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第四話 日本一の星空
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長野県、阿智村。
日本一星空が綺麗だと謳われる場所だ。
カメラを買ったからにはやっぱり星空はマストだろう。となれば日本一の星空を撮りたい。そう思って、五島列島から戻った翌週には長距離バスに揺られて阿智村にやって来た。
『今日は前より荷物多いんだね』
今日も今日とて旅の同行者である小鳥遊は、足をゆらゆら揺らしながら俺の隣に座っている。
ちなみにバスは2シート予約している。
なんとなくな。なんとなくだぞ。
「ああ。真夏とはいえ山頂は冷えるだろうからな。長袖と、あとは寝転ぶためのレジャーシート。足元を照らすライトはスマホがあればいいだろう。一応ブログとか色々調べて用意したら思ったより大荷物になった」
そう。今回の目的はナイトツアーとやらに参加すること。
冬場はスキー場になっている高原を天体観測のために開放しているらしい。標高は1400mな上、星を見るのだから夜。間違いなく冷える。
『へええ。なんだか楽しそう! めちゃくちゃ天気いいし、絶好の天体観測日和だね!』
「マジそれ」
星空を見るために最も大切なのは天気! 正直先週から毎日阿智村の天気予報を睨みつけていた。天候に恵まれなければ延泊も視野に入れていたぐらいだ。台風が発生しようものならこの旅すら中止になっていたかもしれない。天気ばかりはどうにもできんからなあ。
ガタガタと山道を走るバスが揺れる。乗客は半分ほどといったところか。恐らくみんな目的は同じなのだろう。
数時間バスに揺られ、ようやく宿泊予定の昼神温泉に到着した。
バス停まで旅館の送迎シャトルバスが迎えにきてくれたので荷物を預けて乗り込む。
「いやあ、遠いところからありがとうございます。本日は夜も晴天予報なので、絶好のナイトツアー日和ですよ」
「本当ですか。よかったです」
運転手のおじさんはとても気さくな人で、ナイトツアーの心得を色々と教えてくれた。やはり山頂は冷えるらしく、防寒対策をしっかりすること。山頂に向かうゴンドラの乗車時間は存外長いので、乗る前にトイレを済ませておくこと。などなど。
その点は下調べ済みだったので万全の準備を整えていると答えると、おじさんは朗らかな笑みを浮かべて誉めてくれた。
そして旅館にたどり着いたのは昼を過ぎた頃。荷物を預けてチェックインを済ませてから、昼食がてら散策に出かけた。
『あ、見て! 川があるよ! 川幅広っ! あ、でも水少ない』
十割蕎麦の店を見つけたので、ざるそばを食べてからさらに周囲を散歩していると、小鳥遊が真っ先に川を見つけた。少し道を外れると森が広がっていて、木には普通にクワガタが留まっていたので驚いた。ちょっと捕まえてみたくてウズっとしたけど我慢した。写真にはしっかりと収めたけど。
「ちょっと川で涼むか」
昼神温泉は森の中の開けた場所にあり、高い建物も少ないので自ずと日陰も少ない。真夏の直射日光はジリジリと俺の肌を焼いている。最近の紫外線は舐めていると痛い目を見るので、しっかりと腕には日焼け止めを塗って頭にはキャップを被っている。ペットボトルの水も旅館で買ってきたので水分補給も忘れない。
こうした準備がスムーズにできるのも、家族旅行の経験が多いからだな、とこの歳になってありがたみを感じる。思春期の頃は友達と遊びたいのに毎年決まった時期に旅行を組まれるのが鬱陶しく感じていた時期もあった。その当時の写真を見ると、あからさまに不機嫌な俺が写っていて(そもそも写真を撮られるのが嫌でほぼ写っていない)、今更ながら申し訳なくなる。
