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〖第五十四話〗
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彼の言う通り、彼だけのものになれば、一生傷つくことは無いだろう。
「愛してる·····」
「あ·····ん·····♡」
唇を塞がれる。
このまま、流されてしまおう。尻に当てられた雄に期待しながら、ネロはうっとりと目を閉じる。
そしていつか、彼を心から愛せる日が来るかもしれないなんて、心の隅で思った時だった。
ガチャリ、と、ノブを捻る音が響いた。
ネロは目を見開いた。
ベッドから扉までの距離は、約20メートル。
その先に、何度も思い浮かべたエメラルドがあった。
「なん·····」
なんで、という声は、しりすぼみに消える。
「君を連れ戻したいって言うから、呼んだんだ」
ステファンが言った。
「ネロの好きなようにすれば良い」
嫌だ。
もう会いたくない。
捨てられた時の、あんなに辛い思いを思い出したくない。
やっと諦められるかもしれないと思ったのに、なぜ今更来るんだ。
もう捨てられたくない。
「もう、会いたくありません」
ネロは震える声で言った。
扉の前の男を見ることは出来なかった。
「·····さて、分かったら、部屋を出て言ってくれないかな?まだ続きなんだ」
ステファンがネロのほほにキスを落とし、呟く。
ネロは動くことさえ出来なくなってしまった。
「ネロ」
深い森を思わせるような、静かな声が、名前を呼ぶ。
嫌だ。
「いや」
彼は、こちらへ一歩近づいた。
一歩、また一歩と、エメラルドが真っ直ぐに近づいてくる。
ネロは目を見開いた。
冷たい手が伸びてくる。
知らず知らずのうち、ネロもイヴァンへ、震える手を伸ばす。
イヴァンを前に、勝手に体が動いていた。
「動くな」
ネロははっとした。
イヴァンがピタリと立ち止まる。
耳元で、ガチャ、と、無機質な音が響いた。
音のした方を振り返る。
真っ黒な銃口がこちらへ向けられていた。
「時間切れだ。部屋を出ていけ」
「·····」
イヴァンが腕を下ろす。
「その銃を下ろせ」
「お前が出ていったらな」
「·····────分かった」
彼はこちらへ背を向け、ゆっくりと扉の方へ向かっていった。
ネロは、彼の名前を呼ぼうとし、ステファンに口を塞がれる。
「·····やっぱり、あれは邪魔だな」
「…………?」
銃口は、扉へ向かうイヴァンの背に向けられた。
「……!」
ネロは、ステファンの手に噛み付いた。
「っ」
ステファンの手が口元から離れる。
「お願い、やめて……!」
ネロがそう叫ぶのと、短く軽快な銃声が響くのは、同時だった。
生暖かいものが頬に飛び散る。
ネロはそれをそっと拭って、手のひらを見下ろした。
しがみついたステファンの手から、力が抜ける。
彼の左肩から半分が、真っ赤に染っていた。
「·····!」
引き金を引いたのはイヴァンだ。
ネロの顔から血の気が引いてゆく。
景色が歪むのと同時に、意識が遮断された。
次に目を開けた時、見覚えのある場所にいた。
起き上がろうとして、腕に力が入らず、再びベットに寝転がってしまう。
「気分はどうですか?」
ネロははっとして声の主を探した。
右手をあたたかなものに包み込まれる。
「セシルさん·····」
久しぶりに見た変わらずセシルの表情は、どこか優しかった。
イヴァンの屋敷に、帰ってきたのだ。
「そうだ·····イヴァン様と·····ステファン様·····」
鮮血の温もりを思い出す。
パニックに陥りかけたネロは、セシルに抱きしめられた。
「·····へ·····?」
「ネロ、他の事は気にせず·····今はお休みなさい」
「でも……」
何かを言いかけるネロだが、上手く舌が回らない。
身体中から力が抜けて、ネロはついにまぶたを閉じた。
扉の先にいたのはイヴァンだった。
「具合はどうだ」
特に心配する風でもない彼の言葉に、ステファンは無言を返す。
廊下の窓から西陽が傾く。2人の横顔はオレンジ色に照らされた。
ステファンの部屋でネロが発見された日、不自然な点を見つけた。
そして屋敷には無かった封の手紙や、ネロが文字を書けないという矛盾点から、やがて彼がネロを連れ去った証拠を発見した。
それでも、ネロが彼の元で幸せなら良かった。
せめて、最後に会いたい。そう思っていた。
しかしネロは泣きそうな顔でこちらを見つめ、手を伸ばし返してきた。
「ネロを渡す気は無い」
誰にも渡したくはない。
「この件をどう取り上げても構わない」
イヴァンは、治療が施されたステファンの左肩を見やった。
「·····」
ステファンは無言の後、軽く首を振った。
「まさか」
今回の件は全て帳消しだ。
たかが短銃1発のかすり傷で喚くなど格好がつかない。
更に、今の自分はイヴァンの屋敷の財産に手を出した身だ。
大きな窓から、あの頃と変わらず美しい庭を眺める。
昔、ここで、彼とどんな話をしたっけ。思い出すとくだらなくて取りとめもないことばかりだ。
「全部、帳消しさ」
自分は、彼を赦したかった。
最も憎んだ相手。
そして、誰よりも信頼した故人だった。
その信頼を揺るがしたのは、どちらだったのだろうか。
長い夢を見ていた気がする。
ネロが再び目を覚ました時、部屋は窓から差し込んだ夕日で、あたたかいオレンジに色付けられていた。
寝ている場合ではない。
イヴァンとステファンはどうなったのだろう。
一気に鼓動が早くなる。
ネロはベッドから上半身を起こした。
「!」
ベットに突っ伏している人物がいた。
彼は、ネロの片手を握ったまま規則正しい寝息を立てていた。
ネロは、安堵のため息をついた。
髪をそっと撫でてみる。
白銀に輝く髪は、見た目より柔らかく、ほぐれるようにして指の間から逃げていった。
ステファンに愛されていることを喜んだのに───イヴァンを見た途端、胸が苦しくてたまらなかった。
イヴァンが好きで好きで、たまらないほど好きだ。
彼が自分の元へ来てくれていたことを、喜ばずにはいられなかった。
忘れられてなかった。
また興味を持ってくれた。
いつか失う寵愛でも、ただ性欲を発散させるだけでも構わないのだ。
彼のそばにいたかった。
胸に熱いものが流れてきて、ネロは息を詰まらせる。
本当に…───長い夢を見ていたような心地だった。
「愛してる·····」
「あ·····ん·····♡」
唇を塞がれる。
このまま、流されてしまおう。尻に当てられた雄に期待しながら、ネロはうっとりと目を閉じる。
そしていつか、彼を心から愛せる日が来るかもしれないなんて、心の隅で思った時だった。
ガチャリ、と、ノブを捻る音が響いた。
ネロは目を見開いた。
ベッドから扉までの距離は、約20メートル。
その先に、何度も思い浮かべたエメラルドがあった。
「なん·····」
なんで、という声は、しりすぼみに消える。
「君を連れ戻したいって言うから、呼んだんだ」
ステファンが言った。
「ネロの好きなようにすれば良い」
嫌だ。
もう会いたくない。
捨てられた時の、あんなに辛い思いを思い出したくない。
やっと諦められるかもしれないと思ったのに、なぜ今更来るんだ。
もう捨てられたくない。
「もう、会いたくありません」
ネロは震える声で言った。
扉の前の男を見ることは出来なかった。
「·····さて、分かったら、部屋を出て言ってくれないかな?まだ続きなんだ」
ステファンがネロのほほにキスを落とし、呟く。
ネロは動くことさえ出来なくなってしまった。
「ネロ」
深い森を思わせるような、静かな声が、名前を呼ぶ。
嫌だ。
「いや」
彼は、こちらへ一歩近づいた。
一歩、また一歩と、エメラルドが真っ直ぐに近づいてくる。
ネロは目を見開いた。
冷たい手が伸びてくる。
知らず知らずのうち、ネロもイヴァンへ、震える手を伸ばす。
イヴァンを前に、勝手に体が動いていた。
「動くな」
ネロははっとした。
イヴァンがピタリと立ち止まる。
耳元で、ガチャ、と、無機質な音が響いた。
音のした方を振り返る。
真っ黒な銃口がこちらへ向けられていた。
「時間切れだ。部屋を出ていけ」
「·····」
イヴァンが腕を下ろす。
「その銃を下ろせ」
「お前が出ていったらな」
「·····────分かった」
彼はこちらへ背を向け、ゆっくりと扉の方へ向かっていった。
