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《129》吃逆
しおりを挟む密着した身体がくすぐったい。
ドギマギしているうちに、ノワは大きな手から開放された。
青年はいなくなっていた。
「フィアン様、なんで···」
「お前は警戒心が無いな」
フィアンの声色は厳しかった。
まるで、道端で拾った生ゴミを食べようとした犬が、飼い主に怒られるような心境だ。
ノワはしゅんと肩を落とした。
「申し訳···ヒック、ごめんなさい···」
吃逆を混じらせつつも、謝罪は好みだと教えられた風に言いかえるノワ。
ため息をついたフィアンは、額の余り髪をかきあげた。
(ああ、格好良すぎるぅ···)
乱れなど1寸もなく服を着こなしているというのに、こんなにもセクシーなのは何故だろうか。
熱い視線を送っていると、朱色の瞳と目が合う。
ノワは慌てふためいて視線を逸らした。
「まずは、吃逆を止めないとな」
フィアンはノワの目線に合わせ軽く屈みこんだ。
(───やはり、追ってきて良かった)
ノワが会場から抜け出した理由は、吃逆を止めるため。そして吃逆の原因は、おそらく自分にある。
ノワの心情は手に取るようにわかった。
「空気を吸い込んで、呼吸を止めてごらん」
ほらと促すフィアンの言葉通り、ノワは空気を吸い込み、そして息を止める。
ちらりとフィアンを見上げる。
「まだだぞ」と忠告される。今度は「まて」をさせられている犬の気分だ。
5秒ほど経っただろうか。落ち着いたかもしれないと感じたノワに、彼はふと呟いた。
「失敗しても、俺が止めてやるから大丈夫だ」
焦らなくて良い、と、少し優しくなった声が言う。指の先がぴくりと震えた。
(フィアン様が?)
このやり方がダメだったのならば、彼は別の方法で治してやるという。
ほんの好奇心と、わずかな期待からだった。
ノワは彼から許可を得る前に、そっと息を吸った。
「ヒック!」
言いつけを破った口から、吃逆が飛び出す。
「·····」
無言のままのフィアンを、そっと見上げる。
「だめだったか」
ズルをしたことは気づかれなかったようだ。
「あの、フィアン様──ヒック」
「時間が無いから、早速試してみよう」
そう言ったフィアンに、ノワはこくこくと頷く。
降り注ぐ光を集め、金のまつ毛がゆっくりと瞬きする。存在することが不思議なほど神秘的な美しさだ。
いつかの舞踏会で、女装した自分に手を出そうとした彼を、何度も思い出した。
芽生えたのは失望ではなかった。
自分が本当に女なら良かったと、一瞬でも思ったのだ。
一夜限りの遊びで、彼の熱い手に愛してもらうことが出来たかもしれない。自分でも戸惑うほど卑しい願望だった。
この想いは、決して叶わない。
だから、こんな場面を利用してでも、少しでも長く彼を独りじめしたかった。
果たして、何も知らないのはノワの方だった。
今にも泣き出しそうな顔でこちらを見上げるノワに、フィアンはそっと微笑んだ。
(──いっそ可哀想な程、いじらしいな)
身を焦がすような恋は、きっととても辛く切ないものだろう。
そんな思いを抱えながら必死にこちらの気を引こうとするノワがたまらなくて、時に取って食ってしまいたくなる。
後頭部に回された手に、ノワは睫毛を震わせた。
「ノワ」
次に瞼を開けた時、ノワは目を見開いた。
額の上を、細いまつ毛が撫でる。
傾かれた美しい顔が、そっと囁いた。
「息を吐け」
太陽が、目の前に飛び込んできたような眩さだった。
上唇の辺りで、彼が息を吸い込む気配がした。
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