6 / 14
第六章 冷たい距離、熱い想い
しおりを挟む
晩餐会の翌朝。雨は上がったものの、胸の中の曇りは消えなかった。
鏡の前で髪を梳きながら、私は無理やり微笑を作ってみせる。けれど、その笑みは自分でもぎこちいと分かるほど頼りなかった。
鈴蘭のブローチを手に取る。昨夜、エレオノーラの耳を飾っていた銀の髪飾りが脳裏をよぎり、心がざわつく。
(やっぱり、あの人こそ……公爵にふさわしいのだわ)
扉を叩く音に振り向くと、アレクシスが立っていた。
「入っていいか」
「……はい」
彼は私の前に歩み寄ると、唐突に言った。
「昨夜のことだが、誤解だ」
「誤解……?」
「慈善品の髪飾りは、君に渡すつもりだった」
「……わたくしに?」
心臓が一瞬だけ跳ねる。けれど次には、冷静な自分が囁いた。
(そうだとしても、結局は別の人の耳を飾った……)
「でも、実際に身に着けていたのはエレオノーラ侯爵令嬢でした」
「私の指示ではない。……誰かが手を回したのだろう」
「それでも、皆さまの目には“お似合い”と映りました」
口にした途端、胸の奥がきりきりと痛む。
アレクシスは眉間に皺を寄せ、低く吐き捨てた。
「くだらん……」
その声の硬さに怯えて、私は言葉を引っ込めた。
彼は何かを言いたげだったが、結局は背を向けて去ってしまう。
(やっぱり……わたしと彼の間には、距離がある)
その日、私は庭園に出て花壇の世話をした。泥で手を汚すと、心が少し落ち着いた。
けれど背後から声が飛ぶ。
「まあ、奥さまが庭仕事なんて」
エレオノーラがいつの間にか立っていた。薔薇色の衣をまとい、優雅に扇を広げる。
「可憐な方が土に触れると、花が霞んでしまいますわ」
「……お花は好きですから」
「そうでしょうね。けれど──アレクシスさまは、もっと華やかに咲く花をお望みかもしれませんわよ?」
挑発めいた微笑。私は返す言葉を失った。
彼女はさらに近づき、囁く。
「公爵さまは、私を昔からよくご存じなの。だから私が隣に立つ姿を、人々は自然に受け入れるでしょう」
「……」
「奥さまは一年のうちに、皆さまの記憶からすぐに消えてしまうかもしれませんわね」
胸に突き刺さる言葉。
けれど私は微笑で覆い隠した。
「そのほうが、きっと皆さまにとっても幸せでしょう」
扇の向こうで、エレオノーラが目を細める。
「まあ……潔いこと」
その夜。執務室で彼と再び顔を合わせた。
書類に視線を落としたまま、彼は言う。
「孤児院への寄付は予定どおりに進める。……君の名前も記録に残す」
「私の……名前を?」
「ああ。君の働きだ」
一瞬、胸が温かくなる。けれど、すぐに冷静な声が囁く。
(名前だけ。形式だけ。私は望まれてはいない)
黙り込む私に、彼が顔を上げた。
「何か言いたいことがあるなら、言え」
「……いえ。私はただ、務めを果たすだけですから」
彼の表情が曇る。椅子を軋ませ、立ち上がると私の前に歩み寄る。
「リゼット。君は、なぜそんなに自分を卑下する」
「卑下などしておりません。事実を言っているだけです」
「事実ではない」
「……」
低い声が胸に刺さる。
彼の瞳は真剣そのもので、なぜか私を苦しめた。
「私の言葉は、信じられないのか」
「……信じたいです」
「ならば──」
「けれど、信じれば傷つきます」
思わず零れた言葉に、自分でも驚いた。
アレクシスが唇を噛む。
「……そんなことはさせない」
「いいえ、もう傷ついています」
沈黙。
やがて彼は視線を逸らし、扉のほうへ歩いていった。
「……いつか、分かる時が来る」
背中に残されたその言葉が、余計に胸を痛める。
寝所に戻り、鈴蘭のブローチを外す。
白い花の形が、涙で滲んで見えた。
(一年だけ──それでいい)
胸の奥で、再び誓う。
アレクシスの不器用な優しさは、甘くて苦い毒。信じれば必ず傷つく。
だから私は、距離を守らなくてはいけない。
静かな寝室で、私は枕に顔を埋め、声のない涙を流した。
鏡の前で髪を梳きながら、私は無理やり微笑を作ってみせる。けれど、その笑みは自分でもぎこちいと分かるほど頼りなかった。
鈴蘭のブローチを手に取る。昨夜、エレオノーラの耳を飾っていた銀の髪飾りが脳裏をよぎり、心がざわつく。
(やっぱり、あの人こそ……公爵にふさわしいのだわ)
扉を叩く音に振り向くと、アレクシスが立っていた。
「入っていいか」
「……はい」
彼は私の前に歩み寄ると、唐突に言った。
「昨夜のことだが、誤解だ」
「誤解……?」
「慈善品の髪飾りは、君に渡すつもりだった」
「……わたくしに?」
心臓が一瞬だけ跳ねる。けれど次には、冷静な自分が囁いた。
(そうだとしても、結局は別の人の耳を飾った……)
「でも、実際に身に着けていたのはエレオノーラ侯爵令嬢でした」
「私の指示ではない。……誰かが手を回したのだろう」
「それでも、皆さまの目には“お似合い”と映りました」
口にした途端、胸の奥がきりきりと痛む。
アレクシスは眉間に皺を寄せ、低く吐き捨てた。
「くだらん……」
その声の硬さに怯えて、私は言葉を引っ込めた。
彼は何かを言いたげだったが、結局は背を向けて去ってしまう。
(やっぱり……わたしと彼の間には、距離がある)
その日、私は庭園に出て花壇の世話をした。泥で手を汚すと、心が少し落ち着いた。
けれど背後から声が飛ぶ。
「まあ、奥さまが庭仕事なんて」
エレオノーラがいつの間にか立っていた。薔薇色の衣をまとい、優雅に扇を広げる。
「可憐な方が土に触れると、花が霞んでしまいますわ」
「……お花は好きですから」
「そうでしょうね。けれど──アレクシスさまは、もっと華やかに咲く花をお望みかもしれませんわよ?」
挑発めいた微笑。私は返す言葉を失った。
彼女はさらに近づき、囁く。
「公爵さまは、私を昔からよくご存じなの。だから私が隣に立つ姿を、人々は自然に受け入れるでしょう」
「……」
「奥さまは一年のうちに、皆さまの記憶からすぐに消えてしまうかもしれませんわね」
胸に突き刺さる言葉。
けれど私は微笑で覆い隠した。
「そのほうが、きっと皆さまにとっても幸せでしょう」
扇の向こうで、エレオノーラが目を細める。
「まあ……潔いこと」
その夜。執務室で彼と再び顔を合わせた。
書類に視線を落としたまま、彼は言う。
「孤児院への寄付は予定どおりに進める。……君の名前も記録に残す」
「私の……名前を?」
「ああ。君の働きだ」
一瞬、胸が温かくなる。けれど、すぐに冷静な声が囁く。
(名前だけ。形式だけ。私は望まれてはいない)
黙り込む私に、彼が顔を上げた。
「何か言いたいことがあるなら、言え」
「……いえ。私はただ、務めを果たすだけですから」
彼の表情が曇る。椅子を軋ませ、立ち上がると私の前に歩み寄る。
「リゼット。君は、なぜそんなに自分を卑下する」
「卑下などしておりません。事実を言っているだけです」
「事実ではない」
「……」
低い声が胸に刺さる。
彼の瞳は真剣そのもので、なぜか私を苦しめた。
「私の言葉は、信じられないのか」
「……信じたいです」
「ならば──」
