ムーンラビット:月なき夜のスラム街にて

美風慶伍

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16:道化師は見守る

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 二人が眠りに落ちてからどれだけの時間が経過しただろう。
 明らかに時は深夜、闇夜に生きる生き物でも声を潜める時間である。その中で体を起こし歩いていくシルエットがある。
 ラフマニと一夜を共にしていたローラである。
 ラフマニの隣を離れそっと抜け出していく。身に着ける衣類を集めるとそれを手にして足音を潜めて部屋の外へ出て行く。
 かつては暗殺すらしていた彼女である。気配を消して移動することなど造作でもない。
 部屋の扉を閉める時、まだ少年のように健やかな寝息を立てるラフマニの顔をそっと眺めるが、ローラはその胸の中に愛おしさを感じていた。それと同時に拭いきれない罪悪感も感じていたのである。

「ごめんね……」

 ローラが漏らしたのは詫びる声。それは、今もなお打ち明けられない秘密があることを意味していた。
 廊下で衣類を身につけるとそのまま足音を潜ませて家の外へと出て行く。
 そして数日に一度、誰にも悟られずに向かう場所があったのである。海沿いの岸壁の防波ブロックの集積している場所である。
 そこが彼女の秘密の場所だったのである。
 サンダル履きを脱いで素足になり、防波ブロックの隙間をおりていく。
 ちょうど腰掛けられる場所を見つけ、そこへと場所を決めて腰を下ろしていく。水しぶきが掛かりそうなほどに場所は低く、足首から先が海水に浸かる位置にあった。木綿のワンピースドレスは水に濡れないように太もものあたりまでたくし上げていた。
 そして両足首から下を海水につけたまま姿勢をおちつけ始めたのである。
 
「特殊機能スタート」

 誰にも見咎められない場所でローラは一人で静かにしていた。そっとつぶやくとそのまま目をつぶる。
 
【 Internal            】
【 Maintenance Program 】
【                     】
【 Driving energy      】
【   management system 】
【 Main function       】
【   operation ―start― 】
【                     】
【>Preparation for     】
【 driving extraction  】
【 module of deuterium 】
【 from water molecules】
【 present outside     】
【 the case.           】
【                     】
【>In-leg molecular    】
【 extraction unit     】
【 starts operation    】

 ローラの視界内に内部システムの作動メッセージが表示されていく。そして、これから暫くの時間をじっと彼女は待ち続けるのだ。すべては彼女自身の命をつなぐために。
 それが焼け石に水だとわかっていてもだ。
 
 それからどれだけの時間を息を潜めてじっとしていただろうか――
 ローラは沈黙を守ったまま微動だにせずに居た。そんな彼女の背中に不意にかけられる声があったのだ。
 
「――それでどれだけの効率が上がるのでしょうねぇ? ねぇ姫君」

 それはローラにも聞き慣れた声だった。思わずその声のする方――自らの背後を振り返る。護岸の見上げる位置にそのシルエットは佇んでいた。
 
「えっ?」

 はたしてそこに佇んでいたのは――
 それを人はピエロともいう、ジェスターともいう、アルルカンと呼ばれることもある。赤い衣、黄色いブーツ、紫の手袋に、金色の角付き帽子、角の数は2つで角の先には柔らかい房状の球体がついていた。襟元には派手なオレンジ色のリボン――、派手な笑い顔の仮面をつけた道化者。人は彼をこう呼ぶ――
 
「クラウン?!」
「はい、お久しぶりです。ローラ姫」
「どうしてここが?」
「おや? あなたがそれをおっしゃいますか?」

 そう語りかけながら、ピエロ衣装の怪人物はひらりと舞うように飛び降りてくる。そしてローラのすぐかたわらの護岸ブロックの一つの上に足音もなく佇んでいた。そしてその人物であるクラウンは右手を自らの胸に当てながらこう答えたのだ。
 
「私はあなたを保護するように依頼を受けています。〝あの人物〟からね――もっとも――」

 そこでクラウンは両手を腰の両脇にあてて思案げに答える。
 
「今では私に依頼をしてきた人物が本当にあの〝マリオネット・ディンキー〟だったのか? いささか疑問ではあるのですがね」
「え?」

 それは意外な告白だった。だがクラウンはそれに構わず続ける。
 
「ま、その話はまたいずれ。依頼主の正体が誰であろうと。あなたとあなたの〝家族〟は剣呑が降りかからないように見守りますので。そのへんはご安心を。それはさておき――」

