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27.私の居場所

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 ノックの音がすると使用人が食事をワゴンに乗せて運んできた。

「まだ動けないかな? 私が食べさせてあげよう」

「い、いらないわ!」

 水を飲んだせいか声が出る。体にも力が入るようになった。ハリスンはマリオンの声を聞くと目を輝かせた。

「マリオン。声が出るようになったのか。綺麗な声だ。これからは私にだけ聞かせて欲しい」

「嫌よ。私はシンシア。マリオンじゃない。あなたのことなんか好きじゃない。気持ち悪いから触らないで!」

 怒りにまかせて拒絶するとハリスンは愕然とした表情になる。

「ああ、確かに今世ではシンシアだけれど、間違いなくあなたはマリオンの生まれ変わりだ。マリオンである以上あなたは私と結ばれなければならない。前世をやり直すんだ。あなたには前世の記憶がないから混乱している。だけどすぐに受け入れられるようになるよ」

 宥めるような優しい声が癇に障る。この人にとって大切なのは自分の気持ちだけ。他人の心を慮ることが出来ないのだ。前世も、そして今世も。

「マリオンの時だってクリフトン様を愛していなかったわ」

「まさか! シンシアは……マリオンの記憶があるのか?」

「愛していなかった」という言葉は無視して歓喜する神経が信じられない。そもそも自分がマリオンにした仕打ちを忘れているのか? 覚えていたらこんなこと言えないはずだ。

「……クリフトン様は私に毒を渡した。毒で死ねと言ったのよ」

 ハリスンは顔色を変えた。さすがにそれは後ろめたく思っているようだ。だからといって許さない!

「ち、違うんだ。あれは間違いだった。マリオンが私への愛情を言葉にしてくれないから不安になって、それで仕方がなかったんだ」

 何が仕方がなかったの? マリオンに毒を渡した理由が稚拙すぎる。そもそも愛していないのだから言葉になんて出来ないし、王命の婚約に愛情を示さないと死に値するなんて聞いていない。それにマリオンはコンラッドが好きだったのよ。蔑ろにされたマリオンの心に思いを馳せると涙が浮かんでくる。でもこの男の前で泣きたくない。深呼吸を二回繰り返した。それでも声は震えてしまう。

「あの婚約は王命でクリフトン様だってマリオンを愛していなかったのに、どうしてマリオンの愛の言葉が必要なの?」

 望んだ婚約じゃなくても貴族の義務として精一杯努力した。好きな人を諦めて苦痛しかない妃教育にだって取り組んだ。それだけじゃ駄目だったの? 毒を飲まなくてはならないほどのことをマリオンはしたの?

「マリオンには伝えていなかったがあれは私がマリオンに一目惚れをして望んだ婚約だった。マリオンを手に入れるためにわざわざエレンを隣国に嫁がせた。婚約するためにどれほど手を回したと思っているんだ。それなのにマリオンは私に対して義務的な態度だった」

 王命じゃない……? それならマリオンとコンラッドの婚約はクリフトンの横恋慕で壊されたということになる。酷い。悲しい。マリオンは彼と幸せになれると思っていたのに――。前世のマリオンの悲しみが胸に広がっていく。

「そんなこと知らない。勝手に好きになられて迷惑だわ。私はコンラッドと結婚したかったのに!」

 知らなかった前世の話を聞いて感情がぐちゃぐちゃだ。貴族は王族の意向に逆らえない。仕方がないとはいえ怒りを抑えられなかった。ハリスンが他国の王太子だからと気を遣うつもりはない。彼は他国の王太子妃を攫った犯人だ。不敬なんて言わせない。シンシアの中にはどうにもならない気持ちが蘇り涙が溢れ出した。
 ハリスンは眉を顰めると口を歪めた。

「迷惑? コンラッド? まさか噂の騎士……やはりマリオンは不貞を働いていたのか?」

「不貞なんてそんなことしていない。ただ彼を好きだっただけ」

 ハリスンは髪を掻きむしると目を吊り上げた。

「そんなこと許さない。それは間違いだ。マリオン……私を愛していると言うんだ」

「こないで!!」

 ハリスンは血走った目でシンシアににじり寄る。身の危険を感じてベッドから起き上がると後づさった。まだ少しふらつくが逃げなければと足に力を入れる。後は壁で出口とは逆だ。何とかしなければと側にあった花瓶に手を伸ばすとそれをハリスン目がけて投げつけた。ハリスンは腕で顔を庇ったが、腕に当たりドンッという鈍い音が響いた。

