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1巻
1-2
どう説明しようか迷ってしまう。さすがに、「将来、断頭台で首を斬り落とされたくないからよ」とは言えない。そんなことを言ったら、きっと頭がおかしくなったと思われるだろう。よくても医療施設、最悪は修道院である。断頭台よりはマシなので最終的にはその二箇所に行くことも視野に入れているが、決して進んで入りたいわけではない。目指すは王太子殿下の婚約者にならずに、のんびりとした貴族生活を謳歌することである。だから、本当のことではなく、マドール侯爵令嬢が納得する理由を言えばいいのだ。
「……実を言うと私、王太子殿下みたいなタイプは苦手なのよ」
「苦手ですか?」
「ええ、あの思い込みの強いところとか……か、顔もよ。い、いえ、全てね。もう駄目なの」
そう言って嫌そうな表情を作ると、マドール侯爵令嬢が疑いの目を向けてくる。
「前は、優しくて誰にでも分け隔てなく接することができる大変素晴らしい方だって絶賛していたじゃありませんか……」
「そ、それはずっと我慢してただけよ。何せ、私達がこの婚約に意見をするなんて許されないでしょう?」
「まあ、確かに辞退したいなんて言ったら、それ相応のペナルティが発生しますものね……」
「そうよ。だから、私は王太子殿下が苦手だったけどずっと我慢してたの。でも、昨日、王太子殿下と会った時に、もう一緒にいるのは無理だって心底理解したのよ……」
最後の方はつい本音で言ってしまう。何せ、もう無理なのは間違いないからだ。断頭台のことがたとえ夢であっても、である。すると、マドール侯爵令嬢は困ったような表情になった。
「うーん、まさか、サマーリア公爵令嬢がそう思っていたなんて知りませんでしたわ。私はてっきり、もう婚約者はあなたで決定だと思って動いていたのに……」
「えっ、どういうこと? マドール侯爵令嬢はもう王太子殿下の婚約者になるのを諦めていたってこと?」
思わず驚いてそう聞くと、マドール侯爵令嬢はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、私は最初から王太子殿下の婚約者になる気はありませんでしたわよ」
「はっ……?」
私は自分の耳を疑ってしまった。婚約者になりたくない。つまり、王妃になりたくないと言っているからだ。その瞬間、脳裏にある言葉が浮かんだ。
「……まさか、あなたのところも王命だったの?」
「ええ……。マドール侯爵家の領地で採れる珍しい宝石に目をつけられましてね。おかげで婿をとって領地でのんびり暮らすという私の計画が頓挫したのですわ……」
「そうだったの……」
私はマドール侯爵令嬢の話を聞き、思わず俯いてしまう。まさか、サマーリア公爵家だけじゃなく、マドール侯爵家にまで王命がいっていたとは思わなかった。
てっきりサマーリア公爵家以外は立候補したのかと思っていたけど……前回選ばれたと思い込んでいた私や両親はとんだ笑い者ね。
とはいえ、マドール侯爵令嬢に婚約者になる気がないことは理解した。
参ったわ……
目の前で頬に手を当て困った表情を浮かべるマドール侯爵令嬢を見て、私は項垂れる。
……頭がいい彼女のお妃教育があまり進んでいなかったのは、わざと手を抜いていたからなのね。そうなると、マドール侯爵令嬢はどこかのタイミングで辞退してくるだろうから、残りの婚約者候補は私とリリアン・ベーカー伯爵令嬢になるわけだけど……
私は婚約者候補の中で、性格が悪く、断トツにお妃教育が進んでいないリリアン・ベーカー伯爵令嬢を思い浮かべ、思わず頭を振った。
このままだと私が選ばれてしまう……。でも、王家はなぜリリアン・ベーカー伯爵令嬢を婚約者候補にしたのかしら? 噂では婚約者候補の立場をお金で買ったと言われてるけど、そんなこと王家が許すわけないのに……。それとも、上位貴族の後ろ盾がいる? まあ、それなら彼女に婚約者になってもらうのもありかもしれないわ。何せ彼女は、前回私が王太子殿下の婚約者になった時、人を使って私を殺そうとしてきたものね……。まあ、私が知らないうちに護衛があっという間に捕まえたらしいけど。でも、そんな彼女ならミーア・アバズン男爵令嬢にも対抗できるわ。最悪、断頭台に上がっても、私を殺そうとしたことを考えると、心も痛まないものね。
考えが纏まり、私は頷く。
よし、決まりね。リリアン・ベーカー伯爵令嬢が婚約者になることを期待して、私は次から手を抜いてお妃教育を受けていきましょう。ただ、あと二週間でどこまで評価を落とせるかはわからないけれど……
私がそんなことを考えていると急に周りから黄色い悲鳴が上がった。嫌な予感がして顔を上げ、私は内心溜め息を吐く。しかし、すぐに精一杯作り笑顔を浮かべ、マドール侯爵令嬢と一緒に淑女の礼をした。
「ごきげんよう、王太子殿下」
「ああ、二人ともここにいたのか」
王太子殿下がそう言った直後、マドール侯爵令嬢は急に咳き込み始めた。
「ゴホゴホッ……。王太子殿下、申し訳ありません。体調がすぐれませんので私はお先に失礼させていただきますわ」
「そうか。体を大事にするといいよ」
「ありがとうございます」
