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【第1章】旅立編
未来への不安
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希美は居酒屋を出て夜風にあたりながら、久しぶりに心の中の重たいものが少し和らいでいることに気づいた。アルコールの影響もあってか、いつになく軽やかな気分だった。同級生たちと過ごした時間は、高校時代の無邪気な日々を思い出させ、長らく心にこびりついていた暗い影を忘れさせてくれるようだった。
聡子と坂口が途中で抜けた後も、優子や他のメンバーとカラオケに移動し、懐かしい曲を歌いながら笑い合った。彼女たちと過ごす時間は希美にとって特別なひとときだった。
「また絶対集まろうね!」と優子が最後に手を振りながら皆を見送った。その言葉に希美も、
「うん、ありがとう」と笑顔で応えた。
希美が駅へ向かおうとしたその時、背後から名前を呼ぶ声が聞こえた。
「希美、ちょっといい?」
振り返ると、誠二が少し照れたように立っていた。
「あ、誠二君。どうかしたの?」
「いや、せっかく久しぶりに会えたし、今度さ、二人でゆっくり話せたらいいなって思ってさ」
誠二の突然の言葉に希美は少し驚いたが、自然と「うん、いいよ」と返していた。
高校時代に片想いだった誠二からの誘いとその誠実そうな笑顔を見て、希美の心は弾んだ。
しかし、家に帰る途中で希美はその返事を少し後悔し始めていた。誠二もあの事件のことを知っているはずだ。週刊誌やニュースでも報道された内容は同級生の間にも広がっているだろう。自分が大平に襲われ、あの恐ろしいプレハブ小屋で命がけで逃げ延びたこと。それを知っている彼に、なぜ気軽に『会おう』と答えてしまったのだろう。誠二はそんな私に同情しているのだろうか。
「私、本当に普通に振る舞えるのかな」
希美はふと足を止め、夜空を見上げた。月の光が彼女の顔を柔らかく照らしていたが、その瞳の奥には、不安の影が揺らめいていた。
大平は自分の肉体であった今は肉塊と化したすぐ横に立ち尽くしていた。
「俺の望みは叶えてくれないのか。もう一度復活することを」
悪魔には大平の幽体が見えるのだろう。肉塊には目もくれず大平に向って言った。悪魔の声はその端正な容貌からは想像の付かない声音であった。洞窟の奥底から這い出すような低い音が大平の心に響き渡った。ダビデの彫刻のような肉体は今、漆黒の霧に包まれているようであり、暗黒を見つめ続けて来た目は、ぎらぎらと大平を射抜いているようだった。
「女の血がいる。お前が執着しているその女の月経の血がお前を復活させる」
大平の今は無くなってしまったが、頭であった思考の場所で思い出す。野口希美のことを。
大平自身は元々の性癖も異常なことは無く、執着する性格でも無かった。五年までは、一人息子を亡くし、妻も自分自身も壊れてしまった。息子の葬儀が終わった後に、妻は大平にこう言った。
「良太がいない中で、あなたとの未来は考えられない」
妻が去って行き、大平に癌が見つかった。数か月の余命宣告だった。全てを失っていく中で、大学を卒業し大平の部下となった希美は、今時の女性だった。
同じ年代の者達と人生を謳歌していた。幸せの絶頂期にいる彼女達を見ている内に、大平の中に憎悪が芽生えた。希美が仲間たちと笑い合う声がオフィスを満たすたび、大平の胸にどす黒い情念が積み重なっていった。知らず知らずに彼女達の予定表を無意識に眺める自分に気づき、正気に戻りぞっとする。
しかし、それでも目を離せなかった。いつしか、自身が死ぬまでに彼女達を道連れにするという途方もない計画が出来上がった。
