3 / 43
もうダメだ
しおりを挟むチュンがどう言おうと、誰に何があったって、時間は流れる。
おれがどう思っているとか、そんなのは関係なくて、考えてもどうしようもない。
人の心はおれのものじゃないから、なおさらに。
考えても仕方がないことは、考えないに限る。
そしてそういうときにありがたいのは、仕事。
集中しないと捗らないお仕事、万歳。
今回ばかりは、ホントに無心で仕事できるってことに、感謝。
史料編纂。
おれの仕事は、ざっくりいうならそういう分野になるのだと思う。
あちこちで発見された古文書やら史料を収集したり、デジタル記録したり、解読したり。
他には史料の修復、木簡や紙・墨や顔料なんかの筆記具の物理解析、集められた記録の保存管理、かな。
そういうあたりの作業を丸っと史料編纂というのだ。
職場でおれが担当しているのは、主に記録と読解。
ホントはきちんと内容も理解できるのが理想なんだけど、そこまではなかなか難しくて、内容を読み解くのは別に担当がいる。
おれにできるのは、そこに書かれている「ミミズののたくったような線」にしか見えない文字が「何」かを判断して、活字として記録すること。
史料を撮影したりスキャンしたりして、デジタル媒体で保存すること。
あとはご指名があったときに現地へ飛んで史料を確認、必要に応じて修復の手配をしたり回収したりすること。
今日もおれは目の前に置かれた紙片と、モニタを見比べて首を傾げる。
「ん~? しめす偏……や、ころも偏?」
文章の中で出てくる文字なら、何となく前後の文脈で判断するのだけど、固有名詞は難しい。
手元にあるのは某神社から預かった古文書のコピーで、村の名前と人の名前が書かれているもの。
仕方がないので、背後の席で作業中の先輩に声をかける。
就業時間内はデスクワークでも作業着を着ているのがデフォルトなので、今は見た目ださいおじさん状態だけどオフはおしゃれさんな人。
かく言うおれも、作業着でマスクめがね着用の、ほぼ不審者スタイルなんだけどね。
扱っているものが古い紙類のことが多いので、埃や汚れがひどいのだから、仕方ない。
今日は手袋をしていないだけ、露出が高いくらい。
「先輩、この漢字知ってます?」
「ん? ……あー、これな……ん~どっかでみた記憶はあるけど、思いだせん」
そう言いながらも、おれのデスクに置かれたメモに、さらさらっと参考資料を書いてくれた。
「あざっす」
「たぶん、な。そのあたりにあると思うんだけど、確信は持てねえわ」
先輩に教わった崩し文字のサンプルを呼び出して、引っかかる文字と見比べる。
これで判別がつかなかったら、思い当たる単語をいくつか作って、検索をかけてみるか。
固有名詞は地名のことが多いから、地図アプリでも呼び出すか。
割とこのあたりの方法でヒットするんだけど、今回はどうなるかな。
取り組んでいる史料の時代と、地方、ざっくりの内容をメモしながら、解読できた文字を打ち込んでいく。
今、おれがすっげー「夢中」になっている「お仕事」。
プリント一枚分打ち込んで保存かけたら、次のやつ。
書かれている文字を、わかるものからどんどん常用漢字で打ち込む。
旧字体がPCに入っているときは、旧字体で入れて、注釈をつける。
わからない文字は後でまとめて調べるから、印をつけて飛ばす。
作業の手順は決まっているから、集中し始めたらサクサクとすすめられる。
「急ぎじゃないんだから、そろそろ切り上げようか」
「ひょ?!」
ふぅと耳元で囁かれて、手元が狂った。
漢字が並んでいる画面に、変な記号が打ち込まれる。
「何すんですか!」
「終業時間でーす。今日はお終い」
振り返ったら、先輩がにこにこと笑いながら、時計を指さした。
「さっき、チャイム鳴った」
「あー……じゃ、キリがついたら」
「ダメ。それ、急ぎ案件じゃなかろ? 君は集中しすぎるから、今日はお終い」
あー。
にっこり微笑まれているけど、圧がすごい。
急ぎの仕事の時はホントにどうしようもなくなって、残業するしかなくなるのだけど、確かに今はそうじゃない。
急ぎの時に頑張りすぎて、何度かぶっ倒れたことがあるから、ここは言うことを聞くのが吉。
今は仕事していたい気分なんだけど、それはそれ、これはこれ、ということだろう。
「保存したら、あがります。おつかれっした」
「はい、じゃあお先に」
なんとなく埃っぽくなってしまうので、仕事中は作業着。
通勤の時はスーツだったり私服だったり、その日の予定による。
今日は外出がなかったし、冷え込むと予報が出ていたから、セーターを着こんできた。
着替えて職場を出る。
ぶらぶらと駅に向かいながら、見上げると暮れきった鉄紺色の空。
ぽつりぽつりと星が見えるけれど、ビルの近くは明るくて、妙に空が遠く見える。
にぎやかな笑い声と、楽しそうなBGM。
キラキラした街並み。
「サンタさんがーゲームでー、じいじに本体でー、ママにケーキかってもらうの!」
「ケーキは買うの? 作るんじゃなくて?」
「違うの。いっぱいフルーツの甘いのがいいから、サンタさんの乗っかったのがいいから、ケーキ屋さんのなの」
「そっかー」
向こうからきた、にぎやかな家族にぶつかりそうになって、慌ててよける。
母親に見える女が子どもを抱き寄せて、父親だろう男が、すいませんと会釈をよこした。
小さく首を振って見送る。
この時期によく見かける、絵に描いたような家族だ。
おれには縁のないもの。
相性って、あるじゃないか。
努力で補いきれない何故だか上手くいかない部分、そういう感じのもの。
おれの家族は、家族なのに、相性が悪かった。
両親はそもそもがなぜ結ばれたのかよくわからないくらいに、冷え切った夫婦だった。
それでも何とか関係を残していたのに、ダメにしてしまったのはおれの存在。
子は鎹《かすがい》なんて、うちには当てはまらなかった。
赤ん坊の頃は癇性で、面倒な子どもだったそうだ。
少し大きくなってからは、喘息が悪化して手の掛かる子どもになった。
子どもの頃に周囲によくいたのは、たぶん病院関係者だったのだとは思うけど、次々入れ替わる面倒を見てくれる大人が怖くて、思うことを言えなくなっていった。
親が理想に思うような、子どもらしい子どもではなかったんだろうと思う。
もう少しおれがうまく立ち回れたら、違ったのかもしれないけど、おれはできなくて。
親が望んでいるだろうことを叶えようと、顔色を窺って、言われることに従うのに必死で。
なのに、ダメだった。
親の希望で受験した中学に進学した頃、気がついてしまった。
おれは親の望むような、いい会社に入って出世してかわいい嫁さんをもらって孫を親に見せる、なんて人生は送れない。
おれは多分、女が恋愛対象じゃない。
必死に隠したけど、隠しきれなかった。
どこからかバレた。
それがとどめ。
いつまでたっても改善しないおれの健康や、受け入れがたい性癖や、ありかたのおかしいところをお互いのせいにして責め合って、両親は一緒にいることをとうとう放棄した。
忘れていたことを、思い出す。
おれはひとりだ。
高校と大学と進学費用は出してもらえたし、生活費も学生の間は出してもらえた。
不幸ではない。
恵まれていると思う。
全寮制の高校でチュンに会えた。
