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第九話 魔王召喚の儀 2

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 薄暗くひんやりとは肌寒い牢の中、ザギルモンド王国元国王のロスターはギリッと歯を食いしばっていた。

 牢に入れられて何日経ったのだろう。先程、すでに死んだと思っていたエリックに死刑を言い渡された。


『あなたは私利私欲のために罪なき人々を苦しめてきた。未だそのことを反省する兆しもない。国外追放したとしても、恨みを募らせてまた何か良からぬことをしでかすだろう。ゆえに、極刑に処します。刑の執行は七日後、せめて残された時間で自らの罪と向き合ってくれることを願います』


 哀れなものを見る目で下された刑の内容は到底受け入れられるものではない。

 今同じ地下室には、十名程度の元大臣が捕えられている。一人ずつ個別で牢屋に入れられているのは、共謀しての脱獄防止。堅牢な檻は簡単に破ることはできないが。

 牢の中にあるものといえば、簡易ベッドに排泄用のバケツ、そしてそこらに転がっている石ぐらいである。

 だが、ロスターはその石を密かにポケットに忍ばせて機を測っていた。バレないように少しずつ描いてきたものがようやく完成する。
 偶然書物で見かけて興味を持ち、模写できるほど読み込んでいたことが功を奏した。神はまだ自分を見離してはいない。ロスターは素敵な笑みを浮かべていた。

 石畳は底冷えするからと、無理を言って薄手の敷物を用意してもらった。それで床を隠して、警備の時間や交代の時間を見計らってコツコツと文字を刻んできた。石で床を削っていたので音が鳴らないように気を配るのが大変だった。


 そしてついに完成したのだ。


「ククク……いよいよだ」

 贄とするのは牢に捕えられている元大臣たち。
 彼らを供物に捧げて呼び出すのだ。

 ロスターは逸る気持ちを押さえながら、鋭く削った石を左手で握って思い切り引き抜いた。

 鮮やかな血飛沫が上がり、石畳に描かれたに赤黒いシミを作っていく。

 血はジワリと線に染み込んでいき、やがて真っ赤に染まった魔法陣が紫紺色の光を放った。

「はは……ははは……!」

 成功だ!

 ロスターは、シュウウウ……と冷たい煙を立ち上らせながら紫紺色の光の中に現れた黒い影を見てほくそ笑んだ。

 あちこちの牢からは、バタッバタッと呻き声と共に贄となった元大臣たちが倒れる音がする。

 煙を纏わせながら現れたのは、漆黒の長髪を靡かせ、頭に渦巻く二本の角を携えた冷たい目をした男。頬が裂けんばかりに吊り上げられた口角からは鋭い八重歯を覗かせている。

「お前か、俺を呼んだのは」
「お、おおお……そ、そうだ……!」

 低く響くような声。
 どことなく聞いたことがある気がするが、流石に気のせいであろう。

 なぜならば、この男は魔界を統べる者――つまり、魔王なのだから、ロスターが過去にあったことがあるはずもない。

 紫色の切れ長の目で、品定めされるように見下ろされ、ロスターはぞくりと背筋が凍った。

 いや、大丈夫だ。厄災と違って、今目の前にいる男は自分が召喚した。つまり、主人は自分なのだ。

 ロスターは自身にそう言い聞かせると、額に滲む汗を拭いながら声を上げた。

「魔王よ、お主を呼び出したのは他でもない、私だ! 供物を受け取ったのならば、私の願いを叶えよ!」

 魔王はジトリとロスターを睨みつけ、おもちゃを見つけた子供のように不敵な笑みを浮かべた。

「お前の望みを申してみよ」

 ゾクゾクッとロスターは武者震いをした。

 今、自分は魔王と対等に、いや、魔王を従えることができているのだと思うと気分が高揚する。

「ある人間を亡き者にして欲しいのだ!」
「……ほう」

 細められた鋭い眼差しに射抜かれ、ロスターは僅かにたじろぎ後退りをする。

「ある人間とは、誰だ」

 低く地を這うような声が絡みつくようで、一瞬息が詰まった。ヒュッヒュッと数度浅い呼吸を繰り返し、ロスターは叫ぶように言った。

「チルとかいう小僧だ! 大賢者の称号を笠に着て好き勝手している悪人ぞ! 何を隠そう、私もあの小僧のせいで国王の地位を奪われた! このままじゃ溜飲が下がらん。惨殺だ! あやつの首を持ってこ……い……」