 クラウンはさらに低い位置へとおりてくる。そしてローラのすぐ脇に腰掛けたのだ。
 
「毎日の〝母親業〟ご苦労さまです。まさかあなたがあそこまで人間の親として振る舞い、信頼を得られるとは驚きでした」
「そんな――」

 クラウンの称賛にローラは謙遜するようにうつむく。
 
「私は自分のできることをただ必死になっているだけです。そうしないと過去の自分がしでかしてきたことに押しつぶされそうになるので――」
「過去のあなた――、マリオネット時代のことですね?」
「はい」

 卑下とも取れるローラの言葉に問いかけながら、クラウンは意外な言葉を突きつけたのだ。
 
「あなた、そんな風にご自身をディスるのもうおやめなさいな。あなた自身、もう気づいているはずですよ?」
「えっ? 何にですか?」

 ローラが疑問の言葉を浮かべれば、クラウンは右手を翻して握りしめたままローラの眼前へと差し出す。そして、右手を開きながらこう告げたのだ。
 
「〝愛〟――ですよ」

 ポンッ! ――と小気味よい音をたてながらクラウンの手のひらで何かが弾ける。その後に残されたのは蔦科の小さな植物――白くて細い花びらをつける『スイカズラ』である。
 無論、この肌寒い時期に咲くわけがないが、クラウンが何かを表したくて用意したのは間違いない。戸惑うローラにクラウンはこう告げたのだ。
 
「このスイカズラと言う花は、花そのものは小さく儚いものです。ですが蔦の一種であるこの花は他の草木をつなぎとめ1つにまとめてしまいます。その有り様から西洋では『愛の絆』と言う花言葉を与えられています」
「愛の絆……」

 そのスイカズラの小さな花をそっとローラに手渡しながらクラウンは更に告げた。

「あなたがもたらした献身という名の細い『つた』は今やおおきくひろがり、あの廃ビルに住みついた孤児たちを一つにまとめあげています。そればかりか、近隣に住むものたちが救いの手を差し伸べようとしている。それは全て、あなたが必死になり与え続けた〝無垢の愛〟によるものです。たとえそれが不器用な見よう見まねで始まったものだとしても、あの子どもたちがそれによって救われているのは紛れもない事実なのです。それこそまさに〝愛の絆〟」

 クラウンがもたらした言葉――、ローラはそれを噛みしめるように反芻する。
 
「愛の絆――、私が?」

 戸惑い驚くようなつぶやきをこぼすローラにクラウンは優しく諭した。
 
「えぇ、そうですよ。純粋で無垢なる愛。それをあなたがもたらしたのです。少なくともそれは事実なのです。ですが――それを支えている人がもうひとり居ます。それがだれだかわかりますか?」

 クラウンからの問いかけの言葉、はじめは戸惑っていたがすぐにその答えを見つけ頬を赤らめながらローラはその人の名を口にしたのである。
 
「ラフマニ――ですよね」

 ローラがもたらした答えにクラウンは満足げに頷いていた。
 
「正解です、姫君。あのときの少年が今や立派にあなたの伴侶として、導き、守り、そして支えています。これは大変に素晴らしいことです。覚えていますか? あのときのクリスマスの夜の事を」
「はい、覚えています。私がラフマニたちの所に居ると心に決めた日です」

 ローラが満足気に笑みを浮かべながら答え返す。
 
「そのとおりです。そして私はあのとき少年にこう告げました。もしローラ姫が、ここに居たことを後悔し、涙をながすことがあったらそのときは――、私はあのときのこともあり、あなた達がどんな日々を暮らすのか確かめなければと思ったのです。言葉だけで終わりはしないか、たちの悪い子供のように一過性の気まぐれで終わっては居ないか? その結果を掴むためにもあなたたちをずっと見守っていたのですよ」

 クラウンのその言葉にローラは少なからず驚きを覚えていた。
 クラウンのあざなは〝死の道化師〟
 本気で怒りを買えば、いかなる結果になるか、誰の目にも明らかだ。なのにその彼が見守っているのだという。ローラは思わず尋ねていた。それもまたラフマニの身をおもんばかっての事だ。

「それで、ラフマニは――」
 
 慌てるようなその言葉にクラウンは仮面の笑みを消さずに優しく答えたのだ。
 
「今のところは合格――でしょうねぇ、彼も一人前の〝男〟として十分に頑張っていますから。それにまだ三月も経っていません。今は大目に見ることにしましょう」

 ほっとして安堵の表情を浮かべるローラに、クラウンも頷き返していた。
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