もちろん会社ではそんなそぶりは少しも見せなかった。それでも感の良い希美は最近大平を何故か避け始めていた。仕事上どうしても断れない場合以外は、警戒していたようだった。
「希美の血で生き返れるのか。俺をこんな目に合わせたあの小娘の血で」大平は元は顔であった部分がにやけているのを感覚で悟った。
「お前にこの者達を預けよう」
悪魔は、男女の異形を見つめながら、大平に言った。血だまりの中で愛撫し合う二体は生まれたままの姿で、血に塗れた体をお互いに舐め合っていた。人間の姿を保とうとするものの、性的興奮をするたびに、異形の姿が現れては人間へ再生とを繰り返していた。彼らの喘ぎは異界の迷宮に響いていた。
「お前がその女の血を手に入れれば、我もまた力を得るであろう。そして、お前の執念、歪んだ思いを地上の者達に刻み込むのだ」
彼は端正な顔を微かに歪めて、大平の幽体を注視した。そして左手を静かに上げると、宙に大きく円を描き始めた。動きに呼応するように空間が歪み、冷たい風が渦巻き、霧のような冷気が漂い始める。次第にその円の中にぼんやりと映像が浮かび上がった。
それは夜道を歩く一人の女性だった。暗闇の中で一瞬立ち止まり、夜空を見上げるその姿。長い髪を後ろで束ねた女性の顔を、大平は決して忘れることはなかった。月光に照らされた希美の横顔はどこか不安げだったが、その影が一層彼女を美しく見せていた。
彼女が小さく息をつき、再び歩き出す様子を見つめながら、大平の胸の奥に抑えきれない感情が沸き上がる。その執着と妄念が、自らの今の存在すら忘れさせるほどだった。
「希美・・・待っていろよ」
大平は、かすれた声で呟いた。その言葉は空間の奥深くへと吸い込まれ、悪魔の耳元で再び響くかのようだった。悪魔の口元が薄く歪む。
「お前が求めるものはすぐそこにある。だが、その代償を理解しているのだろうな?」
悪魔の低く深い声が、洞窟の奥から反響するように大平の心を揺さぶる。しかし、大平の歪んだ欲望と執念は、もはや迷いを飲み込んでいた。彼は悪魔の問いに応えず、ただ映像の中の希美を見つめ続ける。
「必ずお前の元へ行く。そして俺は蘇る・・・復活するんだ」
希美を見つめる大平の瞳も、暗黒そのものだった。
聡子と坂口が途中で抜けた後も、優子や他のメンバーとカラオケに移動し、懐かしい曲を歌いながら笑い合った。彼女たちと過ごす時間は希美にとって特別なひとときだった。
「また絶対集まろうね!」と優子が最後に手を振りながら皆を見送った。その言葉に希美も、
「うん、ありがとう」と笑顔で応えた。
希美が駅へ向かおうとしたその時、背後から名前を呼ぶ声が聞こえた。
「希美、ちょっといい?」
振り返ると、誠二が少し照れたように立っていた。
「あ、誠二君。どうかしたの?」
「いや、せっかく久しぶりに会えたし、今度さ、二人でゆっくり話せたらいいなって思ってさ」
誠二の突然の言葉に希美は少し驚いたが、自然と「うん、いいよ」と返していた。
高校時代に片想いだった誠二からの誘いとその誠実そうな笑顔を見て、希美の心は弾んだ。
しかし、家に帰る途中で希美はその返事を少し後悔し始めていた。誠二もあの事件のことを知っているはずだ。週刊誌やニュースでも報道された内容は同級生の間にも広がっているだろう。自分が大平に襲われ、あの恐ろしいプレハブ小屋で命がけで逃げ延びたこと。それを知っている彼に、なぜ気軽に『会おう』と答えてしまったのだろう。誠二はそんな私に同情しているのだろうか。
「私、本当に普通に振る舞えるのかな」
希美はふと足を止め、夜空を見上げた。月の光が彼女の顔を柔らかく照らしていたが、その瞳の奥には、不安の影が揺らめいていた。
大平は自分の肉体であった今は肉塊と化したすぐ横に立ち尽くしていた。
「俺の望みは叶えてくれないのか。もう一度復活することを」
