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第四章 決別の影
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エレオノーラ侯爵令嬢が私に微笑みかけてから、数日が過ぎた。
あの夜の社交界での出来事は、未だに胸をざわつかせる。
「本当に、わたくしでよかったのですか──」
馬車の中で口にしてしまった言葉が耳に残る。アレクシスは「くだらない」と一蹴した。
けれどその声には苛立ちと、どこか焦燥のような響きがあった。
(私には、理解できない。彼が何を思っているのか……)
胸に残るのは、やはりあの夜の囁き。
“あんな地味女──”
あれが真実。私は望まれた妻ではない。
ある日の午後、私は庭園の鈴蘭を見つめていた。
小さく、可憐で、控えめな花。自分を見ているようで、胸が苦しくなる。
そこへ足音が近づき、アレクシスの声が響いた。
「ここにいたのか」
「はい。……庭があまりに美しくて」
「気に入ったのなら、好きに使えばいい」
彼はそう言って、私の隣に立った。
銀の髪が陽を反射してきらめき、目を合わせると息が止まりそうになる。
「君は……花が似合う」
「……え?」
「鈴蘭も、白百合も。どちらも君にふさわしい」
一瞬、頬が熱くなる。けれど、信じられなかった。
「……お世辞は要りません」
「お世辞ではない」
「いいえ。私は地味ですから」
私の言葉に、彼は苛立ったように眉を寄せた。
「またそれか」
「事実です」
「事実ではない」
きっぱりと否定する声。けれど、私は笑えなかった。
(だったら、なぜ“あんな地味女”なんて……)
胸に広がる棘は抜けないまま、私は口を閉ざした。
数日後、思いがけない知らせが舞い込んだ。
エレオノーラ侯爵令嬢が、公爵邸を訪問するというのだ。
「なぜ彼女が……?」
問いかける私に、侍女マリーが小声で答えた。
「どうやら慈善事業の件で、公爵さまに相談があるそうです」
「慈善……」
理由はもっともらしい。だが社交界の噂は残酷だ。
「やはり側室の座を狙っているのでは」と、あちこちで囁かれていると聞けば、胸は穏やかではいられない。
応接室に現れたエレオノーラは、まばゆいほどに美しかった。
薔薇色のドレスに身を包み、笑顔を絶やさず、公爵に向かって優雅に頭を下げる。
「アレクシスさま。お招きいただき光栄ですわ」
「招いた覚えはない。だが話は聞こう」
冷ややかな声。けれど彼の視線は真っ直ぐで、彼女を拒絶する色はなかった。
私の胸はざわつき、手に汗が滲む。
「慈善のために孤児院へ寄付を、と考えておりますの。ですが、後援者の協力が必要でして……」
「検討しよう」
「まあ! ありがとうございます」
彼女の喜ぶ笑顔に、私はますます小さくなった気がした。
控えめに同席していた私に、エレオノーラがにっこりと笑いかける。
「奥さまも、ぜひご一緒に。女性の手が加われば、慈善事業もより豊かになりますわ」
「……ありがとうございます」
表面だけの笑みを返す。
(彼女のような人こそ、公爵の隣にふさわしい……)
その夜。
寝所で本を開いても、文字は頭に入ってこなかった。扉の向こうから足音がして、彼が入ってくる。
「……眠れないのか」
「はい。少しだけ」
「エレオノーラの件か」
ぎくりとする。彼は見抜いていた。
「気にする必要はない」
「ですが……皆さまが、公爵さまと彼女を結びつけて語っています」
「くだらない」
「でも──」
「リゼット」
低く名前を呼ばれ、視線を絡められる。
その瞳に、確かな熱を感じた。
「私が隣にいるのは、君だ。他の誰でもない」
「……っ」
胸が震える。けれど、信じてはいけない。
私は静かに笑みを作った。
「ありがとうございます。でも、わたくしは……必要だから選ばれただけでしょう?」
沈黙。
彼の唇がかすかに開きかけ、また閉じる。
そして、押し殺した声が零れた。
「……どうしても、そう思いたいのか」
「え?」
「君は、自分の価値を信じられないのか」
問いかけに、言葉が出ない。
やがて彼は諦めたように目を伏せた。
「もう休め」
それだけ告げ、部屋を出ていく背中。
扉が閉まった瞬間、私は堪えていた涙をこぼした。
(一年だけ……それでいい。わたしは望まれぬ妻。だから、心を許してはいけない)