なんだか五島にいた時からやたらと家族のことを思い出すな。
ただ時間の流れるままに大学、アパート、バイト先を漂っていた頃には思い出すことはなかったのに不思議だ。
橋の下の日陰に入り、ちょうど座りやすそうな岩によじ登って靴を脱ぐ。足先だけ川に入るとひんやりと冷たかった。
『海も素敵だけど、川には川の良さがあるよね』
「わかる。俺は案外川派」
『そうなんだ。うーん、私はどっちだろ。どっちも悠馬に連れてきてもらって初めて見たしなあ……うーん』
川を中心に、遠くに広がる山々を写真に収めようとファインダーを覗いていた俺の目に、顎に手を当てて首を傾げる小鳥遊が写っている。サラリと艶のある黒髪が肩から流れ落ちた。
絵になるな。と思ってシャッターを切るが、やはり小鳥遊の姿は写真には写らない。
しばらく川で涼んでから、俺たちは旅館へと戻った。ナイトツアーがあるので、夕食は少し早めに設定されている。風呂は冷えるだろうからツアーの後にゆっくり浸かるつもりだ。夕食を済ませたら山頂に向かう用意と着替えだけ済ませないとな。そう頭の中で段取りを組んでから、食事処へと向かった。
五島列島では海の幸を存分に堪能したが、ここの料理は採れたての山菜や川魚がふんだんに使われていた。普段口にすることのない料理はどれも美味かった。
部屋に戻ってから、ナイトツアー用の荷物一式をビニール製のリュックに押し込んだ。小さく収納できるタイプのリュックなので結構便利だ。下は元々長ズボンを履いているから、上だけ長袖シャツに着替えてさらにパーカーを羽織る。暑ければ脱げばいいので、これぐらいが丁度いいだろう。
時間になって受付に行くと、同じツアーに参加するらしい宿泊客が数組いた。同年代のカップルから家族連れまでさまざまだ。
「ん?」
ふと視界に入った家族を見て思わず固まった。
小学生と思しき少年2人が「まだかなー」「星見れるかなー」と親に話しかけている。その2人の服装があまりにも全力少年すぎる。
……いや、半袖半ズボンは寒いだろ!?
「あの」
俺は思わず母親に声をかけてしまった。普段は素知らぬ顔をするのに、どうしてか声をかけてしまった。
両親も下は長ズボンだが上は半袖で、チラッとトートバッグを見たところレジャーシートは持っているらしいが防寒具が見当たらない。いやいや、流石に風邪を引くぞ。
「えーっと……多分山の上は冷えるので……よかったら、これ」
「え? でも……」
リュックの中から念の為に持ってきていた薄手の毛布を取り出すと、遠慮がちに母親に差し出した。母親は突然出てきた毛布に戸惑いが隠せないらしい。それに、俺が自分自身のために用意した毛布を受け取ることに抵抗があるらしく躊躇っている。
「大丈夫っす。俺は、ほら。ばっちり着込んでいるんで。きっと高原で寝転がってジッとしてたら寒いですよ。せめて子供たちだけでも……せっかくの家族旅行ですから、風邪を引いたら大変ですし」
チラッと少年2人に視線を向けた母親が、自らの準備不足にようやく気がついたらしく途端に恐縮した。
「すみません……これだけ暑いのだからと……そうですよね、山頂は寒いですよね。考えが足りていませんでした。お言葉に甘えさせていただきます」
「いえ」
こういう時にうまく言葉が返せないのが俺のダメなところだな。
良心の押し付けは時に迷惑になる。だが、今回はそれは杞憂だったらしい。やっぱり防寒具の観点がなかったらしい両親は気まずげに顔を見合わせている。「あっ」と何か思い出したらしい母親が時計を確認してから急いだ様子で部屋へと戻っていき、間も無くカーディガンを片手に戻ってきた。そうだな。絶対持って行ったほうがいい。
「本当に、ありがとうございます。素敵な星空が観れるといいですね」
ニコリと微笑む母親と、不思議そうに俺たちのやりとりを眺めている少年を前に、
