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【第1章】旅立編
蝶になって
しおりを挟む希美は誠二との約束の日を心待ちにしていた。飲み会からちょうど二週間後の土曜日、誠二から食事に誘われた。希美は自分がまだ彼にこんな感情を抱いていることに驚きつつも、その気持ちに逆らうことができなかった。
当日、待ち合わせ場所に現れた誠二はカジュアルなシャツにジャケットを羽織り、以前と変わらない爽やかな笑顔を見せていた。どこか落ち着いた雰囲気が漂い、希美の胸が高鳴る。
「待たせた?」
「ううん、私も今来たところ」
二人は予約していたイタリアンレストランへ向かった。店内はほどよく賑わっており、柔らかな照明が温かみのある空間を作り出していた。
誠二は高校時代と変わらない気さくな口調で話しかけてくれたが、その態度には少し大人びた余裕が感じられた。彼がメニューを勧める姿や、気遣いを見せる様子に希美はつい見惚れてしまう。
食事が進むにつれて、二人の会話は自然と高校時代の思い出に戻っていった。
「坂口や小川と飲んでた時は、誠二君、すごく冗談ばっかり言ってたよね」
希美がクスクスと笑いながら言うと、誠二は少し恥ずかしそうに髪をかき上げた。
「まぁ、あの時はみんなで盛り上がってたからね。希美の前では、もう少し真面目にしようと思ってたんだ」
その言葉に、希美の胸が熱くなる。まるで高校時代に戻ったかのようだった。だが、あの頃の自分は、遠くから誠二を見つめているだけの『その他大勢』に過ぎなかった。彼に直接話しかける勇気など持てなかった自分を思い出し、ほんの少し切なさが胸をよぎる。
「高校の頃、私たちそんなに話すことなかったよね」
希美がそう言うと、誠二は少し間を置いて答えた。
「そうだな。でも、希美がいつも誰かを助けてるのをよく見てたよ。クラスで困ってる人に声をかけたりしてたよな」
「え、そんなこと覚えてるの?」
誠二の言葉に驚いた希美は、思わず彼を見つめた。彼がそんな風に自分を見ていたなんて、思いもしなかった。
「希美はすごいなって、当時から思ってたよ」
誠二の真剣な眼差しとその言葉に、希美の心は少しずつ解きほぐされていくようだった。忘れたい過去や、自分が抱えている闇。それらが今、この人の前では少しだけ軽くなる気がした。
しかし、ふとした瞬間に過去の恐ろしい記憶が頭をよぎる。飲み会での再会がきっかけで、あの事件のことが再び彼の記憶に蘇るのではないか。そんな不安が希美をかすめた。
「ねえ、誠二君」
言いかけた言葉を飲み込む。目の前の彼に対する信頼と、この先の展開への期待が交錯する中で、希美の心は揺れていた。
誠二と過ごす時間は、とても刺激的で心が弾むようだった。高校時代は片想いだった彼と、こうして二人きりで会話を楽しめるなんて、夢のようだった。希美は彼の話に頷きながら、少し酔いが回ってきた自分に気づいた。
食事を終えた後、誠二が、「もう少し付き合って欲しい」と微笑んだ時、希美は迷うことなく頷いた。彼に連れて行かれたのは、落ち着いた雰囲気のバーだった。
店内にはジャズが静かに流れ、低い声で話し合う客たちがテーブルに集まっていた。
「こういう場所、嫌いじゃない?」
誠二が気遣うように尋ねると、希美は微笑んで首を振った。
「ううん、こういうお店好きだよ。落ち着けるし、なんだか特別な気分になる」
「そっか。それならよかった」
彼はカウンター越しに注文し、二人の前にカクテルが置かれた。希美は少しずつグラスを傾けながら、誠二の話に耳を傾けた。仕事のこと、高校時代の懐かしいエピソード、そしてこれからの目標。彼の真剣な瞳と落ち着いた声が、希美の心をさらに弾ませた。
しかし、いつしか頭がぼんやりとしてきた。アルコールの影響か、それとも彼との距離の近さに高揚しすぎたのか、希美は次第に目の前が霞んでいくのを感じた。
「希美、大丈夫?」
誠二の声が耳に届くが、その響きがだんだんと遠のいていく。
「うん、ちょっと、眠いかも」
希美は目をこすろうとしたが、手を動かすのも面倒に感じた。店内の照明が揺れ、音楽のリズムが奇妙に耳にこだまする。自分が座っている椅子が沈み込むような感覚がして、視界の端で誠二が何かを言っているのがわかるが、その内容はもはや頭に入らなかった。
「・・・希美?」
その声が最後に聞こえた言葉だった。希美の瞼はゆっくりと閉じていき、意識は暗闇に吸い込まれていった。
希美はぼんやりと目を覚ました。頬に冷たい夜風を感じ、気づけば誠二の肩に寄りかかっていた。店を出たことさえ覚えていない。周囲は静かで、繁華街の喧騒は遠く、街灯の明かりが二人の座るベンチをぼんやりと照らしている。
希美が体を少し動かすと、誠二が気づき、彼女に目を向けた。
「気がついた?」
その声には心配が滲んでいた。誠二は片手に持っていたペットボトルの水を差し出しながら微笑んだ。
「これ、飲むといいよ。少し飲みすぎたみたいだね」
希美は顔を赤らめながら、ペットボトルを受け取った。手の中にひんやりとした感触が広がり、軽く喉を潤すと、次第に頭がすっきりしてきた。
「ありがとう。ごめんね、私、迷惑かけたよね」
希美は申し訳なさそうに誠二を見上げた。
「そんなことないよ。まあ、ちょっと心配はしたけどね。途中で急に眠そうになったから」
誠二は肩に回していた腕を外し、優しく希美の髪をなでた。その仕草に、希美は胸がドキドキしてしまった。
「それにしても、寒くない?もう少しここで休むか、タクシー捕まえようか?」
誠二の優しい気遣いが、彼の本質を垣間見せるようで、希美の心は温かさに満たされた。
「ううん、大丈夫。もう平気だよ。ありがとう、誠二君」
希美は微笑みを浮かべて答えたが、その声にはどこか甘えるような響きがあった。
二人の間に漂う静けさと穏やかな夜風が、まるで世界から切り離された小さな空間を作り出しているようだった。その中で希美は、改めて誠二という存在が自分にとってどれほど特別なのかを実感していた。
誠二と希美は、互いに言葉を失ったまま見つめ合っていた。どれほどの時間が経ったのか、希美には分からなかった。夜の静寂の中、彼の瞳がゆっくりと希美の顔を捉え、次第に距離が縮まっていく。
誠二の顔が近づいてきた瞬間、希美は心臓が跳ねるように高鳴るのを感じた。次の瞬間、彼の唇がそっと希美の唇に触れた。驚くほど優しく、まるで確認するような軽い口づけだった。
希美は呆気に取られて動けずにいると、誠二はもう一度唇を重ねてきた。今度は深く、激しい情熱が込められていた。彼の舌が希美の唇を押し開き、絡むように彼女の舌を求めた。
希美の体は自然と誠二の腕の中に引き寄せられ、強く抱きしめられた。その力強さに息が詰まるような感覚を覚えながらも、同時に心が震えるほどの熱を感じた。
夜風が頬をかすめる中、二人の吐息が混じり合い、希美の頭の中は真っ白になっていた。今、自分がどう感じているのか、何を望んでいるのか、答えを見つける間もなく、ただ誠二の感情に飲み込まれていった。
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