鈴蘭のブローチを握りしめながら、私は決意を固める。
──一年後、必ず去るのだと。
あの夜の社交界での出来事は、未だに胸をざわつかせる。
「本当に、わたくしでよかったのですか──」
馬車の中で口にしてしまった言葉が耳に残る。アレクシスは「くだらない」と一蹴した。
けれどその声には苛立ちと、どこか焦燥のような響きがあった。
(私には、理解できない。彼が何を思っているのか……)
胸に残るのは、やはりあの夜の囁き。
“あんな地味女──”
あれが真実。私は望まれた妻ではない。
ある日の午後、私は庭園の鈴蘭を見つめていた。
小さく、可憐で、控えめな花。自分を見ているようで、胸が苦しくなる。
そこへ足音が近づき、アレクシスの声が響いた。
「ここにいたのか」
「はい。……庭があまりに美しくて」
「気に入ったのなら、好きに使えばいい」
彼はそう言って、私の隣に立った。
銀の髪が陽を反射してきらめき、目を合わせると息が止まりそうになる。
「君は……花が似合う」
「……え?」
「鈴蘭も、白百合も。どちらも君にふさわしい」
一瞬、頬が熱くなる。けれど、信じられなかった。
「……お世辞は要りません」
「お世辞ではない」
「いいえ。私は地味ですから」
私の言葉に、彼は苛立ったように眉を寄せた。
「またそれか」
「事実です」
「事実ではない」
きっぱりと否定する声。けれど、私は笑えなかった。
(だったら、なぜ“あんな地味女”なんて……)
胸に広がる棘は抜けないまま、私は口を閉ざした。
数日後、思いがけない知らせが舞い込んだ。
エレオノーラ侯爵令嬢が、公爵邸を訪問するというのだ。
「なぜ彼女が……?」
問いかける私に、侍女マリーが小声で答えた。
「どうやら慈善事業の件で、公爵さまに相談があるそうです」
「慈善……」
理由はもっともらしい。だが社交界の噂は残酷だ。
「やはり側室の座を狙っているのでは」と、あちこちで囁かれていると聞けば、胸は穏やかではいられない。
応接室に現れたエレオノーラは、まばゆいほどに美しかった。
薔薇色のドレスに身を包み、笑顔を絶やさず、公爵に向かって優雅に頭を下げる。
「アレクシスさま。お招きいただき光栄ですわ」
「招いた覚えはない。だが話は聞こう」
冷ややかな声。けれど彼の視線は真っ直ぐで、彼女を拒絶する色はなかった。
私の胸はざわつき、手に汗が滲む。
「慈善のために孤児院へ寄付を、と考えておりますの。ですが、後援者の協力が必要でして……」
「検討しよう」
「まあ! ありがとうございます」
彼女の喜ぶ笑顔に、私はますます小さくなった気がした。
控えめに同席していた私に、エレオノーラがにっこりと笑いかける。
「奥さまも、ぜひご一緒に。女性の手が加われば、慈善事業もより豊かになりますわ」
「……ありがとうございます」
表面だけの笑みを返す。
(彼女のような人こそ、公爵の隣にふさわしい……)
その夜。
寝所で本を開いても、文字は頭に入ってこなかった。扉の向こうから足音がして、彼が入ってくる。
「……眠れないのか」
「はい。少しだけ」
「エレオノーラの件か」
ぎくりとする。彼は見抜いていた。
「気にする必要はない」
「ですが……皆さまが、公爵さまと彼女を結びつけて語っています」
「くだらない」
「でも──」
「リゼット」
低く名前を呼ばれ、視線を絡められる。
その瞳に、確かな熱を感じた。
「私が隣にいるのは、君だ。他の誰でもない」
「……っ」
胸が震える。けれど、信じてはいけない。
私は静かに笑みを作った。
「ありがとうございます。でも、わたくしは……必要だから選ばれただけでしょう?」
沈黙。
彼の唇がかすかに開きかけ、また閉じる。
そして、押し殺した声が零れた。
「……どうしても、そう思いたいのか」
「え?」
「君は、自分の価値を信じられないのか」
問いかけに、言葉が出ない。
やがて彼は諦めたように目を伏せた。
「もう休め」
それだけ告げ、部屋を出ていく背中。
扉が閉まった瞬間、私は堪えていた涙をこぼした。
(一年だけ……それでいい。わたしは望まれぬ妻。だから、心を許してはいけない)
鈴蘭のブローチを握りしめながら、私は決意を固める。
──一年後、必ず去るのだと。
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