『すり替えられた婚約、薔薇園の告白

柴田はつみ

文字の大きさ
15 / 51

第十五章 薔薇園の約束(シャーロット/カルロス)

しおりを挟む
 茶会が終わったあと。
 シャーロットは胸が苦しくて、伯爵邸の薔薇園に逃げ込んでいた。

 雨上がりの空気は冷たく、
 薄紅の薔薇がしっとり光っている。

(どうしよう……
 わたし、噂ばかり……
 カルロス様にも、迷惑……)

 胸の奥がきゅうっと締めつけられる。

 花束のことも“説明できない”。
 影の図版も“否定すれば苦しい”。
 何をどう言えば、正しいのか分からない。

 そのとき――

「……シャーロット」

 低く、少し掠れた声が背後から落ちた。

 振り返ると、カルロスが立っていた。
 見るからに苦しげで、眉間には深い溝が刻まれている。

「……カルロス様……」

 ほんの一瞬、
 安堵が彼女の胸に広がる。

 しかし、次の言葉が続かない。
 自分が“何を言えばいいか”わからなかった。



 沈黙が、薔薇の香りの中で長く漂った。

 先に口を開いたのはカルロスだった。

「……花束は、誰からだ」

 シャーロットは息を呑んだ。
 最も触れられたくなかったところ――そこから来た。

「わ、わかりません……名もなくて……」

「本当に……わからないのか?」

 声は静か。
 でもその奥に、揺らぐ怒りと焦りが混じっていた。

「そんな、カルロス様、わたしは……
 だれにも心を向けてなど……!」

「……じゃあ、どうして受け取った」

 その問いは、彼自身の胸を刺しているのに、
 自分でそれに気づいていない声だった。

 シャーロットは肩を震わせた。

「受け取ったわけじゃ……ないのです……
 気づいたら温室に届いていて……
 わたし、本当に……」

「嫌なら、断れたはずだ」

「違います……わたし……そんなこと……!」

 涙がこぼれそうになる。



 カルロスは彼女の前に歩み寄った。

「……シャーロット。
 昨日の影のことも……花束も……
 俺は、見ていて苦しい」

「……苦しい……?」

「当たり前だ。
 お前が……他の男と噂になることが……耐えられない」

 その声は、あまりにも不器用で、
 胸に直接ぶつかってきた。

(カルロス様……)

 少しだけ胸が温かくなる。

 けれど同時に、
 シャーロットの瞳が揺れた。

「……わたしのせい、ですか?」

「違う。
 ……そうじゃない。
 そうじゃないんだ、シャーロット」

 カルロスは言葉に詰まり、
 手を伸ばしかけ——止めた。

「俺は……
 お前が……あの影で……
 誰かと“並んで見える”ことが……嫌で……」

 苦しそうに目を伏せる。

「……嫉妬しているのかもしれない」

 その告白は、
 彼にとってほとんど“初めての本音”だった。



 シャーロットの頬が熱くなる。
 けれど、胸の奥の痛みは消えない。

(嫉妬……
 でも……カルロス様は……何も言ってくれなかったじゃない)

「カルロス様……
 わたし、ずっと……
 どんな噂が流れても……
 カルロス様を信じて……いたのに……」

「シャーロット……?」

「茶会で……“影は真実を映す”と言われて……
 誰も……否定してくれなくて……
 もう……わたし……どうしたらいいのか……!」

 涙がこぼれた。

 カルロスの心臓が大きく跳ねる。
 強く抱きしめたい。
 でも、それをしていいのか分からない。

「……泣くな。頼む……泣かないでくれ」

 その声があまりに苦しく、
 シャーロットはさらに泣いてしまう。



 カルロスはついに、一歩彼女へ踏み込んだ。

 震える声で言う。

「……シャーロット。
 俺は……お前の隣にいたい。
 ずっと……子どもの頃から……」

 その告白に、シャーロットの涙が止まりかけた。

 しかし――

「……なら、どうして言ってくれなかったの……?」

 その一言が、
 カルロスの心を切り裂いた。

「……お前を大切にするほど……
 言葉が怖くなったんだ」

「言葉が……?」

「俺の想いが……
 重いと言われるのが……怖かった」

 シャーロットは泣きながら笑ってしまった。

「わたしは……
 ずっと……
 カルロス様が……好きだったのに……」

「……!」

 胸が破れそうなほどの衝撃。

 だが、次の瞬間――
 シャーロットは顔を伏せた。

「でも……
 今のわたしには……
 誰にも信じてもらえない……
 “影”ばかりが残ってしまって……」

(……マリナ……!)