マドール侯爵令嬢はそう言って頭を下げた後、一瞬私の方を向き笑みを浮かべる。そして頭を上げると足早に教室から出ていってしまった。
逃げたわね……
彼女が去った方を思いきり睨みつけたかったが、我慢して王太子殿下を見る。
「……それで王太子殿下、わざわざ一年生の教室まで来られるとはどうかなさいましたか?」
「ああ、昨日のことが気になって様子を見に来たんだ。体調はどうだい?」
「まだ、少し調子が……」
「ふむ、シレーヌも体調が悪いと言ってたし、風邪か何か流行っているのかもね」
「そうですね。なので、私も今日はこの辺で帰りたいと思っています」
「その方がいい。馬車まで送っていこう」
王太子殿下はそう言って私に微笑んでくる。そんな殿下を見て、この人は本来は優しい人物であったことを徐々に思い出してくる。だが、やはりあの断罪の日の王太子殿下と、どうしても重なってしまうのだ。
私は王太子殿下の後ろを歩きながら、無意識のうちに視線を彼の首元に向ける。その瞬間、私の首付近に痛みが走り、あの地面が迫ってくる光景を思い出した。
……無理ね。私の全てが王太子殿下を拒絶してる……
身震いしながらそう思っていると、王太子殿下が心配そうに声をかけてきた。
「顔色が悪いな。屋敷に着いたら早く休むといい」
「……はい」
私は頷いた後に俯いてしまう。
今の王太子殿下はあの王太子殿下とは違う……。でも……それでも、私は一緒になることはできないわ。
まだ、ズキッとする首に触れながら私はそう強く思うのだった。
翌日、私はサマーリア公爵家のレッスン部屋にお妃教育の先生を呼び、ダンスレッスンをしていた。だが何度もミスを繰り返してしまう。もちろんこれは演技である。そんな私を、お妃教育担当の一人であるエミレイ・コーラック公爵夫人は咎めるように見てくる。
「全然、踊れていないじゃない……。これだと、評価すらできないわよ」
コーラック公爵夫人が苛々した口調で言ってきたので、私は申し訳なさそうな表情で頭を下げた。
「申し訳ございません……」
私はそう言いながらも内心は喜んでいた。
ふふ、上手く評価が落ちてるわね。このまま順調に落とすわよ。
その後もバレないようミスを続けていくと、コーラック公爵夫人が呆れた口調で言ってきた。
「今日はここまでにしましょう。残り数日、こんな調子では私はあなたを王太子殿下の婚約者として推すことはできませんよ」
「……わかっています」
「本当にわかっているのかしら? 殿下の婚約者になるということは、将来王妃になるということなのよ。今のあなたからはその責任感がまったく感じられないわ」
そう言ってコーラック公爵夫人は広げていた扇を勢いよく閉じ、部屋を出ていった。そんなコーラック公爵夫人が去った方向を私は申し訳ない気持ちで見つめる。
彼女は私が断罪された後も唯一恩赦を願い出てくれたのよね……。でも、隣国の王太子殿下を毒殺しようとした罪が重すぎたことと、恩赦なんかしたら隣国に示しがつかなくなるからと王家は聞き入れてくれなかった……。まあ、私がやったわけじゃないけれど。
そう思いながら側にいたルリアに湯浴みの準備をお願いしようとしたら、グレイスが部屋に入ってきて言った。
「お嬢様、王妃陛下から、明日お会いしたいとお言付けがございました」
「……そう、わかったわ」
私はグレイスの方を見ずに答える。グレイスはムッとしているが、私は気づかないふりをした。
「ルリア、汗をかいたから湯浴みの準備をして」
「はい、お嬢様」
ルリアは笑顔でそう答えると湯浴み場に行った。そんなルリアを見ているとホッとする。唯一、私を嵌めた件に確実に関係ない人物だからだ。
まあ、お母様に追い出されて、屋敷にいなかっただけなのだけれど。それでも、他の使用人達よりは信頼できるわ。
私は、父の書斎でこっそり調べたサマーリア公爵家使用人の情報を思い出す。
使用人の大半は、サマーリア公爵家の派閥にいる、爵位が継げない者達で構成されている。いわゆる貴族の次男以下や、結婚する前の令嬢達だ。彼らは父に完全な忠誠を誓っている。もちろん、将来、サマーリア公爵になる兄にも。そうなると、アバズン男爵令嬢が兄を籠絡した時に彼らは全員、兄の味方になるだろう。
だから、私は残りの使用人達――祖父であるドルフ・ベルマンド公爵が、母を嫁がせる際に一緒によこした使用人達を味方につけることにした。何せ彼らは父や母にもしっかりと意見を言える。それに私の読みが当たっていれば、彼らは四大公爵家の一人である祖父に命令され、サマーリア公爵家が次期四大公爵家に相応しい公正な判断を下せるか、そして貴族としての役割をきちんと果たしているかを見極めているはず。
ちなみに四大公爵家とは、初代王家との取り決めにより、国内外を見張る役割を担う四つの公爵家のことだ。何ものにも屈さない強い意志が求められ、時に王家すら脅かす絶大な権力を持つ。
そして四大公爵家は世襲制ではなく、一定の期間で選び直される。そのため、おそらく父と兄がその役割に相応しいか、祖父は目を光らせているだろう。まあ、そうじゃなくても祖父の性格上、父達が馬鹿なことをしないか監視してるだろうけど。
だからお兄様、アバズン男爵令嬢が本当に現れて馬鹿なことをし出したら、愚痴も含めて次期サマーリア公爵としては相応しくないと彼らに報告してあげるわよ。