なんやかんやと声をかけてくれる友達もいる。
職場にも恵まれている。
おれのことを気にかけてくれる人は、少なくない。
なのに、時々足元を掬われる。
どうしようもなく一人だと思ってしまう。
おれがこんなだから、家族はうまくいかなかった。
ナオは別の人と、きちんとした家族を作るために、離れていった。
ナオのこと、好きだった。
今でも好きかと聞かれたら、好きだと答えるだろう。
だけど。
彼女とのことを知る前と、同じ好きかって聞かれたら、違うと思う。
ただ好きなだけじゃ、いられなくなった。
純粋にひたすら好きってだけじゃなくて、意地とか執着とか、そういうのが混じっている気がする。
全部ひっくるめて、好き、なのかもしれないけど、なんだか違うっておれは感じてしまった。
いてくれたらいい。
おれを一人にしないでくれたらいい。
おれの気持ちを受け止めてくれたらいい。
それだけだったのに、そうじゃなくなった。
それだけだったのに、それだけが難しかった。
ああ、なんかダメだ。
このまま一人の部屋に帰ったら、おれ、なんかダメな気がする。
そんな気がして、ついうっかり、行先を確認しないまま電車に乗ってしまった。
「……あれ」
さんざん乗り継いで、どこを走っているのかわからない一両編成の電車に乗って、終着駅で下りたら、なんにもなかった。
見事なまでに、何もない。
空っぽのバスターミナルの端っこに、ぽつんと公衆電話ボックスがあるだけ。
かろうじて、飲み物の自販機はあるけど、コンビニもビジネスホテルもないって、どういうことよ?
って、振り返って目を疑った。
ホームの電気、消えてるじゃん。
「あれぇ……?」
たどり着いた場所で、おれは首を傾げる。
確認した時刻表、すっげえ、余白だらけ。
今、乗ってきた電車が、終電だったとかいうんだ?
まだ日付変わってないんですが、もう、終わり?
え、マジ?
いつの時代ですかって感じの寂れた駅前で、ここはどこですかっていう終電の時間で、何の仕打ちだって置き去り感。
いや、ここまで電車乗り継いできたの、おれだけどさあ。
世の中、もう、令和よ?
平成も終わったんだよ?
何なんだこの時代錯誤な感じは。
「マジかー」
はふと息をついたら、白い息がふわりと舞い上がった。
けど、次に吸い込んだ空気は予想より冷たく乾いていて、ケホンと小さな咳が出た。
0
あなたにおすすめの小説
イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした
天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです!
元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。
持ち主は、顔面国宝の一年生。
なんで俺の写真? なんでロック画?
問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。
頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ!
☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。
完結|好きから一番遠いはずだった
七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。
しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。
なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。
…はずだった。
バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?
cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき)
ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。
「そうだ、バイトをしよう!」
一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。
教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった!
なんで元カレがここにいるんだよ!
俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。
「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」
「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」
なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ!
もう一度期待したら、また傷つく?
あの時、俺たちが別れた本当の理由は──?
「そろそろ我慢の限界かも」
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
【完結】抱っこからはじまる恋
* ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
BLoveさまのコンテストに応募しているお話に、真紀ちゃん(攻)視点を追加して、倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!
中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。
無表情・無駄のない所作・隙のない資料――
完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。
けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。
イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。
毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、
凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。
「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」
戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。
けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、
どこか“計算”を感じ始めていて……?
狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ
業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる