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第十二章 剣と礼節の距離(クリス)
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王城の朝は早い。
近衛騎士クリス・グレイは、まだ冷たい空気の中を歩きながら、胸元の手袋を整えていた。
(……昨夜のこと。
あれは、きっと“誤解”になっている)
王都に広まった号外。
あの影絵の図版。
シャーロットが、どんな思いで読んだのかと想像すると、
胸が痛んで仕方ない。
(ヴァレンタイン嬢は……どんな顔をされただろう)
彼女は、自分の噂よりも周囲の迷惑を気にする人だ。
きっと、誰より苦しく感じているに違いない。
昼下がり。
王城の回廊で、クリスはようやく彼女の姿を見つけた。
通り雨のせいで、光は薄く揺れている。
シャーロットは濡れた石畳を避け、廊下で侍女と話していた。
(……よかった。お元気そうだ)
安堵しつつも、彼の視線は自然と“あるもの”へ向かってしまう。
――白い箱。
――薄紅の花束。
(……やはり持っている)
胸の奥がざわりと揺れた。
だが、それを顔にも声にも出さず、クリスはゆっくりと近づいた。
「ヴァレンタイン嬢。……少しよろしいでしょうか」
シャーロットの肩が、ふっと震えた。
それでも振り向いた彼女は、気まずそうに微笑む。
「クリス様……ごきげんよう」
「昨日の……夜会の件で。
ご迷惑をかけしてしまったかと……」
言いかけたところで、
シャーロットは小さく首を振った。
「わたしは……大丈夫です。
ただ……」
視線が、花束へ落ちる。
「誤解が広がらないよう……気をつけなくては、と思って」
(やはり……彼女は自分ではなく、“周り”を気にしている)
クリスの胸が、静かに締めつけられた。
「その……」
クリスは意を決して口を開く。
「その花束は……誰から?」
シャーロットは一瞬、言葉に詰まった。
「……それが、わからなくて。
名が書かれていなくて……」
「そう……ですか」
彼女は嘘をついている気配はない。
本当に知らないのだろう。
だがクリスの脳裏に冷たい予感が走る。
(もし……
誰かが意図的に“そう見えるように”したのだとしたら?)
昨夜の影、鏡、照度。
整いすぎた舞台。
クリスは静かに言う。
「……くれぐれも、お気をつけください。
ヴァレンタイン嬢。
“影”は、あなたの心まで揺らしてしまう」
シャーロットは、はっと息をのんだ。
「影……?」
「近衛としての私の助言です」
クリスは、礼節を崩さないまま言葉を続ける。
「影は、見る角度で形を変えます。
その影を、誰かが“物語”として使うことも、ある」
(本当はもっと強く言いたい。
“あなたを守りたい”と――
だが、それは言えない)
彼は騎士。
そして、彼女には“誰を想う人なのか”が、明らかに心にいる。
シャーロットが小さく尋ねる。
「クリス様は……わたしが困っていると……思われましたか?」
「……困っておられるように見えました」
その一言が、彼女の胸にすっと染みた。
(……この方は……どうしてこんなに……やさしいの?)
だが――
その優しさは、別の誤解を生む。
「ヴァレンタイン嬢」
クリスは深く頭を下げた。
「あなたの名誉を守るのは、近衛の責務です。
花束の件も、影の件も――
必ず調べます。
どうか……ご心配なさらず」
「クリス様……」
その誠実な姿を見たとき、
シャーロットの胸に罪悪感が生まれた。
(……わたし……誤解されている?
