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「しあわせになろうね」(男1:女1)ラブストーリー?
「しあわせになろうね」
教頭:
(三田村先生、今日も、ですか?)
柚希:
「…はい」
教頭:
(今日ぐらいは帰られてはいかがですか。子どもたちも無事卒業しましたし、ほら、3年生の先生たち、今日は宴会やってるそうじゃないですか)
柚希:
「…すみません」
教頭:
(別に急ぎってわけではないでしょう?まだ日にちに余裕はあるはずです)
柚希:
「…どうしても今日中に終わらせたくて」
教頭:
(…そうですか…、わかりました…)
柚希:
少しずつ日が長くなっているとはいえ、この時間になると、もう関係ない。
教頭:
(では、私はそろそろ帰りますが、戸締まりはお願いしますね)
柚希:
「はい…」
教頭:
(いつものように正門の鍵は閉めていきますので、出る時に昇降口と、裏門と、鍵お願いします)
柚希:
「…はい。わかりました」
教頭:
(…なにも三田村先生だけで抱え込まなくていいんですからね。身体を壊さないように。休むことも仕事の内ですからね)
柚希:
「…はい。失礼します。…、ふぅ…」
教頭先生との内線を終わらせて、なんだかどっと疲れが来て。
十年前の約束も、お昼ごはんと一緒に買った温かいお茶も…。
「こんなに時間が経ったら…、意味、ないね」
時間を見ようと携帯を開いて、1時間前のメッセージに気づく。ごめんね。今日も日付を回るかも。なんて、この日のために貼ってきた予防線を伝えて。
二三やり取りをかわして。落ち着いたら2人でゆっくり温泉にでも行こう、と来た返信に、一度呼吸を整えてから「楽しみだね」と返した。
机にうつ伏せて、気を抜くとため息が出る。今日のこの日をずっと待っていたような、永遠に来てほしくなかったような…。そんな二律背反。
生徒たちを見送って、他のトコロとは違って挨拶に来たのはたったの3人。クラスから貰った花も、申し訳程度の、机におけるような小さな観葉植物が一つだけ。
挨拶に来てくれた生徒の数や、貰った花の大きさ、多さを、ヨイセンセイのバロメータのように感じてること自体が、私がこの一年間、あの子たちにとってどれだけちっぽけな存在だったかを如実に表しているようだ。
「…ふぅ」
与えられた椅子に深く腰掛け直して、天井を仰ぐ。来年度はどこかの担任ではなくなるから、少しはゆっくりできるかな。ああ、でも、その分授業に力を入れないと。
ああ…、…ああ。日常が容赦もなく迫ってくる。ああ。そうだ。
忘れないうちにポットの電源を切りに席を立ち、ふと思い立って、残りのお湯で誰かの真似をしてコーヒーを入れた。
ああ、やっぱり苦いな。ブラックって。
「結局この十年間…。ブラックコーヒーは飲めないままだったな…」
広い部屋で独り、コーヒーにミルクを溶かした。
※※※
望:
何年ぶりだろうな、地元に来たの。
駅前でタクシーを捕まえて町を進ませる。いつもならこの時間は、まだ外は明るくて、そびえるビルの窓には煌煌と明かりが灯り、誰かの努力が会社を支えている頃だろう。
でもこの町には、そもそもビルと呼べるような建物もなく、2階建てや、高くて4階建ての建物達は、すでに明かりを失い、明日の日の出を待っている。
「ここでいいよ、いくら?」
タクシーの運転手にお礼を伝え、ホテルにチェックインを済ませた。
途中のコンビニで買った安酒を呷り、目的の場所に向かう。
自分でも、馬鹿だなとは思う。
「結構遠かったな…」
仕事を済ませて、駅に向かって、下りの新幹線に乗り込んで約4時間、2万円。そこから更に電車に乗って…、往復だと…?うへぇ、考えたくもねぇ。
時間を確認するために、ポケットから携帯を取り出した。少し期待しながらも画面を灯すと、メッセージが一つ。いつ帰るのか。
「あー…、くそ。忘れてた」
ごめん。今日は忙しくて帰れなくなった。そう短く返事を返す。時刻は23時37分。まぁ、いい頃合いなんじゃないか?
