
「あかんあかん、才徳に負けの未来はないんよ。検査続きで疲れてはるやろう愛織のとこに、優勝した才徳メンバー連れてお見舞い行くって約束してきてもうたから」
「桜爛マネにそんな宣戦布告みたいな約束したの?」
 と蜂谷はクスクスわらう。
 いやその通りだ、と割って入った倉持の声は強気だった。
「弱気なこと言ってらんねえよな。神奈川の二翼、うちと肩を並べる青峰学院が負けたからってうちが負けたわけじゃねーんだ。その北條ってヤツだって大神とやったら負けんだろ? 大神より強くねえなら俺だって勝てる」
「その意気やで。せっかく経験者が目の前におんねや、いまのうちに一色徳英がどんな試合したんかじっくり聞かせてもらおうや」
 と言って伊織は犬塚の肩にがっちりと手をまわした。

 才徳学園第二試合は、対戦相手となった瑞江第二高校の棄権により不戦勝。なんでも初戦でS1選手が怪我をしたため、出場選手がいなくなってしまったためだという。
 不戦勝により自動的にベスト4への進出が決まった才徳陣営だが、よろこびに浸るひまはない。おそらく準決勝へと勝ち上がるであろう一色徳英の傾向と対策についてを徹底的に青峰学院から聞き出している。その様を眺める大神のとなりに、むずかしい顔をした天谷夏子が腰かけた。
「どうしたんです天谷先生。そんな険しい顔なさって」
「つぎの試合──大丈夫よね? 松澤工業の子たちもとっても強かったけど、一色徳英ってもっともっと強いんでしょう。さっき負けちゃった天城くんや明前くんはシングルスのことイヤになってないかしら」
「たしかに、明前はともかく天城はメンタル的にすこし杉山に似てるところがありますからね。ただ、オーダーを変えるつもりはありませんよ」
「…………」
「ここを乗り越えられねえのなら、はなから全国へ行く資格もねえってことです。それは彼らが一番よく分かってるはずだ」
「そう、なのかもしれないけど──でも全国大会には大神くんが戻ってくるじゃない。でもいまはいない。さっきの倉持くんもそうだったけれどこれってけっこう大きな違いだわ」
「どのみち明前と天城が中心となる来年の大会にも、俺はいない。俺がいちばん我慢ならねえのは……『才徳は大神の力で全国に来た』と言われることなんですよ。そんなわけねーだろって、アイツらに示してもらいます」
 大神は揺るがなかった。
 一色徳英がいくら強いとはいえ、桜爛ほどでないのならば大神にとってはどこも同じこと。天谷はふわあ、と感嘆の声をあげた。
「そうよね。だめね私って。すーぐ保守的なこと考えちゃうの」
「いや、──俺にとっては保守的とか進歩的とかそういう次元の話じゃない。これが俺の役目だってだけです」
「え?」
「アイツらが俺の声に耳を向けてくれるかぎりは、俺がかならずアイツらを勝ちに導く。もし聞く耳持たねえなら無理やり届かせてでも」
「そんなことできるの?」
「出来るかできないかじゃねえ、やるしかねえんすよ」
 といって、大神はわらった。
 来月に齢三十の誕生日を迎えんとする天谷夏子は、不覚にも若干十七歳である彼の覚悟の強さに見とれてしまった。それほど、大神の瞳には強い光が宿る。その目が見つめる先に、才徳の敗北する未来はない。
 そうね、と天谷はうなずいた。
「やるっきゃないのよね!」
「そういうことです」
 まもなく才徳陣営に入った速報によると、一色徳英は茨城代表の桐胤牛久《とういんうしく》高校を破り、早々に準決勝へと駒を進めたとのこと。才徳との試合はもはや目前に迫っている。

 ※
 もうひとつの準決勝がある。
 Aブロックシード校である桜爛大附と秀麗八千代。彼らの試合はBブロックの準決勝試合よりもひと足先におこなわれた。
 初戦と準々決勝をストレート勝ちで抑えてきた秀麗八千代だが、桜爛を前に彼らは全試合で負けをゆるした。
 早々に決勝進出を決めた桜爛陣営は、しかしそれが当然と言わんばかりの表情で、さしてよろこぶようすはない。

「可愛くないねえ、うちの子たちは」

 桜爛陣営に足を踏み入れたひとりの男──如月千秋。D2を担う忽那や本間、仙堂や井龍までもがワッと声をあげて立ち上がる。決勝進出を決めたときよりもよほど嬉しそうである。
 聞いたよ、と如月は井龍のとなりに立った。
「才徳、大神が出ないんだってね」
「ええ。全国までお預けになりました」
「今回ばかりは彼に礼を言わないとな、うちの妹を助けてくれたそうだから」
「如月さん、病院行ってきたんですか」
 と播磨が鼻をひくつかせた。
 彼の五感は野生動物並である。如月は「まあね」と言って携帯を取り出す。
「決勝戦に向けてなにか伝言あるかって聞いたら、伊織に託したって言われたんだけど。なんか聞いてる?」
「いえ──そもそも今日まだ見てないですね。Bブロックの試合はだいぶコートが遠いですから」
「そんなことだろうとおもった。才徳はこれから準決勝だって?」
「はい」
「ナイスタイミングだったな」
 ついでにちょっと観てくるよ、と。
 早々に桜爛陣営に背を向けて、如月は才徳陣営を探しに出かけていった。

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