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新人魔導師、配属される

同日、18時3分

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 その日の夕刻。研究員たちは食堂に集められた。天音が配属されてから、こうして全員が揃うのは初めてかもしれない。とは言え、相変わらず所長はいないのだが。

「天音がウチに残るのが決定しましたー。つーわけで、賭けは和馬の一人勝ち。転属、退職に賭けてたヤツは自腹でキッチン家電購入。透は絶対1万は出せよ」
「あ、俺、副所長に言ってたのに……」
「あたしは賭けるなんて一言も言ってねぇよ」
「え、ちょ、何私で遊んでるんですか!?」

 天音は思わずツッコミを入れる。人の知らないところで何やってんだこの人たち。

「お、俺は、伊藤さんが残ってくれるって、信じてましたからねっ!」
「あ、ありがとうございます、山口さん……」

 キラキラとした瞳で言う和馬。彼だけは自分を信じてくれていたのだ。嬉しさについ涙がこぼれそうになった。が、しかし。

「賭け、言い出したのソイツだぞ」

 もう対新人モードでいるつもりがなくなった、素の夏希がぼそりと呟いた。初日の頃のあのテンションは疲れるらしい。

「や、山口さん、信じてたのに……」
「あ、いや、その、決して新しいミキサーが欲しかったからとかそういうわけではなくてですね……」
「墓穴掘ってる」
「言わなきゃいいのに」
「何気に物欲すごいよね、和馬」

 慌てたせいか、本心を口走ってしまった和馬を見て双子と恭平が笑う。葵はずっと笑いっぱなしだ。それを透が失礼だと小突いて、それに気づいた夏希と雅がやれやれといった表情で肩をすくめる。

 第5研究所の日常が、そこにあった。
 その中に自分がいることが、入ることを許されたことが嬉しかった。

「おい野郎ども」
「海賊にでもなるつもりか、たわけ」
「ってか野郎って一纏めにしないでもらっていいッスか? 自分たち女子もいまーす」

 パンパンと手を叩いて、夏希が一同へ声をかける。今時そうそう聞かない呼びかけだ。案の定、雅からの説教と葵からの抗議の声が上がる。

「はいはい、一同注目」

 心底面倒臭そうに言い直す夏希の足元には、例の黒猫がちょこんと座っていた。まるで紹介されるのを待っているかのようだ。

「天音もウチの一員。流石にそろそろ監視は辞めていいんじゃねぇの、所長。さっさと挨拶しとけよ」

 夏希は足元の黒猫に声をかけた。
 天音以外、周囲の誰一人驚く様子はない。それが自然なことであるかのように、何も言わず黒猫を見つめている。

 まさか、この黒猫は初の魔導適性がある動物だとか、そういうことなのだろうか。

「確かに、このままでは失礼ですかね」
「しゃ、喋った!?」

 黒猫の口から流暢な人語が飛び出した。やたらと甘い、良い声である。

 いや待て。夏希は先ほど、黒猫に「所長」と呼びかけていた。雅の話では、所長は清水零といって、夏希の夫だという。つまり、この黒猫は人語を解す魔導師ならぬ魔導猫ではなく、人間なのだ。

「げ、幻像魔導……?」

 それにしてはやけにリアルだ。触れた毛の柔らかさや体温まで再現できるはずがない。
 ということはつまり。

「え……猫と結婚したんですか……?」
「ああ? なんでそうなんだよ」
「きゃははははははは! 傑作ッスね!」
「笑ってんじゃねぇよ葵! おい零、さっさと変身解きやがれ! このままだとあたしが変態扱いされんだろうが!」
「はいはい、女王陛下の仰せのままに」

 黒猫がそう言うと、闇よりも濃いような黒の魔力が食堂に漂った。魔力は猫の体を包み、ゆっくりと大きくなっていく。

「この姿では初めまして……ですね。この研究所の所長をしています、清水零と申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 燕尾服のようなデザインの魔導衣を纏った、長身の男性が立っていた。胸に手をあてて一礼する様子は、まさしく執事である。

「な……え、どういうことですか……」

 魔導研究が開始されてから12年。人類はまだ、かつての魔法の8割以上を魔導として使えていないという。

 かつては当たり前のように使われていた術の1つ、それが変身。物の姿を変える術は、魔法が失われたころのおとぎ話の時代から、人類が焦がれてやまない術だ。その発動方法、魔導文字の痕跡、必要な魔力量、そのどれもが未だ謎のままとされている。

 それが今、目の前で行われたのだ。混乱するのも当然だろう。
 そんな天音に、零は笑って説明する。

「これは僕の固有魔導です。人であろうが動物であろうが、僕の知っているものであればどんなものにでもなれる。例え12時の鐘が鳴ろうと、解けることはありません。解除の方法は僕の意志のみ。とは言っても、それなりに疲れるので定期的に解きましたけどね」

 魔導よりもはるかに威力の強い魔法でさえ、解除の条件というものはある。零の言ったような、時間による制限が最も多い。しかし、今のそれは、時間さえ無視した、彼だけの力。

 その他の誰も再現できない力を、固有魔導と呼ぶ。
 高位の魔導師の大半が固有魔導を有し、その力を利用して魔導研究を進めているという。

「この数日間、実は研究所にいて貴女を監視していました」
「キモかったらキモイって言っていいぞ」
「妻が僕の味方をしてくれない」

 容赦のない一言に零が落ち込む。しかしすぐに気を取り直して話を続けた。

「これも研究所と研究員を守るためです。どうかわかっていただきたい」
「は、はあ……」
「正直、僕は自分の目で見たものか夏希の話しか信じていないので。初めは貴女を疑っていました。これまでの何人、何十人と同じなのだろう、と。ですが違った」

 ふいに、零が柔らかく微笑んだ。

「貴女はここに残ることを選んだ。弱い自分を受け入れ、前進した。それだけでもう、貴女は今まで来た、そして、すぐに消えていった魔導師たちとは異なる」
「所長……」
「改めまして、第5研究所へようこそ。我々研究員一同、伊藤天音魔導解読師の配属を歓迎いたします」
「今晩はご馳走ですよ!」

 和馬が魔導文字を書くと、テーブルいっぱいの料理が湯気を立てて並んだ。
 どこからか酒まで出てくる。
 葵の歓声、双子が出した爆音を立てるクラッカー、勢いよく開けられたシャンパンのボトル。まさしくどんちゃん騒ぎである。

「うるさいヤツらばっかで悪いな」
「……いえ。嬉しいです」
「そーかよ」

 ふ、と。夏希が笑顔を見せた。人当たりのいい作った笑顔ではなく、素の、ただの「清水夏希」の笑みだ。

「副所長……私、ここに来れてよかったです。ありがとうございます」
「あ? 聞こえねぇな」

 そんなことを言いながらも、夏希にはしっかり聞こえていることに、天音は気づいていた。不自然にそらされた顔がその証拠だ。

「照れてるんですか?」
「暑ィんだよ! お前いい性格してんな!」

 赤くなった顔を隠すように夏希は立ち去った。
 そのまま夫の元に逃げていく彼女を追いかける。
 楽しそうに笑う天音の瞳はもう、冷めてはいなかった。

(ここで、頑張ってみよう。魔導師として、研究員として)

 期待と希望で光る目を前に向け、天音は食堂の中心へ足を踏み入れた。

 これが、伊藤天音の、魔導師としての第一歩である。
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