「そうですね」
そういうのが精一杯だった。
『悠馬、やっさしー』
居心地が悪くて頰を掻いていると、小鳥遊の揶揄う声が聞こえた。
うるせえ。
日本一星空が綺麗だと謳われる場所だ。
カメラを買ったからにはやっぱり星空はマストだろう。となれば日本一の星空を撮りたい。そう思って、五島列島から戻った翌週には長距離バスに揺られて阿智村にやって来た。
『今日は前より荷物多いんだね』
今日も今日とて旅の同行者である小鳥遊は、足をゆらゆら揺らしながら俺の隣に座っている。
ちなみにバスは2シート予約している。
なんとなくな。なんとなくだぞ。
「ああ。真夏とはいえ山頂は冷えるだろうからな。長袖と、あとは寝転ぶためのレジャーシート。足元を照らすライトはスマホがあればいいだろう。一応ブログとか色々調べて用意したら思ったより大荷物になった」
そう。今回の目的はナイトツアーとやらに参加すること。
冬場はスキー場になっている高原を天体観測のために開放しているらしい。標高は1400mな上、星を見るのだから夜。間違いなく冷える。
『へええ。なんだか楽しそう! めちゃくちゃ天気いいし、絶好の天体観測日和だね!』
「マジそれ」
星空を見るために最も大切なのは天気! 正直先週から毎日阿智村の天気予報を睨みつけていた。天候に恵まれなければ延泊も視野に入れていたぐらいだ。台風が発生しようものならこの旅すら中止になっていたかもしれない。天気ばかりはどうにもできんからなあ。
ガタガタと山道を走るバスが揺れる。乗客は半分ほどといったところか。恐らくみんな目的は同じなのだろう。
数時間バスに揺られ、ようやく宿泊予定の昼神温泉に到着した。
バス停まで旅館の送迎シャトルバスが迎えにきてくれたので荷物を預けて乗り込む。
「いやあ、遠いところからありがとうございます。本日は夜も晴天予報なので、絶好のナイトツアー日和ですよ」
「本当ですか。よかったです」
運転手のおじさんはとても気さくな人で、ナイトツアーの心得を色々と教えてくれた。やはり山頂は冷えるらしく、防寒対策をしっかりすること。山頂に向かうゴンドラの乗車時間は存外長いので、乗る前にトイレを済ませておくこと。などなど。
その点は下調べ済みだったので万全の準備を整えていると答えると、おじさんは朗らかな笑みを浮かべて誉めてくれた。
そして旅館にたどり着いたのは昼を過ぎた頃。荷物を預けてチェックインを済ませてから、昼食がてら散策に出かけた。
『あ、見て! 川があるよ! 川幅広っ! あ、でも水少ない』
十割蕎麦の店を見つけたので、ざるそばを食べてからさらに周囲を散歩していると、小鳥遊が真っ先に川を見つけた。少し道を外れると森が広がっていて、木には普通にクワガタが留まっていたので驚いた。ちょっと捕まえてみたくてウズっとしたけど我慢した。写真にはしっかりと収めたけど。
「ちょっと川で涼むか」
昼神温泉は森の中の開けた場所にあり、高い建物も少ないので自ずと日陰も少ない。真夏の直射日光はジリジリと俺の肌を焼いている。最近の紫外線は舐めていると痛い目を見るので、しっかりと腕には日焼け止めを塗って頭にはキャップを被っている。ペットボトルの水も旅館で買ってきたので水分補給も忘れない。
こうした準備がスムーズにできるのも、家族旅行の経験が多いからだな、とこの歳になってありがたみを感じる。思春期の頃は友達と遊びたいのに毎年決まった時期に旅行を組まれるのが鬱陶しく感じていた時期もあった。その当時の写真を見ると、あからさまに不機嫌な俺が写っていて(そもそも写真を撮られるのが嫌でほぼ写っていない)、今更ながら申し訳なくなる。
なんだか五島にいた時からやたらと家族のことを思い出すな。
ただ時間の流れるままに大学、アパート、バイト先を漂っていた頃には思い出すことはなかったのに不思議だ。