とぼとぼと歩いて、いつかの日を思い出す。十年前の今日。卒業式のその日のうちに、俺は希望を胸いっぱいに膨らませて…東京に向かった。
「失礼しまーす…」
誰に許可を得るわけでもなく、そう言いながらそーっと窓に手を掛けた。いつか2人で壊した窓の鍵は、相変わらず壊れたままなのか?鍵がかかっていなかった。
「おいおい…大丈夫なのか?この高校。今どきセキュリティとか、色々よ…」
正直、ここまで簡単に来れるとは思っていなかった。というか、中に入れるとは思わなかった。念のため窓を閉めて辺りを見回した。真っ暗な校内はひんやりとして、先が見渡せない廊下は、迷宮への入口の様な薄気味悪さを感じる。
「ま、そんなに長くないんだけどね、この廊下」
平日の昼間なら、歩くたびになるこのカツカツと言う音も気にもならないんだけど…、今は深夜。日付も変わる頃。廊下の少し先は闇に包まれて、校内の灯りは手元の携帯電話と、階段の所にある誘導灯だけだ。
「っとと、ていうか…、校内は土足厳禁か。…すんません」
ここで頭を下げると、生徒指導の金子先生のことを思い出す。十年前でもすでに珍しかった、竹刀を持って門に立つ先生だ。よく世話になったような気もする。
…あー、今は流石に竹刀は持ってない…よな?
革靴を脱ぎ捨てて廊下を進む。三月の床は妙に冷たくて、早まる鼓動とは対照的だった。ヒタヒタとも、ペタペタとも取れる足音とともに階段を登っていく。
途中、携帯が鳴る。ご飯を作って待っていたらしい。ごめん。とだけ短く返事を返し、目的の場所へ向かう。
携帯のライトを頼りに進み続けて、目当ての屋上のドアの前まできた。ドアノブに手をかける。回す。押す。まさか開いていないだろうという期待のような、願いのような。そんな感情は裏切られ、ドアは、ギィ…。という音をたてながら、視界が開けた。
***
柚希:
「これは…、驚いたなぁ…」
望:
「いや…、こっちのセリフ…」
柚希:
「おかえり。望」
望:
「あ…、ああ…」
柚希:
「…おじさんになったねぇ」
望:
「ユズこそ…」
柚希:
「ふふ、まぁ、あの頃と比べればね」
望:
「でも、変わってねぇな…、ユズ。その顔…、声」
柚希:
「はは…」
望:
「…」
柚希:
「変わるよ。変わった。十年もあれば、人は変わるよ」
望:
「…、まぁな」
柚希:
「シワも増えたしねぇ。二十代前半なんて無敵!って感じだったのに」
望:
「はは、わかる。それ。体力も落ちたしな」
柚希:
「でしょー?」
望:
「うん」
柚希:
「…」
望:
「…こんなに星、見えたんだっけ。ここ」
柚希:
「よく忍び込んだよね。夜にさ」
望:
「そうだな。2人で鍵壊して」
柚希:
「ちーがーうー。あれは望が勝手に壊したの!」
望:
「そこから出入りしてたら同罪だよ、どーざい」
柚希:
「もー…」
望:
「はは…」
柚希:
「まだ鍵持ってる?屋上の」
望:
「え?」
柚希:
「2人で持ち出して、スペアキー作ったじゃん」
望:
「いや…、どうかな…。多分、どっかにはあるけど」
柚希:
「そっか…。…ほら、天文部。あの星は?」
望:
「え?どれ?」
柚希:
「あの青いやつ」
望:
「…あー、わかんねぇ」
柚希:
「あれあれ、あれだって」
望:
「いや、そうじゃなくてさ…、覚えてない。名前」
柚希:
「あー…、そっか。ざんねん」
望:
「あっち、夜も明るくて星見えないからさ、だんだん星見なくなって、…気付けば星の名前も忘れちまった」
柚希:
「卒業式から十年かぁ。色々あったなぁ」
望:
「そう、だな」
柚希:
「新しい友達とか、仲間ができたり、…傷ついたり、傷つけたり…」
望:
「…」
柚希:
「…望、最近どうなの?仕事の方は」
望:
「あ、ああ。まぁ、順調だよ。軌道に乗ってきたって感じ」
柚希:
「いいね。なんだっけ…?パソコンの…?」
望:
「簡単に言うとプログラマーだよ」
柚希:
「望は昔からそういうの好きだったもんねぇ。私パソコンとか全然だめなんだぁ。資料とか作るのも他の人より全然遅くってさ」
望:
「パソコンなんてさ、ただの道具だから。使い方さえわかればすぐだよ」
柚希:
「うん。頭ではわかってるんだけどねぇ…」
望:
「ユズは?今何やってんの?」
柚希:
「高校の先生だよ、ここの」
望:
「え!?ここが職場!?」
柚希:
「うん。そうだよ。いつもの窓、開いてたでしょ?あれ開けたの私」
望:
「なんだ、そういうことかぁ…、簡単に入れたからめちゃくちゃびっくりしたんだよ。田舎にはセキュリティとかの概念ないのかと思った」
柚希:
「何言ってんの。学校は個人情報ばっかりだし?むしろ田舎ではセキュリティしっかりしてる方なんじゃないかなぁ。窓の鍵も直ってたし、…屋上の鍵も、代わってたよ」
望:
「そっか…、知らなかったよ」
柚希:
「学校関係者じゃない人が、こんな時間に学校にいるのがバレたら、望、捕まっちゃうよ~」
望:
「やめろよ(笑)」
柚希:
「不法侵入だぁー」
望:
「もしそうなったら、ユズも共犯だろ。窓開けてたんだから。幇助だ」
柚希:
「ちぇー、つまんないなぁ…。ま、カメラ無いから大丈夫だよ」
望:
「…教科は?あ!待て。当てる。…そうだなぁ…国語?現代文」
柚希:
「えー?なんでわかったの?」
望:
「やっぱりな。国語好きだったもんな。でも教師なぁ、ユズが」
柚希:
「なによぅ」
望:
「いや…、ユズが先生って、楽しそうだなって」
柚希:
「そう?ありがとう。そんなこと言ってくれるの、望ぐらいだよ」
望:
「そうなの?」
柚希:
「うん。憧れてた教師には…、なれてないなぁ」
「小学校の頃の、橘先生って覚えてる?」
望:
「ああ…、覚えてるよ」
柚希:
「私ね、橘先生みたいになりたかった。話もうまくて、授業も面白くて、みんなに好かれるような先生」
望:
「ユズには…、無理だよ」
柚希:
「えー?」
望:
「タイプが違うだろ」
柚希:
「手厳しいなぁ…。目標ぐらいにはしても良くない?」
望:
「そりゃあまぁ。でも追いつかない夢を見続けるのは辛くないか?」
柚希:
「んー…」
望:
「あー…、ごめん。今の無し。言い過ぎた」
柚希:
「ふふ…。大丈夫だよ。…自分が一番わかってるからさ」
望:
「…」
柚希:
「…それにしてもさ…」
望:
「…なんだよ」
柚希:
「ヒゲ似合わなーい、ははっ、おっかしー!」
望:
「え?えっ!?そう?そんなに変?」
柚希:
「変だよー。周りの人に何も言われないの?」
望:
「えー、こ、これでも彼女には似合ってるって言われるんだぜ」
柚希:
「…、ほんと?じゃあ。私が見る目ないだけなのかも。東京スタイル?」
望:
「いや、別に流行ってるわけでもないけど」
柚希:
「なんだぁ…」
望:
「…ユズはさ、その髪型似合ってるよ。なんか…、ユズっぽい」
柚希:
「でた!てきとー。望適当だからなぁ」
望:
「そんなことないだろ。あっちではそれなりにしっかり者で通ってんだぜ」
柚希:
「えー!?それは嘘でしょ」
望:
「ホントだよ!」
柚希:
「信じらんない!あの望がねぇ…」
望:
「さっき自分で言ってたじゃねぇか!十年ありゃ人は変わるって」
柚希:
「そうだね(笑い)」
「(ため息)…。そうだった…」
望:
「…、ユズ?」
柚希:
「ねぇ、東京のこと聞かせてよ。どんなところ?」
望:
「えぇ?あー…、んー、そうだなぁ…。東京だと、欲しいものは何でもある、すぐに手に入る」
柚希:
「はは、いいね」
望:
「もう、すぐだよ。食べたい物も、欲しい物も、欲望のままさ。やっぱり新しいものは最初に東京に来るからな」
柚希:
「あー。確かにね」
望:
「空港も近いしさ、旅行とか、海外だって簡単に行ける。やろうと思えばすぐに何でもできる」
柚希:
「旅行かぁ…。どこに行ったことある?」
望:
「あ、いや…、結局、忙しくて行けてない…」
柚希:
「…そっか」
望:
「えっと、他にも人がいっぱいいて、でっけぇビルがいっぱい建っててよ、夜でも明るくて、空が…遠くて…、星が…、見えなくて」
柚希:
「……」
望:
「いつも…一人で生きてる。…皆」
柚希:
「…そっか。やっぱり私、無理だなぁ、そんなとこ」
望:
「…」
柚希:
「望、今日なんで来たの?」
望:
「…、ユズこそ」
柚希:
「私?私はねぇ、しあわせになりたかったの」
望:
「しあわせに…?」
柚希:
「うん。ここに来たらなれるかもって思った」
望:
「それって…」
柚希:
「…携帯。鳴ってるよ」
望:
「ああ…、ちょっと…、いや、いいや」
柚希:
「彼女?」
望:
「…」
柚希:
「いいの?出なくて」
望:
「いいよ」
柚希:
「あらら…、かわいそうに」
望:
「今の話のほうが気になる」
柚希:
「ああ…。…私ね」
望:
「うん」
柚希:
「結婚、しようと思うの。今の人と」
望:
「…、うん」
柚希:
「すっごく優しくて、すごく真っ直ぐに私を愛してくれる人」
望:
「いいね、いい男だ」
柚希:
「うん。自慢の人」
望:
「じゃあ、なんで来た?ここに」
柚希:
「言ったでしょ。しあわせになるために」
望:
「覚えてる?約束」
柚希:
「覚えてなかったらここには居ないよ」
望:
「そう、…だな」
柚希:
「卒業式の夜、十年後の三月一日、お互いがまだあの時のままだったら、日付が変わる頃にここで」
望:
「…」
柚希:
「今考えたら結構ロマンチックだよね。なんか、漫画とか、小説みたい。あ、これ本にしたら売れるかな?」
望:
「ユズ…」
柚希:
「子供っぽい約束だよね。十年後も変わらないと信じてた。…いやぁ、願ってたのかな」
望:
「…」
柚希:
「望さ…。望が十年前に想像してた今ってどんなの?」
望:
「えっと……」
柚希:
「今から十年後のこと、どれぐらい想像できる?」
望:
「……」
柚希:
「私ね、ニ年前この高校に赴任が決まったとき、これも運命なのかなって思った。こんな夜更けにね、学校関係者の手引がなかったら、学校の中なんて入れないよ、普通に。鍵もかかってるしさ。だから、私は今日ここに、背中を押して貰いに来たの」
望:
「…」
柚希:
「望は来ないと思ってた。望は、私のことなんか忘れて、あっちで楽しくやってると思ってた」
望:
「…」
柚希:
「…ねぇ。望の彼女ってどんな人?」
望:
「…それ、今聞くのか…?」
柚希:
「うん」
望:
「…。そうだな…、簡単に言うと気が強い美人系って感じかな…、かわいいっていうよりは、…うん。仕事もできるし、家事とかも、なんか…全部そつなくこなせる…」
柚希:
「結婚するの?その人と」
望:
「…、多分」
柚希:
「…よかった」
望:
「え?」
柚希:
「私と全然違うから」
望:
「…っ!」
柚希:
「きゃっ!…、ちょっと、離して…」
望:
「ユズ、…こんな小さかったんだな」
柚希:
「離して…、強制わいせつで訴えてやる」
望:
「はは、それは困るな…」
柚希:
「…」
望:
「…最後にさ、キスしていい?」
柚希:
「ダメ」
望:
「…」
柚希:
「…んっ!…ダメって言ったのに」
望:
「…ごめん」
柚希:
「さいってー」
望:
「俺さ…」
柚希:
「望」
望:
「…」
柚希:
「ダメだよ。言っちゃ、ダメ」
望:
「でも…」
柚希:
「ダメ」
望:
「…、わかった…」
柚希:
「…なろうね。しあわせに」
望:
「…」
柚希:
「しあわせになろうね」
望:
「…、うん。そうだな…」
柚希:
「…、さ、帰ろう」
望:
「…ああ」
柚希:
「ちょっと、先に行って。ほら、私、戸締まりとか、あるから」
望:
「ユズ…」
柚希:
「ストップ。今顔見ようとしたら…、本当に嫌いになるから」
望:
「…、わかった。じゃあ、帰るよ。東京に」
柚希:
「…、うん。いつか、遊びに行くね。二人で」
望:
「…ああ。…じゃあな」
柚希:
「バイバイ」
(三田村先生、今日も、ですか?)
