王妃はただ、殺されないことを願う

柴田はつみ

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第7章:宰相の影

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宰相ヴァイスの執務室は、国王の部屋とは対照的に、寸分の乱れも許さぬほど整然としていた。磨き抜かれた大理石の床には一片の埃もなく、朝の光が冷ややかな艶を帯びて反射している。

早朝、ヴァイスは昨夜の禁書庫警備を担当した下級官吏からの報告を聞いていた。

「……王妃様は夜明け前に退出されました。滞在中は、特定の書架――とりわけ古文書の区画に長時間おられました」

ヴァイスは金色の印章を嵌めた手を組み、無表情のままゆっくりと指先で印章を回す。その瞳の奥には、鋭い計算と、否定しがたい苛立ちの影が浮かんでいた。

(王妃が古文書だと? まさか。あの隣国の娘が、王家の歴史に興味を抱くはずがない)

ヴァイスはリリアナを、愛らしいが頭の弱い──便利なお飾りだと見なしていた。その無害さこそが、自身の陰謀を推し進めるための最大の利点であったはずだ。

だが、禁書庫。そして“呪い”に関わる文献に触れたという事実は、あまりにも看過しがたかった。

ヴァイスはすぐに命じた。

「王妃が手を触れた書架をすべて点検せよ。特に、王家の『呪い』、隣国との条約史に異変がないか入念に確認しろ。……誰にも悟らせるな」



婚礼後しばらく、アレス王は王妃に溺れ、政務に集中できぬほどであった。
その偏った愛情を利用し、ヴァイスはリリアナを宮廷内で孤立させ、冬至の夜会での処断へ向けて巧妙に土台を築いていた。

しかし──最近の王妃の態度は、彼にとっても予測不能だった。

必要以上の礼儀、夫への愛情の気配の消失。
そして、王妃の務めを盾にした禁書庫への立ち入り。

(まるで国王を“監視”しているようではないか……いや、処断の運命を悟り、反撃の糸口を探っている可能性もある)

さらにヴァイスの思考は別の可能性へと踏み込んだ。

(あるいは──隣国が彼女を“ただの生贄”ではなく、アルカディアの弱点を暴くための密偵として送り込んだのか)

王妃の冷徹さは、隠されていた本性の兆候なのかもしれない。



ヴァイスは机の奥から、厳重に封じられた極秘の通信記録を取り出した。
そこには、隣国の使者とアルカディア王国の**《藍晶石(らんしょうせき)》**の採掘権を巡る裏取引の詳細が記されている。

リリアナの処断は、この巨大な取引を覆い隠すための“煙幕”にすぎない。
王妃の「呪いの血」による混乱を利用し、隣国が資源を横取りする計画だった。

「王妃ごときに、壮大な計画を狂わされるわけにはいかぬ」

ヴァイスは低く呟き、静かに書類を閉じた。



ヴァイスは侍従を呼び、二つの命令を下した。

一、監視の強化。
王妃の侍女マルグリット、老騎士ゼオンを含む王宮警備に
「王妃の健康管理」を名目とした密やかな監視を徹底させる。
特にリリアナが外部と接触する兆候は、即座に報告させる。

二、情報の撹乱。
禁書庫で王妃が興味を示した古文書や病の記録とは無関係な“偽情報”を宮廷内に流し、王妃の注意を逸らす罠を張る。

ヴァイスの冷静な策動は、皮肉にも──
必死に“生き延びよう”とするリリアナを、また一歩、冬至の夜会の悲劇へと追い詰めていくのだった。
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