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第14章「囁かれる噂」
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春の朝。学園の石畳を歩く足取りは重い。
昇降口を抜けた途端、耳に飛び込んでくるのはやはり自分の名前だった。
「聞いた? バルモント嬢がまた男子生徒に声をかけられてたって」
「でも断ったんでしょう? ……形だけよ。きっと裏で繋がってるのよ」
「ほら、公爵様に取り入るために」
笑い混じりの囁きが背中に突き刺さる。
リリアナは顔を伏せ、教室へ急いだ。
(わたくしは……何もしていない。なのに、どうして)
机に座れば、隣の席の少女がわざとらしく椅子を引き、距離を取る。
胸がひどく軋んだ。
昼休み。
食堂の長机では、ミリアが友人たちに囲まれて笑顔を振りまいていた。
その姿は春の日差しのように眩しい。
無邪気に笑う彼女の声が、自然と耳に届いてしまう。
「アルベルト公爵様って、実はとてもお優しい方なんですね」
「そうなの? あの冷酷公爵が?」
「はい、先日の講義で助けてくださったんです。とても親切に」
生徒たちの間に驚きと感嘆の声が広がる。
やがて誰かが口にした。
「でも、公爵様の婚約者は……」
「最近あまり仲が良くないらしいじゃない」
「むしろ邪魔してるって噂よ」
その瞬間、食堂の視線が一斉にリリアナへと集まった。
彼女は俯き、そっとナイフとフォークを置いた。
(どうして……。わたくしが黙っているだけで、敵意を向けられるの?)
胸が苦しくなり、席を立った。
廊下に出ると、ミリアが小走りで追いかけてきた。
「リリアナ様!」
振り返ると、彼女の大きな瞳が真剣に揺れている。
「最近、噂がいろいろ広がってしまっていますけれど……気にしなくていいんです。皆さん、誤解しているだけですから」
優しい声音。
慰めのつもりだと分かっている。
けれど、リリアナの心は逆に締めつけられた。
(……あなたにそう言われると、余計に惨めになるの)
笑顔を作り、静かに首を振った。
「ご心配ありがとう。でも……本当に大丈夫ですわ」
そう答えるしかなかった。
だが廊下の端で見ていた令嬢たちが、またも囁く。
「ほら、冷たいじゃない」
「ヒロインを拒絶してるのね」
その声に、ミリアも困ったように眉を曇らせた。
リリアナの胸はさらに痛み、思わず足を速めた。
放課後。
校門を出たところで、再び男子生徒に呼び止められる。
「バルモント嬢。誤解されているのはお気の毒だと思います。もしよければ、少しお話を――」
慌てて首を振った。
「結構ですわ。どうか、これ以上わたくしに関わらないでください」
はっきりと拒絶したその瞬間。
「リリアナ」
冷たい声が背後から響いた。
振り返れば、アルベルトが立っていた。
銀糸の髪が夕陽を浴びて光り、氷のような瞳が男子生徒を射抜いている。
「彼女に近づくな。……俺の婚約者だ」
その迫力に、男子生徒は蒼白になって逃げ去った。
残された沈黙が重くのしかかる。
「……アルベルト様」
「不用意に隙を見せるな。噂は広がる一方だ」
叱責の声。
だが、それは嫉妬の裏返しにも聞こえてしまう。
「わたくしは……裏切ったりなどしていません」
「知っている。だが周囲はそうは思わない。……それが苛立つ」
アルベルトの低い声音に、胸が大きく揺れた。
信じてはいけないのに、心が救われてしまう。
(……駄目。惹かれてはいけないのに)
リリアナは俯き、震える手を胸に押し当てた。
夜。
屋敷の窓辺に立ち、街の灯を眺める。
今日一日だけでも、何度「噂」という言葉を聞いただろう。
裏切り、不釣り合い、嫉妬。
そのすべてがリリアナを孤立させ、破滅へ追い込もうとしている。
「……わたくしは、どうすれば」
誰もいない部屋に、か細い声が溶けていく。
涙が頬を伝い、月明かりに煌めいた。