柚希:
「…はい」
教頭:
(今日ぐらいは帰られてはいかがですか。子どもたちも無事卒業しましたし、ほら、3年生の先生たち、今日は宴会やってるそうじゃないですか)
柚希:
「…すみません」
教頭:
(別に急ぎってわけではないでしょう?まだ日にちに余裕はあるはずです)
柚希:
「…どうしても今日中に終わらせたくて」
教頭:
(…そうですか…、わかりました…)
柚希:
少しずつ日が長くなっているとはいえ、この時間になると、もう関係ない。
教頭:
(では、私はそろそろ帰りますが、戸締まりはお願いしますね)
柚希:
「はい…」
教頭:
(いつものように正門の鍵は閉めていきますので、出る時に昇降口と、裏門と、鍵お願いします)
柚希:
「…はい。わかりました」
教頭:
(…なにも三田村先生だけで抱え込まなくていいんですからね。身体を壊さないように。休むことも仕事の内ですからね)
柚希:
「…はい。失礼します。…、ふぅ…」
教頭先生との内線を終わらせて、なんだかどっと疲れが来て。
十年前の約束も、お昼ごはんと一緒に買った温かいお茶も…。
「こんなに時間が経ったら…、意味、ないね」
時間を見ようと携帯を開いて、1時間前のメッセージに気づく。ごめんね。今日も日付を回るかも。なんて、この日のために貼ってきた予防線を伝えて。
二三やり取りをかわして。落ち着いたら2人でゆっくり温泉にでも行こう、と来た返信に、一度呼吸を整えてから「楽しみだね」と返した。
机にうつ伏せて、気を抜くとため息が出る。今日のこの日をずっと待っていたような、永遠に来てほしくなかったような…。そんな二律背反。
生徒たちを見送って、他のトコロとは違って挨拶に来たのはたったの3人。クラスから貰った花も、申し訳程度の、机におけるような小さな観葉植物が一つだけ。
挨拶に来てくれた生徒の数や、貰った花の大きさ、多さを、ヨイセンセイのバロメータのように感じてること自体が、私がこの一年間、あの子たちにとってどれだけちっぽけな存在だったかを如実に表しているようだ。
「…ふぅ」
与えられた椅子に深く腰掛け直して、天井を仰ぐ。来年度はどこかの担任ではなくなるから、少しはゆっくりできるかな。ああ、でも、その分授業に力を入れないと。
ああ…、…ああ。日常が容赦もなく迫ってくる。ああ。そうだ。
忘れないうちにポットの電源を切りに席を立ち、ふと思い立って、残りのお湯で誰かの真似をしてコーヒーを入れた。
ああ、やっぱり苦いな。ブラックって。
「結局この十年間…。ブラックコーヒーは飲めないままだったな…」
広い部屋で独り、コーヒーにミルクを溶かした。
※※※
望:
何年ぶりだろうな、地元に来たの。
駅前でタクシーを捕まえて町を進ませる。いつもならこの時間は、まだ外は明るくて、そびえるビルの窓には煌煌と明かりが灯り、誰かの努力が会社を支えている頃だろう。
でもこの町には、そもそもビルと呼べるような建物もなく、2階建てや、高くて4階建ての建物達は、すでに明かりを失い、明日の日の出を待っている。
「ここでいいよ、いくら?」
タクシーの運転手にお礼を伝え、ホテルにチェックインを済ませた。
途中のコンビニで買った安酒を呷り、目的の場所に向かう。
自分でも、馬鹿だなとは思う。
「結構遠かったな…」
仕事を済ませて、駅に向かって、下りの新幹線に乗り込んで約4時間、2万円。そこから更に電車に乗って…、往復だと…?うへぇ、考えたくもねぇ。
時間を確認するために、ポケットから携帯を取り出した。少し期待しながらも画面を灯すと、メッセージが一つ。いつ帰るのか。
「あー…、くそ。忘れてた」
ごめん。今日は忙しくて帰れなくなった。そう短く返事を返す。時刻は23時37分。まぁ、いい頃合いなんじゃないか?