「けれど、信じれば傷つきます」
思わず零れた言葉に、自分でも驚いた。
アレクシスが唇を噛む。
「……そんなことはさせない」
「いいえ、もう傷ついています」
沈黙。
やがて彼は視線を逸らし、扉のほうへ歩いていった。
「……いつか、分かる時が来る」
背中に残されたその言葉が、余計に胸を痛める。
寝所に戻り、鈴蘭のブローチを外す。
白い花の形が、涙で滲んで見えた。
(一年だけ──それでいい)
胸の奥で、再び誓う。
アレクシスの不器用な優しさは、甘くて苦い毒。信じれば必ず傷つく。
だから私は、距離を守らなくてはいけない。
静かな寝室で、私は枕に顔を埋め、声のない涙を流した。
556
あなたにおすすめの小説
三年の想いは小瓶の中に
月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。
※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
身代わりの恋だと思っていました〜記憶を失った私に、元婚約者が泣いて縋る理由〜
恋せよ恋
恋愛
「君を愛している。一目惚れだったんだ」
18歳の伯爵令嬢エリカは、9歳年上のリヒャルト伯爵から
情熱的な求婚を受け、幸せの絶頂にいた。
しかし、親族顔合わせの席で運命が狂い出す。
彼の視線の先にいたのは、エリカの伯母であり、
彼の学生時代の恋人で「初めての女性」だった……ミレイユ。
「あの子は私の身代わりでしょう」「私はあなただけなの」
伯母ミレイユの甘い誘惑と、裏切りの密会。
衝撃の事実を目撃したエリカは、階段から転落し、
彼と過ごした愛しくも残酷な二年間の記憶だけを失ってしまう。
「……あの、どちら様でしょうか?」
無垢な瞳で問いかけるエリカに、絶望し泣き崩れるリヒャルト。
裏切った男と、略奪を企てた伯母。
二人に待ち受けるのは、甘い報復と取り返しのつかない後悔だった。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!
花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」
婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。
追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。
しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。
夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。
けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。
「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」
フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。
しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!?
「離縁する気か? 許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」
凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。
孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス!
※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。
【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】
余命わずかな私は、好きな人に愛を伝えて素っ気なくあしらわれる日々を楽しんでいる
ラム猫
恋愛
王城の図書室で働くルーナは、見た目には全く分からない特殊な病により、余命わずかであった。悲観はせず、彼女はかねてより憧れていた冷徹な第一騎士団長アシェンに毎日愛を告白し、彼の困惑した反応を見ることを最後の人生の楽しみとする。アシェンは一貫してそっけない態度を取り続けるが、ルーナのひたむきな告白は、彼の無関心だった心に少しずつ波紋を広げていった。
※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも同じ作品を投稿しています
※全十七話で完結の予定でしたが、勝手ながら二話ほど追加させていただきます。公開は同時に行うので、完結予定日は変わりません。本編は十五話まで、その後は番外編になります。
もう演じなくて結構です
梨丸
恋愛
侯爵令嬢セリーヌは最愛の婚約者が自分のことを愛していないことに気づく。
愛しの婚約者様、もう婚約者を演じなくて結構です。
11/5HOTランキング入りしました。ありがとうございます。
感想などいただけると、嬉しいです。
11/14 完結いたしました。
11/16 完結小説ランキング総合8位、恋愛部門4位ありがとうございます。
【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています
22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」
そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。
理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。
(まあ、そんな気はしてました)
社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。
未練もないし、王宮に居続ける理由もない。
だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。
これからは自由に静かに暮らそう!
そう思っていたのに――
「……なぜ、殿下がここに?」
「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」
婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!?
さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。
「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」
「いいや、俺の妻になるべきだろう?」
「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる