婚約者が浮気していたことを、婚約破棄の夜会で初めて知った人がいました。私以外の全員が

柴田はつみ

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第12章 歪み始めた噂

 噂は、広がるだけではなかった。
 形を変えはじめていた。

 それに気づいたのは、三日後の夕方だった。

 王都の美術回廊で開かれた小さな展示会。
 絵画や工芸品をゆっくり鑑賞する、落ち着いた集まりだ。

夜会ほど華やかではないが、その分、会話は近く、言葉はよく届く。

 マリアはリサとともに回廊を歩いていた。
 高い天井、白い壁、静かな足音。

展示された絵の前には、少人数の輪ができ、低い声で感想が交わされている。

「お嬢様」

 リサが小さく囁いた。

「……聞こえますか」

 視線を動かさずに、マリアは耳を澄ます。
 少し離れた場所で、二人の令嬢が話していた。

「でも、おかしいですわよね」
「何が?」
「エドワード様のお話」

 マリアは歩みを止めなかった。
 けれど、言葉ははっきり届いていた。

「形だけの婚約だったとおっしゃるけれど」
「ええ」
「それにしては、夜会での扱いが……」

 そこで声が少し落ちる。
 だが、続きは想像できた。

 形だけ、には見えなかった。

 あの人は、表向きにはきちんと振る舞っていた。

 少なくとも外から見れば、婚約者として扱っていた。
だから、今になって最初から違ったと言われると、どこかに違和感が残る。

「それに、クロエ様の件も……」
「そうなのよ。あれはどう説明なさるのかしら」
「ご本人は誤解だったとおっしゃっているみたいだけど」

 小さな笑いが混じった。

 完全な信頼ではない。
 むしろ、半信半疑の笑いだった。

 マリアはゆっくり息を吐いた。

(始まっている)

 レオンの言葉が頭をよぎる
 喋らせておけ
 そのうち、自分で崩れる。

 その通りだった。
 噂は一方的に広がるだけではない。重なり、ぶつかり、少しずつ歪みを生む。

 マリアは次の絵の前で立ち止まった。
 秋の森を描いた風景画だった。

木々は色づき、葉は落ち、地面には積もっている。

終わりの景色なのに、不思議と寂しさだけではなかった。どこか静かな力がある。

「フォン・ハルト令嬢」

 声をかけられ、振り向く。

 中年の伯爵夫人だった。

以前、慈善会で顔を合わせたことがある。

「ご機嫌よう」
「ご機嫌よう」

 軽く挨拶を交わす。

「先日の茶会、拝見しておりましたわ」

 伯爵夫人は扇で口元を隠しながら言った。

「落ち着いていらっしゃったのね」
「そう見えましたか」
「ええ」

 扇の向こうで、目がわずかに細められる。

「……ああいうときに、慌てて弁明なさらない方は、たいてい何かお考えがある方ですもの」

 マリアは何も言わなかった。
 否定もしないし、肯定もしない。

 ただ、静かに微笑む。

 伯爵夫人はそれを見て、小さく頷いた。

「なるほど」

 それ以上は聞かなかった。
 だが、その一言で十分だった。

 疑いは、もう一方向ではない。
 エドワードだけを信じる空気では、なくなりはじめている。



 回廊の奥で、レオンの姿を見つけた。

 彼は一枚の絵の前で立っていた。
 他の客と同じように、静かに作品を見ている。

だが、その立ち方だけで、周囲の空気が少し整うように感じる。

「レオン様」

 近づいて声をかけると、彼が振り向いた。

「来ていたのか」
「ええ」

 マリアは隣に立つ。

「少し、変わってきています」
「聞こえたか」
「はい」

 レオンは短くうなずいた。

「予定通りだ」
「……やはり、こうなるのですね」
「ああ。あの男は、同じ話を長く保てるタイプではない」

 冷静な言い方だった。

「言い訳を重ねれば、どこかで辻褄が取れなくなる」

「それを周囲が拾い始める」

 マリアは回廊を見渡した。

 人々は静かに歩いている。だがその中で、言葉は確かに行き交っている。
目に見えない流れが、少しずつ向きを変えている。

「では、まだ……」
「まだ動かない方が、良い」

 レオンははっきり言った。

「今は疑いの段階だ」
「ここで証拠を出せば、向こうは準備していたと言い逃れる」
「……」
「もう一歩、崩させる」

 マリアは小さく息をのんだ。

 静かだ。
 でも、確実に進んでいる。

 これまでの三年間は、ただ耐える時間だった。
 けれど今は違う。
 待つことが、次につながっている。

「不安か」

 レオンが問う。

「少しだけ」
「それでいい」

 彼は視線を前に戻した。

「不安があるうちは、無駄に動かない」

 その言葉に、マリアはふっと力が抜けた。

 完璧でなくていい。
 揺れてもいい。
 それでも立っていればいい。

 それだけでいいのだと、何度も教えられている気がした。



 帰りの馬車の中、リサがぽつりと言った。

「お嬢様、今日は……少し違いましたね」

「何が?」

「皆様の見方が」

 マリアは窓の外を見た。
 夕暮れの王都が、ゆっくりと流れていく。

「ええ」

 静かに答える。

「変わり始めているわ」

 完全ではない。
 まだ噂は残っている。
 けれど、信じ方が変わってきている。

 一方的に飲み込まれていた言葉が、今は疑われ、比べられ、測られている。

「時間は、かかりますね」

 リサの言葉に、マリアはうなずいた。

「でも、急ぐ必要はないわ」

 急げば、また同じになる。
 焦って動けば、相手の言葉に巻き込まれる。

 今は違う。
 もう、自分の足で立っている。

 屋敷の門が見えてきた頃、マリアは小さく息を吐いた。

 焦らなくていい。
 崩れる音は、もう向こうから聞こえてきているのだから。

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