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第一章 馬鹿王子、旅立つ
第5話 馬鹿王子、手のひらを返される
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パーティーの一件の翌日、私は王都マッシリアを離れ、馬車で二日の行程を経て、エリシオンの実家に戻った。
マルグリス様との婚約を破棄された以上、王都に留まっている理由は何もなかったから。
部屋に籠り、なすこともなく物思いに耽る。
どうしてこんなことになってしまったのだろう――。
マルグリス様と私は、もちろん親同士が決めた婚約者で、政略的な結び付きではあったけれど、魔法学校でも同級生として共に過ごし、愛情を育んできたと、そう信じていたのに。
そんなふうに思っていたのは私だけだったということなのだろうか。
そしてレニー。
魔法に関しては数百年に一人の天才と言う他ないほどの才能に恵まれた赤毛の少女。
平民出身で言葉を飾ることを知らず、恐れというものも知らない彼女は、マルグリス様のことを「マグ」などという愛称で馴れ馴れしく呼んでいた。
けれど、それはどちらかと言えば友情寄りの親愛の表現であって、王太子殿下を篭絡してあわよくば王妃に、などと考えるような子ではないと思っていたのに。
これも、私に人を見る目が無かったということなのだろうか。
信じていた人たちに裏切られ、今は何をする気にもなれない。
これから一体どうなってしまうのだろう。
マルグリス様のお母上だった前王妃様は、彼が四歳の時に病で亡くなられ、後妻に入られた現王妃様は二男一女をお産みになっている。
もしかして、弟君たちのどちらかと、あらためて婚約することになるのだろうか。
正直気が重い。
それは、弟君たちとは六歳以上も年齢が離れているだとか、人となりがどうだとかいうことではなく。
やはりマルグリス様のことを、そう簡単に吹っ切ることはできないのだ。
そして、マルグリス様はあの後どうなったのだろうか。
当然国王陛下はお怒りになっただろう。
王位継承権を剥奪されるというような事態さえありえることだ。
いや、私がここで思い悩んだところで、どうなるものでもないのだが。
「お嬢様、旦那様がお呼びです」
侍女のアンナに声を掛けられて、私は思考を中断した。
お父様とは、こちらに戻って来て事情を報告した後、顔を合わせていない。
私から話を聞いて、お父様は一瞬だけ怒りの表情を露わになさったが、一言も口にはなさらず、何事か考えこまれている様子だった。
その後、秘書たちに何か命じておられたようだったけれど、マルグリス様の暴挙に何か裏があるとお考えなのだろうか。
もしそうだったなら――。
「お嬢様?」
いけない、いけない。また考え事に耽ってしまった。
「すぐ行きますと伝えて頂戴」
アンナにそう言って、私は手短に身だしなみを整え、お父様の執務室へと向かった。
「リエッタ、事情が判明した」
私が執務室に入るなり、開口一番、お父様がそうおっしゃった。
「事情、ですか?」
単なるマルグリス様のご乱心ではなかったということなのだろうか。
「ああ。チャールズの大馬鹿者め。私がお前たちの結婚式のため王都に出向いたところを捕らえて、謀殺する企みだったらしい」
「はぁ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
国王陛下が、ユグノリア公であるお父様を謀殺? 正気の沙汰とは思えない。
「私も、さすがにあやつがそこまで馬鹿だとは思っていなかった。あやつを甘く見ていたということかな」
いや、さすがにそのような事態を想定するのは難しいのではないだろうか。
もちろん、政治の世界は魔境も同然、握手で差し出された手に毒が仕込まれていたり、味方だと思っていた人間に背後から刺されたり、といったことも日常茶飯事であるし、お父様とて油断をなさるような方ではないのだが……。
「理由は、やはり領地替えの件でしょうか?」
先代の頃から、ユグノリア公領と王国直轄領との領地替えについて何度も打診され、それをきっぱり断って来たという話は知っている。
そして、当家が絶対にその話を飲むことはありえないということも。
「それだけが理由というわけでもないだろうがな。エリシオンの鎮護は当家の務めだ。決してこの地を明け渡すわけにはいかぬ」
「存じております」
それは、聖女ユグノリアから代々受け継いできた使命。もちろん、私もそのことは十分に承知している。
それにしても――。
「あの、もしかして、マルグリス様はその陰謀を回避するためにあのようなことを?」
お父上の企みをお知りになり、お父様や私を救おうとしてくださった?
