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第一章
《第4話》狐みたいな男
しおりを挟む教室に戻ると、机へ並べられた菓子パンをほぼ平らげた荒井が、咀嚼しながら声をかけてきた。
「廊下凄い騒がしかったけど、何だったの?」
松川が聞く。
姫宮は先程の2年を思い出した。
狐みたいな男だった。
なんだか苦手なタイプだ。
「しらね」
「食う時間なくなんぞ」
言いながら、荒井は新たなパンの袋を取っていく。
姫宮はすっかり食欲を削がれてしまった。
荒井にパン達を託す。
それきり、机に突っ伏したのだった。
「1年は外周10、2年はアリーナでウォーミングアップから始め!」
パン、と手を叩いた副部長の合図で、部員たちが各々の練習に取り組み始まる。
全員が所定の位置へ着くと、その場には姫宮と、隣に立つ庵野だけが取り残された。
隣でにこにこしている庵野に話しかけようとし、ふと視線を感じる。
振り返ると、そこにはいつも通り無表情でこちらを見ている更衣月がいた。
遅刻せずやってくるのは当たり前のことだ。が、彼が時間通りに練習に取り組んでいるのを見るのは久しぶりだ。
姫宮は、彼に向かってぐっと親指を立ててみせた。
更衣月にも見えたようだ。彼はぺこ、と浅く会釈して、姫宮に背中を向けた。
更衣月が練習に取り掛かるのを満足気な笑みで見届けていた姫宮だが、
「姫宮先輩」
その視線を遮ったのは、角張った男の鎖骨部分。
姫宮は突然目の前へ出てきた庵野に驚き、一歩後ずさった。
距離を詰めてきた庵野からは、花の香りがした。
「姫宮先輩、今日からよろしくお願いします。姫宮先輩直々に教えて頂けるなんて、とても光栄です」
短時間でこちらの名前を3度呼び、流暢に頭を下げる庵野。
姫宮は彼を怪訝そうに見上げた。
「?どうかしましたか?」
何から始めますか?と言ってじっと姫宮の言葉を待つ庵野は、忠犬のようである。
「···じゃまず、同じ学年のやつと1on1から」
庵野のバスケ経験力と実力を見せてもらおう。
そう決めた姫宮は、2年の中から適当に1人呼び出そうと、アリーナを見廻す。
できるだけ庵野に近い体型の部員を探すと、候補は自然と更衣月が浮かんだ。
「うーん」
更衣月は部活をサボり気味だが、小学部からのバスケ経験者だ。
おまけに運動神経が良く、全国大会を何度も出場しているこのバスケ部でさえ、鬼才の存在として1目置かれている。
更衣月は手加減も容赦も知らない。
部活初日で完膚なきまでに負かされてしまうのは、庵野が気の毒だろうか。
「姫宮先輩」
悩んでいると、不意に庵野が呼び掛けてきた。
「誰が相手でも、構いませんよ」
その言葉は、相手を選びあぐねている姫宮への気遣いか、挑発か。
1歩間違えればこの部を甘く見ているような物言いだ。
庵野の表情から、真意は読み取れなかった。
短時間一緒にいて分かったことがある。
庵野雅と自分は相性が悪いようだ。
「更衣月!」
姫宮の声がアリーナを満たす。呼ばれた更衣月は、涼し気な表情でこちらへ走りよってきた。
「新入部員の庵野雅だ。さっき紹介したから知ってるな?庵野、こっちは更衣月斗真。お前と同じ2年で隣のクラス」
それぞれを簡単に紹介する。
しかし、2人は無言で、挨拶さえ交わさない。
「·····おい?」
立ち込めたのは妙にギスギスとした空気だ。
昼間あれだけ人当たり良く対応していた庵野は笑みを張りつけたまま更衣月を一瞥し、はい、と、姫宮に返事をした。
更衣月にいたっては、庵野の方など目もくれず姫宮を見下ろしている。
なんなんだ、この空気は。
更衣月に状況を説明すると、彼は初めて庵野の方へ視線をやり、持っていたバスケットボールを彼へ投げた。
投げ方は酷く荒っぽかった。
庵野が乾いた音を立ててボールを受け止める。
そっちからでいい、と無愛想に残した更衣月が、ゴールの近くへ走ってゆく。
「では先輩、よろしくお願いします」
丁寧に一言残す彼だが、出来ればその言葉は更衣月に言って欲しかった。
更衣月の向かいへ走っていった背中を見ながら、姫宮はなんだか嫌な予感がした。
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