あの部屋でまだ待ってる

名雪

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一話

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深夜二時。

アパートの一室で、待っている。
恋人は、今日も仕事仲間と飲みに行ったらしい。

高校時代からの付き合いだ。
彼は昔からよくモテて、女遊びが激しかった。

同性を好きになったことなんて初めてで、諦めるために告白をした。
あの時はまさか、OKを貰えるなんて思っていなかった。

……あの人は今も、本当は異性が好きなことを知っている。

ガチャリ。扉が鳴った。

「……!おかえり」

現れたのは長身の男。
飲んできたと言うのに、顔色は素面の時と変わらない。

「お前、ここで待ってたの?」
「うん……」
「犬かよ」

さっさと上がって行ってしまう。
慌てて追いかけて、鞄を預かった。

「何か、食べる?」
「腹一杯」
「そう……。お風呂はもう沸いてるよ」

そのまま、脱衣所へ入っていった。

「はぁ……」

鞄を持ったまま、脱ぎ捨てられた靴を揃え、ダイニングに入った。
テーブルの上には、ラップの掛かった料理の数々。

オムライス、スープ、サラダ。ビールとツマミも用意していた。
皿を運んで、冷蔵庫にしまう。最近は、いつもこの調子だった。

ソファに座り、テレビを付ける。
興味もないニュース番組を垂れ流した。

――おい、コイツに手出してんじゃねぇよ!
――お前、名前は?……ルカ、よろしくな。
――なぁルカ。映画行こうぜ。
――料理、上手いんだな。

かつての記憶が過ぎる。楽しかったあの頃。
変わってしまったのはあの人か、それとも僕の方なのだろうか。

小さく水の音が聞こえた。
彼はまだ、シャワーを浴びているようだ。

さっき置いた鞄の中を覗く。
弁当箱と空のペットボトルを取り出した。

――ピコン。

突然、電子音が響く。
鞄の中から聞こえた。彼のスマートフォンだ。

画面が見えないように、そっと取り出す。
メッセージアプリの通知音だった。……こんな時間に、誰?

きっと職場の人だ。
あの人はさっきまで、仕事仲間と飲んでいたのだから。そのお礼の連絡か何かだろう。

整理される思考と裏腹に、心拍数は上がっていく。
勝手に見るなんて。でも、もしだったら。

もしかして。そんな訳ない。不安と否定の言葉を、繰り返す。
だがスマホを持った手は次第に、画面の方へと傾いていた。

――大丈夫、大丈夫だから。少し、確認するだけ……!

ひと思いに、スマホを裏返した。画面に目をやる。

――【マナ】今日はありがとうございました!とっても良かったです♡

女性の名前。語尾に付けられたハートマーク。
絶望が全身を駆け巡った。――浮気、してる?
 
ガラガラッ、と風呂場の扉が開く音がした。
慌ててスマホを鞄の中に戻す。

そして、そっと振り返った。彼はタオルで髪を拭きながら、居間へやってくるところだった。

「ルカ、麦茶」

……よかった。バレていないようだ。
キッチンへ向かい、冷蔵庫から麦茶の容器を取り出す。

ソファに座った彼は、テレビのチャンネルを切り替えた。
バラエティ番組の笑い声が、リビングに響く。

机にコップを置いて、彼に向き直った。

「……ねぇ、今日はどこで飲んできたの?」

あくまで、探りを入れるだけに留める。

メッセージは女性の名前だったけれど、まだ浮気と決まったわけじゃない。
確証が得られるまで、彼を問い詰めたくはなかった。

「何?お前に関係ないから」

テレビから目を離さず、言った。
誤魔化しているのかもしれない。

「それくらい、教えてくれてもいいでしょう?」
「……しつこいな。会社近くの飲み屋だよ」

苛立ちを含んだ声。だが嘘をついている様子はない。
なら、あのメッセージは何?

「そうなんだ……僕、少し外に出てくる」
「は?今から?」

問いかけを無視してリビングを出る。

彼と付き合えているだけで、満足だった。
どれだけ彼の言いなりになっても、僕の元に帰って来てくれるだけで十分。

そう思っていたけれど。

廊下は少し肌寒い。
上着を着たかったけれど、部屋に戻る気にはなれなかった。

靴箱からスニーカーを出し、履く。
靴紐をきつく結び直した。立ち上がり、ドアノブに手を掛け――

「待てよ」

腕を掴まれる。力が強い。

「痛っ!……な、なに?」

冷めきった表情。
腕は、まだ離して貰えない。

「お前、何機嫌悪くなってんの」
「べ、別に機嫌悪くなんか――」
「浮気。俺がしてると思ってる?」

息を飲む。まさか、バレていた?