湯浴み場に向かうと、笑顔で仕事をしているルリアが目に入る。
しかし、運が良かったわ。まさか、ルリアも祖父が送り込んできた使用人だったとはね……
私はそんなことを考えながら、来るべき日に向けて色々と手を伸ばしていくのであった。
「残念だけれど、シレーヌ・マドール侯爵令嬢は、病気のせいで子ができにくい体になったと診断され、婚約者候補から外れることになったわ」
翌日、王宮に呼ばれ、王妃専用の執務室に入るやいなやロマーナ・ロールアウト王妃陛下は落ち着いた口調と表情でそう伝えてきた。そんな王妃陛下に私は内心、苦笑してしまう。
本当は腸が煮えくり返っているのでしょうに、相変わらずポーカーフェイスが上手いわね。何せ私が断頭台に上がった時もいっさい表情を変えなかったもの……。けれどもポーカーフェイスに力を入れるぐらいなら、王太子殿下の行動を監視する方に力を入れてほしかったわ。
私はあの卒業パーティーの日を思い出す。
あの日、王妃陛下は眉間に皺を寄せて私を睨むだけで、何も言わなかった。まあ、これは、私がアバズン男爵令嬢を甘く見て誰にも相談せずに自分だけで解決しようとしたのも悪かった。おかげで王太子殿下の婚約破棄宣言は、ほとんどの生徒にとって寝耳に水の出来事だっただろう。そのうえ婚約破棄宣言の後、流れるように毒殺未遂の証拠を出されてしまったのだからタチが悪い。あれで私を庇う人はいっさいいなくなってしまったのだ。
まあ、あんな証拠を出されたら私だって絶対に庇わないわ。たとえ、相手が嵌められているのがわかっていてもね……
それだけ、グレイスが私の部屋で見つけたという毒薬が入った小瓶の存在は強力だった。あの瞬間、会場にいた者の私を見る視線が一気に敵意に変わったのを思い出し、私は怒りに震える。
やはり駄目ね。嵌めた相手は絶対に許せそうにないわ……。当たり前よね。断罪されて断頭台に送られたのだから……
まあ、今はそのことより、マドール侯爵令嬢よ。遠からず辞退してくることはわかっていたけど、まさか王家お抱えの医師を丸め込むとは……。いいえ、頭のいい彼女のことだから何かしらの方法で医師を騙した可能性もあるわね。おかげで立派な断る理由ができたわけだけど、こんな理由を作れるってことはマドール侯爵家も彼女を王家に嫁入りさせる気はなかったということなのね……
内心でマドール侯爵家を羨んでいると、王妃陛下が淡々とした口調で言ってきた。
「あなたも最近、体調が悪いみたいね……。先ほど震えていたみたいだし」
「……ええ、そうなんです」
まあ、先ほどの震えは怒りによるものだが、体調が悪いと思われるのは好都合だ。
とはいえ、「だから、私も王太子殿下の婚約者候補から外してください」とは言わない。そんな二番煎じなことを言えば、どんなペナルティが来るかわからないからだ。だから、私からは決して言わずに、向こうに言わせるように持っていかないといけない。
そう考えながら体調が悪いふりをすると、我慢できなくなったのか王妃陛下は少しだけ顔を顰めた。
「……困ったわね。あなたに期待してたのにこれじゃあ、保険を考えないといけないわ」
王妃陛下はそう言って私をチラッと見て煽ってくる。
まあ、前の私なら「大丈夫です! 必ずやお妃教育をやり遂げてみせます!」と息巻いていただろう。しかし、今の私は婚約者なんかになりたくないの一心である。そのため、私は更に婚約者から外れやすいように提案してみることにした。
「……そうですね。私なら大丈夫ですと言いたいところなのですが、なにぶん体調が思わしくないので……王妃陛下の保険という素晴らしい案には賛成です。学院や他国に王家の者を配置して、婚約者になれそうなご令嬢を探させてみてはいかがでしょう?」
ちょっと胸を押さえ辛そうな表情を浮かべると、王妃陛下は一瞬渋い表情をした後に頷く。
「そうね、考えてみるわ。けれど、あなたもしっかりと頑張りなさい」
王妃陛下がそう言った瞬間、喜びのあまり飛び跳ねたくなったが我慢する。
「……はい、もちろん精一杯努力をします」
そう答えながらも辛そうな顔を作ったため、王妃陛下は複雑な表情になった。
その後、私は執務室を後にしたのだが、上手く物事が運んだことが嬉しくて思わず馬車内で叫んだことは言うまでもない。
それから数日して、王太子殿下の婚約者についての発表があったが、正式な婚約者は決められておらず、私とリリアン・ベーカー伯爵令嬢はあくまでも候補のままとして発表されたのだった。
発表後に屋敷に戻ると情報が先にいっていたらしく、父が責めるような目で私を見てきた。
「どういうことだ?」
「力及ばず、申し訳ございません……」
「違うだろう。お前は急に手を抜いたり、お妃教育をサボったりしていただろう」
「人聞きが悪いですね。体調が悪かっただけですよ」
そう答えた後に作り笑いを浮かべると、父は苦虫を噛み潰したような表情になった。本当は怒鳴りたいものの、私を刺激したくないので堪えているのだろう。将来、私が王妃になっても家族仲が悪かったら父にとっては意味がないからだ。
王妃が尊敬する父親という称号が欲しいのよね。でも、残念ね。お父様は何の功績もない、ただのサマーリア公爵で終わるわよ。
私はそう思いながら、何か言いたそうな父に体調が悪いと伝え、さっさと部屋に戻ってルリアを呼んだ。