囁かれる噂は、彼女の運命をじわじわと絡め取り、逃れられない鎖へと変わりつつあった。
昇降口を抜けた途端、耳に飛び込んでくるのはやはり自分の名前だった。
「聞いた? バルモント嬢がまた男子生徒に声をかけられてたって」
「でも断ったんでしょう? ……形だけよ。きっと裏で繋がってるのよ」
「ほら、公爵様に取り入るために」
笑い混じりの囁きが背中に突き刺さる。
リリアナは顔を伏せ、教室へ急いだ。
(わたくしは……何もしていない。なのに、どうして)
机に座れば、隣の席の少女がわざとらしく椅子を引き、距離を取る。
胸がひどく軋んだ。
昼休み。
食堂の長机では、ミリアが友人たちに囲まれて笑顔を振りまいていた。
その姿は春の日差しのように眩しい。
無邪気に笑う彼女の声が、自然と耳に届いてしまう。
「アルベルト公爵様って、実はとてもお優しい方なんですね」
「そうなの? あの冷酷公爵が?」
「はい、先日の講義で助けてくださったんです。とても親切に」
生徒たちの間に驚きと感嘆の声が広がる。
やがて誰かが口にした。
「でも、公爵様の婚約者は……」
「最近あまり仲が良くないらしいじゃない」
「むしろ邪魔してるって噂よ」
その瞬間、食堂の視線が一斉にリリアナへと集まった。
彼女は俯き、そっとナイフとフォークを置いた。
(どうして……。わたくしが黙っているだけで、敵意を向けられるの?)
胸が苦しくなり、席を立った。
廊下に出ると、ミリアが小走りで追いかけてきた。
「リリアナ様!」
振り返ると、彼女の大きな瞳が真剣に揺れている。
「最近、噂がいろいろ広がってしまっていますけれど……気にしなくていいんです。皆さん、誤解しているだけですから」
優しい声音。
慰めのつもりだと分かっている。
けれど、リリアナの心は逆に締めつけられた。
(……あなたにそう言われると、余計に惨めになるの)
笑顔を作り、静かに首を振った。
「ご心配ありがとう。でも……本当に大丈夫ですわ」
そう答えるしかなかった。
だが廊下の端で見ていた令嬢たちが、またも囁く。
「ほら、冷たいじゃない」
「ヒロインを拒絶してるのね」
その声に、ミリアも困ったように眉を曇らせた。
リリアナの胸はさらに痛み、思わず足を速めた。
放課後。
校門を出たところで、再び男子生徒に呼び止められる。
「バルモント嬢。誤解されているのはお気の毒だと思います。もしよければ、少しお話を――」
慌てて首を振った。
「結構ですわ。どうか、これ以上わたくしに関わらないでください」
はっきりと拒絶したその瞬間。
「リリアナ」
冷たい声が背後から響いた。
振り返れば、アルベルトが立っていた。
銀糸の髪が夕陽を浴びて光り、氷のような瞳が男子生徒を射抜いている。
「彼女に近づくな。……俺の婚約者だ」
その迫力に、男子生徒は蒼白になって逃げ去った。
残された沈黙が重くのしかかる。
「……アルベルト様」
「不用意に隙を見せるな。噂は広がる一方だ」
叱責の声。
だが、それは嫉妬の裏返しにも聞こえてしまう。
「わたくしは……裏切ったりなどしていません」
「知っている。だが周囲はそうは思わない。……それが苛立つ」
アルベルトの低い声音に、胸が大きく揺れた。
信じてはいけないのに、心が救われてしまう。
(……駄目。惹かれてはいけないのに)
リリアナは俯き、震える手を胸に押し当てた。
夜。
屋敷の窓辺に立ち、街の灯を眺める。
今日一日だけでも、何度「噂」という言葉を聞いただろう。
裏切り、不釣り合い、嫉妬。
そのすべてがリリアナを孤立させ、破滅へ追い込もうとしている。
「……わたくしは、どうすれば」
誰もいない部屋に、か細い声が溶けていく。
涙が頬を伝い、月明かりに煌めいた。
囁かれる噂は、彼女の運命をじわじわと絡め取り、逃れられない鎖へと変わりつつあった。
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