 カルロスの奥底に、
 冷たい怒りが燃えた。



 カルロスはそっと、シャーロットの手を取った。

「シャーロット。
 ――俺が、影を消す。
 必ずだ」

 シャーロットの涙が一粒、彼の手に落ちた。

「……約束、してくれますか……?」
「する」

「言葉に、してくれますか……?」
「すべて言う。全部だ」

 薔薇園に、静かな風が吹いた。

 二人の指がゆっくりと重なり、
 その重なりはかすかに震えていたが――
 たしかに温かかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
【本編完結・番外編不定期更新】 エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

旦那様に学園時代の隠し子!? 娘のためフローレンスは笑う-昔の女は引っ込んでなさい!

恋せよ恋
恋愛
結婚五年目。 誰もが羨む夫婦──フローレンスとジョシュアの平穏は、 三歳の娘がつぶやいた“たった一言”で崩れ落ちた。 「キャ...ス...といっしょ?」 キャス……? その名を知るはずのない我が子が、どうして? 胸騒ぎはやがて確信へと変わる。 夫が隠し続けていた“女の影”が、 じわりと家族の中に染み出していた。 だがそれは、いま目の前の裏切りではない。 学園卒業の夜──婚約前の学園時代の“あの過ち”。 その一夜の結果は、静かに、確実に、 フローレンスの家族を壊しはじめていた。 愛しているのに疑ってしまう。 信じたいのに、信じられない。 夫は嘘をつき続け、女は影のように フローレンスの生活に忍び寄る。 ──私は、この結婚を守れるの? ──それとも、すべてを捨ててしまうべきなの? 秘密、裏切り、嫉妬、そして母としての戦い。 真実が暴かれたとき、愛は修復か、崩壊か──。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 いいね❤️励みになります!ありがとうございます!

好きでした、婚約破棄を受け入れます

たぬきち25番
恋愛
シャルロッテ子爵令嬢には、幼い頃から愛し合っている婚約者がいた。優しくて自分を大切にしてくれる婚約者のハンス。彼と結婚できる幸せな未来を、心待ちにして努力していた。ところがそんな未来に暗雲が立ち込める。永遠の愛を信じて、傷つき、涙するシャルロッテの運命はいかに……? ※十章を改稿しました。エンディングが変わりました。

幼馴染を溺愛する旦那様の前からは、もう消えてあげることにします

睡蓮
恋愛
「旦那様、もう幼馴染だけを愛されればいいじゃありませんか。私はいらない存在らしいので、静かにいなくなってあげます」

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

氷の騎士と契約結婚したのですが、愛することはないと言われたので契約通り離縁します!

柚屋志宇
恋愛
「お前を愛することはない」 『氷の騎士』侯爵令息ライナスは、伯爵令嬢セルマに白い結婚を宣言した。 セルマは家同士の政略による契約結婚と割り切ってライナスの妻となり、二年後の離縁の日を待つ。 しかし結婚すると、最初は冷たかったライナスだが次第にセルマに好意的になる。 だがセルマは離縁の日が待ち遠しい。 ※小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

幼馴染の許嫁

山見月 あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。 彼は、私の許嫁だ。 ___あの日までは その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった 連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった 連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった 女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース 誰が見ても、愛らしいと思う子だった。 それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡 どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服 どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう 「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」 可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる 「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」 例のってことは、前から私のことを話していたのか。 それだけでも、ショックだった。 その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした 「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」 頭を殴られた感覚だった。 いや、それ以上だったかもしれない。 「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」 受け入れたくない。 けど、これが連の本心なんだ。 受け入れるしかない 一つだけ、わかったことがある 私は、連に 「許嫁、やめますっ」 選ばれなかったんだ… 八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。

処理中です...