R.I.P Ⅲ ~沈黙の呪詛者~

乃南羽緒

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第九夜

第53話 尊き日

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 新宿、メディカルセンター。
 救急で搬送された黒須景一は、当院外科医である藤宮孝太郎の手術によって一命を取り留めた。救急車に同乗した岩壁も傷は浅いもので、簡単な処置ののちは入院の必要性もなく、とはいえ景一の身の安全を考えて医者に無理を言って用心棒として一夜を過ごした。
 景一の容態が安定したと報告をうけた沢井は、ようやく将臣の携帯へと連絡を入れる。その時点で、すでに事件から一週間が経過していたわけだが、将臣はわずかに声を弾ませてその報告を受けた。
 電話の背後からは、恭太郎と一花の声も聞こえた。
 彼らと黒須景一のつながりは何か──沢井はいまだに知らない。ただひとり訳知り顔をする森谷も、すこし言いにくそうに「こんど話すわ」との一点張りで、詳細を語ろうとはしなかった。
 ──ここからの事も、あとから聞いた話である。

 その日、黒須景一は惰眠をむさぼっていた。
 とはいえいまだ腹部の傷は塞がっておらず、下手に動くこともままならぬ状態ゆえの睡眠であった。連日寝たきりのためいよいよ寝るのも飽きたが、瞼を閉じればふしぎと眠気はくるもので、景一はまどろみの波に身をゆだねていたのである。
 病室の外がさわがしくなったのは午後一時。
 部屋の隅でひとり雑誌を読んでいた岩壁が、パッと壁際に寄って警戒に当たる。が、その警戒はすぐに解けた。なぜなら聞こえくる声が陽気で聞き覚えのあるものだったから。
 岩壁が先に扉を開く。
 いままさに扉に手をかけていた恭太郎と目が合った。
「アッ」
「やっぱりこいつか──」
 ちいさな声でつぶやいたつもりだが、恭太郎の耳は当然拾っている。
「やあ。お待ちかねの藤宮恭太郎が見舞いに来てやったぞ。オプション付きだ」
 と言いながら身体を横に避けた。
 そこにはオプション──もとい、ふたりの男女が立っている。岩壁的には初対面だが、黒須の人間としては容易に察しがつく。このふたりが浅利将臣と古賀一花であろう。
 将臣の顔は涼しいものだが、一花の顔は不安げに病室のなかへと注がれている。
「入れ」
 と、岩壁が顎をしゃくって三人を招き入れた。

 景一は寝ている。
 寝顔を覗き込みながら、岩壁は声量を抑えて言った。
「沢井という刑事から、近々大学生がここに来るだろうことは聞いていた。まさかこんな早くに来るものとは想定外だったが」
「なんのために僕があんなことしたと思ってるんだ。すべては今日この時のためなんだぞ、さっさと来ないでどうする!」
 言うなり恭太郎は景一の寝顔に顔を近づけ、
「オハヨウッ」
 とさけんだ。
 コラッと岩壁が目くじらを立てるなか、景一のからだがビクリと揺れた。
 それを見た一花が将臣の背中に身を隠す。恭太郎はなおも景一の耳元で大きく息を吸いこんでいる。また叫ぶつもりらしい。
「スゥーーーーーーーーー、オハ」