「お嬢様、どうしましたか?」
「ルリアにお願いがあるのよ。来週から私の付き人として一緒に学院に行ってほしいの。上位貴族は一人までなら侍女を付けられるから」
「よ、よろしいのですか⁉」
「ええ、本当は従者も付けたいけど、さすがにそれは父に却下されてしまったわ」
驚いた表情のルリアに、私は微笑みながら頷く。するとルリアは一瞬考えるような仕草をした後に私に聞いてきた。
「お嬢様、何か危険が迫っているのですか?」
私は思わず口元が緩んでしまう。それはルリアの頭の良さにである。
やっぱりルリアを選んで正解だったわ。
そう思いながらも、私はもう少しルリアを試すことにした。
「どうしてそう思うの?」
「なんだか最近、何かに備えて行動をされているように見えますので、そうなのかと……」
よく見ているし、しっかり考えることもできる。本当にあなたは素晴らしいわ……
私はそう思いながら、ルリアを見て微笑む。
「まあ保険よ。だから、そんなに気負わないでね」
「はい、わかりました」
「それじゃあ、学院でのあなたの動きを説明するわ」
私はルリアに基本的な学院での侍女の動きを説明する。それとは別に頭の中で来週来るであろう、アバズン男爵令嬢への対抗策を練り続けるのであった。
第二章 運命の日
ついにこの日が来てしまった。
正直、色々な感情が入り混じり、ほとんど眠れなかった。何せ、今日はミーア・アバズン男爵令嬢と王太子殿下が運命的な出会いをする日だからだ。
まあ、王太子殿下はあくまでこの時点ではアバズン男爵令嬢に恋愛感情は持っていない。だが、その後、なぜかタイミングよく困っているアバズン男爵令嬢と頻繁に出くわすようになる。そして、王太子殿下がアバズン男爵令嬢を手助けしていくうちに、二人は恋仲になっていくのである。
とにかくこのまま何もせずに過ごせば、私は断頭台行きである。
そこで、試しに王太子殿下に、その日は正門じゃなくて裏門から私と一緒に入りませんかと声をかけてみたのだが「始業式なのになぜ、裏門から入るんだい? それに私に挨拶するために、わざわざ正門で待ってくれている生徒達もいるから、それは無理だよ」と、あっさり断られてしまった。
仕方なく、王太子殿下と一緒に正門から入ったところ、すぐに私の側で誰かが盛大に転んできた。まあ、誰かというか、桃色の目立つ髪をしたミーア・アバズン男爵令嬢なのだが……
そんなアバズン男爵令嬢は、早速足を押さえて大声で痛がり始めた。
「痛ああいっ! 誰かに足を引っ掛けられたわ!」
アバズン男爵令嬢はそう言って私を見ようとして、驚く。アバズン男爵令嬢の目に映ったのは、私じゃなく侍女のルリアだったからだ。ルリアは、痛がるふりも忘れてこちらを驚いた表情で見ているアバズン男爵令嬢を無視し、私達に声をかけてきた。
「お二人共、お怪我はありませんか?」
「ああ、私は平気だがバイオレットは大丈夫かい?」
「はい、ルリアが守ってくれましたわ。それより、どうしたの?」
私はルリアにそう聞き、困ったような表情を浮かべた。
「こちらのご令嬢が勢いよく向かってきたので、お二人をお守りしようとしたら直前で勝手に転んだのです」
ルリアがそう答えると、アバズン男爵令嬢はハッとして再び足を押さえ、痛がり始めた。
「痛いよお! なんで足を引っ掛けるのよ!」
アバズン男爵令嬢はルリアを指差し叫ぶが、もちろんそんなことをしていないルリアは勢いよく首を横に振る。
「私はそんなことしていません」
「嘘よ! 思いきり足を引っ掛けたわ!」
どう考えても足を引っ掛けるには無理な位置でそう叫び、アバズン男爵令嬢は大袈裟に痛がるふりをする。そんな下手な演技に、まんまと引っ掛かった王太子殿下が心配そうな表情で近づこうとしたので、内心呆れながら呼び止めた。
「王太子殿下、もしかしたらこのご令嬢は危ない方かもしれません。誰か警備の者を呼んだ方がよろしいかと……」
すると王太子殿下は笑顔で首を横に振ってきた。
「バイオレット、この学院に来る生徒は皆、身元がしっかりしているんだ。そんなことは絶対にあり得ないよ」
そう能天気に言ってくる王太子殿下に、私は溜め息を押し殺す。
「……その身元がしっかりしているはずの生徒が、私達に向かってきた挙句に、私の侍女に濡れ衣を着せているのですよ?」
私が咎めるような口調でそう言うと、王太子殿下は驚いた表情を浮かべる。きっと私が言い返してくるとは思わなかったのだろう。そんな王太子殿下の顔を見て私は思い出す。
前回はこの日をきっかけに、徐々に王太子殿下と私の関係がおかしくなっていったのよね。まあ、だからって今回も同様に王太子殿下が突き進むのなら、それを正す気はないけれど……
そんなことを思いながら王太子殿下がどういう行動をするか見ていると、彼は考え込むような表情で私達を見回した後、アバズン男爵令嬢に声をかけた。
「君はなぜ、私達に向かってきたんだ?」
「……わ、私はただ王太子殿下にご挨拶をしようとしただけです! そしたら、その人に足を引っ掛けられてしまって……」
「ふむ、君は誤解しているようだが、公爵家の侍女として認められている彼女がそんなことはしないよ」
「えっ、そ、それは……じゃ、じゃあ、私の勘違いだったんですね。ごめんなさい」