「彼が事情を知っていたと断定できる証拠は無いが、おそらくはそういうことだろう」
私はその場にへたり込んだ。
マルグリス様は心変わりなさったのではなかった。何もかもを捨ててまでも、お父様や私を救おうとしてくださったのだ。
「わ、私……。マルグリス様を疑ってしまった……。他の女性に心変わりして、あのようなお振舞いをなさることなどあり得ないと、ちょっと考えればわかることだったはずなのに……」
羞恥と後悔の涙が溢れ出る。
「仕方なかろう。まさかそのような裏の事情があろうなどと、想像の範囲を超えている」
「ですが……。お父様は、私の話をお聞きになって、何か事情があるのではないかとお察しになったのでしょう?」
「それはこの年齢になって、客観的な立場で話を聞かされたからこそだ。自分を責めるな」
「はい……」
お父様に慰められて、ほんの少しだけ気持ちが楽になった。
それでも、マルグリス様に対して申し訳ない気持ちは、ずっしりと胸の奥に鎮座していたが。
「まあ、お前が騙されなければ、彼が大芝居を打った意味もなくなってしまっただろうからな。仕方あるまい」
お父様がくすくすと笑みを浮かべられる。お父様のこんな表情はめったに見ることが出来ないのだが、今はちょっと恨めしい。
「お揶揄いにならないでください、お父様」
「おっと、すまぬ。しかし、マルグリス殿下、前々からしっかりしたお子だとは思っていたが、とてもあの馬鹿王の子とは思えぬな」
このような状況であっても、マルグリス様が褒められるのは嬉しい。
あの方はやはり、ご立派な方だったのだ。
そこでふと気付いて、私はお父様に尋ねた。
「あの、ということは、レニーも事情を知っていたのでしょうか?」
「おそらくはな。レニー嬢とは試問会の時に一度会っただけだが、王太子殿下を誑し込もうなどというような野心を抱く人間には見えなかったぞ」
お父様に他意は無かったのだろうが、友人のことを信じられなかった私の胸に、またしてもぐさりと突き刺さる言葉だった。
本当に自分が情けない。
お父様は私が落ち込んでいる姿をじっと見つめておられたが、不意にこう切り出された。
「リエッタ。お前、マルグリス殿下をここへお連れしろ」
「は? あの、それはどういう意味でしょうか?」
お父様の真意が読めず、私は尋ねた。
「例の一件の後、馬鹿王はマルグリス殿下の王位継承権を剥奪した。つまり、王位継承権は現王妃イライザ様のお子たちに移ったわけだが、このままだと、外戚として権力を握る夢に憑りつかれた連中に、殿下が害される恐れがある」
それは……、確かにあり得る話だ。
「命の恩人を見殺しにしては寝覚めが悪いのでな」
お父様は冗談めかして言っておられるが、私は懸念を口にした。
「けれどお父様。廃嫡された元王太子殿下を当家が保護するということは、陛下を完全に敵に回してしまうことになるのではございませんか?」
「謀殺されるところだったのだぞ。今さら何を言っている。もちろん、内戦など私も望まぬが、馬鹿と対決する上で、マルグリス殿下を婿に迎えておけば、我らの切り札になるだろう」
さらりと放たれたその言葉に、私は声にならない叫び声を上げた。
え? え? マルグリス様と結婚? 私が? いや、もちろん私と殿下は婚約者ではあったのだが。もう叶わぬことと思っていた。
マルグリス様を信じ切ることが出来なかった私が、再びあの方に寄り添おうだなどと、虫が良すぎることかもしれないけれど……。
「アンナを連れて行け。あの娘は気も回るし武芸の心得もある」
「はい、お父様」
私は勢いよく頷いて、お父様の部屋を飛び出した。
マルグリス様との婚約を破棄された以上、王都に留まっている理由は何もなかったから。
部屋に籠り、なすこともなく物思いに耽る。
どうしてこんなことになってしまったのだろう――。
マルグリス様と私は、もちろん親同士が決めた婚約者で、政略的な結び付きではあったけれど、魔法学校でも同級生として共に過ごし、愛情を育んできたと、そう信じていたのに。
