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第十章 婚約内定の号外(マリナの情報操作)
しおりを挟む翌朝。
王都の新聞街に、まだ陽が昇りきらない頃。
印刷所の裏口では、少年給仕が包みを抱えて走っていた。
「急ぎで! “慈善夜会・記念図版”だってさ!」
「はいよ! 朝刊に差し込むんだな!」
だが、その包みの中にあるのは――
“慈善夜会の図版”ではなく、
**“偽りの密会を描いた影絵”**だった。
この包みが誰の指示で出されたか、
少年は知らない。
ただ、アイリスの香りが紙に残っていることだけが、違和感として胸に残った。
同じ頃、伯爵家ロズモンド邸の小書院。
マリナは朝靄の差す窓辺で、白いカップに口をつけていた。
侍女リディアがそっと新聞を差し出す。
「お嬢さま。……号外が出ました」
マリナは受け取り、紙を折り開く。
見出しには大きく――
『近衛騎士クリス卿、白薔薇の令嬢と“親密な場面”』
『護衛実演の裏で? 淑女との距離』
その横には、
昨夜写場で撮られた――
白の影と黒衣が寄り添って“見える”図版。
マリナは、ゆっくりと微笑んだ。
「……いいわね。
“真実”より、“語りたくなる影”のほうが、ずっと強い」
「お嬢さま、この記事……本当に大丈夫なのでしょうか」
リディアの声がわずかに震える。
「大丈夫というのは?」
「その……ヴァレンタイン嬢は……」
マリナは扇を閉じ、静かに言った。
「この世で最も強いのは、事実ではなく“物語”よ。
人は、きれいに整えられたものを信じる。
影の位置、鏡の継ぎ目、香り、座席――
すべて“信じるための形”を作ったのだから。」
言葉は甘く、刃は鋭い。
「それに、彼女自身が“沈黙する”でしょう。
――あの子は、弁解が苦手だから」
「……」
「黙れば“肯定”。
否定すれば“取り繕い”。
噂はどちらにも転ぶの。
面白いでしょう?」
リディアは息をのんだ。
これは策略ではなく――芸術だった。
王都の大通りでは、号外を手にした市民たちが声を上げていた。
「まぁ、あの白薔薇の令嬢? 近衛騎士と?」
「いえ、昨日の茶会でもずっと並んでいたらしくて」
「公爵閣下は……どう思ってるのかしらね」
「でも、あの影――ほら。
“愛し合ってる二人”にしか見えないわよ?」
人々が勝手に物語を作り始める。
マリナはその光景を、伯爵家の馬車窓から静かに眺めていた。
「ほらね。
私は“整えた”だけ。
物語を選ぶのは、人間だもの」
そこへ、侍女ルシアが駆け寄る。
「お嬢さま……っ、報道が……!」
「知っているわ。
――あなたは何も心配しなくていいの」
「でも……この影……ヴァレンタイン嬢と騎士殿が……」
「見えるでしょう?」
マリナは、穏やかに微笑む。
「大事なのは“似ているか”ではなく、“似て見えるか”。
――ね?」
ルシアは震える指で新聞を握った。
その震えに、マリナは気づいていた。
だが、あえて何も言わない。
(ほころびは、のちに“証言”になる。
でもそれも計算済み)
彼女はそう確信していた。
その頃、公爵邸では――
カルロスが新聞を見て拳を固く握り締めていた。
(……シャーロット……!
こんなものを……許さない)
怒りが胸を焼く。
だが同時に思う。
(俺が――遅れたからだ)
罪悪感と焦燥。
それこそがマリナの狙いだとは、彼はまだ知らない。
伯爵家に戻ったマリナは、扉を閉める前に一言ささやいた。
「――さあ、噂よ。
広がりなさい」
アイリスの香りが、冷たい風にふわりと揺れた。
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