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隅田川
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それにしても、どうして“みらい”なんかに来ちまったのかねえ」
「わかりませんが……。先の世界に、興味があったりしましたか?」
「そんなもんねえよ。そういえば、お前さんも、なんで儂のことが見えるんだ」
「いや。なんとも。僕も突然……」
二人は顔を見合わせたが、何も解らなかった。
「じっとしているのも癪だ。おい、出かけるぞ」
「一体どこへ」
「知らねえよ!」
ぐいと手をつかむと、それは凄まじい力で引っ張った。
「おい。来て早々に驚いたのが……あれだ、向こうに見える、あれだよ」
指差した向こうを見た。
「あれは……ああ、電車って言います」
「“でんしゃ”だと。最初は蛇かと思ったぜ……。じゃあ、真横の速いのは」
「これは車です」
「“くるま”とな。なんだ、この世界のものは、これほど皆速いものなのか」
「ええ。そうです。昔じゃ想像は難しいですよね……」
「儂は、馬より速いものを初めて見た。こりゃあ面白いな」
面白い、そう言うが口は笑ってはおらず、眼を大きく見開いていた。瞳孔が開いている。
岡田は小さく、
「まあ、江戸人からすれば、無理はないよな……」
と呟いた。
「あと、この色はなんだ。お前の召し物、この色をどう出す」
「あ、ああ。鼠色ですか」
「儂の知っている鼠色ではない!もっと違う色のはずだ」
岡田は困った顔をして、
「流石に、知らないです……」
と答えた。
「……じゃあ、この匂いはなんだ。この匂いは!隅田川近くはこんな匂いではなかったはずだ」
「ううん…空気が汚くなったのか……」
北斎は呆れたような顔で、
「何とも頼りのない返事だな……。しらねえのか」
「ごめんなさい……」
「ったく……。いつの時代も、知っているふりをしている奴は多いもんだな。儂の周りの絵描きもそうだったよ。そんな奴はろくでもねえってんだ」
岡田は、蜂が首筋を刺したかのような感覚を受けた。息が詰まり、白い意識としか言いようのない、止まったような時間が、岡田に突如流れ出した。
「絵描き」か……。岡田もまた、その端くれ…のつもりである。しかし、そうでありながら、このよく見知った土地のことさえ、説明できない。何も知らなかったのだ。その事実に不意に気付かされた。
……そうだ。力不足だ。だから、僕の漫画は一向に面白くない。昔から、絵を描くのが好きな少年だった。しかし、それは専ら想像に任せたもので、描くものの「本当らしさ」は、何もなかった。本当のものではなく、想像なのだから、リアリティなど必要ない、と言い聞かせてきた。しかし、実際はどうだ。この爺さん……恐らくこのとんでもない絵描きは……卓越した写実的才能に甘んじず、まだ知ろうとしている…。きっと自分が頭では理解できないようなことまで。そう、彼の言うところの、「地獄」の隅々まで。
「そういえばお前さん、そういえばさっき“まんがか”と言ったな。それは絵描きの類なのか」
考えている途中、急に北斎が話しかけてきた。しかし、その眼は岡田ではなく、“でんしゃ”に向けられていたのだが。
「…!ああ…そうです。絵描きの類です。もっとも、連載も持っていないですが……」
「そうか。……じゃあ、お前、描いてみろ、この隅田川を」
予想だにしない言葉に、岡田は驚いた。
「どうして。せっかく外に出てきたっていうのに。まだ十分も経っていない」
「ふ。もう飽きたのさ。この地獄はどうも繰り返しが多いことに、気づいたからな。戻るぞ。いいから描け、描くんだ」
岡田の肩をぐっと掴む北斎の手は、思ったよりも大きく、熊のごとくに強かった。
「わかりませんが……。先の世界に、興味があったりしましたか?」
「そんなもんねえよ。そういえば、お前さんも、なんで儂のことが見えるんだ」
「いや。なんとも。僕も突然……」
二人は顔を見合わせたが、何も解らなかった。
「じっとしているのも癪だ。おい、出かけるぞ」
「一体どこへ」
「知らねえよ!」
ぐいと手をつかむと、それは凄まじい力で引っ張った。
「おい。来て早々に驚いたのが……あれだ、向こうに見える、あれだよ」
指差した向こうを見た。
「あれは……ああ、電車って言います」
「“でんしゃ”だと。最初は蛇かと思ったぜ……。じゃあ、真横の速いのは」
「これは車です」
「“くるま”とな。なんだ、この世界のものは、これほど皆速いものなのか」
「ええ。そうです。昔じゃ想像は難しいですよね……」
「儂は、馬より速いものを初めて見た。こりゃあ面白いな」
面白い、そう言うが口は笑ってはおらず、眼を大きく見開いていた。瞳孔が開いている。
岡田は小さく、
「まあ、江戸人からすれば、無理はないよな……」
と呟いた。
「あと、この色はなんだ。お前の召し物、この色をどう出す」
「あ、ああ。鼠色ですか」
「儂の知っている鼠色ではない!もっと違う色のはずだ」
岡田は困った顔をして、
「流石に、知らないです……」
と答えた。
「……じゃあ、この匂いはなんだ。この匂いは!隅田川近くはこんな匂いではなかったはずだ」
「ううん…空気が汚くなったのか……」
北斎は呆れたような顔で、
「何とも頼りのない返事だな……。しらねえのか」
「ごめんなさい……」
「ったく……。いつの時代も、知っているふりをしている奴は多いもんだな。儂の周りの絵描きもそうだったよ。そんな奴はろくでもねえってんだ」
岡田は、蜂が首筋を刺したかのような感覚を受けた。息が詰まり、白い意識としか言いようのない、止まったような時間が、岡田に突如流れ出した。
「絵描き」か……。岡田もまた、その端くれ…のつもりである。しかし、そうでありながら、このよく見知った土地のことさえ、説明できない。何も知らなかったのだ。その事実に不意に気付かされた。
……そうだ。力不足だ。だから、僕の漫画は一向に面白くない。昔から、絵を描くのが好きな少年だった。しかし、それは専ら想像に任せたもので、描くものの「本当らしさ」は、何もなかった。本当のものではなく、想像なのだから、リアリティなど必要ない、と言い聞かせてきた。しかし、実際はどうだ。この爺さん……恐らくこのとんでもない絵描きは……卓越した写実的才能に甘んじず、まだ知ろうとしている…。きっと自分が頭では理解できないようなことまで。そう、彼の言うところの、「地獄」の隅々まで。
「そういえばお前さん、そういえばさっき“まんがか”と言ったな。それは絵描きの類なのか」
考えている途中、急に北斎が話しかけてきた。しかし、その眼は岡田ではなく、“でんしゃ”に向けられていたのだが。
「…!ああ…そうです。絵描きの類です。もっとも、連載も持っていないですが……」
「そうか。……じゃあ、お前、描いてみろ、この隅田川を」
予想だにしない言葉に、岡田は驚いた。
「どうして。せっかく外に出てきたっていうのに。まだ十分も経っていない」
「ふ。もう飽きたのさ。この地獄はどうも繰り返しが多いことに、気づいたからな。戻るぞ。いいから描け、描くんだ」
岡田の肩をぐっと掴む北斎の手は、思ったよりも大きく、熊のごとくに強かった。
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