 感情に任せて一息に叫びきる前に、喉の奥が詰まる感覚がした。

 首を絞められている。

 そう理解した時には、魔王の白く長い指がロスターの首を持ち上げていた。ロスターは地から離れた足をバタバタと動かして抵抗している。

「ククッ、クハハッ! やはり微塵にも懲りてはいないではないか」
「ぐ、ぐえ……?」

 魔王が高々と掲げた手を離すと、支えをなくしたロスターの身体はグシャリと地に臥した。

 ゲホッ、ゲホッと何度も咽せては餌付くロスター。はぁはぁと呼吸を整えてから、キッと魔王を睨みつける。

「き、貴様ァァ! 主人である私に危害を加えようとはどういうつもりだ!」
「はあ? 主人だと? お前はただ魔界と人間界を繋ぐ道を開けただけ、俺は面白そうだから自らの意思で召喚に応じたまでのこと。ククッ、人間風情が烏滸がましいぞ」

 サッとロスターの顔から血の気が引く。

 おかしそうに笑って見下してくる魔王を前に、震えが止まらない。

「愚かなる人間よ。お前が貶めようとした男がこの世から消えるとどうなるのか、分からないのか?」
「は……? 大賢者とはいえ、たかだか一人の小童が……」

 蹲りながら怪訝な顔で答えたロスターに、魔王は肩を震わせて笑った。

「ああ……本当にお前は馬鹿なようだ。はなあ、何よりもチルが大事なんだ。チルは変わり映えのしない退屈な日々に光を与えてくれた。チルと過ごした日々は最高に楽しかったなあ……俺たちはお前たちの人間界がどうなろうが知ったことではない。それなのに、人間界を異界から見守り導いているのは、チルが生まれ、暮らす世界だからだ。チルがいなければ、こんな世界存在する価値もない」
「……っ!」

 ニィッと整った唇を弧の字に吊り上げる魔王の目は、相手を射殺すような冷たさを孕んでいる。

 この男の言うことは冗談ではない。
 ふざけたことを言っているが、恐ろしいことに冗談ではないのだ。この男が本気になれば、本当にこの世界は滅ぼされてしまうだろう。

「チルが暮らす世界に恵みを与え、大災害が起こらぬように管理し、必要以上に魔物が人間たちを蹂躙しないように制御し……まあ、ちょっと出来心でスタンピードを起こしたこともあったが……」

 魔王はブツブツと何やら呟いているが、もうロスターの耳には届いていなかった。厄災の比ではない。なんというものを呼び寄せてしまったのか。

 魔王の前に跪くロスターの髪は、恐怖によってみるみるうちに白くなって抜け落ちていく。

「分かるか? 何百年、何千年という悠久の時の中で、世界の安寧を守るために、俺たちは常に『神』として崇拝され、依存され、期待されてきた。だが、あいつは違う。ククッ、ったく、俺たちは世界を統べる神だっていうのに、生意気な口を聞く。だがな――嬉しかったんだ。対等に扱ってくれるあいつの存在が俺たちの救いなんだよ。だから何があろうと、俺たちはチルを守る――ああ、もう聞いていないか」

 すでに泡を吹いて失神しているロスターに、魔王――リヴァルドは手を翳した。

「さて、不味そうな魂だが、召喚の対価としていただくとしよう。愚かなる人間よ。死の間際に自らの愚かさを知るがいい」

 リヴァルドが手を振り上げると、ロスターの口からとぷりと半透明の何かがまろび出た。魂だ。

 吸い出された生命の源は、そのまましゅるりとリヴァルドの口の中に吸い込まれていった。
 リヴァルドはペロリと唇を舐めて伸びをした。

「ったく、これっぽっちの対価じゃせいぜい半刻ってところか……さ、時間も限られていることだし、チルに会いにいくか」

 鼻歌混じりに影の中に消えていくリヴァルドであるが、チルの影から嬉々として姿を現したあと、「なんでここにいるんだよ⁉︎」と事情を吐かされ、叱られ、あっという間に魔界に送り返されてしまうのだった。
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