花の命

てまり

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第三話 空木菖蒲 誰の子?

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 心地よいしが卓上の目玉焼きを艶めかせている。それをゆっくりと、慎重にトーストに乗せる。私はこの瞬間が大好きである。美しい食べ物を眺めている時こそ、心が安らぎ朗らかな気持ちになれるのだ。
「いただきます。」
手を合わせてトーストと目玉焼きを一気に頬張った。こんなに楽しい気分になるのは随分久しぶりな気がした。茉莉花に出会えてから私はだいぶ変わった。心を開き、悩みを打ち明けられる存在ができたということが一番大きな要因だろう。私は心が軽くなったし、彼女が悩みを打ち明けてくれることに、自分の存在意義を見出すことができた。それにより、私の心はとても満たされているような気がした。今の私なら、現実と向き合うことができるような気がした。
 私は二人が帰宅してくるのを待った。もう日も落ち切った夜の八時頃、ドアの鍵が開けられる音がした。先に帰宅したのは母だった。私はテーブルに向き合って座ったまま、「おかえり」とだけ告げた。母は「ただいま」と返すとすぐに夕飯の支度を始めた。夕飯の支度をしながら、「お父さん今日は遅くなるから。」と報告してきた。私は仕方なく、母だけに本当の親が誰なのかを問い詰めることにした。
 夕食後、父はまだ帰ってこなさそうなのでソファに座りテレビを見ている母の目の前に、無言でDNA鑑定の結果書類を突き付けた。
「なにこれ?」
と母はテレビの邪魔をされ不機嫌そうに聞いてきた。
「いいから中見て。ちゃんと読んで。大切なことだから。」
私は圧をかけるように静かに言った。渋々中身を引き出し、一通り目を通した母は感情を読み取れない表情で
「いつから知っていたの?」
とだけ言った。「これを見た感想はそれだけか。」と何も弁解してこないことに対して、私は沸々と怒りが湧き始めていた。
「そんな事どうでもいいでしょう?私は本当の親が知りたいの。いつも無関心なくせにこんな時だけどうでもいい質問して来るわけ?その神経が本当に理解できないよ。」
私は怒りに任せて言い放った。とうに頬は涙で濡れていた。母は少し驚いた表情でこちらを見つめていた。自分の気持ちをぶつけたことは初めてだったから、少し同様しているのだろうか。しかし、直ぐに落ち着いた表情に戻り、静かに「ごめんなさい。私にも分からないの。」と言った。私は思わず「は?」と驚きの声が漏れた。母は真剣な表情で、父が突然私を連れてきた日のことを話し始めた。
「貴方はまだ首も座っていない赤ん坊で、毛布にくるまれて静かに眠っていた。お母さんはお父さんに誰の子か聞いたけど、この子の親は居ない、の一点張りで、その時は不倫とか疑ったの。でもこの赤ちゃんに罪は無いし、親が居ないなら私が育てるしかない、と思った。子供は苦手だったけど自分なりに愛しているつもりだった。でもちゃんと愛せていなかったのね。ごめんなさい。ごめんなさい。」
母は静かに、悲しそうに誤ってきた。私は自分がとても酷いことを言ってしまったのだと今更自覚した。母も曲りなりに私のことをちゃんと自分の子供として愛していたのだ。
悲しそうな顔のまま母が俯いていた顔を上げ、「本当の親を本気で知りたいと思う?」と真剣な眼差しで聞いてきた。私は静かに頷いた。すると母は、
「分かった。お母さんがどうにかお父さんから聞き出すから。菖蒲は何も心配することは無いから。」
と小さな、だけどどこか頼もしい声でそう言った。私は静かに涙を流したまま自室に籠った。涙は止まらなかったが、泣きつかれたのか、意識が次第に薄れていき私は静かに眠りについた。
 翌朝、不思議と気持ちが清々しかった。母を傷つけてしまったことは後悔しているが、それと同時に、自分はちゃんと母からの愛情を受けていたという事実を知ることができて、少し嬉しくも思っていた。これからまた親子としてちゃんと関係を築いていくチャンスがあるのだから、前向きで居よう。私は部屋を出て朝食を用意していた母に挨拶をした。
「おはよう、お母さん。」
初めて心の底から「お母さん」と呼べた気がして、私は少しくすぐったい気持ちになった。父はすでに出勤していて顔を合せなかったが、昨日の夜のことを知っているのだろうか。しかし、今はそんなことを気にするよりも、茉莉花に鑑定結果と母とのことを報告することが最優先だ。
 ちょっと早めの昼食を済ませた私は落ち着いた気持ちで茉莉花に電話をかけた。十四時半頃に会う約束を取り付け、私は少し浮ついた気持ちで支度に取り掛かった。
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