橋の下の日陰に入り、ちょうど座りやすそうな岩によじ登って靴を脱ぐ。足先だけ川に入るとひんやりと冷たかった。
『海も素敵だけど、川には川の良さがあるよね』
「わかる。俺は案外川派」
『そうなんだ。うーん、私はどっちだろ。どっちも悠馬に連れてきてもらって初めて見たしなあ……うーん』
川を中心に、遠くに広がる山々を写真に収めようとファインダーを覗いていた俺の目に、顎に手を当てて首を傾げる小鳥遊が写っている。サラリと艶のある黒髪が肩から流れ落ちた。
絵になるな。と思ってシャッターを切るが、やはり小鳥遊の姿は写真には写らない。
しばらく川で涼んでから、俺たちは旅館へと戻った。ナイトツアーがあるので、夕食は少し早めに設定されている。風呂は冷えるだろうからツアーの後にゆっくり浸かるつもりだ。夕食を済ませたら山頂に向かう用意と着替えだけ済ませないとな。そう頭の中で段取りを組んでから、食事処へと向かった。
五島列島では海の幸を存分に堪能したが、ここの料理は採れたての山菜や川魚がふんだんに使われていた。普段口にすることのない料理はどれも美味かった。
部屋に戻ってから、ナイトツアー用の荷物一式をビニール製のリュックに押し込んだ。小さく収納できるタイプのリュックなので結構便利だ。下は元々長ズボンを履いているから、上だけ長袖シャツに着替えてさらにパーカーを羽織る。暑ければ脱げばいいので、これぐらいが丁度いいだろう。
時間になって受付に行くと、同じツアーに参加するらしい宿泊客が数組いた。同年代のカップルから家族連れまでさまざまだ。
「ん?」
ふと視界に入った家族を見て思わず固まった。
小学生と思しき少年2人が「まだかなー」「星見れるかなー」と親に話しかけている。その2人の服装があまりにも全力少年すぎる。
……いや、半袖半ズボンは寒いだろ!?
「あの」
俺は思わず母親に声をかけてしまった。普段は素知らぬ顔をするのに、どうしてか声をかけてしまった。
両親も下は長ズボンだが上は半袖で、チラッとトートバッグを見たところレジャーシートは持っているらしいが防寒具が見当たらない。いやいや、流石に風邪を引くぞ。
「えーっと……多分山の上は冷えるので……よかったら、これ」
「え? でも……」
リュックの中から念の為に持ってきていた薄手の毛布を取り出すと、遠慮がちに母親に差し出した。母親は突然出てきた毛布に戸惑いが隠せないらしい。それに、俺が自分自身のために用意した毛布を受け取ることに抵抗があるらしく躊躇っている。
「大丈夫っす。俺は、ほら。ばっちり着込んでいるんで。きっと高原で寝転がってジッとしてたら寒いですよ。せめて子供たちだけでも……せっかくの家族旅行ですから、風邪を引いたら大変ですし」
チラッと少年2人に視線を向けた母親が、自らの準備不足にようやく気がついたらしく途端に恐縮した。
「すみません……これだけ暑いのだからと……そうですよね、山頂は寒いですよね。考えが足りていませんでした。お言葉に甘えさせていただきます」
「いえ」
こういう時にうまく言葉が返せないのが俺のダメなところだな。
良心の押し付けは時に迷惑になる。だが、今回はそれは杞憂だったらしい。やっぱり防寒具の観点がなかったらしい両親は気まずげに顔を見合わせている。「あっ」と何か思い出したらしい母親が時計を確認してから急いだ様子で部屋へと戻っていき、間も無くカーディガンを片手に戻ってきた。そうだな。絶対持って行ったほうがいい。
「本当に、ありがとうございます。素敵な星空が観れるといいですね」
ニコリと微笑む母親と、不思議そうに俺たちのやりとりを眺めている少年を前に、
「そうですね」
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