冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ

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第六章 冷たい距離、熱い想い

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 晩餐会の翌朝。雨は上がったものの、胸の中の曇りは消えなかった。
 鏡の前で髪を梳きながら、私は無理やり微笑を作ってみせる。けれど、その笑みは自分でもぎこちいと分かるほど頼りなかった。

 鈴蘭のブローチを手に取る。昨夜、エレオノーラの耳を飾っていた銀の髪飾りが脳裏をよぎり、心がざわつく。
(やっぱり、あの人こそ……公爵にふさわしいのだわ)

 扉を叩く音に振り向くと、アレクシスが立っていた。
「入っていいか」
「……はい」

 彼は私の前に歩み寄ると、唐突に言った。
「昨夜のことだが、誤解だ」
「誤解……?」
「慈善品の髪飾りは、君に渡すつもりだった」
「……わたくしに?」

 心臓が一瞬だけ跳ねる。けれど次には、冷静な自分が囁いた。
(そうだとしても、結局は別の人の耳を飾った……)

「でも、実際に身に着けていたのはエレオノーラ侯爵令嬢でした」
「私の指示ではない。……誰かが手を回したのだろう」
「それでも、皆さまの目には“お似合い”と映りました」

 口にした途端、胸の奥がきりきりと痛む。
 アレクシスは眉間に皺を寄せ、低く吐き捨てた。
「くだらん……」

 その声の硬さに怯えて、私は言葉を引っ込めた。
 彼は何かを言いたげだったが、結局は背を向けて去ってしまう。

(やっぱり……わたしと彼の間には、距離がある)

     

 その日、私は庭園に出て花壇の世話をした。泥で手を汚すと、心が少し落ち着いた。
 けれど背後から声が飛ぶ。

「まあ、奥さまが庭仕事なんて」

 エレオノーラがいつの間にか立っていた。薔薇色の衣をまとい、優雅に扇を広げる。
「可憐な方が土に触れると、花が霞んでしまいますわ」
「……お花は好きですから」
「そうでしょうね。けれど──アレクシスさまは、もっと華やかに咲く花をお望みかもしれませんわよ?」

 挑発めいた微笑。私は返す言葉を失った。
 彼女はさらに近づき、囁く。
「公爵さまは、私を昔からよくご存じなの。だから私が隣に立つ姿を、人々は自然に受け入れるでしょう」
「……」
「奥さまは一年のうちに、皆さまの記憶からすぐに消えてしまうかもしれませんわね」

 胸に突き刺さる言葉。
 けれど私は微笑で覆い隠した。
「そのほうが、きっと皆さまにとっても幸せでしょう」

 扇の向こうで、エレオノーラが目を細める。
「まあ……潔いこと」

     

 その夜。執務室で彼と再び顔を合わせた。
 書類に視線を落としたまま、彼は言う。
「孤児院への寄付は予定どおりに進める。……君の名前も記録に残す」
「私の……名前を?」
「ああ。君の働きだ」

 一瞬、胸が温かくなる。けれど、すぐに冷静な声が囁く。
(名前だけ。形式だけ。私は望まれてはいない)

 黙り込む私に、彼が顔を上げた。
「何か言いたいことがあるなら、言え」
「……いえ。私はただ、務めを果たすだけですから」

 彼の表情が曇る。椅子を軋ませ、立ち上がると私の前に歩み寄る。
「リゼット。君は、なぜそんなに自分を卑下する」
「卑下などしておりません。事実を言っているだけです」
「事実ではない」
「……」

 低い声が胸に刺さる。
 彼の瞳は真剣そのもので、なぜか私を苦しめた。

「私の言葉は、信じられないのか」
「……信じたいです」
「ならば──」
「けれど、信じれば傷つきます」

 思わず零れた言葉に、自分でも驚いた。
 アレクシスが唇を噛む。
「……そんなことはさせない」
「いいえ、もう傷ついています」

 沈黙。
 やがて彼は視線を逸らし、扉のほうへ歩いていった。

「……いつか、分かる時が来る」

 背中に残されたその言葉が、余計に胸を痛める。

     

 寝所に戻り、鈴蘭のブローチを外す。
 白い花の形が、涙で滲んで見えた。

(一年だけ──それでいい)

 胸の奥で、再び誓う。
 アレクシスの不器用な優しさは、甘くて苦い毒。信じれば必ず傷つく。
 だから私は、距離を守らなくてはいけない。

 静かな寝室で、私は枕に顔を埋め、声のない涙を流した。
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