悪魔には大平の幽体が見えるのだろう。肉塊には目もくれず大平に向って言った。悪魔の声はその端正な容貌からは想像の付かない声音であった。洞窟の奥底から這い出すような低い音が大平の心に響き渡った。ダビデの彫刻のような肉体は今、漆黒の霧に包まれているようであり、暗黒を見つめ続けて来た目は、ぎらぎらと大平を射抜いているようだった。
「女の血がいる。お前が執着しているその女の月経の血がお前を復活させる」
大平の今は無くなってしまったが、頭であった思考の場所で思い出す。野口希美のことを。
大平自身は元々の性癖も異常なことは無く、執着する性格でも無かった。五年までは、一人息子を亡くし、妻も自分自身も壊れてしまった。息子の葬儀が終わった後に、妻は大平にこう言った。
「良太がいない中で、あなたとの未来は考えられない」
妻が去って行き、大平に癌が見つかった。数か月の余命宣告だった。全てを失っていく中で、大学を卒業し大平の部下となった希美は、今時の女性だった。
同じ年代の者達と人生を謳歌していた。幸せの絶頂期にいる彼女達を見ている内に、大平の中に憎悪が芽生えた。希美が仲間たちと笑い合う声がオフィスを満たすたび、大平の胸にどす黒い情念が積み重なっていった。知らず知らずに彼女達の予定表を無意識に眺める自分に気づき、正気に戻りぞっとする。
しかし、それでも目を離せなかった。いつしか、自身が死ぬまでに彼女達を道連れにするという途方もない計画が出来上がった。
もちろん会社ではそんなそぶりは少しも見せなかった。それでも感の良い希美は最近大平を何故か避け始めていた。仕事上どうしても断れない場合以外は、警戒していたようだった。
「希美の血で生き返れるのか。俺をこんな目に合わせたあの小娘の血で」大平は元は顔であった部分がにやけているのを感覚で悟った。
「お前にこの者達を預けよう」
悪魔は、男女の異形を見つめながら、大平に言った。血だまりの中で愛撫し合う二体は生まれたままの姿で、血に塗れた体をお互いに舐め合っていた。人間の姿を保とうとするものの、性的興奮をするたびに、異形の姿が現れては人間へ再生とを繰り返していた。彼らの喘ぎは異界の迷宮に響いていた。
「お前がその女の血を手に入れれば、我もまた力を得るであろう。そして、お前の執念、歪んだ思いを地上の者達に刻み込むのだ」
彼は端正な顔を微かに歪めて、大平の幽体を注視した。そして左手を静かに上げると、宙に大きく円を描き始めた。動きに呼応するように空間が歪み、冷たい風が渦巻き、霧のような冷気が漂い始める。次第にその円の中にぼんやりと映像が浮かび上がった。
それは夜道を歩く一人の女性だった。暗闇の中で一瞬立ち止まり、夜空を見上げるその姿。長い髪を後ろで束ねた女性の顔を、大平は決して忘れることはなかった。月光に照らされた希美の横顔はどこか不安げだったが、その影が一層彼女を美しく見せていた。
彼女が小さく息をつき、再び歩き出す様子を見つめながら、大平の胸の奥に抑えきれない感情が沸き上がる。その執着と妄念が、自らの今の存在すら忘れさせるほどだった。
「希美・・・待っていろよ」
大平は、かすれた声で呟いた。その言葉は空間の奥深くへと吸い込まれ、悪魔の耳元で再び響くかのようだった。悪魔の口元が薄く歪む。
「お前が求めるものはすぐそこにある。だが、その代償を理解しているのだろうな?」
悪魔の低く深い声が、洞窟の奥から反響するように大平の心を揺さぶる。しかし、大平の歪んだ欲望と執念は、もはや迷いを飲み込んでいた。彼は悪魔の問いに応えず、ただ映像の中の希美を見つめ続ける。
「必ずお前の元へ行く。そして俺は蘇る・・・復活するんだ」
希美を見つめる大平の瞳も、暗黒そのものだった。
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