片翼のエール

乃南羽緒

文字の大きさ
101 / 104
第五章

100話 慢心

しおりを挟む
 本能的に相性のいい人間というのはいるもので。
 播磨十郎太にとってそれが、中津川鉄心と七浦愛織だった。
 中津川とは中学のテニス部で出逢った。これまでも本能で生きてきた播磨は、中津川とラリーを一球交わした瞬間に胸が高鳴るほどの共感をおぼえたのだった。そのときの衝撃はいまも忘れることはない。
 元来シングルスよりはダブルスが好きだったこともあり、播磨は中津川とダブルスを組むためにコーチや顧問によく掛け合った。その努力が功を奏したか、公式試合でも次第に中津川とのペアが多くなり、中学二年にあがるころにはすっかり桜爛大附属中学のテニス部内では名ペアという立場を確立したのであった。
 それからおよそ五年。
 順調にふたりのダブルスを作りあげていったことで、公式試合でも結果がついてきた。いまでは全国上位ペアとして高体連でも名が挙がるほど。とはいえ播磨と中津川は名声などに興味はない。ただ、ふたりでやるダブルスがたのしかった。
 そんなときである。七浦愛織が入部してきたのは。
 例にもれず、いまでも本能で生きてきた播磨は七浦愛織を見た瞬間に、あのころとおなじ衝撃を味わった。彼女はあまり身体が丈夫じゃないようで、練習に参加することはあまりなかったけれど、準レギュラーとの試合を見たときはそのテクニック力に仰天したほどである。
 ──彼女にも、忘れられないダブルスペアがいるらしかった。
「ずっとむかし。中学にあがってからはまったくやらなくなったんやけど、私はいまでもおぼえてる。またやりたいな」
 愛織はすこし寂しそうに言った。
 それが、双子の妹を指していることは中津川の指摘で分かった。唯一無二のペアとダブルスが出来なくなる未来など考えられない播磨にとって、その寂しさは胸に刺さり、いつか彼女がふたたびダブルスが出来るようになればいいと願っていた。
 昏睡状態から回復した愛織と話したことがある。
 彼女は、播磨と中津川のダブルスについてこう言った。
「ふたりのダブルスを見ていると、どうしても自分と重ねてしまうんよ。どうかふたりは時間の許すかぎり──ダブルスを続けてね。そしてどこまでも勝ち続けてね」
 と。
 そのときの播磨は安堵の涙でぐちゃぐちゃだったけれど、代わりに中津川がしっかりとうなずいてくれた。彼女は散る間際の桜のようにハッとするほどうつくしくわらっていた。
 ────。
 桜爛D1に死角なし。
 この五年、互いに背中を預けてやってきた。恐れるものはなにもない。
(七浦──見てろ)
 播磨は前衛。
 うしろで杉山のサーブを待つ中津川を背中で感じる。
 トスがあがる。コースはセンター。中津川のリターンが大きくクロスへ返った。明前がポーチを見送ったのを横目に、播磨の肩がぴくりと動いた。からだがポーチに出ようとざわつく。この感覚は口で説明するのはむずかしいが、本能でつぎのボールが甘めのクロスに入ることを予感しているのである。
 飛び出した。瞬間、杉山のボールが予想通りの甘めクロスに入る。播磨のポーチが相手の間をビシッと刺す。杉山は拾うだろう。しかしそこからあがってくるのはロブ。播磨はすでに構えている。
 空高くあがったロブを見据え、播磨の目がぎらりと相手前衛──明前をとらえた。
 容赦なく肩から振り下ろされたラケットがボールを叩く。スマッシュは明前の顔面へ。先ほどのハプニングがフラッシュバックしたのか、明前はあわててからだを避けた。しかしそのラケットはしっかりと捉えている。息も絶え絶えに返球されたボールを、逆クロスへドロップボレー。
 強いスライス回転によって、ボールはコートへ沈んだ。
 杉山も、明前も、もはやそのボールを追う意思はなく、コートから根が生えたように棒立ちのままボールを見つめるのみ。
「ゲームセット ウォンバイ桜爛 ゲームカウント7-5」
 審判コールによって、試合は終結。
 ベースラインから駆けてきた中津川とハイタッチを交わし、播磨は明前に歩み寄った。
「おい」
「…………」
「目、わるかったな」
 播磨はどんぐり眼を見ひらいて言った。
 対する明前は、先ほどよりもずいぶんと腫れあがった目元を抑えて口角をあげる。
「いや──もともと挑発したのは自分なんで。こちらこそ、危険球すみませんでした」
「あれ知ってるよ。七浦印の殺人ショットだろ」
「え」
「うちの七浦が打ってるのを見たことあるんだ」
「あ、愛織さんが?」
「あの心根まで綺麗そうな愛織が、あない危険球打つことあるんかい」
 杉山もおどろいたように割って入る。思い出したのか、中津川は無音でわらった。
 ああ、と播磨も空を見上げてわらう。
「ああ見えて──テニスになるとけっこうお転婆だったな。なあ鉄」
「…………ああ。そうだな」
 こうして、D1は桜爛に白星をもたらした。
 団体戦結果は桜爛リードの2-1。残る試合はシングルス二試合のみ、である。

