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第四章

《第21話》Aランチ

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ありがとうございます、そう言ってにこりとした庵野に、Aランチは苦手なものが多いからと言っていた時の面影はない。


「先輩にお怪我がないか、確認させてください」

「···お前、ふざけんのやめろよ」


なぜこいつは、俺の事ばかりなんだ?
どうして自分のことを大切にしないんだ。


「早く脱げよ」


姫宮は命令口調で叫んだ。


この、いくつも大人びて見える後輩が、なぜ間違えてAランチの券を押してしまったのか、姫宮にはもう推測できてしまった。


「·····悪い」


全部自分のせいだ。


「謝らないでください」


庵野は変わらぬ笑みで告げた。
それさえ、姫宮には悲しく見えた。

庵野が唐突にシャツを脱ぎ捨てる。
顕になった上半身は、板チョコみたいに割れていた。


「先輩、見てくださるんでしょう」


熱い手のひらが姫宮の手首を掴んで、胸元に当てる。
逡巡していると、くいと引き寄せられた。


「わっ」


バランスを崩しかけ、広い肩口に手をつく。
庵野の背を覗き込んだ姫宮は、言葉を失った。

なんだこれ?
それが初めての感想だった。

落書きみたいな傷痕があった。
恐らく、数年前のものだ。
ただの傷痕でないことは、人目見てわかった。

張り裂けた皮が、時間の経過によって無理矢理にくっついている。
細長いものもあれば、太く長いもの、短い線のようなものもある。
そんな傷痕が、直線だったり曲線だったりを描いて、何本も重なるように刻まれていた。

それを覆うようにして、背全体に、茶色く変色した火傷痕が焼き付いている。
今日のものではなかった。


「な···」

「驚かせてしまいました」


だから見せたくなかったんです、と、言って、顔の見えない彼は先程と変わらない調子で続けた。


「痛みが無いのは本当ですよ。もう神経が通ってない部分が多いんです」


故意的に付けられたものだ。
恐らく、鞭のようなもの───家にあるものならば、ベルトなどだろうか。

"虐待"。
二文字が、瞬時に浮かび上がった。


「お前·····!」

「もう何年も昔です」


庵野は申し訳なさそうに微笑んだ。


「俺、物心着いた頃から、父親に虐待を受けてたんです。母親も父にDVを受けていました」


落ち着いた声が淡々と紡ぐ。
姫宮は、手にしていたアイスバッグを握りしめ、そっと彼の背に押し当てる。


「12歳の冬に、ご近所の通報のおかげで保護されました。それから直ぐ、今の家に養子として引き取られたんです」


庵野は他人事みたいに話した。
彼が大人びていた理由が、何となくわかった気がした。
姫宮は、指の先で、凸凹の背をそっと撫でた。


「ふふ」


空気に溶けるような笑い声が聞こえた。
今、背中、触ったでしょう。そう言って笑う庵野の口角が、肩口から見えた。


「強く押されたら、触られてるなって思うくらいなのに」


柔らかい茶髪が揺れる。


「今先輩が背中に触れてくれたのは、分かったんです。先輩の方が変わってますよ」


庵野はまだ可笑しそうに笑っている。


「···大丈夫なのかよ」


気の利いた事は言えなかった。
ふと、庵野がこちらを振り返った。


「大丈夫ですよ」


一度引き結ばれた唇が、きゅっと持ち上げられる。


「みずき先輩が、いてくれましたから」


鼻の先に、吐息を感じる。


「俺にはみずき先輩がいてくれれば、他は何もいりません」

「·····は?」


この前よりもいくつか優しく、カプリと唇を塞がれた。


「ん、っ·····」


上手く息が吸えなくなる。
庵野の背に押し当てていた氷水が、手から滑り落ちる。
行き場の無くなった手は、庵野に捕まえられた。
こんなの、卑怯だ。


「ンっ·····」


彼の舌が口の中で遊ぶ。
先輩、と、唇同士は擦り付けられたまま、くぐもった声が囁いた。


「もっと触っても、いい?」


抵抗しなければ。
咎めるように名前を呼ぶ。
声は、おかしなくらい震えていた。
首元に熱い唇があたった。


「っ·····ぁ、っ」


もう一度、少し場所をずらして、吸い付かれる。
酔いそうな音が響く。
いつの間にかベッドへ押し倒されていた。

服をたくし上げられ、鎖骨、胸元、腹へとキスを落とされる。
言いわけない。
声をあげようとすると、廊下の向こうを足音が過ぎていった。

慌てて口を押さえる。
腰を愛撫していた手が、姫宮のベルトをゆるめた。









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