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第五章
95話 幕開け
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全国大会最終日。
空は、前日の雨がうそのようにからりと晴れあがり、東から昇った太陽が憎らしいほど煌々とハードコートを照らす。これまで各都道府県から地方の戦いを経て勝ち上がった四十八校の頂点に、王手をかける両校──桜爛大附と才徳学園がコート前に集合した。
それぞれの顧問が大会運営にオーダーを提出、試合開始は十分後と定められた。──泣いても笑っても最後の試合である。
才徳陣営にて、大神は倉持と天谷夏子の肩に手を回す。それを合図にレギュラーメンバーもとなりにいる人間の肩や腰に手を回してゆく。
いまさら言うことはねえ、と大神の低い声が轟いた。
「最後だ。すべての力を出しきって行け! 才徳行くぞォッ」
「応ーッ!」
と、湧く才徳陣営。
対する桜爛大附といえば、どんな局面においても冷静冷徹な態度を崩さないことで有名であった。の、だが。いま彼らはコート前の段差に愛織の写真を置き、それを囲むように半円陣を組んでいる。
忘れるな、と井龍がさけぶ。
「これはチーム一丸での戦いだ。うちのマネージャーに、勝利を贈るッ。そのつもりでゆけ!」
「応ッ」
レギュラー外の桜爛選手たちも、わっと大きく湧いた。全国大会全日程のなかで会場のボルテージがもっとも高い瞬間である。
それは観客席もおなじこと。
近くのビジネスホテルに宿泊したらしい才徳応援団の面々が、ソワソワと落ち着かないようすで試合開始を待つ。そこには飛天金剛と黒鋼高校も加わってすっかり大所帯となった。
あれ、と杏奈が周囲を見渡す。
「伊織のお父さんとお兄さんは?」
「今日はさすがに母校を応援しなきゃって、桜爛の方に行ったぞ。如月さんもそうだが千秋くんなんてまだ在学生だものな」
神村が苦笑する。
噂にのぼった如月親子は、神村のいうとおり桜爛大附が組む半円陣を遠目から眺めていた。ふたりの存在に気がつくや、井龍以下メンバーの背筋がピッと伸びる。
「如月さんッ。おはようございます!」
「おはよう。分かってるとおもうけどおまえら桜爛の名ァ背負ってるからな。親父の代から地道に下地築き上げて、七年前からつづく連覇だ」
「はいッ」
「連覇打ち止めして桜爛も落ち目だ──なんて言われないように」
千秋はにっこりと微笑んだ。
蓮十郎が桜爛大附を全国優勝に導いたのが二年生のとき。それからおよそ十数年──プロとして活躍しながら、オフシーズンのたび桜爛テニス部をコーチして教育の下地を作り上げた。その甲斐あって七年前より始まった、桜爛全国連覇の道。
桜爛テニス部の背負う栄光の歴史は、並大抵のものではない。それをポッと出の学校に奪われてよいはずもないのである。部長である忽那とエースを担う井龍の胸にはとくに、その重責が人一倍のし掛かっている。
とはいえ、その伝説の始まりを打ち立てた当人は呑気なもので、
「まだ連覇してんのか。すげえなぁ」
と感心したように唸った。
しかし同時に、憐れむように眉を下げる。
「つっても千秋おまえ──ちゃっかり才徳に指導なんかしてやってたじゃねえか。あれはいいのかよ」
「いいんだよ。あんまり弱いヤツが挑んできたってつまらないだろ、少しくらい骨がねえと見てる方も退屈だから」
「まったく、俺ァ我が子の育て方を間違えたかな。……」
蓮十郎は苦笑した。
会場に試合開始のアナウンスが流れる。コートは一番から五番、全試合同時での開始となる。
S1試合がおこなわれる一番コート前で、井龍と伊織が鉢合わせた。伊織の顔を見るなり彼はよほど驚いたらしく息を止めている。
なにをそんなに驚くことがあろうか──と、伊織は首をかしげた。
「井龍クン?」
「──あ、ああ。七浦妹か」
「当たり前やろ。もう妹しかいてへんがな」
「……やっぱり双子だな。一瞬空目した」
「そう? むかしから双子のくせにあんま似てへんって言われててんけど、似てきたんかなぁ。それやったら嬉しいな」
と微笑む彼女に井龍はずいとラケットを見せつけた。突然のことに戸惑った伊織だが、すぐにその意図を理解する。
「グリップ! 使てくれたんや」
