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第二章 新しい生活
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しおりを挟む「シルファ?」
ぼーっとしていたからだろう。心配そうにルーカスが下から覗き込んできた。
少し俯いていたため、サラリと流れたシルファの髪が、カーテンのように周りの景色を遮断している。そのため、覗き込まれると視界がルーカスでいっぱいになる。
間近で見る黄金色の瞳には、シルファだけが映っている。
思わず息を呑み、慌てて姿勢を正した。
いくら子供の姿とはいえ、この距離は落ち着かない。
「す、すみませんっ。ええっと、早速始めましょうか」
「ああ、頼む。だが、無理はしないでくれ。今日は感覚を掴むだけでいい。環境が変わったばかりなのだ。無理に今日頼むことではなかったと今まさに反省している」
労わるようにシルファの手を小さな手で包み込むルーカス。こうして触れられていても、嫌悪感は一切感じない。
それはすでに二人が形ばかりとはいえ夫婦だからなのか、それとも――
「では、失礼します」
シルファは雑念を払うように小さく頭を振ってから、ルーカスの手を握り返して目を閉じた。
魔導具から魔力を吸収することはしょっちゅうだが、実は対人に使うのは初めてだ。
呼吸を整え、握った手に意識を集中させてルーカスの魔力を探る。
するとすぐに、どぷん、と深い深い海のように、果てなき魔力を感じた。魔力の底が知れなくて、一体どれほどの魔力を保有しているのかと、気づけば背に汗が伝っていた。気を抜けば、呑み込まれてしまいそうだ。
凪いだ海の底深くに、とりわけ強力で高濃度の魔力を感じる。きっとこれが退行魔法の際に練り上げすぎた魔力なのだろう。海の中にいるのに、燃え盛るマグマのようなエネルギーを感じる。
シルファは無意識にごくりと生唾を飲み込むと、そっとその魔力の塊に触れるイメージで魔力の吸収を試みる。包み込むように、少しずつ吸い上げていく。想像以上に魔力が強く、一度に吸収できる量は随分と限られてしまいそうだ。
手のひらを介し、ルーカスの魔力がシルファの中に流れ込んでくる。
熱い。けれど、恐ろしくはない。
シルファは腹の底で自身の魔力を練り上げ、体内を巡るルーカスの魔力と混ぜ合わせるように魔力を注ぐ。
ゆっくり、少しずつ、二つの魔力は溶け合っていく。
そっと目を開けて手を離し、両手のひらを上にすると、中和した魔力がほのかな光を発しながら空気中に溶け込むようにして消えた。
「……ふむ、魔力を吸われるというのは奇妙な感覚だな」
「気持ち悪くありませんでしたか?」
今日吸い取ることができたのは、膨大な魔力のほんの一部にすぎない。けれど、魔力を吸われる感覚というものがシルファには分からないため、ルーカスに所感を窺う。
「いや、むしろ心地いいくらいだった。君の魔力は温かいな」
ふわりとした微笑みと共に紡がれた言葉に、思わず胸を詰まらせる。
そんなことを言われたのは初めてだ。ルーカスはどれほどシルファを歓喜させれば気が済むのだろう。
視界が揺れそうになるのをグッと堪え、シルファは努めて笑顔を作った。
「……ありがとうございます。その、一度にあまり多くは吸えないので、毎日少しずつ、退行魔法の解除を目指して頑張っていきましょう」
「ああ、よろしく頼む」
互いに感じた相手の魔力の感想を語り合っていると、程なくしてエリオットが夕飯の支度を整えてキッチンから出てきた。
「では、行こうか」
「はい」
ルーカスはぴょんっとソファから降りると、優雅な身のこなしでシルファに手を差し出した。
これは、エスコートだ。
一般的な貴族の令息令嬢は十六歳になったら華々しくデビュタントを迎える。
だが、シルファはその頃すでに継母から侍女同然に扱われていたため、もちろん社交界への参加も禁じられていた。だから実質、初めてのエスコートとも言える。
シルファは最大限優雅に見えるようにと、背筋をピンと伸ばしてルーカスの手を取った。
「……ありがとうございます」
「気にするな」
きっと、エスコートに対する礼だと捉えたのだろう。
ルーカスは楽しげに笑みを深めながら、シルファの手を引いてくれる。
まだたったの一日であるが、シルファはこの数年で失ったことの多くを取り戻した気がする。
自らの仕事に対する自尊心、探究心、知的好奇心、そして温かな人の心。
ルーカスはたくさんのことをシルファに与えてくれる。
いつの間にか、知らず知らずのうちにシルファは諦め癖がついていたように思う。分を弁え、期待しすぎないように、と。無能だ、役立たずめと罵られ続けてきた日々は、シルファの心に影を落としていたらしい。
けれど、ルーカスはシルファ自身をまっすぐに見て評価してくれる。
だからこそ、シルファも彼に応えたい。
彼を縛る退行魔法は必ず解除してみせる。
シルファは決意を新たにキッチンへと続く扉をくぐった。
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