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第二章
《第10話》彼のお気に入り
しおりを挟むそんな彼に何らかの力で確かな勝敗を付けられたのは、庵野にとっても悪いことではなかった。
更衣月は暇さえあれば姫宮を熱視している。
あんな目で俺の物を見つめることが、許されるわけが無い。
どう処理しようか。考えていると、不意に目の前の男子生徒たちは小声になった。
「それに更衣月ってさ、ほら···あの人によく話しかけられてんじゃん?」
「あー、あの人な」
姫宮先輩も、あんなやつほっとけばいいのに。言いながら、彼らは不満そうな顔をする。
「なんか特別扱いだよな」
「やっぱバスケ上手いから?」
更衣月が、姫宮に特別扱いされている。
それはどうやら、校内でも周知の沙汰らしい。
「···姫宮先輩は、誰にでもそうだろ」
苛立ちは募るばかりだ。
「そういえば、俺今日姫宮先輩とLINEでやり取りしたわ」
「は?お前ずる。みせろっ!」
どーしよっかなー、などと言いながら自慢したくて仕方がないらしい生徒が、易々とトーク画面を見せてくる。
今日の歓迎会いつ来れそうですか。彼が姫宮宛てにそう送っている。
庵野は、このクラスメイトが初めてバスケ部員だったことを知った。
それほど、彼らに興味がなかった。
悪い、行けなかった、庵野には俺から言っておくと3つに分けて送られている姫宮からのメッセージは、今朝6時を過ぎた頃に送られてきている。
『昨日いきなり具合悪くなってさ、帰ってから部員に連絡入れようとしたら、部室にスマホ置いてっちゃってて』
たしか姫宮はそう言っていた。
周りの声が一瞬遠ざかる。
「庵野」
意識は直ぐに呼び戻された。
「今日近くの女子高の子と遊ぶんだけど、庵野も来ねえ?」
「お!いいね、来てよ庵野」
「可愛い子ばっからしいよ」
「──···ごめん、今日は用事あるから」
作った笑顔は、多少引きつった。
幸い盛り上がっているクラスメイトたちは、些細なことには気づかないようだった。
残念だなと口々に言いながら、彼らはすぐに別の話題へと移ってゆく。
「·····」
庵野はしばらくの間、真っ直ぐに机の一点を見つめていた。
6限目の鐘が鳴る。
徐に教科書を取り出す。
周りの女子生徒たちの視線が、今日はやけに気持ち悪く感じられた。
みずきくん、と、口の中で彼の名前を呟いてみる。
きっと、何か都合が悪くて適当に誤魔化しただけの言葉だ。
けれど、彼のことは全て知っていたい。
嘘をつかれたなんて、耐えられない。
なぜだ?
疑問は、紙に垂らされたインクの染みのように、じわじわと広がってゆくようだった。
さっさと帰る準備をしていたはずなのに、数人の相手をしていたら思いのほか時間を食ってしまった。
少し遅れて、待ち合わせていた校門へ向かう。
庵野は既にそこにいた。
駆け寄りながら名前を呼ぶと、こちらへ向けられたアーモンド型の瞳は嬉しそうに見開かれた。
「急いで下さったんですね」
走ってきた姫宮へ、庵野は申し訳なさそうに、けれどまだ嬉しそうに微笑んでいる。
「待ったか?」
「いいえ」
本当だろうか。
「行きましょう」
庵野が先を歩き出す。
しかし、今日は仮にも彼の二次歓迎会だ。
祝われるはずの庵野が自分をリードするのはおかしい。
「庵野ってカラオケとか行く?」
「カラオケですか?」
あまり行きません、と答える庵野。
姫宮は指を鳴らした。
「行こーぜ」
カラオケならだいたい盛り上がるし、話が弾まなくとも音楽がその場を作ってくれる。
「はい、姫宮先輩の歌声すごく聞いてみたいです」
庵野が恥ずかしげもなく言う。
「お、おう····庵野って帰国子女なの?」
海外ではこういうジョークが流行ってるのかもしれない。
「いいえ?」
ハズレた。
ニコニコしていた庵野は、胸ポケットからスマートフォンを取り出す。
「姫宮先輩、連絡先を教えていただけますか?」
「あ、そっか」
姫宮もスマートフォンを手に取る。L○NEを追加し、更にメールアドレスと電話番号を聞かれた。
最後に固定電話の番号まで聞かれる。
庵野は、やはりどこか変わっている。
全て教えてやると、彼は大切そうに携帯をポケットへと戻した。
「ありがとうございます」
その後、二人は近くのスーパーで適当に食べ物と飲み物を買い込んで、駅前のカラオケ店に入った。
姫宮は淡い期待を抱いていた。
ここまで完璧なのだから、実は音痴とか、そういう可愛げがあれば良い。
しかし期待は木っ端微塵に砕かれた。
彼の歌声は優しくて、耳に心地よい。
姫宮は少しムスッとしながらストローを齧っていた。
自分の番になるとマイクを取り、盛り上がってこー、とエコー付きで叫ぶ。
歌っている間、庵野は横顔に穴が空いてしまいそうなほどこちらをを眺めていた。
終始嬉しそうだ。
この後輩は、何故こんなにも自分を慕っているのだろうか。
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