アバズン男爵令嬢はバツが悪そうにルリアに頭を下げる。すると王太子殿下が私達に笑顔を向けてきた。
「ほら、解決しただろう。彼女は挨拶をしに来ただけさ。じゃあ、私が医務室に連れていこう」
そう言ってアバズン男爵令嬢に近づこうとしたので、私は呼び止める。
「……実を言うと私、王太子殿下みたいなタイプは苦手なのよ」
「苦手ですか?」
「ええ、あの思い込みの強いところとか……か、顔もよ。い、いえ、全てね。もう駄目なの」
そう言って嫌そうな表情を作ると、マドール侯爵令嬢が疑いの目を向けてくる。
「前は、優しくて誰にでも分け隔てなく接することができる大変素晴らしい方だって絶賛していたじゃありませんか……」
「そ、それはずっと我慢してただけよ。何せ、私達がこの婚約に意見をするなんて許されないでしょう?」
「まあ、確かに辞退したいなんて言ったら、それ相応のペナルティが発生しますものね……」
「そうよ。だから、私は王太子殿下が苦手だったけどずっと我慢してたの。でも、昨日、王太子殿下と会った時に、もう一緒にいるのは無理だって心底理解したのよ……」
最後の方はつい本音で言ってしまう。何せ、もう無理なのは間違いないからだ。断頭台のことがたとえ夢であっても、である。すると、マドール侯爵令嬢は困ったような表情になった。
「うーん、まさか、サマーリア公爵令嬢がそう思っていたなんて知りませんでしたわ。私はてっきり、もう婚約者はあなたで決定だと思って動いていたのに……」
「えっ、どういうこと? マドール侯爵令嬢はもう王太子殿下の婚約者になるのを諦めていたってこと?」
思わず驚いてそう聞くと、マドール侯爵令嬢はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、私は最初から王太子殿下の婚約者になる気はありませんでしたわよ」
「はっ……?」
私は自分の耳を疑ってしまった。婚約者になりたくない。つまり、王妃になりたくないと言っているからだ。その瞬間、脳裏にある言葉が浮かんだ。
「……まさか、あなたのところも王命だったの?」
「ええ……。マドール侯爵家の領地で採れる珍しい宝石に目をつけられましてね。おかげで婿をとって領地でのんびり暮らすという私の計画が頓挫したのですわ……」
「そうだったの……」
私はマドール侯爵令嬢の話を聞き、思わず俯いてしまう。まさか、サマーリア公爵家だけじゃなく、マドール侯爵家にまで王命がいっていたとは思わなかった。
てっきりサマーリア公爵家以外は立候補したのかと思っていたけど……前回選ばれたと思い込んでいた私や両親はとんだ笑い者ね。
とはいえ、マドール侯爵令嬢に婚約者になる気がないことは理解した。
参ったわ……
目の前で頬に手を当て困った表情を浮かべるマドール侯爵令嬢を見て、私は項垂れる。
……頭がいい彼女のお妃教育があまり進んでいなかったのは、わざと手を抜いていたからなのね。そうなると、マドール侯爵令嬢はどこかのタイミングで辞退してくるだろうから、残りの婚約者候補は私とリリアン・ベーカー伯爵令嬢になるわけだけど……
私は婚約者候補の中で、性格が悪く、断トツにお妃教育が進んでいないリリアン・ベーカー伯爵令嬢を思い浮かべ、思わず頭を振った。
このままだと私が選ばれてしまう……。でも、王家はなぜリリアン・ベーカー伯爵令嬢を婚約者候補にしたのかしら? 噂では婚約者候補の立場をお金で買ったと言われてるけど、そんなこと王家が許すわけないのに……。それとも、上位貴族の後ろ盾がいる? まあ、それなら彼女に婚約者になってもらうのもありかもしれないわ。何せ彼女は、前回私が王太子殿下の婚約者になった時、人を使って私を殺そうとしてきたものね……。まあ、私が知らないうちに護衛があっという間に捕まえたらしいけど。でも、そんな彼女ならミーア・アバズン男爵令嬢にも対抗できるわ。最悪、断頭台に上がっても、私を殺そうとしたことを考えると、心も痛まないものね。
考えが纏まり、私は頷く。
よし、決まりね。リリアン・ベーカー伯爵令嬢が婚約者になることを期待して、私は次から手を抜いてお妃教育を受けていきましょう。ただ、あと二週間でどこまで評価を落とせるかはわからないけれど……
私がそんなことを考えていると急に周りから黄色い悲鳴が上がった。嫌な予感がして顔を上げ、私は内心溜め息を吐く。しかし、すぐに精一杯作り笑顔を浮かべ、マドール侯爵令嬢と一緒に淑女の礼をした。
「ごきげんよう、王太子殿下」
「ああ、二人ともここにいたのか」
王太子殿下がそう言った直後、マドール侯爵令嬢は急に咳き込み始めた。
「ゴホゴホッ……。王太子殿下、申し訳ありません。体調がすぐれませんので私はお先に失礼させていただきますわ」
「そうか。体を大事にするといいよ」
「ありがとうございます」
マドール侯爵令嬢はそう言って頭を下げた後、一瞬私の方を向き笑みを浮かべる。そして頭を上げると足早に教室から出ていってしまった。
逃げたわね……
彼女が去った方を思いきり睨みつけたかったが、我慢して王太子殿下を見る。
「……それで王太子殿下、わざわざ一年生の教室まで来られるとはどうかなさいましたか?」
「ああ、昨日のことが気になって様子を見に来たんだ。体調はどうだい?」
「まだ、少し調子が……」