「うっ……」

 ハリスンはギラギラと怒りを滲ませている。今のは火に油を注いでしまったかもしれない。でも……私は何もせずに諦めてしまったマリオンじゃない。シンシアは戦う女なのよ。

 近くにあったペン立て、クッション、灰皿、水差しなど目に留まったものを片っ端からハリスン目がけて投げつけた。これはマリオンの報復でもある。いくつかはハリスンに直撃して彼の額からは血が出ていた。

 投げる物がなくなってしまうとハリスンはシンシアの腕を掴もうとした。それを躱して手を振り上げハリスンの頬を力任せに打った。パシンッという音にハリスンは呆然として頬を押さえる。すぐに苛立たし気に唇を歪めるとマリオンの腕を掴み乱暴にベッドに押し倒した。そして馬乗りになるとニヤリと不気味に笑った。

「私に抱かれれば本当に愛する人間が誰だか分かるだろう」

 仄暗い瞳が自分を見ている。ぞっとした。ブラッド以外の男に抱かれるなんて嫌だ。触れることすら許せない。シンシアは思いっ切り叫んだ。誰か気付いて。助けて。

「誰か!! 誰か助けて!!」

「無駄だよ。マリオン。部屋の周りは人払いしているからね」

 その時、突然バンッと大きな音を立てて部屋の扉が開いた。

「シンシア!!」

「ブラッド……」

「な、なんでここが……」

 ブラッドだ。ブラッドが来てくれた。

(もう大丈夫だ。私は助かったんだ)

 安堵すると鼻がツンとして涙がこぼれた。

「シンシアから離れろ!」

 ブラッドはすごい形相でハリスンを睨むと剣を抜きその背中を切りつけた。真っ赤な血しぶきが飛ぶ。あっという間のことで恐怖を感じることもブラッドを制止する暇もなかった。

「うわあああ――――――」

 ハリスンは痛みで蹲り悲鳴を上げている。

「ブラッド、殺しては駄目!」

 本音を言えば自業自得だし可哀想だとは全く思わない。とはいえさすがに他国の王太子を殺せば面倒なことになる。ハリスンに非があるとはいえ対応が過剰だとブラッドが責められては堪らない。ブラッドはシンシアの声に再び振り上げた腕を止めると奥歯を食いしばり剣を収めた。そしてすぐに自分のローブを外すとシンシアを包んだ。

「シンシア……遅くなってすまない」

「ううん……」

 彼の匂いに包まれてようやくまともに呼吸ができる。彼の顔を見れば今にも泣きそうな表情で思わずシンシアの涙が止まった。

「シンシアを守れなかった……情けないよ」

「そんなことない。私は無事だし、ブラッドは助けに来てくれたわ」

「ごめん……」

 助けに来てくれた、私は無事だったのだから自分を責めないで欲しい。

「謝らないで」

 ブラッドはシンシアを優しく抱き上げた。

「シンシア。帰ろう」

「うん」

「その男は城に連れて行く」

「はっ!」

 いつの間にか室内には騎士たちがいて、すでにハリスンを手当てしていた。容赦なく傷の上から縄をかけている。ハリスンは「痛い痛い」と呻いている。あの傷では拘束しなくても逃げられなさそうだ。シンシアはブラッドの胸に頬を寄せて彼の匂いを吸い込んだ。

(もう大丈夫。ブラッドがいる)

 彼の腕の中が自分の居場所――。ハリスンに自分なりにやり返したことでシンシアにはやり切った感があった。

(マリオンの苦しみと私の怒りを思い知らせたわ)

 安心したことで気が緩んでしまった。ブラッドに抱きかかえられたまま馬車に揺られ城に帰ったが、途中からぐっすりと眠ってしまった。次に目が覚めたのは翌日の夕方だった。




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