この優しさを……“特別な想い”と……
もし誰かに思われたら……)
彼女の顔色が薄く変わる。
クリスは気づく。
だが、それを誤って解釈してしまう。
(……やはり“あの図版”が……
嫌悪や不信を生んでしまっているのか)
「本当に……申し訳ありません」
深く礼をする。
距離は近いのに、心はまた遠くなる。
立ち去る前、クリスは小声で言った。
「……その花束。
“誰からか”がわかるまでは、温室に置いておいてください」
「……はい」
「そして……」
クリスは振り返らずに続けた。
「マリナ嬢とは……できる限り“距離”を」
「え……?」
「礼節と善意の仮面は、ときに……
最も鋭い刃になりますので」
その言葉は、
シャーロットの胸に不思議な冷たさを残した。
騎士の足音が遠ざかる。
残されたシャーロットは、
花束を抱えたまま静かに目を伏せた。
(……どうしよう。
わたし……誰にも聞けない)
温室の窓が揺れ、
一瞬だけ、薄紅の花弁が影を伸ばした。
近衛騎士クリス・グレイは、まだ冷たい空気の中を歩きながら、胸元の手袋を整えていた。
(……昨夜のこと。
あれは、きっと“誤解”になっている)
王都に広まった号外。
あの影絵の図版。
シャーロットが、どんな思いで読んだのかと想像すると、
胸が痛んで仕方ない。
(ヴァレンタイン嬢は……どんな顔をされただろう)
彼女は、自分の噂よりも周囲の迷惑を気にする人だ。
きっと、誰より苦しく感じているに違いない。
昼下がり。
王城の回廊で、クリスはようやく彼女の姿を見つけた。
通り雨のせいで、光は薄く揺れている。
シャーロットは濡れた石畳を避け、廊下で侍女と話していた。
(……よかった。お元気そうだ)
安堵しつつも、彼の視線は自然と“あるもの”へ向かってしまう。
――白い箱。
――薄紅の花束。
(……やはり持っている)
胸の奥がざわりと揺れた。
だが、それを顔にも声にも出さず、クリスはゆっくりと近づいた。
「ヴァレンタイン嬢。……少しよろしいでしょうか」
シャーロットの肩が、ふっと震えた。
それでも振り向いた彼女は、気まずそうに微笑む。
「クリス様……ごきげんよう」
「昨日の……夜会の件で。
ご迷惑をかけしてしまったかと……」
言いかけたところで、
シャーロットは小さく首を振った。
「わたしは……大丈夫です。
ただ……」
視線が、花束へ落ちる。
「誤解が広がらないよう……気をつけなくては、と思って」
(やはり……彼女は自分ではなく、“周り”を気にしている)
クリスの胸が、静かに締めつけられた。
「その……」
クリスは意を決して口を開く。
「その花束は……誰から?」
シャーロットは一瞬、言葉に詰まった。
「……それが、わからなくて。
名が書かれていなくて……」
「そう……ですか」
彼女は嘘をついている気配はない。
本当に知らないのだろう。
だがクリスの脳裏に冷たい予感が走る。
(もし……
誰かが意図的に“そう見えるように”したのだとしたら?)
昨夜の影、鏡、照度。
整いすぎた舞台。
クリスは静かに言う。
「……くれぐれも、お気をつけください。
ヴァレンタイン嬢。
“影”は、あなたの心まで揺らしてしまう」
シャーロットは、はっと息をのんだ。
「影……?」
「近衛としての私の助言です」
クリスは、礼節を崩さないまま言葉を続ける。
「影は、見る角度で形を変えます。
その影を、誰かが“物語”として使うことも、ある」
(本当はもっと強く言いたい。
“あなたを守りたい”と――
だが、それは言えない)
彼は騎士。
そして、彼女には“誰を想う人なのか”が、明らかに心にいる。
シャーロットが小さく尋ねる。
「クリス様は……わたしが困っていると……思われましたか?」
「……困っておられるように見えました」
その一言が、彼女の胸にすっと染みた。
(……この方は……どうしてこんなに……やさしいの?)
だが――
その優しさは、別の誤解を生む。
「ヴァレンタイン嬢」
クリスは深く頭を下げた。
「あなたの名誉を守るのは、近衛の責務です。
花束の件も、影の件も――
必ず調べます。
どうか……ご心配なさらず」
「クリス様……」
その誠実な姿を見たとき、
シャーロットの胸に罪悪感が生まれた。
(……わたし……誤解されている?
この優しさを……“特別な想い”と……
もし誰かに思われたら……)
彼女の顔色が薄く変わる。
クリスは気づく。
だが、それを誤って解釈してしまう。
(……やはり“あの図版”が……
嫌悪や不信を生んでしまっているのか)
「本当に……申し訳ありません」
深く礼をする。
距離は近いのに、心はまた遠くなる。
立ち去る前、クリスは小声で言った。
「……その花束。
“誰からか”がわかるまでは、温室に置いておいてください」
「……はい」
「そして……」
クリスは振り返らずに続けた。
「マリナ嬢とは……できる限り“距離”を」
「え……?」
「礼節と善意の仮面は、ときに……
最も鋭い刃になりますので」
その言葉は、
シャーロットの胸に不思議な冷たさを残した。
騎士の足音が遠ざかる。
残されたシャーロットは、
花束を抱えたまま静かに目を伏せた。
(……どうしよう。
わたし……誰にも聞けない)
温室の窓が揺れ、
一瞬だけ、薄紅の花弁が影を伸ばした。
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