「ふむ、シレーヌも体調が悪いと言ってたし、風邪か何か流行っているのかもね」
「そうですね。なので、私も今日はこの辺で帰りたいと思っています」
「その方がいい。馬車まで送っていこう」
王太子殿下はそう言って私に微笑んでくる。そんな殿下を見て、この人は本来は優しい人物であったことを徐々に思い出してくる。だが、やはりあの断罪の日の王太子殿下と、どうしても重なってしまうのだ。
私は王太子殿下の後ろを歩きながら、無意識のうちに視線を彼の首元に向ける。その瞬間、私の首付近に痛みが走り、あの地面が迫ってくる光景を思い出した。
……無理ね。私の全てが王太子殿下を拒絶してる……
身震いしながらそう思っていると、王太子殿下が心配そうに声をかけてきた。
「顔色が悪いな。屋敷に着いたら早く休むといい」
「……はい」
私は頷いた後に俯いてしまう。
今の王太子殿下はあの王太子殿下とは違う……。でも……それでも、私は一緒になることはできないわ。
まだ、ズキッとする首に触れながら私はそう強く思うのだった。
翌日、私はサマーリア公爵家のレッスン部屋にお妃教育の先生を呼び、ダンスレッスンをしていた。だが何度もミスを繰り返してしまう。もちろんこれは演技である。そんな私を、お妃教育担当の一人であるエミレイ・コーラック公爵夫人は咎めるように見てくる。
「全然、踊れていないじゃない……。これだと、評価すらできないわよ」
コーラック公爵夫人が苛々した口調で言ってきたので、私は申し訳なさそうな表情で頭を下げた。
「申し訳ございません……」
私はそう言いながらも内心は喜んでいた。
ふふ、上手く評価が落ちてるわね。このまま順調に落とすわよ。
その後もバレないようミスを続けていくと、コーラック公爵夫人が呆れた口調で言ってきた。
「今日はここまでにしましょう。残り数日、こんな調子では私はあなたを王太子殿下の婚約者として推すことはできませんよ」
「……わかっています」
「本当にわかっているのかしら? 殿下の婚約者になるということは、将来王妃になるということなのよ。今のあなたからはその責任感がまったく感じられないわ」
そう言ってコーラック公爵夫人は広げていた扇を勢いよく閉じ、部屋を出ていった。そんなコーラック公爵夫人が去った方向を私は申し訳ない気持ちで見つめる。
彼女は私が断罪された後も唯一恩赦を願い出てくれたのよね……。でも、隣国の王太子殿下を毒殺しようとした罪が重すぎたことと、恩赦なんかしたら隣国に示しがつかなくなるからと王家は聞き入れてくれなかった……。まあ、私がやったわけじゃないけれど。
そう思いながら側にいたルリアに湯浴みの準備をお願いしようとしたら、グレイスが部屋に入ってきて言った。
「お嬢様、王妃陛下から、明日お会いしたいとお言付けがございました」
「……そう、わかったわ」
私はグレイスの方を見ずに答える。グレイスはムッとしているが、私は気づかないふりをした。
「ルリア、汗をかいたから湯浴みの準備をして」
「はい、お嬢様」
ルリアは笑顔でそう答えると湯浴み場に行った。そんなルリアを見ているとホッとする。唯一、私を嵌めた件に確実に関係ない人物だからだ。
まあ、お母様に追い出されて、屋敷にいなかっただけなのだけれど。それでも、他の使用人達よりは信頼できるわ。
私は、父の書斎でこっそり調べたサマーリア公爵家使用人の情報を思い出す。
使用人の大半は、サマーリア公爵家の派閥にいる、爵位が継げない者達で構成されている。いわゆる貴族の次男以下や、結婚する前の令嬢達だ。彼らは父に完全な忠誠を誓っている。もちろん、将来、サマーリア公爵になる兄にも。そうなると、アバズン男爵令嬢が兄を籠絡した時に彼らは全員、兄の味方になるだろう。
だから、私は残りの使用人達――祖父であるドルフ・ベルマンド公爵が、母を嫁がせる際に一緒によこした使用人達を味方につけることにした。何せ彼らは父や母にもしっかりと意見を言える。それに私の読みが当たっていれば、彼らは四大公爵家の一人である祖父に命令され、サマーリア公爵家が次期四大公爵家に相応しい公正な判断を下せるか、そして貴族としての役割をきちんと果たしているかを見極めているはず。
ちなみに四大公爵家とは、初代王家との取り決めにより、国内外を見張る役割を担う四つの公爵家のことだ。何ものにも屈さない強い意志が求められ、時に王家すら脅かす絶大な権力を持つ。
そして四大公爵家は世襲制ではなく、一定の期間で選び直される。そのため、おそらく父と兄がその役割に相応しいか、祖父は目を光らせているだろう。まあ、そうじゃなくても祖父の性格上、父達が馬鹿なことをしないか監視してるだろうけど。
だからお兄様、アバズン男爵令嬢が本当に現れて馬鹿なことをし出したら、愚痴も含めて次期サマーリア公爵としては相応しくないと彼らに報告してあげるわよ。
湯浴み場に向かうと、笑顔で仕事をしているルリアが目に入る。
しかし、運が良かったわ。まさか、ルリアも祖父が送り込んできた使用人だったとはね……
私はそんなことを考えながら、来るべき日に向けて色々と手を伸ばしていくのであった。
「残念だけれど、シレーヌ・マドール侯爵令嬢は、病気のせいで子ができにくい体になったと診断され、婚約者候補から外れることになったわ」
