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新人魔導師、配属される

同日、9時7分

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 地下5階に来るのは初めてだ。
 和馬に地下への扉を開けてもらった天音は、副所長室のある階へと来ていた。

 他の階とは異なり、ここは夏希しか使っていないフロアだ。一体、今はどの部屋にいるのだろうか。辺りを見回していると、「ついさっき起きました!」という顔をした夏希がひょっこり現れた。

「おはよー」
「おはようございます……あの、ええと……早すぎました、かね?」

 元々ふわふわの猫っ毛の夏希の髪が、さらにあちこちにはねている。だが、さすがに上司に寝癖がすごいですよなどと言えず、さりげなく「支度する時間がなかったのか」と問う。

「んー、だいじょぶ、そんな気がしてたからー」

 わかっていたうえでそれか。
 もうこの人はこういう人なのだと諦め、天音は何も言わないことにした。

「ここが執務室、事務仕事とかしてるとこ」
「あ、はい」
「あっちが寝室代わりにしてるとこ」
「はい」
「んで、奥が研究室。結構ヤバめなものとか置いてあるから気を付けてねー」
「え、あ、はい、気を付けます……」

 奥には行かないことにしよう。天音はそう誓った。何かの拍子にとんでもないことに巻き込まれたら最悪である。

「さて、今日は地下1階、ラボにいる技術班に会いに行きまーす」
「はい、よろしくお願いいたします」
「念のため渡しとくね」
「なんですか、これ」

 渡されたのはキーホルダーのようなものだった。魔導技術が使われているようで、魔導文字が刻まれた水晶が埋め込まれており、飾りの部分には長い紐が付いている。

「防犯ブザー。魔力込めながら紐引っ張るとあたしに連絡が行く」
「ぼうはんぶざー」
「班長になんかされたら引っ張ってね」
「なんかされたら」
「あー大丈夫大丈夫、犯罪とかではないから。ただ、ストッパーでも止められなくなったら引いて。あたしが行くから。流石にずっと着いてあげられるわけじゃないし、今日はほとんど技術班にお願いしちゃうからさ」

 一瞬にして不安になった。
 防犯ブザーを握りしめ、地下1階へと上っていく。

 トレーニングルームの奥の広いスペースに、ラボはあった。

「はいはーい、夏希ちゃん来たよー」

 ノックをすることもなく、夏希は扉を開いた。

「副所長、ノックくらいはしてください」
「あたしだって最初はしてたよ。けど集中してたり爆発音してたりで気づかなかったじゃん」
「それは……すみません」

 爆発音とかいう聞き逃せないワードが聞こえた気がする。
 恐る恐る部屋を覗くと、穏やかそうな好青年と目が合った。

「あ、新人さんだ。初めまして、僕は技術班副班長……といっても、他に班員はいないんですが、一応そういう役職についてます、増田透といいます。伊藤天音さん、ですよね?」
「は、はい! よろしくお願いいたします!」
「わ、丁寧な人だぁ……うちにいないタイプですね」

 癖の強い人物ばかり見てきた(聞いてきた)天音にとって、透は新鮮だった。やっと話が通じる人がいた、という気持ちだ。

 が、しかし。こんな研究所にいる人物が普通なわけがなかった。
 透は少し離れたところの床を指さし、爽やかな笑顔を浮かべて言った。

「で、そこに転がっている不審者が一応ここの班長をしている北山葵です。アイツに何かされたらすぐ僕か副所長に言ってくださいね。殴ってでも止めます」

 表情だけで言えば、イケメンのとびきりの笑みだった。だが、放つ言葉には多量の毒が含まれている。

「え、ええと……」

 天音が困ったようにしていると、床に転がっていた葵が驚く程の勢いで跳ねるように立ち上がった。

「誰が不審者ッスか! そっちが蹴ってきたくせにぃ~!」
「やかましい」

 仮にも上司、しかも女性であるというのに、透は容赦なくチョップをした。一応手加減はしているのかもしれないが、一切ためらいなく行われたその行為に、天音は思わず顔を引き攣らせた。

「暴力反対!」
「大人しくしてください、新人さんが困ってます」
「新人……?あ、ヤベ、忘れてたッス!」
「反省しろ」

 さらにもう一撃チョップを喰らい、涙目になった葵はようやく天音に気付いたようだ。

「いやマジで申し訳ないッス、かんっぜんに忘れてました」
「あ、いえ……だ、大丈夫です」
「改めまして! 自分、北山葵っていいます、ワサビって呼んでください!」
「は、ええと……?」
「山に葵でワサビって読むから、だそうです。呼ばなくていいですよ」
「横のコイツはカラシッス!」
「増田透の響きがマスタードに似てるってことと、不本意ではありますがワサビの相棒なのでそう呼ばれてます。これも呼ばなくていいです」

 通訳(透)がいないと話ができない気がする。
 彼の言葉に甘えて、渾名呼びは控えさせてもらおう。

「んじゃ、あとは葵と透に任せるね。よろしくー」

 そう言って、夏希はどこかへ行ってしまった。まあ、国立研究所の副所長を務めるような人物だ、多忙なのだろう。

 それはともかく。

「副所長も渾名呼びしてないんですね……」
「してる方が少数派なんで、ホント気にしないでくださいね」

 疲れたように透は言って、深い溜息をついた。
 やはり、彼はこの研究所においては真面な方である。
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