「……なんで」

喉が張り付いて、うまく声が出ない。
彼は掴んだ手首をドアに押し付け、ゆっくりと近づいてくる。

「顔に書いてある」

耳元で囁かれた。呆れと、面白がるような色が混じった声音。

「お前、分かりやすいんだよ」

目を逸らしたいのに、逸らせない。
それどころか、身じろぎも出来なくなった。

「違う、僕は――」

否定の言葉は、途中で消えた。

「んっ……やめ、っ!」

深くキスされる。
呼吸もうまくできないほどに。

「なぁ、俺の事疑ったんだろ。違うか?」

また、食まれる。

否定できない。
僕は、確かに彼を疑った。勝手にスマートフォンを覗いた。知らない女の名前を見て、浮気だと思った。

全部、本当のことだ。

血の気が失せていく。
キスはやっと終わり、咳込みながら呼吸した。

「ふぅん。後ろめたい事がある……スマホでも見たのか?」

心臓が跳ね上がった。
彼の指先が、頬を這う。

「ビンゴ」

沈黙が落ちる。
遠くで、テレビの笑い声が響いていた。

彼は、小さなため息を吐いた。

「……ルカ」

名前を呼ばれただけで胸が痛くなる。
幸せだったあの頃を、思い出してしまうから。

「俺が、そんなことすると思ってんの」

責められているのか、それとも確かめているだけなのか。
答えなければならないのに、答えは見つからなかった。

信じたい。
けれど、さっき見た文字が頭から離れない。

「だって……!マナって人から、メッセージが……」
「新人の女。飲み屋でわざわざ隣に座ってきたんだよ。思わせぶりなこと言って、気ぃ引こうとしてきたりな」

眉尻を下げ、苦笑する彼。

「こっちも本当に困ってんだよ」
「でも、あの文章はそういうのじゃ……」

彼は、少しだけ目を細めた。

「そういうのって?」

答えられない。
「とっても良かったです♡」――あの一文が喉の奥に引っかかって、うまく言葉にならなかった。

「俺は、何もしてない」

諭すように、視線を合わせられる。

本当だろうか。
その表情は自然で、嘘をついているようには見えない。

昔から彼は、こういう顔をするのが上手かった。

「ルカ」

名前を呼ばれる。

「お前さ」

彼の手が、喉元、肩を通り、ゆっくりと背中へ回る。

「俺のこと、信じてないの?」

傷ついているような、甘えるような声。
胸が締め付けられる。

疑ったのは僕だ。
勝手にスマートフォンを見て、勝手に絶望して、勝手に逃げようとした。

「……ごめん」

気づけば、そう言っていた。
彼のシャツを震えながら握る。

「ごめんなさい……」

彼は、もう何も言わなかった。
僕の頭に手を置く。

「……いいよ」

ゆっくりと撫でられた。
昔と同じ手つき。

「でもさ」

手が、止まる。

「もう、勝手にスマホ見んなよ」

優しい声のまま。
けれど、なぜか少し怖くなった。

背筋に冷たいものが走る。

「……うん」

頷くことしか出来なかった。
彼は満足そうに微笑む。

「ほら、戻るぞ」

肩を抱かれ、部屋へ連れて行かれる。

つきっぱなしのテレビ。
明るい笑い声が、何事もなかったかのように流れていた。

テーブルの上には、彼のスマートフォンが置かれている。
画面は暗いまま。

彼の隣に座る。肩が触れる距離。
それだけで十分だったはずなのに。

気づけば、ソファに押し倒されていた。
彼に覆いかぶされる。

「……イイコト、しようぜ?」

悪戯な笑み。

今日も仕事なのに。もう、眠ってしまいたい。
言いたいことは沢山あるのに、何も言えない。

ただ、彼が望むままに頷いた。

「……あっ、ん」

すべて受け入れて身を任せる。
頭の奥が弾けて、なにも考えられなくなった。

――ピコン。

何処からか電子音が聞こえた気がした。
それもきっと、ぜんぶ気のせい。
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