翌日、王宮に呼ばれ、王妃専用の執務室に入るやいなやロマーナ・ロールアウト王妃陛下は落ち着いた口調と表情でそう伝えてきた。そんな王妃陛下に私は内心、苦笑してしまう。
本当は腸が煮えくり返っているのでしょうに、相変わらずポーカーフェイスが上手いわね。何せ私が断頭台に上がった時もいっさい表情を変えなかったもの……。けれどもポーカーフェイスに力を入れるぐらいなら、王太子殿下の行動を監視する方に力を入れてほしかったわ。
私はあの卒業パーティーの日を思い出す。
あの日、王妃陛下は眉間に皺を寄せて私を睨むだけで、何も言わなかった。まあ、これは、私がアバズン男爵令嬢を甘く見て誰にも相談せずに自分だけで解決しようとしたのも悪かった。おかげで王太子殿下の婚約破棄宣言は、ほとんどの生徒にとって寝耳に水の出来事だっただろう。そのうえ婚約破棄宣言の後、流れるように毒殺未遂の証拠を出されてしまったのだからタチが悪い。あれで私を庇う人はいっさいいなくなってしまったのだ。
まあ、あんな証拠を出されたら私だって絶対に庇わないわ。たとえ、相手が嵌められているのがわかっていてもね……
それだけ、グレイスが私の部屋で見つけたという毒薬が入った小瓶の存在は強力だった。あの瞬間、会場にいた者の私を見る視線が一気に敵意に変わったのを思い出し、私は怒りに震える。
やはり駄目ね。嵌めた相手は絶対に許せそうにないわ……。当たり前よね。断罪されて断頭台に送られたのだから……
まあ、今はそのことより、マドール侯爵令嬢よ。遠からず辞退してくることはわかっていたけど、まさか王家お抱えの医師を丸め込むとは……。いいえ、頭のいい彼女のことだから何かしらの方法で医師を騙した可能性もあるわね。おかげで立派な断る理由ができたわけだけど、こんな理由を作れるってことはマドール侯爵家も彼女を王家に嫁入りさせる気はなかったということなのね……
内心でマドール侯爵家を羨んでいると、王妃陛下が淡々とした口調で言ってきた。
「あなたも最近、体調が悪いみたいね……。先ほど震えていたみたいだし」
「……ええ、そうなんです」
まあ、先ほどの震えは怒りによるものだが、体調が悪いと思われるのは好都合だ。
とはいえ、「だから、私も王太子殿下の婚約者候補から外してください」とは言わない。そんな二番煎じなことを言えば、どんなペナルティが来るかわからないからだ。だから、私からは決して言わずに、向こうに言わせるように持っていかないといけない。
そう考えながら体調が悪いふりをすると、我慢できなくなったのか王妃陛下は少しだけ顔を顰めた。
「……困ったわね。あなたに期待してたのにこれじゃあ、保険を考えないといけないわ」
王妃陛下はそう言って私をチラッと見て煽ってくる。
まあ、前の私なら「大丈夫です! 必ずやお妃教育をやり遂げてみせます!」と息巻いていただろう。しかし、今の私は婚約者なんかになりたくないの一心である。そのため、私は更に婚約者から外れやすいように提案してみることにした。
「……そうですね。私なら大丈夫ですと言いたいところなのですが、なにぶん体調が思わしくないので……王妃陛下の保険という素晴らしい案には賛成です。学院や他国に王家の者を配置して、婚約者になれそうなご令嬢を探させてみてはいかがでしょう?」
ちょっと胸を押さえ辛そうな表情を浮かべると、王妃陛下は一瞬渋い表情をした後に頷く。
「そうね、考えてみるわ。けれど、あなたもしっかりと頑張りなさい」
王妃陛下がそう言った瞬間、喜びのあまり飛び跳ねたくなったが我慢する。
「……はい、もちろん精一杯努力をします」
そう答えながらも辛そうな顔を作ったため、王妃陛下は複雑な表情になった。
その後、私は執務室を後にしたのだが、上手く物事が運んだことが嬉しくて思わず馬車内で叫んだことは言うまでもない。
それから数日して、王太子殿下の婚約者についての発表があったが、正式な婚約者は決められておらず、私とリリアン・ベーカー伯爵令嬢はあくまでも候補のままとして発表されたのだった。
発表後に屋敷に戻ると情報が先にいっていたらしく、父が責めるような目で私を見てきた。
「どういうことだ?」
「力及ばず、申し訳ございません……」
「違うだろう。お前は急に手を抜いたり、お妃教育をサボったりしていただろう」
「人聞きが悪いですね。体調が悪かっただけですよ」
そう答えた後に作り笑いを浮かべると、父は苦虫を噛み潰したような表情になった。本当は怒鳴りたいものの、私を刺激したくないので堪えているのだろう。将来、私が王妃になっても家族仲が悪かったら父にとっては意味がないからだ。
王妃が尊敬する父親という称号が欲しいのよね。でも、残念ね。お父様は何の功績もない、ただのサマーリア公爵で終わるわよ。
私はそう思いながら、何か言いたそうな父に体調が悪いと伝え、さっさと部屋に戻ってルリアを呼んだ。
「お嬢様、どうしましたか?」
「ルリアにお願いがあるのよ。来週から私の付き人として一緒に学院に行ってほしいの。上位貴族は一人までなら侍女を付けられるから」
「よ、よろしいのですか⁉」
「ええ、本当は従者も付けたいけど、さすがにそれは父に却下されてしまったわ」
驚いた表情のルリアに、私は微笑みながら頷く。するとルリアは一瞬考えるような仕草をした後に私に聞いてきた。