とぼとぼと歩いて、いつかの日を思い出す。十年前の今日。卒業式のその日のうちに、俺は希望を胸いっぱいに膨らませて…東京に向かった。
「失礼しまーす…」
誰に許可を得るわけでもなく、そう言いながらそーっと窓に手を掛けた。いつか2人で壊した窓の鍵は、相変わらず壊れたままなのか?鍵がかかっていなかった。
「おいおい…大丈夫なのか?この高校。今どきセキュリティとか、色々よ…」
正直、ここまで簡単に来れるとは思っていなかった。というか、中に入れるとは思わなかった。念のため窓を閉めて辺りを見回した。真っ暗な校内はひんやりとして、先が見渡せない廊下は、迷宮への入口の様な薄気味悪さを感じる。
「ま、そんなに長くないんだけどね、この廊下」
平日の昼間なら、歩くたびになるこのカツカツと言う音も気にもならないんだけど…、今は深夜。日付も変わる頃。廊下の少し先は闇に包まれて、校内の灯りは手元の携帯電話と、階段の所にある誘導灯だけだ。
「っとと、ていうか…、校内は土足厳禁か。…すんません」
ここで頭を下げると、生徒指導の金子先生のことを思い出す。十年前でもすでに珍しかった、竹刀を持って門に立つ先生だ。よく世話になったような気もする。
…あー、今は流石に竹刀は持ってない…よな?
革靴を脱ぎ捨てて廊下を進む。三月の床は妙に冷たくて、早まる鼓動とは対照的だった。ヒタヒタとも、ペタペタとも取れる足音とともに階段を登っていく。
途中、携帯が鳴る。ご飯を作って待っていたらしい。ごめん。とだけ短く返事を返し、目的の場所へ向かう。
携帯のライトを頼りに進み続けて、目当ての屋上のドアの前まできた。ドアノブに手をかける。回す。押す。まさか開いていないだろうという期待のような、願いのような。そんな感情は裏切られ、ドアは、ギィ…。という音をたてながら、視界が開けた。
***
柚希:
「これは…、驚いたなぁ…」
望:
「いや…、こっちのセリフ…」
柚希:
「おかえり。望」
望:
「あ…、ああ…」
柚希:
「…おじさんになったねぇ」
望:
「ユズこそ…」
柚希:
「ふふ、まぁ、あの頃と比べればね」
望:
「でも、変わってねぇな…、ユズ。その顔…、声」
柚希:
「はは…」
望:
「…」
柚希:
「変わるよ。変わった。十年もあれば、人は変わるよ」
望:
「…、まぁな」
柚希:
「シワも増えたしねぇ。二十代前半なんて無敵!って感じだったのに」
望:
「はは、わかる。それ。体力も落ちたしな」
柚希:
「でしょー?」
望:
「うん」
柚希:
「…」
望:
「…こんなに星、見えたんだっけ。ここ」
柚希:
「よく忍び込んだよね。夜にさ」
望:
「そうだな。2人で鍵壊して」
柚希:
「ちーがーうー。あれは望が勝手に壊したの!」
望:
「そこから出入りしてたら同罪だよ、どーざい」
柚希:
「もー…」
望:
「はは…」
柚希:
「まだ鍵持ってる?屋上の」
望:
「え?」
柚希:
「2人で持ち出して、スペアキー作ったじゃん」
望:
「いや…、どうかな…。多分、どっかにはあるけど」
柚希:
「そっか…。…ほら、天文部。あの星は?」
望:
「え?どれ?」
柚希:
「あの青いやつ」
望:
「…あー、わかんねぇ」
柚希:
「あれあれ、あれだって」
望:
「いや、そうじゃなくてさ…、覚えてない。名前」
柚希:
「あー…、そっか。ざんねん」
望:
「あっち、夜も明るくて星見えないからさ、だんだん星見なくなって、…気付けば星の名前も忘れちまった」
柚希:
「卒業式から十年かぁ。色々あったなぁ」
望:
「そう、だな」
柚希:
「新しい友達とか、仲間ができたり、…傷ついたり、傷つけたり…」
望:
「…」
柚希:
「…望、最近どうなの?仕事の方は」
望:
「あ、ああ。まぁ、順調だよ。軌道に乗ってきたって感じ」
柚希:
「いいね。なんだっけ…?パソコンの…?」
望:
「簡単に言うとプログラマーだよ」
柚希:
「望は昔からそういうの好きだったもんねぇ。私パソコンとか全然だめなんだぁ。資料とか作るのも他の人より全然遅くってさ」