そんなふうに思っていたのは私だけだったということなのだろうか。
そしてレニー。
魔法に関しては数百年に一人の天才と言う他ないほどの才能に恵まれた赤毛の少女。
平民出身で言葉を飾ることを知らず、恐れというものも知らない彼女は、マルグリス様のことを「マグ」などという愛称で馴れ馴れしく呼んでいた。
けれど、それはどちらかと言えば友情寄りの親愛の表現であって、王太子殿下を篭絡してあわよくば王妃に、などと考えるような子ではないと思っていたのに。
これも、私に人を見る目が無かったということなのだろうか。
信じていた人たちに裏切られ、今は何をする気にもなれない。
これから一体どうなってしまうのだろう。
マルグリス様のお母上だった前王妃様は、彼が四歳の時に病で亡くなられ、後妻に入られた現王妃様は二男一女をお産みになっている。
もしかして、弟君たちのどちらかと、あらためて婚約することになるのだろうか。
正直気が重い。
それは、弟君たちとは六歳以上も年齢が離れているだとか、人となりがどうだとかいうことではなく。
やはりマルグリス様のことを、そう簡単に吹っ切ることはできないのだ。
そして、マルグリス様はあの後どうなったのだろうか。
当然国王陛下はお怒りになっただろう。
王位継承権を剥奪されるというような事態さえありえることだ。
いや、私がここで思い悩んだところで、どうなるものでもないのだが。
「お嬢様、旦那様がお呼びです」
侍女のアンナに声を掛けられて、私は思考を中断した。
お父様とは、こちらに戻って来て事情を報告した後、顔を合わせていない。
私から話を聞いて、お父様は一瞬だけ怒りの表情を露わになさったが、一言も口にはなさらず、何事か考えこまれている様子だった。
その後、秘書たちに何か命じておられたようだったけれど、マルグリス様の暴挙に何か裏があるとお考えなのだろうか。
もしそうだったなら――。
「お嬢様?」
いけない、いけない。また考え事に耽ってしまった。
「すぐ行きますと伝えて頂戴」
アンナにそう言って、私は手短に身だしなみを整え、お父様の執務室へと向かった。
「リエッタ、事情が判明した」
私が執務室に入るなり、開口一番、お父様がそうおっしゃった。
「事情、ですか?」
単なるマルグリス様のご乱心ではなかったということなのだろうか。
「ああ。チャールズの大馬鹿者め。私がお前たちの結婚式のため王都に出向いたところを捕らえて、謀殺する企みだったらしい」
「はぁ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
国王陛下が、ユグノリア公であるお父様を謀殺? 正気の沙汰とは思えない。
「私も、さすがにあやつがそこまで馬鹿だとは思っていなかった。あやつを甘く見ていたということかな」
いや、さすがにそのような事態を想定するのは難しいのではないだろうか。
もちろん、政治の世界は魔境も同然、握手で差し出された手に毒が仕込まれていたり、味方だと思っていた人間に背後から刺されたり、といったことも日常茶飯事であるし、お父様とて油断をなさるような方ではないのだが……。
「理由は、やはり領地替えの件でしょうか?」
先代の頃から、ユグノリア公領と王国直轄領との領地替えについて何度も打診され、それをきっぱり断って来たという話は知っている。
そして、当家が絶対にその話を飲むことはありえないということも。
「それだけが理由というわけでもないだろうがな。エリシオンの鎮護は当家の務めだ。決してこの地を明け渡すわけにはいかぬ」
「存じております」
それは、聖女ユグノリアから代々受け継いできた使命。もちろん、私もそのことは十分に承知している。
それにしても――。
「あの、もしかして、マルグリス様はその陰謀を回避するためにあのようなことを?」
お父上の企みをお知りになり、お父様や私を救おうとしてくださった?