 ※
 黒鋼高校の黒田と飛天金剛の南は、顔見知りである。昨年度の全国大会個人戦で一度対戦したことがあるのだ。
 ふたりは挨拶もそこそこにひとつの試合に集中した。──無論、仙堂対倉持のS2試合である。
 この試合に注目するは彼らだけではない。才徳応援団の杏奈や松工の馬場園、倉持の担任である神村も身をのり出して観戦している。
 倉持って、と南がぼんやりつぶやいた。
「ふしぎなヤツやんな」
 続きを待つ黒田だが、南はふと口をつぐんで考え込む。しびれを切らしてどういう意味か問うと、彼は思い出したようにまた口をひらいた。
 クールで冷静に見える彼だが、ただマイペースなだけらしい。
「あのプレー見てると、胸打たれるわ──」
「胸?」
「ほら。…………」
「…………」
「…………」
「なんばい!」
「あ、せや。はじめてのおつかいってあるやろ。あれぐっとこおへん? ちんまい子ォが一所懸命買い物袋引きずってひとりで気張って」
「ああ──」
「あれ見とるときみたいな感情なんねん。なんでやろなー……」
 といって南はまた閉口した。
 黒田にはよく分からない感覚だったが、倉持のプレーに魅せられるという意味では同意だった。昨日、彼と対戦して感じたことは『気持ちがよい』というもの。倉持のテニスはとにかく真っ直ぐぶつかってくるので、対するこちら側も真っ正面から立ち向かうことができる。
 対して桜爛仙堂のテニスは、裏の裏をかくような頭脳プレー。倉持との相性は最悪だ。──が、しかしゲームスコアは6-6のタイブレークに突入したところ。昨年度の全国大会に比べたら比較にならぬほど食らいついている。

 ──仙堂ッ。

 昨年度の全国大会初戦。
 当時S3で対決した仙堂と倉持は、6-3というスコアで仙堂が勝利した。その際、倉持が涙を瞳いっぱいに浮かべながら呼びかけてきたことがある。
「来年は見てろ。ぜったいお前に勝ってやるからな!」
 と。
 もとより、物事に熱くなることが稀有な仙堂にとって、格下ともいえた倉持の挑戦的な瞳はもの珍しく、またうらやましくもあった。よく一度の勝負でそこまで熱くなれるものだ──と。
(おもえば、眩しくすらあったな)
 仙堂の口角があがる。
 なるほどここまで十二ゲームを終え、タイブレークまできた今になって、倉持の著しい成長が感じられる。前回の試合ではすこし揺さぶれば途端にプレーがガタガタに崩れていったというのに、十二ゲームという長丁場になってもいまだに彼のプレーは寸分もブレがない。
 リターンのためこちらをじっと見つめる彼の瞳は、むしろこれからが本番だと言いたげにギラギラと光を包有する。
(スタミナだけは化け物級だな。……)
 タイブレークカウント1-0の仙堂サーブ。
 ファーストがネットにかかった。ここにきて初めてのサーブミスである。セカンドサーブは内角に入るも、ファーストに比べるとスピードが劣った。倉持のリターンはきわどいコースに入る。
(俺を振ろうとはいい度胸だッ)
 仙堂は逆クロスへ向けてストロークを放った。が、コースは甘くセンター寄りへ。
(くそ)
 舌打ちをして、ふたたび倉持の返球を左奥へ放つ。しかしそれもまた倉持の足元へ落ちた。どういうことだ──と頭で考える仙堂。しかし考えるまでもなく、その答えは自身の中にあった。だるく重い利き腕と鉛がついたようなふくらはぎの感覚。気付きたくはなかった、が。
(スタミナが、……)
 ラリーを打ち合う仙堂の息が荒くなる。
 見るかぎり、倉持には余裕がある。むしろタイブレークに入ってから彼のコントロールテクニックが格段にあがった気すらする。
(生意気になりやがって──)
 脳裏によぎった敗北の二文字。
 まさか、自分が負けるはずはない。格下の倉持に。格下の──。
 ────。

「ゲームセット ウォンバイ才徳 ゲームカウント7-6 タイブレークカウント7-5」

 敗因は、と聞かれたら。
 仙堂は迷いなくこう答えるだろう。
「慢心」
 と。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される

けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」 「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」 「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」 県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。 頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。 その名も『古羊姉妹』 本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。 ――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。 そして『その日』は突然やってきた。 ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。 助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。 何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった! ――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。 そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ! 意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。 士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。 こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。 が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。 彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。 ※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。 イラスト担当:さんさん

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

処理中です...