望:
「パソコンなんてさ、ただの道具だから。使い方さえわかればすぐだよ」
柚希:
「うん。頭ではわかってるんだけどねぇ…」
望:
「ユズは?今何やってんの?」
柚希:
「高校の先生だよ、ここの」
望:
「え!?ここが職場!?」
柚希:
「うん。そうだよ。いつもの窓、開いてたでしょ?あれ開けたの私」
望:
「なんだ、そういうことかぁ…、簡単に入れたからめちゃくちゃびっくりしたんだよ。田舎にはセキュリティとかの概念ないのかと思った」
柚希:
「何言ってんの。学校は個人情報ばっかりだし?むしろ田舎ではセキュリティしっかりしてる方なんじゃないかなぁ。窓の鍵も直ってたし、…屋上の鍵も、代わってたよ」
望:
「そっか…、知らなかったよ」
柚希:
「学校関係者じゃない人が、こんな時間に学校にいるのがバレたら、望、捕まっちゃうよ~」
望:
「やめろよ(笑)」
柚希:
「不法侵入だぁー」
望:
「もしそうなったら、ユズも共犯だろ。窓開けてたんだから。幇助だ」
柚希:
「ちぇー、つまんないなぁ…。ま、カメラ無いから大丈夫だよ」
望:
「…教科は?あ!待て。当てる。…そうだなぁ…国語?現代文」
柚希:
「えー?なんでわかったの?」
望:
「やっぱりな。国語好きだったもんな。でも教師なぁ、ユズが」
柚希:
「なによぅ」
望:
「いや…、ユズが先生って、楽しそうだなって」
柚希:
「そう?ありがとう。そんなこと言ってくれるの、望ぐらいだよ」
望:
「そうなの?」
柚希:
「うん。憧れてた教師には…、なれてないなぁ」
「小学校の頃の、橘先生って覚えてる?」
望:
「ああ…、覚えてるよ」
柚希:
「私ね、橘先生みたいになりたかった。話もうまくて、授業も面白くて、みんなに好かれるような先生」
望:
「ユズには…、無理だよ」
柚希:
「えー?」
望:
「タイプが違うだろ」
柚希:
「手厳しいなぁ…。目標ぐらいにはしても良くない?」
望:
「そりゃあまぁ。でも追いつかない夢を見続けるのは辛くないか?」
柚希:
「んー…」
望:
「あー…、ごめん。今の無し。言い過ぎた」
柚希:
「ふふ…。大丈夫だよ。…自分が一番わかってるからさ」
望:
「…」
柚希:
「…それにしてもさ…」
望:
「…なんだよ」
柚希:
「ヒゲ似合わなーい、ははっ、おっかしー!」
望:
「え?えっ!?そう?そんなに変?」
柚希:
「変だよー。周りの人に何も言われないの?」
望:
「えー、こ、これでも彼女には似合ってるって言われるんだぜ」
柚希:
「…、ほんと?じゃあ。私が見る目ないだけなのかも。東京スタイル?」
望:
「いや、別に流行ってるわけでもないけど」
柚希:
「なんだぁ…」
望:
「…ユズはさ、その髪型似合ってるよ。なんか…、ユズっぽい」
柚希:
「でた!てきとー。望適当だからなぁ」
望:
「そんなことないだろ。あっちではそれなりにしっかり者で通ってんだぜ」
柚希:
「えー!?それは嘘でしょ」
望:
「ホントだよ!」
柚希:
「信じらんない!あの望がねぇ…」
望:
「さっき自分で言ってたじゃねぇか!十年ありゃ人は変わるって」
柚希:
「そうだね(笑い)」
「(ため息)…。そうだった…」
望:
「…、ユズ?」
柚希:
「ねぇ、東京のこと聞かせてよ。どんなところ?」
望:
「えぇ?あー…、んー、そうだなぁ…。東京だと、欲しいものは何でもある、すぐに手に入る」
柚希:
「はは、いいね」
望:
「もう、すぐだよ。食べたい物も、欲しい物も、欲望のままさ。やっぱり新しいものは最初に東京に来るからな」
柚希:
「あー。確かにね」
望:
「空港も近いしさ、旅行とか、海外だって簡単に行ける。やろうと思えばすぐに何でもできる」
柚希:
「旅行かぁ…。どこに行ったことある?」
望:
「あ、いや…、結局、忙しくて行けてない…」
柚希:
「…そっか」
望:
「えっと、他にも人がいっぱいいて、でっけぇビルがいっぱい建っててよ、夜でも明るくて、空が…遠くて…、星が…、見えなくて」