「お嬢様、何か危険が迫っているのですか?」
私は思わず口元が緩んでしまう。それはルリアの頭の良さにである。
やっぱりルリアを選んで正解だったわ。
そう思いながらも、私はもう少しルリアを試すことにした。
「どうしてそう思うの?」
「なんだか最近、何かに備えて行動をされているように見えますので、そうなのかと……」
よく見ているし、しっかり考えることもできる。本当にあなたは素晴らしいわ……
私はそう思いながら、ルリアを見て微笑む。
「まあ保険よ。だから、そんなに気負わないでね」
「はい、わかりました」
「それじゃあ、学院でのあなたの動きを説明するわ」
私はルリアに基本的な学院での侍女の動きを説明する。それとは別に頭の中で来週来るであろう、アバズン男爵令嬢への対抗策を練り続けるのであった。
第二章 運命の日
ついにこの日が来てしまった。
正直、色々な感情が入り混じり、ほとんど眠れなかった。何せ、今日はミーア・アバズン男爵令嬢と王太子殿下が運命的な出会いをする日だからだ。
まあ、王太子殿下はあくまでこの時点ではアバズン男爵令嬢に恋愛感情は持っていない。だが、その後、なぜかタイミングよく困っているアバズン男爵令嬢と頻繁に出くわすようになる。そして、王太子殿下がアバズン男爵令嬢を手助けしていくうちに、二人は恋仲になっていくのである。
とにかくこのまま何もせずに過ごせば、私は断頭台行きである。
そこで、試しに王太子殿下に、その日は正門じゃなくて裏門から私と一緒に入りませんかと声をかけてみたのだが「始業式なのになぜ、裏門から入るんだい? それに私に挨拶するために、わざわざ正門で待ってくれている生徒達もいるから、それは無理だよ」と、あっさり断られてしまった。
仕方なく、王太子殿下と一緒に正門から入ったところ、すぐに私の側で誰かが盛大に転んできた。まあ、誰かというか、桃色の目立つ髪をしたミーア・アバズン男爵令嬢なのだが……
そんなアバズン男爵令嬢は、早速足を押さえて大声で痛がり始めた。
「痛ああいっ! 誰かに足を引っ掛けられたわ!」
アバズン男爵令嬢はそう言って私を見ようとして、驚く。アバズン男爵令嬢の目に映ったのは、私じゃなく侍女のルリアだったからだ。ルリアは、痛がるふりも忘れてこちらを驚いた表情で見ているアバズン男爵令嬢を無視し、私達に声をかけてきた。
「お二人共、お怪我はありませんか?」
「ああ、私は平気だがバイオレットは大丈夫かい?」
「はい、ルリアが守ってくれましたわ。それより、どうしたの?」
私はルリアにそう聞き、困ったような表情を浮かべた。
「こちらのご令嬢が勢いよく向かってきたので、お二人をお守りしようとしたら直前で勝手に転んだのです」
ルリアがそう答えると、アバズン男爵令嬢はハッとして再び足を押さえ、痛がり始めた。
「痛いよお! なんで足を引っ掛けるのよ!」
アバズン男爵令嬢はルリアを指差し叫ぶが、もちろんそんなことをしていないルリアは勢いよく首を横に振る。
「私はそんなことしていません」
「嘘よ! 思いきり足を引っ掛けたわ!」
どう考えても足を引っ掛けるには無理な位置でそう叫び、アバズン男爵令嬢は大袈裟に痛がるふりをする。そんな下手な演技に、まんまと引っ掛かった王太子殿下が心配そうな表情で近づこうとしたので、内心呆れながら呼び止めた。
「王太子殿下、もしかしたらこのご令嬢は危ない方かもしれません。誰か警備の者を呼んだ方がよろしいかと……」
すると王太子殿下は笑顔で首を横に振ってきた。
「バイオレット、この学院に来る生徒は皆、身元がしっかりしているんだ。そんなことは絶対にあり得ないよ」
そう能天気に言ってくる王太子殿下に、私は溜め息を押し殺す。
「……その身元がしっかりしているはずの生徒が、私達に向かってきた挙句に、私の侍女に濡れ衣を着せているのですよ?」
私が咎めるような口調でそう言うと、王太子殿下は驚いた表情を浮かべる。きっと私が言い返してくるとは思わなかったのだろう。そんな王太子殿下の顔を見て私は思い出す。
前回はこの日をきっかけに、徐々に王太子殿下と私の関係がおかしくなっていったのよね。まあ、だからって今回も同様に王太子殿下が突き進むのなら、それを正す気はないけれど……
そんなことを思いながら王太子殿下がどういう行動をするか見ていると、彼は考え込むような表情で私達を見回した後、アバズン男爵令嬢に声をかけた。
「君はなぜ、私達に向かってきたんだ?」
「……わ、私はただ王太子殿下にご挨拶をしようとしただけです! そしたら、その人に足を引っ掛けられてしまって……」
「ふむ、君は誤解しているようだが、公爵家の侍女として認められている彼女がそんなことはしないよ」
「えっ、そ、それは……じゃ、じゃあ、私の勘違いだったんですね。ごめんなさい」
アバズン男爵令嬢はバツが悪そうにルリアに頭を下げる。すると王太子殿下が私達に笑顔を向けてきた。
「ほら、解決しただろう。彼女は挨拶をしに来ただけさ。じゃあ、私が医務室に連れていこう」
そう言ってアバズン男爵令嬢に近づこうとしたので、私は呼び止める。
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