「そんなに叫ばなくっても聞こえてるよ」

 と。
 芯のない寝起きの声がした。
 恭太郎の顔に太陽のような笑みが浮かぶ。一花と将臣は、なんとなく緊張でからだを強張らせる。岩壁が跳ねるようにベッドのそばへ駆けつけた。
「景一さん。すみません、うるさくて」
「ンン──岩壁ェ。いま何時」
「午後一時です」
「はァ。一日長ェなあ」
 いまだ目をつぶったままごろりと寝返りを打った景一。しかしなにを思い至ったか、バチッと目を開けて勢いよく上体を起こした。
「イッ。いつつつつつ──」
 腹部の傷がひきつって背中を丸める。
「あーあー。腹部怪我しているのに、腹筋を使うヤツがありますか」
「う、うるせえ──って。え? あ、あれ?」
 景一はようやく病室の状況に気が付いたらしい。
 ぱちくりと目を丸くして、目前の恭太郎を凝視する。
「ふ、藤宮の坊主──」
「恭太郎だよ。こないだぶり」
「無事だったか、よかった」
「当たり前だろ? 僕の目的はいまこの瞬間のためだったんだから──」
 といって、恭太郎はゆっくりと身体をずらした。
 彼の長躯に隠れていたふたりのすがたが景一の前に現れる。立ち尽くす将臣と一花を前に、景一はことばを失くした。
「────」
「あー、と。景一さん。俺ァすこし出てきます。何かありましたら電話ください」
 空気を読んだか、岩壁はゆっくりと病室の扉に手をかけた。
 すると意外にも恭太郎がその背中にぴったりくっついて行く。それにつられて将臣もするりと部屋の外へつづいた。ただひとり取り残された一花が、あっあっと慌てふためく。
「ちょっと、将臣まで行っちゃうのオ」
「そんなに時間かけず戻ってくる」
「────」
 将臣のことばを最後に、病室の扉は三人を呑み込んでぱたりと閉じた。
 病室内にしばしの沈黙がただよう。
 一花はもじもじと身をよじりながら、ゆっくりと景一に目を向けた。彼はまっすぐ一花を見つめている。その瞳は一花が大人たちに向けられてきたもののなかでおそらく一番、愛のこもった視線だった。
 あ、と意味のない言葉が喉からこぼれる。
「あの──えっと」
「イッカ」
「!」
 景一が一花にむけて手を伸ばした。
 その腕からつながった管が痛々しくて、一花は眉を下げる。そして誘われるように一歩、また一歩と近づいた。
「────」
「イッカ──」
 一花の手が、こわごわと景一の手に触れた。
 やつれた目元が細まった。
「け、ケイさん?」
「…………」
 やがて、景一は一花の手を引くと、上体を伸ばして彼女を抱き込んだ。
 上半身を折るような体勢でなすがまま景一の腕のなかに収まった一花。記憶の彼方、掘り起こしても出てこなかったはずの男との再会は、なぜだか一花の胸をいっぱいに満たした。景一の腕のなかで、次第に一花の目からあふれた大粒の涙。それは景一の衣服をしとどに濡らしていく。
 同時に、景一の瞳もまた泉を湛え、やがてあふれた一筋の涙が一花の肩口を濡らした。
「う──ッう、う、ううう──」
「イッカ──ごめんな。イッカ──」
「うええええ──…………」
「よかった──ほんとうに──よかった」
 親子でもない、恋人でもない、一見すれば赤の他人。
 それなのに抱擁から伝わるぬくもりは、家族を知らぬ一花にとって初めての温かさであり、よろこびであった。
 それからしばらく、病室には一花の泣き声と景一の無声の嗚咽が響き渡っていた。

「将臣も残ったらよかったのに」
 恭太郎がぼそりとつぶやいた。
 てっきり残るものとおもっていた。幼いころにかわいがってもらったのは一花だけでなく、将臣も当事者であったはず。しかし将臣は苦笑しながら首を横に振った。
「あのふたりの再会を願っていたのは、おれもおなじだ。父さんや森谷さんから話を聞いてその願いはどんどん強くなってた。まずはふたりの時間が必要だとおもったんだよ」
「ふうん──まあ、それならあとでお前も存分にかわいがってもらうといいよ」
「なんでそうなる。おれだってあの人のことは、もちろん憶えちゃいるけど──それでも父さんの知り合い程度の認識だったんだ。一花ほど思い入れもない」
「ふしぎだなァ。イッカのやつ、記憶は残ってないのにさ」
「きっと身体が、ぬくもりを覚えていたんだよ。時に身体は脳みそよりも記憶力がいいときがある」
「そんなもんかね。──」
 四階の病室から一階のロビーにおりてきた。
 それでも、恭太郎の耳には何かが届いているのだろう。彼は子守歌でも聞くようなうっとりした表情で耳を傾けていた。将臣もとなりで静かに目を閉じている。そんなふたりの会話を黙って聞いていた岩壁は、気づかれぬよう、ひとりサングラスの奥の瞳を濡らした。
(長かった。長かったなあ。景一さん)
 十数年。
 彼らの再会が果たされることをだれより望んだのは、きっと──。
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