「ああ。決勝、才徳と当たることがあれば巻いていこうと決めていた」
「そう──それ愛織が愛用しとったヤツやねん。色も、タイプも。なんやうれしいわ」
「マネージャーには、俺が大神を完膚なきまでに叩き潰すところを見ててもらわなきゃならんからな。すぐそばで」
「見てくれてはるよ。ま、叩き潰されるんはそっちの方やけどな!」
「言ったな。見てろ、桜爛の覚悟!」
井龍は口角をあげてコートへ入る。
そのすさまじい情熱が微笑ましく、フッとわらって見送る伊織の首がふいにゴキッと鳴った。唐突な痛みに眉をつりあげると、そばには彼女の頭を掴む大神のすがたがあった。どうやら無理やり自分の方へ視線を向けさせようとしたらしい。
「痛ッ。なにすんねんアホ!」
「……ちょっと見ねえうちにご立派なこと言うようになったじゃねーか、井龍の野郎」
「ええやんか。愛織をチームメイトのひとりとして数えてくれとるってことやろ、嬉しいやん」
「…………」
大神はムッと眉をひそめた。
目の前でぽかんと抜けた顔をする伊織を見ていると、大神は妙にイライラした。理由は知らない。が、この感情のまま試合に赴いてもいい結果が生まれないことだけはわかった。ゆえに大神は大きく深呼吸をして伊織を呼んだ。
「なに」
「おまえ、いまここでなにか俺の機嫌をとるようなこと言え」
「えっ」
「早く」
「えっ──えーっと、えっと……がんばってね」
「いまいち」
「はあ? えーっじゃあ、うちを甲子園に連れてって!」
「競技がちげえ。せめて言い換えろバカ」
「言われてみればそうや。うーん──大神クンかっこええッ、日本一!」
「心がこもってない」
「文句多いなッ。ええからはよ行って勝ってこいや!」
「フ、……」
大神がちいさく吹き出した。
先ほどまでくすぶっていた胸のつかえがとれるのを感じた。自分でもどんな言葉がほしいのかが分かっていなかったが、どうやらいまので正解だったようである。いま一度、伊織の顔を一瞥したのち満足げに踵を返して、
「──俺がお前に、全国優勝を贈ってやる」
とコートへ足を踏み入れた。
「ワンセットマッチ」
各コートから審判コールが響く。
「──トゥサーブプレイ!」
全国大会決勝、桜爛大附対才徳学園の試合がいま幕を開ける。
空は、前日の雨がうそのようにからりと晴れあがり、東から昇った太陽が憎らしいほど煌々とハードコートを照らす。これまで各都道府県から地方の戦いを経て勝ち上がった四十八校の頂点に、王手をかける両校──桜爛大附と才徳学園がコート前に集合した。
それぞれの顧問が大会運営にオーダーを提出、試合開始は十分後と定められた。──泣いても笑っても最後の試合である。
才徳陣営にて、大神は倉持と天谷夏子の肩に手を回す。それを合図にレギュラーメンバーもとなりにいる人間の肩や腰に手を回してゆく。
いまさら言うことはねえ、と大神の低い声が轟いた。
「最後だ。すべての力を出しきって行け! 才徳行くぞォッ」
「応ーッ!」
と、湧く才徳陣営。
対する桜爛大附といえば、どんな局面においても冷静冷徹な態度を崩さないことで有名であった。の、だが。いま彼らはコート前の段差に愛織の写真を置き、それを囲むように半円陣を組んでいる。
忘れるな、と井龍がさけぶ。
「これはチーム一丸での戦いだ。うちのマネージャーに、勝利を贈るッ。そのつもりでゆけ!」
「応ッ」
レギュラー外の桜爛選手たちも、わっと大きく湧いた。全国大会全日程のなかで会場のボルテージがもっとも高い瞬間である。
それは観客席もおなじこと。
近くのビジネスホテルに宿泊したらしい才徳応援団の面々が、ソワソワと落ち着かないようすで試合開始を待つ。そこには飛天金剛と黒鋼高校も加わってすっかり大所帯となった。
あれ、と杏奈が周囲を見渡す。
「伊織のお父さんとお兄さんは?」
「今日はさすがに母校を応援しなきゃって、桜爛の方に行ったぞ。如月さんもそうだが千秋くんなんてまだ在学生だものな」
神村が苦笑する。
噂にのぼった如月親子は、神村のいうとおり桜爛大附が組む半円陣を遠目から眺めていた。ふたりの存在に気がつくや、井龍以下メンバーの背筋がピッと伸びる。
「如月さんッ。おはようございます!」
「おはよう。分かってるとおもうけどおまえら桜爛の名ァ背負ってるからな。親父の代から地道に下地築き上げて、七年前からつづく連覇だ」
