あの部屋でまだ待ってる

名雪

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六話

翌日。気だるい月曜日。
今日も松方君に誘われて、屋上に来ていた。

ベンチで横並びになり、弁当を広げる。

「先輩って休みの日は何してるんですか?」
「うーん……料理とか、掃除とか。あまり外には出ないかな。昨日は、映画館に行ったけれど」

松方君の表情は、ぱっと明るくなる。

「映画ですか!俺も最近、流行りの恋愛ものを観に行ったんですよ!先輩は何を観たんですか?」
「あ、多分同じ。テレビでCMしてたやつ」
「あの映画、すごく面白かったですよね!」

跳ねるような声、身振り。
犬耳とシッポの幻覚が見えそう……。

「先輩もああいう恋愛もの、観るんですね。美人やイケメンを見ても、スーンとしてそうなのに」
「ええっ、どんなイメージなの。僕だって、綺麗な俳優さんは好きだよ」
「あはは。でも、やっぱり先輩は他の人とは違いますよ」

この子は僕を、清廉潔白とでも思っているんだろうか?
どんどん期待値が上がっているような……。

じとりと視線を送る。返ってきたのは、眩しい笑み。

「……ねぇ、先輩。昨日は誰と行ったんですか?」

こちらへ寄って、内緒話をするような姿勢になった。
自然と距離が縮まる。

……彼氏、と言ったら驚かせてしまうかな。

「えっと……学生時代の、同級生と」

地下鉄に乗って、大きな映画館で。
ポップコーンが甘くて美味しかった。

話しながら、口角が上がっていくのがわかった。

何気なく松方君を見やる。
――表情が、消えていた。

「……へぇ。恋愛映画を、二人で」

低い声音。視線は逸れる。
松方君は立ち上がり、フェンスに手をかけた。

「楽しかったですか……その人と」
「う、うん……」

背中を向けたまま。
風が吹く。金属が軋む音。

「俺も先輩と、行きたかったな」
「あっ、えっと……。誘わなくて、ごめんね?」

表情が、わからない。
彼の求めている言葉も。

「――先輩のこと、好きです」
「……え!?」

松方君は振り向いた。

「松方君……?」

そこに、いつもの笑顔はない。
どこまでも吸い込まれそうな、漆黒の瞳。

カァ、どこかで烏が鳴いた。

「尊敬してるって意味です。上司として」
「あ、ああ。そうだよね……」

ニコッと、大袈裟に笑う。

「うわ、もう時間ですね!戻りましょ、先輩」

スタスタとドアの方へ行って、手招きする松方君。

――さっきのは多分、気のせいだよね……。

広げた弁当箱をまとめる。
立ち上がって、彼の方へ向かった。


♢♢♢


――吉井 琉榎です。よろしくね、松方君。

長机が並ぶオフィス。
斜め向かいを見れば、いつも先輩がいる。

「吉井君、この資料も頼むよ。君は仕事が早いからねぇ」
「あっ……わかりました」

ああ、また余計な仕事を任されている。
優しい先輩。そんなクソハゲの言うことなんて、無視すればいいのに。

「先輩!さっきのデータ、まとめておきましたよ……って、あれ。また仕事増えてません?」
「ああ、うん。さっき、課長がね……。みんな忙しいから、仕方ないよ」

優しいから、クズ共に利用される。

「でも課長、お茶飲みながら休んでましたよ?……俺、課長に言ってきます!」
「えっ、ちょっと!僕なら、大丈夫だから。ね?」

優しいから、全部受け入れる。

「でも……。俺、心配で。なにか、俺にできることはありませんか?」
「ふふっ、本当に大丈夫だよ。でも、ありがとう」

俺なら迷わず切り捨てるものを、いつまでも大事にしている。

素直で、無害で、ほんの少し強引で。弟のような後輩。
先輩の内側に入るには、この顔が一番いい。

先輩に見せる仮面はひとつだけ。

――しょうがないなぁ。俺が代わりにやってあげますよ。

「課長、お疲れ様です~。どうしたんですか?そんなに慌てて」
「松方!?私は、少し休んでいただけでっ……」

唾をまき散らしながら、何かを背に隠す。
こんな奴が、先輩と同じ空気を吸っているなんて。

「部下に仕事放り投げておいて、給湯室でスマホですか。いいご身分ですね」
「なっ、なにを……!大体お前、上司に向かってなんて口の利き方だ!」

上司、か。

――「尊敬してるって意味です。上司として」

先輩。
俺の『上司』は、あなただけですよ。

「ああ、そうだ。業務用PCであんなサイト見るの、やめたほうがいいですよ。消したつもりでも残るものは残りますから」
「そ、それはっ……誰にも言うな」
「なら、さっさと働けよ。資料、机に置いといたんで」

課長クソハゲの喉が、ひくりと鳴る。
もう一度見下すと、だらしなく走り去っていった。

ため息をつく。

「……うわっ!」

背後で、短い悲鳴。――先輩の声?まさか。
後ろを振り返る。

「松方、くん……。資料が無くなってたから、知らないかなって……」
「先輩……」

迷い子みたいな表情の、先輩。
そんな顔させたいわけじゃないのに。

「今の、聞いてました?」

取り繕えない。
ごめん、先輩。怖がらせてるよな。

「聞いて、ないよ」

先輩は小さく首を振った。
けれど、すぐに視線は落ちる。

「……ううん。本当は、少しだけ」

沈黙。
換気扇だけが、動いている。

「すみ、ません……。俺のこと、嫌いになりましたよね」

唇を噛み、俯く。
先輩はゆっくり息を吐いた。

「ありがとう」
「えっ……?」

顔を上げた。

「僕のために、ありがとう」

目が合う。澄みきった瞳。

「助かったよ」

きれいな、笑みだった。

――ずるいよ、先輩。

せっかく仮面を被ってたのに。
剥がしたら、意味ないじゃないですか。

俺、大型犬なんで。
あんまり油断してると、噛んじゃいますよ?
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