R.I.P Ⅲ ~沈黙の呪詛者~

乃南羽緒

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第一夜

第1話 まほろば

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 白くきめ細やかな柔肌を胸に掻き抱く。
 猫のような軟体は、腕のなかでくたりと折れた。
 意識のない少女の頸が反る。
 首筋に浮かぶ薄紫の血管がわずかに動いたことで、少女の生存を確認する。
 ──よかった、生きてた。
 ──お前は生きていた。
 無意識に漏れる声と嗚咽。
 思いがけず溢れ出した涙が、少女の頬をしとどに濡らす。
 ──すまない。すまん。
 このまま、連れ去ってしまおうかとおもった。
 自分にはその責務があると確信していた。

 けれどそれは叶わぬことだとも──知っていた。

 ──■■■……。

 いやに騒がしい。
 やはり、自分は厄を呼び込むか。
 少女から身を離す。
 やがて草臥れた足に鞭を打った。──

 ※

 警視庁刑事部捜査第一課所属の三國貴峰巡査部長は、めずらしく胸を痛めている。
 共感や憐憫の情を持たぬ男である。これまで、幾度となく惨たらしい遺体を前にしても、子を亡くした親と対峙しても──同情こそすれ、それほど心は動かなかった。事件を追うなかで三國を掻き立てる原動力といえば、それは好奇心にほかならない。
 なぜ殺したのか?
 なぜこの方法を選んだのか?
 なぜそこに至ったのか?
 なぜ──そこまで人を憎めるのか?
 三國には分からない。
 ただでさえ他人に関心の薄い男である。人に対して喜怒哀楽の情を持つは、三國にとって、ひと駅分を歩くくらいに大ごとであり、体力を使うこと。ゆえに、喜怒哀楽を越えた一際重たい感情を抱く殺人犯の心の動向は、とても興味深く、ある種の羨望すらある。
 そんな男が、
 ──遣りきれねえや。
 と胸を痛めている。
 原因は、昨日あがった遺体にあった。

 昨夜八時頃、多摩川の川縁に『マネキンの上半身が棄てられている』という通報を受け、警官が駆けつけたところ、人の死体であることが判明。遺体は股関節から下の両脚が切断されており、残された半身も衣服の着用はなかった。
 遺留品もなく、身元特定は手こずるかとおもわれたが──ほどなくして、前日に捜索願が出されていた付近の高校生男子であることが判明。遺体の状況を見て、一週間前に発生した事件と同一のものと断定。捜査本部は連続殺人事件に切り替えた。
 一件目の事件は、目黒区の公園内にて両腕欠損した男性遺体が、掃除夫により発見されたことからはじまった。身元はすでに判明し、所轄刑事たちがその身辺洗い出しに奔走する最中の二件目だったのである。

 被害者は発見場所から程近い明城学園の生徒だった。
 陸上部に所属し、都の大会でも好成績を記録した若きホープ、宮内颯人みやうちはやと少年。文武に長けた優等生で、大手商社執行役員の父とパート勤めの母を持ち、品行方正を絵に描いたような好青年であったと口々に語られた。
 彼の凶報は、家族はもちろん近所の人々や同級生、教師に至るまでを失意の底へと突き落とした。とはいえ、ふだんの三國ならば「お気の毒に」程度だろうが、今回ばかりは事情がちがった。

 そのはいま、三國を前にしてぐずぐずと泣き暮らしている。
「だって──だって、颯人センパイが恨まれるわけないんだもん。ヒック、颯人センパイはホントに、カッコ良くて、うっ──誠実で。恨んでいる人がいるならきっと、恨む人に問題があるに決まってる! ッウ、うえええん──」
「────」
 松元瞳。
 同学園の陸上部後輩であり、なにより三國の妹でもある。血のつながりはない。どころか、親の再婚でもない。
 三國らは、児童養護施設“まほろば”で育った。
 まほろば第一児である三國は長男として、ともに過ごした子を弟妹として従え──もとい可愛がった。この瞳もそのうちのひとり。十六歳の現役女子高生として、現在のまほろば次女役を担っている。の、だが。
 ──なんだかなぁ。
 と、三國はふたたび胸を痛める。
 どうやらこの愛妹、宮内颯人に恋い焦がれていたらしい。被害者の高校名と部活を聞いた時点で、瞳となんらかの接点はあっただろうと察したものの、まさか好きな人とは。
「私──つぎの大会で自己ベスト更新できたら、先輩に告白しようっておもってたの」
「マジかィ」
「それなのに酷すぎる──先輩の脚だって、いちばん大切にしてたのにッ。持っていっちゃうなんて、ホント頭おかしいよッ」
 瞳はとうとう泣き崩れた。
 施設のなかでも剽軽で、弱いところを見せたがらない彼女がこれほど取り乱すのは珍しい。これ以上の聴取は酷だろうと判断し、三國は部屋へ戻るよう告げた。幾度かしゃくりあげてから、彼女は力なく立ち上がり、リビングを出ていく。入れ替わるようにして駆け寄るは、ほかの弟妹たちである。
「瞳ねーちゃんなんで泣いてるの?」
「たか兄が泣かした!」
「なんで?」
「ねえなんで?」
「うるせえなァ。いま兄ちゃん仕事してんでィ、邪魔すんならオメーらのことも泣かすぞ」
「キャー!」
「きゃー!」
 バタバタと散る弟妹。
 三國は、ソファの背もたれに頭を預け、目を閉じた。

 人から恨まれぬ人間はいない──と、おもう。
 愛される人間を逆恨みして犯行に及ぶケースは少なくない。動機が判明するたびにずいぶん身勝手な、と驚愕するが、哀しいかなそれが現実である。ゆえに、善人たる宮内少年が狙われてもなんらおかしいことではない。
 しかし遺体状況を考えれば、同級生などの未成年がやったとも考えにくい。検視官の見立てでは「人体や医学知識がある人間でなければ、あれほど見事に股関節から脚を切断することは難しかろう」とのこと。三國も、その点は同意だった。
 だとすると、犯人との接点はどこか。
 宮内少年の交遊関係に、そのような人物は影もない。犯人像が大人ならばあるいは、親つながりの可能性。まずは親の勤務先から当たり、家族ぐるみでの交流がある人物をピックアップするか──。
 と、考えをまとめたところで目を開けた。
 途端、目に飛び込んだ顔に息を止める。弟妹よりも見慣れた顔。同僚の三橋綾乃巡査部長である。
「あ──姐さん」
「姐さん言うなっつの。大丈夫?」
「は。エ?」
「めずらしく考え事してるから。そっちのヤマ、そんな大変なの。まあ連続殺人に切り替わったらしいからね」
 言いながら三橋はソファの前にまわり、となりに腰をおろした。意思の強そうな猫目と小ぶりな唇に浮かぶ不敵な笑みはそのままだが、いつものパンツスーツ姿ではなく、淡いブルーのブラウスに白のスキニーパンツというカジュアルな格好である。
 非番ではない。彼女は今日、職務の一貫としてここ“まほろば”へと足を運んでいる。
「そっちこそ──まだ聞き出せねえんですかィ。方々から」
「簡単に言わないでよ。あの野郎、この半月間で喋ったことといったらなんだとおもう? 『タバコ』。てめえほかに言うことあんだろって机蹴り上げるとこだったよ」
「血の気多いなァ。こっちの沈黙者にはそんなことしねえでくださいよ。ビビって愈々なんにも聞き出せなくならァ」
「するわけないでしょ。被疑者とちがってこっちは、被害者遺族だし。なによりアンタの妹になったわけだしね?」
 といって、三橋は柔和にわらった。
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