「はいッ」
「連覇打ち止めして桜爛も落ち目だ──なんて言われないように」
千秋はにっこりと微笑んだ。
蓮十郎が桜爛大附を全国優勝に導いたのが二年生のとき。それからおよそ十数年──プロとして活躍しながら、オフシーズンのたび桜爛テニス部をコーチして教育の下地を作り上げた。その甲斐あって七年前より始まった、桜爛全国連覇の道。
桜爛テニス部の背負う栄光の歴史は、並大抵のものではない。それをポッと出の学校に奪われてよいはずもないのである。部長である忽那とエースを担う井龍の胸にはとくに、その重責が人一倍のし掛かっている。
とはいえ、その伝説の始まりを打ち立てた当人は呑気なもので、
「まだ連覇してんのか。すげえなぁ」
と感心したように唸った。
しかし同時に、憐れむように眉を下げる。
「つっても千秋おまえ──ちゃっかり才徳に指導なんかしてやってたじゃねえか。あれはいいのかよ」
「いいんだよ。あんまり弱いヤツが挑んできたってつまらないだろ、少しくらい骨がねえと見てる方も退屈だから」
「まったく、俺ァ我が子の育て方を間違えたかな。……」
蓮十郎は苦笑した。
会場に試合開始のアナウンスが流れる。コートは一番から五番、全試合同時での開始となる。
S1試合がおこなわれる一番コート前で、井龍と伊織が鉢合わせた。伊織の顔を見るなり彼はよほど驚いたらしく息を止めている。
なにをそんなに驚くことがあろうか──と、伊織は首をかしげた。
「井龍クン?」
「──あ、ああ。七浦妹か」
「当たり前やろ。もう妹しかいてへんがな」
「……やっぱり双子だな。一瞬空目した」
「そう? むかしから双子のくせにあんま似てへんって言われててんけど、似てきたんかなぁ。それやったら嬉しいな」
と微笑む彼女に井龍はずいとラケットを見せつけた。突然のことに戸惑った伊織だが、すぐにその意図を理解する。
「グリップ! 使てくれたんや」
「ああ。決勝、才徳と当たることがあれば巻いていこうと決めていた」
「そう──それ愛織が愛用しとったヤツやねん。色も、タイプも。なんやうれしいわ」
「マネージャーには、俺が大神を完膚なきまでに叩き潰すところを見ててもらわなきゃならんからな。すぐそばで」
「見てくれてはるよ。ま、叩き潰されるんはそっちの方やけどな!」
「言ったな。見てろ、桜爛の覚悟!」
井龍は口角をあげてコートへ入る。
そのすさまじい情熱が微笑ましく、フッとわらって見送る伊織の首がふいにゴキッと鳴った。唐突な痛みに眉をつりあげると、そばには彼女の頭を掴む大神のすがたがあった。どうやら無理やり自分の方へ視線を向けさせようとしたらしい。
「痛ッ。なにすんねんアホ!」
「……ちょっと見ねえうちにご立派なこと言うようになったじゃねーか、井龍の野郎」
「ええやんか。愛織をチームメイトのひとりとして数えてくれとるってことやろ、嬉しいやん」
「…………」
大神はムッと眉をひそめた。
目の前でぽかんと抜けた顔をする伊織を見ていると、大神は妙にイライラした。理由は知らない。が、この感情のまま試合に赴いてもいい結果が生まれないことだけはわかった。ゆえに大神は大きく深呼吸をして伊織を呼んだ。
「なに」
「おまえ、いまここでなにか俺の機嫌をとるようなこと言え」
「えっ」
「早く」
「えっ──えーっと、えっと……がんばってね」
「いまいち」
「はあ? えーっじゃあ、うちを甲子園に連れてって!」
「競技がちげえ。せめて言い換えろバカ」
「言われてみればそうや。うーん──大神クンかっこええッ、日本一!」
「心がこもってない」
「文句多いなッ。ええからはよ行って勝ってこいや!」
「フ、……」
大神がちいさく吹き出した。
先ほどまでくすぶっていた胸のつかえがとれるのを感じた。自分でもどんな言葉がほしいのかが分かっていなかったが、どうやらいまので正解だったようである。いま一度、伊織の顔を一瞥したのち満足げに踵を返して、
「──俺がお前に、全国優勝を贈ってやる」
とコートへ足を踏み入れた。
「ワンセットマッチ」
各コートから審判コールが響く。
「──トゥサーブプレイ!」
全国大会決勝、桜爛大附対才徳学園の試合がいま幕を開ける。
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