ネロは、彼の名前を呼ぼうとし、ステファンに口を塞がれる。
「·····やっぱり、あれは邪魔だな」
「…………?」
銃口は、扉へ向かうイヴァンの背に向けられた。
「……!」
ネロは、ステファンの手に噛み付いた。
「っ」
ステファンの手が口元から離れる。
「お願い、やめて……!」
ネロがそう叫ぶのと、短く軽快な銃声が響くのは、同時だった。
生暖かいものが頬に飛び散る。
ネロはそれをそっと拭って、手のひらを見下ろした。
しがみついたステファンの手から、力が抜ける。
彼の左肩から半分が、真っ赤に染っていた。
「·····!」
引き金を引いたのはイヴァンだ。
ネロの顔から血の気が引いてゆく。
景色が歪むのと同時に、意識が遮断された。
次に目を開けた時、見覚えのある場所にいた。
起き上がろうとして、腕に力が入らず、再びベットに寝転がってしまう。
「気分はどうですか?」
ネロははっとして声の主を探した。
右手をあたたかなものに包み込まれる。
「セシルさん·····」
久しぶりに見た変わらずセシルの表情は、どこか優しかった。
イヴァンの屋敷に、帰ってきたのだ。
「そうだ·····イヴァン様と·····ステファン様·····」
鮮血の温もりを思い出す。
パニックに陥りかけたネロは、セシルに抱きしめられた。
「·····へ·····?」
「ネロ、他の事は気にせず·····今はお休みなさい」
「でも……」
何かを言いかけるネロだが、上手く舌が回らない。
身体中から力が抜けて、ネロはついにまぶたを閉じた。
扉の先にいたのはイヴァンだった。
「具合はどうだ」
特に心配する風でもない彼の言葉に、ステファンは無言を返す。
廊下の窓から西陽が傾く。2人の横顔はオレンジ色に照らされた。
ステファンの部屋でネロが発見された日、不自然な点を見つけた。
そして屋敷には無かった封の手紙や、ネロが文字を書けないという矛盾点から、やがて彼がネロを連れ去った証拠を発見した。
それでも、ネロが彼の元で幸せなら良かった。
せめて、最後に会いたい。そう思っていた。
しかしネロは泣きそうな顔でこちらを見つめ、手を伸ばし返してきた。
「ネロを渡す気は無い」
誰にも渡したくはない。
「この件をどう取り上げても構わない」
イヴァンは、治療が施されたステファンの左肩を見やった。
「·····」
ステファンは無言の後、軽く首を振った。
「まさか」
今回の件は全て帳消しだ。
たかが短銃1発のかすり傷で喚くなど格好がつかない。
更に、今の自分はイヴァンの屋敷の財産に手を出した身だ。
大きな窓から、あの頃と変わらず美しい庭を眺める。
昔、ここで、彼とどんな話をしたっけ。思い出すとくだらなくて取りとめもないことばかりだ。
「全部、帳消しさ」
自分は、彼を赦したかった。
最も憎んだ相手。
そして、誰よりも信頼した故人だった。
その信頼を揺るがしたのは、どちらだったのだろうか。
長い夢を見ていた気がする。
ネロが再び目を覚ました時、部屋は窓から差し込んだ夕日で、あたたかいオレンジに色付けられていた。
寝ている場合ではない。
イヴァンとステファンはどうなったのだろう。
一気に鼓動が早くなる。
ネロはベッドから上半身を起こした。
「!」
ベットに突っ伏している人物がいた。
彼は、ネロの片手を握ったまま規則正しい寝息を立てていた。
ネロは、安堵のため息をついた。
髪をそっと撫でてみる。
白銀に輝く髪は、見た目より柔らかく、ほぐれるようにして指の間から逃げていった。
ステファンに愛されていることを喜んだのに───イヴァンを見た途端、胸が苦しくてたまらなかった。
イヴァンが好きで好きで、たまらないほど好きだ。
彼が自分の元へ来てくれていたことを、喜ばずにはいられなかった。
忘れられてなかった。
また興味を持ってくれた。
いつか失う寵愛でも、ただ性欲を発散させるだけでも構わないのだ。
彼のそばにいたかった。
胸に熱いものが流れてきて、ネロは息を詰まらせる。
本当に…───長い夢を見ていたような心地だった。
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