柚希:
「……」
望:
「いつも…一人で生きてる。…皆」
柚希:
「…そっか。やっぱり私、無理だなぁ、そんなとこ」
望:
「…」
柚希:
「望、今日なんで来たの?」
望:
「…、ユズこそ」
柚希:
「私?私はねぇ、しあわせになりたかったの」
望:
「しあわせに…?」
柚希:
「うん。ここに来たらなれるかもって思った」
望:
「それって…」
柚希:
「…携帯。鳴ってるよ」
望:
「ああ…、ちょっと…、いや、いいや」
柚希:
「彼女?」
望:
「…」
柚希:
「いいの?出なくて」
望:
「いいよ」
柚希:
「あらら…、かわいそうに」
望:
「今の話のほうが気になる」
柚希:
「ああ…。…私ね」
望:
「うん」
柚希:
「結婚、しようと思うの。今の人と」
望:
「…、うん」
柚希:
「すっごく優しくて、すごく真っ直ぐに私を愛してくれる人」
望:
「いいね、いい男だ」
柚希:
「うん。自慢の人」
望:
「じゃあ、なんで来た?ここに」
柚希:
「言ったでしょ。しあわせになるために」
望:
「覚えてる?約束」
柚希:
「覚えてなかったらここには居ないよ」
望:
「そう、…だな」
柚希:
「卒業式の夜、十年後の三月一日、お互いがまだあの時のままだったら、日付が変わる頃にここで」
望:
「…」
柚希:
「今考えたら結構ロマンチックだよね。なんか、漫画とか、小説みたい。あ、これ本にしたら売れるかな?」
望:
「ユズ…」
柚希:
「子供っぽい約束だよね。十年後も変わらないと信じてた。…いやぁ、願ってたのかな」
望:
「…」
柚希:
「望さ…。望が十年前に想像してた今ってどんなの?」
望:
「えっと……」
柚希:
「今から十年後のこと、どれぐらい想像できる?」
望:
「……」
柚希:
「私ね、ニ年前この高校に赴任が決まったとき、これも運命なのかなって思った。こんな夜更けにね、学校関係者の手引がなかったら、学校の中なんて入れないよ、普通に。鍵もかかってるしさ。だから、私は今日ここに、背中を押して貰いに来たの」
望:
「…」
柚希:
「望は来ないと思ってた。望は、私のことなんか忘れて、あっちで楽しくやってると思ってた」
望:
「…」
柚希:
「…ねぇ。望の彼女ってどんな人?」
望:
「…それ、今聞くのか…?」
柚希:
「うん」
望:
「…。そうだな…、簡単に言うと気が強い美人系って感じかな…、かわいいっていうよりは、…うん。仕事もできるし、家事とかも、なんか…全部そつなくこなせる…」
柚希:
「結婚するの?その人と」
望:
「…、多分」
柚希:
「…よかった」
望:
「え?」
柚希:
「私と全然違うから」
望:
「…っ!」
柚希:
「きゃっ!…、ちょっと、離して…」
望:
「ユズ、…こんな小さかったんだな」
柚希:
「離して…、強制わいせつで訴えてやる」
望:
「はは、それは困るな…」
柚希:
「…」
望:
「…最後にさ、キスしていい?」
柚希:
「ダメ」
望:
「…」
柚希:
「…んっ!…ダメって言ったのに」
望:
「…ごめん」
柚希:
「さいってー」
望:
「俺さ…」
柚希:
「望」
望:
「…」
柚希:
「ダメだよ。言っちゃ、ダメ」
望:
「でも…」
柚希:
「ダメ」
望:
「…、わかった…」
柚希:
「…なろうね。しあわせに」
望:
「…」
柚希:
「しあわせになろうね」
望:
「…、うん。そうだな…」
柚希:
「…、さ、帰ろう」
望:
「…ああ」
柚希:
「ちょっと、先に行って。ほら、私、戸締まりとか、あるから」
望:
「ユズ…」
柚希:
「ストップ。今顔見ようとしたら…、本当に嫌いになるから」
望:
「…、わかった。じゃあ、帰るよ。東京に」
柚希:
「…、うん。いつか、遊びに行くね。二人で」
望:
「…ああ。…じゃあな」
柚希:
「バイバイ」
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