「彼が事情を知っていたと断定できる証拠は無いが、おそらくはそういうことだろう」
私はその場にへたり込んだ。
マルグリス様は心変わりなさったのではなかった。何もかもを捨ててまでも、お父様や私を救おうとしてくださったのだ。
「わ、私……。マルグリス様を疑ってしまった……。他の女性に心変わりして、あのようなお振舞いをなさることなどあり得ないと、ちょっと考えればわかることだったはずなのに……」
羞恥と後悔の涙が溢れ出る。
「仕方なかろう。まさかそのような裏の事情があろうなどと、想像の範囲を超えている」
「ですが……。お父様は、私の話をお聞きになって、何か事情があるのではないかとお察しになったのでしょう?」
「それはこの年齢になって、客観的な立場で話を聞かされたからこそだ。自分を責めるな」
「はい……」
お父様に慰められて、ほんの少しだけ気持ちが楽になった。
それでも、マルグリス様に対して申し訳ない気持ちは、ずっしりと胸の奥に鎮座していたが。
「まあ、お前が騙されなければ、彼が大芝居を打った意味もなくなってしまっただろうからな。仕方あるまい」
お父様がくすくすと笑みを浮かべられる。お父様のこんな表情はめったに見ることが出来ないのだが、今はちょっと恨めしい。
「お揶揄いにならないでください、お父様」
「おっと、すまぬ。しかし、マルグリス殿下、前々からしっかりしたお子だとは思っていたが、とてもあの馬鹿王の子とは思えぬな」
このような状況であっても、マルグリス様が褒められるのは嬉しい。
あの方はやはり、ご立派な方だったのだ。
そこでふと気付いて、私はお父様に尋ねた。
「あの、ということは、レニーも事情を知っていたのでしょうか?」
「おそらくはな。レニー嬢とは試問会の時に一度会っただけだが、王太子殿下を誑し込もうなどというような野心を抱く人間には見えなかったぞ」
お父様に他意は無かったのだろうが、友人のことを信じられなかった私の胸に、またしてもぐさりと突き刺さる言葉だった。
本当に自分が情けない。
お父様は私が落ち込んでいる姿をじっと見つめておられたが、不意にこう切り出された。
「リエッタ。お前、マルグリス殿下をここへお連れしろ」
「は? あの、それはどういう意味でしょうか?」
お父様の真意が読めず、私は尋ねた。
「例の一件の後、馬鹿王はマルグリス殿下の王位継承権を剥奪した。つまり、王位継承権は現王妃イライザ様のお子たちに移ったわけだが、このままだと、外戚として権力を握る夢に憑りつかれた連中に、殿下が害される恐れがある」
それは……、確かにあり得る話だ。
「命の恩人を見殺しにしては寝覚めが悪いのでな」
お父様は冗談めかして言っておられるが、私は懸念を口にした。
「けれどお父様。廃嫡された元王太子殿下を当家が保護するということは、陛下を完全に敵に回してしまうことになるのではございませんか?」
「謀殺されるところだったのだぞ。今さら何を言っている。もちろん、内戦など私も望まぬが、馬鹿と対決する上で、マルグリス殿下を婿に迎えておけば、我らの切り札になるだろう」
さらりと放たれたその言葉に、私は声にならない叫び声を上げた。
え? え? マルグリス様と結婚? 私が? いや、もちろん私と殿下は婚約者ではあったのだが。もう叶わぬことと思っていた。
マルグリス様を信じ切ることが出来なかった私が、再びあの方に寄り添おうだなどと、虫が良すぎることかもしれないけれど……。
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「はい、お父様」
私は勢いよく頷いて、お父様の部屋を飛び出した。
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